【書籍化】エリザベートが消した愛

桃井すもも

文字の大きさ
45 / 54

【45】

しおりを挟む
年が明けて雪解けの頃。マーキスとエリザベートは婚姻を結んだ。

婚姻式は簡素なものだった。簡素と言うよりも二人の他には誓約の儀を執り行う司祭がいるだけの式だった。場所は当然ながらマーキスが司祭を務める教会で、例の如く礼拝堂に参拝者が訪れる事は無かった。

マーキスの知人と聞いていた司祭は、マーキスの洗礼式で彼に聖職者の才があると言った司祭であった。
彼が神のしもべとなったマーキスを教え導き養育した。マーキスは神籍に入ってからはずっとこの教会で生きてきた。知人の司祭とは、この教会の前任者であった。

既に老年に達している司祭が聖書の朗読のあと祈祷をして、二人は誓約を述べた後に婚姻証明書にサインをした。立会ったのは司祭だけ、口付けは触れるだけのものだった。



式とも言えない式が終わり、老司祭は何を遠慮したのか早々に引き上げた。

「マーキス様、三十歳でいらしたのね」
「今、それを聞く?」
「え?ええ。婚姻証明書にそう記載されていたものですから」

マーキスは、エリザベートの十一歳年上であった。母が聖水を飲んで見せた時、彼は十九歳だった事になる。

エリザベートの記憶の彼は、今も昔も変わらない。いつも変わらず同じ容貌に見えていた。キャソックがそう見せるのかとも思ったが、今日の彼は黒いフロックコート姿で、どうやら衣服は関係無いらしかった。
前髪をすっきり上げていたから、露わになった額の生え際が綺麗だった事と、思いのほか眉がきりりとしていて胸が鳴った。

「丁度良い機会だ。お互いについての擦り合せをしないか。きっと私達は会話が足りない。先ずはお互いを知ろうじゃないか」

とても数刻前に婚姻を結んだ夫婦の会話と思えない。だが、マーキスの言う事は尤もな事だった。王城勤めのエリザベートは、婚約を結んでからもマーキスと会えるのは週に一度がやっとであった。
司祭の執務室という色気も素っ気もない場所で、一週間の出来事を報告する様な逢瀬である。

エリザベートにとっては、そんな時間こそが貴重で大切で待ち遠しかった。お茶とお菓子で語らうばかり。成人前の少年少女と何ら変わらない交流がエリザベートにとっては新鮮で、なんでこんな些細な事をデマーリオと体験出来なかったのかと思うこともあった。

互いに歩み寄るだけで、こんなにも心が近くなる。エリザベートの中で、マーキスとは灯台の様に暗黒の海も嵐の夜もエリザベートを灯りで導く。


「マーキス様は、私の何をお知りになりたいの?」

エリザベートの事を幼少の頃より知っているマーキスに、知りたい事などあるだろうか。

「好みの男性のタイプは?」
「は?」
「いや、今君が知りたい事を聞けと言ったじゃないか」
「私の好みを聞いてどうなさるの?貴方は私の夫になったのよ?」
「うん。君の理想に近付く努力をしようかと思って」
「……」
「ん?どうした?エリザベート」
「……貴方です」
「ん?」
「私の好みは貴方です」

見なくても解る。絶対顔は真っ赤だろう。マーキスが返事をしてくれないから、ますます恥ずかしくなってしまう。
言わなければ良かった。

「なんだ。心配して損をした」
「マーキス様?」
「君には嫌われたくないんだ。始まりが始まりなだけに」
「嫌うだなんて」
「いや、すまない。年上の余裕を見せたくて回りくどい言い方をしてしまった。言い直す。君に好いてもらいたいと思っている。だから、私も本当の気持ちを言うよ」

長くなるよ覚悟をしてねと言って、マーキスは話し始めた。


「私が初めに知っていたのは君の御母上だ。まだ見習い助祭の頃から、当時はご令嬢であったミネルバ様はこの教会へ寄進にいらした。
君の御父上と婚姻を結ばれて君が生まれた。その時から私は君を知っている。君の洗礼式にも立ち合った。
私にとって、君は庇護されるべき存在だった。か弱くて儚げで穢れを知らない。
月に一度訪れる君を見続けて来たよ。
赤子が幼児になり少女になって育って行く。花が開くとはこう言う事なのだと思った。
だから、君が成長する度に陰を帯びて、長い祈りを捧げる様になって、君の心に寄り添う存在が無いことを私は理不尽だと思った。君が聖水を願った時に、もう誰にも君を任せられないと、そう思った。
教会に救いを求める女性は多い。だが、私が私の力で守りたいと思った女性は君だった。長患いを拗らせた様で自分でも呆れるが、それが私の本心だ。
こんな男はお嫌いか?だが私はもう君の夫だ、どうか諦めてほしい」

マーキスの表情は真剣で眦がほんの少し紅く見えた。それが堪らなく嬉しく思う。

「ずっと私を見ていて下さいな。私も貴方を見ているから」

「シシィ。君をそう呼ぶ事を許してくれるか?御母上に代わって、私が生涯貴女を愛すると誓うよ」

母だけが呼んでくれた懐かしい愛称であった。シシィと呼ばれる事はもう無いのだと思っていた。

「貴方だけに呼んで欲しいわ」
「やっと呼べた」

そう言ってマーキスは、司祭でも年上の男性でもなく、エリザベートの最愛の夫の顔で笑ったのを、エリザベートは生涯忘れるまいと思った。


「では、夫婦の誓いを交わそう」
「え?さっき宣誓したばかりだわ」
「それは神の御前だ。神には覗き見を御遠慮願って、二人だけで交わす誓いだよ」

そう言って、マーキスはエリザベートの手を取った。それから、まるでエスコートをする様に、寝室の一つしかない寝台へとエリザベートを連れ去った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら

赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。 問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。 もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?

【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~

魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。 ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!  そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!? 「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」 初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。 でもなんだか様子がおかしくて……? 不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。 ※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます ※他サイトでも公開しています。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。 怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。 ……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。 *** 『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』  

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫
恋愛
婚約者が中々決まらなかったジゼルは父親らに地味な者同士ちょうどいいと言われ、同じ境遇のフィルマンと学園入学前に婚約した。 それから3年。成長期を経たフィルマンは背が伸びて好青年に育ち人気者になり、順調だと思えた二人の関係が変わってしまった。フィルマンに思う相手が出来たのだ。 その令嬢は三年前に伯爵家に引き取られた庶子で、物怖じしない可憐な姿は多くの令息を虜にした。その後令嬢は第二王子と恋仲になり、王子は婚約者に解消を願い出て、二人は真実の愛と持て囃される。 この二人の騒動は政略で婚約を結んだ者たちに大きな動揺を与えた。多感な時期もあって婚約を考え直したいと思う者が続出したのだ。 フィルマンもまた一人になって考えたいと言い出し、婚約の解消を望んでいるのだと思ったジゼルは白紙を提案。フィルマンはそれに二もなく同意して二人の関係は呆気なく終わりを告げた。 それから2年。ジゼルは結婚を諦め、第三王子妃付きの文官となっていた。そんな中、仕事で隣国に行っていたフィルマンが帰って来て、復縁を申し出るが…… ご都合主義の創作物ですので、広いお心でお読みください。 他サイトでも掲載しています。

処理中です...