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年が明けて雪解けの頃。マーキスとエリザベートは婚姻を結んだ。
婚姻式は簡素なものだった。簡素と言うよりも二人の他には誓約の儀を執り行う司祭がいるだけの式だった。場所は当然ながらマーキスが司祭を務める教会で、例の如く礼拝堂に参拝者が訪れる事は無かった。
マーキスの知人と聞いていた司祭は、マーキスの洗礼式で彼に聖職者の才があると言った司祭であった。
彼が神の僕となったマーキスを教え導き養育した。マーキスは神籍に入ってからはずっとこの教会で生きてきた。知人の司祭とは、この教会の前任者であった。
既に老年に達している司祭が聖書の朗読のあと祈祷をして、二人は誓約を述べた後に婚姻証明書にサインをした。立会ったのは司祭だけ、口付けは触れるだけのものだった。
式とも言えない式が終わり、老司祭は何を遠慮したのか早々に引き上げた。
「マーキス様、三十歳でいらしたのね」
「今、それを聞く?」
「え?ええ。婚姻証明書にそう記載されていたものですから」
マーキスは、エリザベートの十一歳年上であった。母が聖水を飲んで見せた時、彼は十九歳だった事になる。
エリザベートの記憶の彼は、今も昔も変わらない。いつも変わらず同じ容貌に見えていた。キャソックがそう見せるのかとも思ったが、今日の彼は黒いフロックコート姿で、どうやら衣服は関係無いらしかった。
前髪をすっきり上げていたから、露わになった額の生え際が綺麗だった事と、思いのほか眉がきりりとしていて胸が鳴った。
「丁度良い機会だ。お互いについての擦り合せをしないか。きっと私達は会話が足りない。先ずはお互いを知ろうじゃないか」
とても数刻前に婚姻を結んだ夫婦の会話と思えない。だが、マーキスの言う事は尤もな事だった。王城勤めのエリザベートは、婚約を結んでからもマーキスと会えるのは週に一度がやっとであった。
司祭の執務室という色気も素っ気もない場所で、一週間の出来事を報告する様な逢瀬である。
エリザベートにとっては、そんな時間こそが貴重で大切で待ち遠しかった。お茶とお菓子で語らうばかり。成人前の少年少女と何ら変わらない交流がエリザベートにとっては新鮮で、なんでこんな些細な事をデマーリオと体験出来なかったのかと思うこともあった。
互いに歩み寄るだけで、こんなにも心が近くなる。エリザベートの中で、マーキスとは灯台の様に暗黒の海も嵐の夜もエリザベートを灯りで導く。
「マーキス様は、私の何をお知りになりたいの?」
エリザベートの事を幼少の頃より知っているマーキスに、知りたい事などあるだろうか。
「好みの男性のタイプは?」
「は?」
「いや、今君が知りたい事を聞けと言ったじゃないか」
「私の好みを聞いてどうなさるの?貴方は私の夫になったのよ?」
「うん。君の理想に近付く努力をしようかと思って」
「……」
「ん?どうした?エリザベート」
「……貴方です」
「ん?」
「私の好みは貴方です」
見なくても解る。絶対顔は真っ赤だろう。マーキスが返事をしてくれないから、ますます恥ずかしくなってしまう。
言わなければ良かった。
「なんだ。心配して損をした」
「マーキス様?」
「君には嫌われたくないんだ。始まりが始まりなだけに」
「嫌うだなんて」
「いや、すまない。年上の余裕を見せたくて回りくどい言い方をしてしまった。言い直す。君に好いてもらいたいと思っている。だから、私も本当の気持ちを言うよ」
長くなるよ覚悟をしてねと言って、マーキスは話し始めた。
「私が初めに知っていたのは君の御母上だ。まだ見習い助祭の頃から、当時はご令嬢であったミネルバ様はこの教会へ寄進にいらした。
君の御父上と婚姻を結ばれて君が生まれた。その時から私は君を知っている。君の洗礼式にも立ち合った。
私にとって、君は庇護されるべき存在だった。か弱くて儚げで穢れを知らない。
月に一度訪れる君を見続けて来たよ。
赤子が幼児になり少女になって育って行く。花が開くとはこう言う事なのだと思った。
だから、君が成長する度に陰を帯びて、長い祈りを捧げる様になって、君の心に寄り添う存在が無いことを私は理不尽だと思った。君が聖水を願った時に、もう誰にも君を任せられないと、そう思った。
教会に救いを求める女性は多い。だが、私が私の力で守りたいと思った女性は君だった。長患いを拗らせた様で自分でも呆れるが、それが私の本心だ。
こんな男はお嫌いか?だが私はもう君の夫だ、どうか諦めてほしい」
マーキスの表情は真剣で眦がほんの少し紅く見えた。それが堪らなく嬉しく思う。
「ずっと私を見ていて下さいな。私も貴方を見ているから」
「シシィ。君をそう呼ぶ事を許してくれるか?御母上に代わって、私が生涯貴女を愛すると誓うよ」
母だけが呼んでくれた懐かしい愛称であった。シシィと呼ばれる事はもう無いのだと思っていた。
「貴方だけに呼んで欲しいわ」
「やっと呼べた」
そう言ってマーキスは、司祭でも年上の男性でもなく、エリザベートの最愛の夫の顔で笑ったのを、エリザベートは生涯忘れるまいと思った。
「では、夫婦の誓いを交わそう」
「え?さっき宣誓したばかりだわ」
「それは神の御前だ。神には覗き見を御遠慮願って、二人だけで交わす誓いだよ」
そう言って、マーキスはエリザベートの手を取った。それから、まるでエスコートをする様に、寝室の一つしかない寝台へとエリザベートを連れ去った。
婚姻式は簡素なものだった。簡素と言うよりも二人の他には誓約の儀を執り行う司祭がいるだけの式だった。場所は当然ながらマーキスが司祭を務める教会で、例の如く礼拝堂に参拝者が訪れる事は無かった。
マーキスの知人と聞いていた司祭は、マーキスの洗礼式で彼に聖職者の才があると言った司祭であった。
彼が神の僕となったマーキスを教え導き養育した。マーキスは神籍に入ってからはずっとこの教会で生きてきた。知人の司祭とは、この教会の前任者であった。
既に老年に達している司祭が聖書の朗読のあと祈祷をして、二人は誓約を述べた後に婚姻証明書にサインをした。立会ったのは司祭だけ、口付けは触れるだけのものだった。
式とも言えない式が終わり、老司祭は何を遠慮したのか早々に引き上げた。
「マーキス様、三十歳でいらしたのね」
「今、それを聞く?」
「え?ええ。婚姻証明書にそう記載されていたものですから」
マーキスは、エリザベートの十一歳年上であった。母が聖水を飲んで見せた時、彼は十九歳だった事になる。
エリザベートの記憶の彼は、今も昔も変わらない。いつも変わらず同じ容貌に見えていた。キャソックがそう見せるのかとも思ったが、今日の彼は黒いフロックコート姿で、どうやら衣服は関係無いらしかった。
前髪をすっきり上げていたから、露わになった額の生え際が綺麗だった事と、思いのほか眉がきりりとしていて胸が鳴った。
「丁度良い機会だ。お互いについての擦り合せをしないか。きっと私達は会話が足りない。先ずはお互いを知ろうじゃないか」
とても数刻前に婚姻を結んだ夫婦の会話と思えない。だが、マーキスの言う事は尤もな事だった。王城勤めのエリザベートは、婚約を結んでからもマーキスと会えるのは週に一度がやっとであった。
司祭の執務室という色気も素っ気もない場所で、一週間の出来事を報告する様な逢瀬である。
エリザベートにとっては、そんな時間こそが貴重で大切で待ち遠しかった。お茶とお菓子で語らうばかり。成人前の少年少女と何ら変わらない交流がエリザベートにとっては新鮮で、なんでこんな些細な事をデマーリオと体験出来なかったのかと思うこともあった。
互いに歩み寄るだけで、こんなにも心が近くなる。エリザベートの中で、マーキスとは灯台の様に暗黒の海も嵐の夜もエリザベートを灯りで導く。
「マーキス様は、私の何をお知りになりたいの?」
エリザベートの事を幼少の頃より知っているマーキスに、知りたい事などあるだろうか。
「好みの男性のタイプは?」
「は?」
「いや、今君が知りたい事を聞けと言ったじゃないか」
「私の好みを聞いてどうなさるの?貴方は私の夫になったのよ?」
「うん。君の理想に近付く努力をしようかと思って」
「……」
「ん?どうした?エリザベート」
「……貴方です」
「ん?」
「私の好みは貴方です」
見なくても解る。絶対顔は真っ赤だろう。マーキスが返事をしてくれないから、ますます恥ずかしくなってしまう。
言わなければ良かった。
「なんだ。心配して損をした」
「マーキス様?」
「君には嫌われたくないんだ。始まりが始まりなだけに」
「嫌うだなんて」
「いや、すまない。年上の余裕を見せたくて回りくどい言い方をしてしまった。言い直す。君に好いてもらいたいと思っている。だから、私も本当の気持ちを言うよ」
長くなるよ覚悟をしてねと言って、マーキスは話し始めた。
「私が初めに知っていたのは君の御母上だ。まだ見習い助祭の頃から、当時はご令嬢であったミネルバ様はこの教会へ寄進にいらした。
君の御父上と婚姻を結ばれて君が生まれた。その時から私は君を知っている。君の洗礼式にも立ち合った。
私にとって、君は庇護されるべき存在だった。か弱くて儚げで穢れを知らない。
月に一度訪れる君を見続けて来たよ。
赤子が幼児になり少女になって育って行く。花が開くとはこう言う事なのだと思った。
だから、君が成長する度に陰を帯びて、長い祈りを捧げる様になって、君の心に寄り添う存在が無いことを私は理不尽だと思った。君が聖水を願った時に、もう誰にも君を任せられないと、そう思った。
教会に救いを求める女性は多い。だが、私が私の力で守りたいと思った女性は君だった。長患いを拗らせた様で自分でも呆れるが、それが私の本心だ。
こんな男はお嫌いか?だが私はもう君の夫だ、どうか諦めてほしい」
マーキスの表情は真剣で眦がほんの少し紅く見えた。それが堪らなく嬉しく思う。
「ずっと私を見ていて下さいな。私も貴方を見ているから」
「シシィ。君をそう呼ぶ事を許してくれるか?御母上に代わって、私が生涯貴女を愛すると誓うよ」
母だけが呼んでくれた懐かしい愛称であった。シシィと呼ばれる事はもう無いのだと思っていた。
「貴方だけに呼んで欲しいわ」
「やっと呼べた」
そう言ってマーキスは、司祭でも年上の男性でもなく、エリザベートの最愛の夫の顔で笑ったのを、エリザベートは生涯忘れるまいと思った。
「では、夫婦の誓いを交わそう」
「え?さっき宣誓したばかりだわ」
「それは神の御前だ。神には覗き見を御遠慮願って、二人だけで交わす誓いだよ」
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