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こんな事、夢の中でも起こっていない。
アリアドネはそう思う。思った傍から頬を雫が伝うのが分かった。
「ごめんなさい!私、お水のおかわりが欲しくって!それで、貰って来たの!」
貴女のお水事情は聞いていない。
「態とじゃないの!手が滑ってしまって。きゃっ、怒っていらっしゃるのね、だってお顔が怖いっ..」
昼食時の食堂であった。
いつもの様にアンネマリーの後から席に着き、いつもの様に食事をする。
いつもと違ったのは聞き慣れない音だった。
ぱたぱたと音がする。まるで幼児が駆ける様な。
アリアドネは瞬時に警戒した。向かいに座るパトリシアも同じらしい。
音の方へ目を向ければ、あれに見ゆるはふわふわファニー。
見間違う事など有り得ない、ミルクティーブラウンの髪が揺れていた。揺れるのは構わないが、何故今なのだ。
今は食事の最中で、歩き回る生徒は居ない。
ファニーの姿を認めた瞬間、アリアドネは彼女の手元に注視した。
水を湛えたグラスを持っている。満々に水の入ったグラスを持って、小走りにこちらに向かって来る。零れてしまうわ、ふわふわファニー。
その異様な姿に、流石の学生達も気が付いたようだ。
ファニーを見つめていたアリアドネには彼女の視線の先が解った。瞬間、隣に座るアンネマリーに覆い被さる。
頭上から水を被ったのは同時であった。
「ごめんなさい!態とじゃないの!」
途端に薄緑の瞳が水を湛えて、うるうると潤みだす。全然秘密じゃないのだから最早秘密兵器にもなり得ない。
ファニーが言うしどろもどろの言い訳によれば、水のおかわりが欲しかったが給仕を呼ぶに躊躇ったと言う。
「だって、あの人達は平民でしょう?私も平民だった頃があったから、そんな人達にお水のおかわりを言い付けるだなんて出来なかったの。だから自分で貰いに行ったのっ」
その後は、お得意のごめんなさい攻撃に打って出た。
給仕はおかわりを頼まれて自分を平民だからだなんて思いません。
それより貴女、どこから湧いて出た?お水を貰いに行くところなど見ていないのだけれど。まるでどこかで待機していた様じゃない。
「態とじゃないの!手が滑ってしまって。怒ってらっしゃるのね、そんな怖いお顔でっ」
怖い顔ですみません。生まれついての顔立ちなのです。
アリアドネは心の中ではふわふわファニーと会話をしているつもりであったが、どうやら無言のままでいたらしい。
「アリアドネ、有難う。私は大丈夫よ、貴女が濡れてしまったわね。」
柔らかな手がアリアドネの腕を軽やかにタップした。アリアドネはアンネマリーに覆い被さったままであった。
「失礼致しました。アンネマリー様。濡れてはいらっしゃいませんか?」
「貴女のお陰で大丈夫。流石は私のアリアドネね。」
「ふふ」
アンネマリーのユーモアを含んだアリアドネ私物発言に、アリアドネは思わず笑みを漏らした。
「えっと、アリアドネ様っ、どうか怒らないで下さい!」
「給仕。」
その一言で食堂は水を打ったように静まり返った。
真逆のフランシス殿下がお声を発した。
自身の発言の重みを知るフランシスは、滅多な事で無用な発言をしない。彼の発言は専らアンネマリーへの惚気である。
その殿下の言葉に生徒達は瞬時に固まり動かない。と言うより動けずにいる。
「給仕、令嬢を席へ。」
フランシス殿下に代わって言葉を続けたのはブライアンだった。
給仕が足に羽が生えているのかと思うほどのスピードでこちらへ向かって来る。
「アリアドネ」
その言葉と同時に視界が暗くなった。
「濡れている」
ハデスだった。どうやら彼のジャケットを被せられているらしい。
「立てるか」
「え、ええ、」
言われるままにアリアドネは立ち上がる。
ふわりと香るムスクの薫り。ハデスの香りが鼻腔を擽る。
「然程濡れずに済んだな。」
アリアドネは面前の男になんと言って良いのか分からない。
隣に座る医務室の教師も同じ様だ。
コップ一杯の水を被っただけなのだが、アリアドネは今、医務室にいる。多分、あの場ではハンカチで拭き取るのが最適解であったのだろうが、ハデスはアリアドネを抱える勢いで肩を掴んだ。そのまま片腕で囲い医務室へ連れ込んだ。
幸い医務室は食堂とは同じ並びにあったから、直ぐに着いてしまった。
「ええっと、アリアドネ嬢、どこも痛くは無いようね。濡れたらしいけど、どうかしら、もう大分乾いて見えるけれど。まあ折角だから休んで行く?」
「はい、先生。少し休んで行きます。」
アリアドネは隣で曖昧な笑みを浮かべる教師に答えて、それから向かいに座るハデスへ向き直る。
ハデス様、その席は先生のお席です。とは言えないまま話し掛けた。
「ご心配をお掛けしました。私はなんとも有りません。それよりハデス様のジャケットを濡らしてしまったのではないかと、」
「構わない。」
「ええっと、折角なので少し休んでから戻ります。アンネマリー様へはご心配には及ばないとお伝え下さい。」
「ああ。」
安定の二文字を残してハデスは医務室を出て行った。
ふわりと香るムスクの薫りは、アリアドネから香っていた。
アリアドネはそう思う。思った傍から頬を雫が伝うのが分かった。
「ごめんなさい!私、お水のおかわりが欲しくって!それで、貰って来たの!」
貴女のお水事情は聞いていない。
「態とじゃないの!手が滑ってしまって。きゃっ、怒っていらっしゃるのね、だってお顔が怖いっ..」
昼食時の食堂であった。
いつもの様にアンネマリーの後から席に着き、いつもの様に食事をする。
いつもと違ったのは聞き慣れない音だった。
ぱたぱたと音がする。まるで幼児が駆ける様な。
アリアドネは瞬時に警戒した。向かいに座るパトリシアも同じらしい。
音の方へ目を向ければ、あれに見ゆるはふわふわファニー。
見間違う事など有り得ない、ミルクティーブラウンの髪が揺れていた。揺れるのは構わないが、何故今なのだ。
今は食事の最中で、歩き回る生徒は居ない。
ファニーの姿を認めた瞬間、アリアドネは彼女の手元に注視した。
水を湛えたグラスを持っている。満々に水の入ったグラスを持って、小走りにこちらに向かって来る。零れてしまうわ、ふわふわファニー。
その異様な姿に、流石の学生達も気が付いたようだ。
ファニーを見つめていたアリアドネには彼女の視線の先が解った。瞬間、隣に座るアンネマリーに覆い被さる。
頭上から水を被ったのは同時であった。
「ごめんなさい!態とじゃないの!」
途端に薄緑の瞳が水を湛えて、うるうると潤みだす。全然秘密じゃないのだから最早秘密兵器にもなり得ない。
ファニーが言うしどろもどろの言い訳によれば、水のおかわりが欲しかったが給仕を呼ぶに躊躇ったと言う。
「だって、あの人達は平民でしょう?私も平民だった頃があったから、そんな人達にお水のおかわりを言い付けるだなんて出来なかったの。だから自分で貰いに行ったのっ」
その後は、お得意のごめんなさい攻撃に打って出た。
給仕はおかわりを頼まれて自分を平民だからだなんて思いません。
それより貴女、どこから湧いて出た?お水を貰いに行くところなど見ていないのだけれど。まるでどこかで待機していた様じゃない。
「態とじゃないの!手が滑ってしまって。怒ってらっしゃるのね、そんな怖いお顔でっ」
怖い顔ですみません。生まれついての顔立ちなのです。
アリアドネは心の中ではふわふわファニーと会話をしているつもりであったが、どうやら無言のままでいたらしい。
「アリアドネ、有難う。私は大丈夫よ、貴女が濡れてしまったわね。」
柔らかな手がアリアドネの腕を軽やかにタップした。アリアドネはアンネマリーに覆い被さったままであった。
「失礼致しました。アンネマリー様。濡れてはいらっしゃいませんか?」
「貴女のお陰で大丈夫。流石は私のアリアドネね。」
「ふふ」
アンネマリーのユーモアを含んだアリアドネ私物発言に、アリアドネは思わず笑みを漏らした。
「えっと、アリアドネ様っ、どうか怒らないで下さい!」
「給仕。」
その一言で食堂は水を打ったように静まり返った。
真逆のフランシス殿下がお声を発した。
自身の発言の重みを知るフランシスは、滅多な事で無用な発言をしない。彼の発言は専らアンネマリーへの惚気である。
その殿下の言葉に生徒達は瞬時に固まり動かない。と言うより動けずにいる。
「給仕、令嬢を席へ。」
フランシス殿下に代わって言葉を続けたのはブライアンだった。
給仕が足に羽が生えているのかと思うほどのスピードでこちらへ向かって来る。
「アリアドネ」
その言葉と同時に視界が暗くなった。
「濡れている」
ハデスだった。どうやら彼のジャケットを被せられているらしい。
「立てるか」
「え、ええ、」
言われるままにアリアドネは立ち上がる。
ふわりと香るムスクの薫り。ハデスの香りが鼻腔を擽る。
「然程濡れずに済んだな。」
アリアドネは面前の男になんと言って良いのか分からない。
隣に座る医務室の教師も同じ様だ。
コップ一杯の水を被っただけなのだが、アリアドネは今、医務室にいる。多分、あの場ではハンカチで拭き取るのが最適解であったのだろうが、ハデスはアリアドネを抱える勢いで肩を掴んだ。そのまま片腕で囲い医務室へ連れ込んだ。
幸い医務室は食堂とは同じ並びにあったから、直ぐに着いてしまった。
「ええっと、アリアドネ嬢、どこも痛くは無いようね。濡れたらしいけど、どうかしら、もう大分乾いて見えるけれど。まあ折角だから休んで行く?」
「はい、先生。少し休んで行きます。」
アリアドネは隣で曖昧な笑みを浮かべる教師に答えて、それから向かいに座るハデスへ向き直る。
ハデス様、その席は先生のお席です。とは言えないまま話し掛けた。
「ご心配をお掛けしました。私はなんとも有りません。それよりハデス様のジャケットを濡らしてしまったのではないかと、」
「構わない。」
「ええっと、折角なので少し休んでから戻ります。アンネマリー様へはご心配には及ばないとお伝え下さい。」
「ああ。」
安定の二文字を残してハデスは医務室を出て行った。
ふわりと香るムスクの薫りは、アリアドネから香っていた。
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