アリアドネが見た長い夢

桃井すもも

文字の大きさ
44 / 65

【44】

なんだか凄く普通だわ。

学園に向かう馬車の中。
アリアドネは今日もハデスと向かい合って座っている。

『お早うございます、ハデス様』
『ああ。』

で始まった月曜日の朝。

全然いつもと変わらない、今まで通りの朝である。


土曜日の夜に夜会があって、そこで一悶着があったのは良い。
帰りの馬車で、ハデスはアリアドネが痩せたと言って、それから体型の事で...、ぼっ!

顔が火照るのが見なくとも分かる。

そ、それで、馬車の中でハデス様が、なんて言ったんだっけ。
なんかお互い興奮しちゃって...、ぼっ!

あ~~~っ!

ハデス様!なんでそんなに普通なのっ!
貴方、私にくっ口付け(指先に)したじゃない!

こんな人だったなんて。
くっ、口付け(指先だけどね)しといてそんな澄ました顔をして、何にも無かった風でいる。

とんだ女たらしだわ。貴方っ、私を弄んだのねっ!

と、アリアドネは頭の中では猛烈苛烈な一人劇を演じていたのだが、紅潮する頰を除けば表面上は取り澄ましたいつも通りの顔をしている。

気にして浮き足立っただけ損をするわ。
女誑しのハデス様には、あんな事やこんな事は日常茶飯事なのだから、いちいち振り回されてはいられないわ。

アリアドネはすっかりハデスを女誑しと決め込んで、不埒な乱交が彼の日常であるのだと、勝手な妄想を事実の様に脳内で捏造する。

でなければ、こんなにいつも通り、ん?ハデス様?いつも通りよね?

ハデスは窓の風景を眺めている。
馬車に入ってから、一度も視線が合わないし、勿論、挨拶以外は一言も言葉を交わしていない。

「ハデス様。」
「...」

え?無視?

ハデスはこれまでも無口で寡黙ではあったが、礼を欠く事は無かった。

アリアドネは、真逆ハデスに限ってそんな無礼な事をする訳が無いと、もう一度呼んでみる事にした。

「ハデ「なんだ」

なんだはこちらの台詞だ。
なんだ聴こえているんじゃない。

少しばかりへそ曲がりなのは薄々解っていたけれど、これほど?!

なんだろう。この失望感。
折角お互い好意を持って......

「えっ!」
「なんだっ!」

「ハ、ハデス様、貴方、」
お互いに好意を...。貴方、真逆私に好意をお持ちなの?とは流石に聞けない。

「なんだっ」
「いえ、何でもございません。」

ギクシャクした空気を払拭出来ぬまま、学園の門扉が見えて来る。

「美しかった。」
「え?」
「君は、とても美しかった。」

馬車が止まり御者が扉をノックする。
扉が開いてハデスが先に出た。
こちらに振り返ったハデスが手を差し伸べて、
真っ赤な顔で手を差し伸べて、
アリアドネも顔から火が出るかと思った。

言い逃げ?!

ハデスは今の今の今になって、夜会でのアリアドネの姿を「美しい」と言ったのだ。

ぼぼぼっと音がしそうなほど赤く熟れた二人が並び、学園の敷地を進む。
そこで、アリアドネはふと正気に戻った。

ここに通う生徒の多くがあの夜会に参加していた筈である。
あの騒動、ふわふわファニーが起こした騒ぎを知る者は少くないだろう。

アリアドネは背中に冷たいものを感じた。
ファニーはもう登校しているのだろうか。
彼女絡みでまた何か起こるのか。

初秋の夕暮れ時、アリアドネに迫った男子生徒達。
夢で見た光景が脳裏に蘇る。

「アリアドネ、どうした。」

アリアドネの変化に気が付いたらしいハデスが尋ねてくる。

こんな事、ハデスは信じてくれるだろうか。現実では無関係の男子生徒達に警戒するアリアドネを理解してくれるだろうか。
考え過ぎだと呆れるだろうか。

今までのアリアドネだったならハデスを頼ろうだなんて思わない。頼る前に会話が出来ない間柄であったから。

けれども、今のハデスは?
どうする、アリアドネ。ハデス様をお前は信じられるの?

「ハデス様、ご相談したい事があるのです。」

アリアドネの言葉に、ハデスは無言のまま一つ頷いた。



月曜日の学園は、平素と何一つ変わりの無いいつもの学園であった。

昼食時の食堂も、先日の騒ぎなど無かったように、貴族の子女達らしく時折囁やき声だけが聞こえるくらいで、いつもと変わらぬ静かな食事の風景であった。

不思議な程いつも通り。
ふわふわファニーが騒ぎを起こす以前の学園の姿である。

夏休みの少し前に編入したという子爵令嬢ファニー。
新学期が始まって二週間程であるから、夏休みを勘定に入れなければひと月にも満たない期間に幾度もの騒動を起こしている。

彼女の奇っ怪な行動は、アリアドネが目にした事だけでも貴族令嬢としては相当常識外れなものばかりであるのを、多くの男子生徒の心を掴み、その近すぎる距離から噂によれば婚約解消の原因になった事もあるらしい。

その当事者であるファニーの姿が見えない事が、アリアドネに不穏なものを感じさせた。


昼休みの貴賓室。
いつもはフランシス殿下の側にいるハデスが目の前にいる。

「相談とは。」

遠巻きに皆の視線を感じる。
今日ばかりは殿下とアンネマリーから離れて隅っこにいるのだが、所詮同じ場にいるのだから、ちょっと皆様!聴き耳を立てるのはお辞めになって!
殿下っ興味津々なお顔をお辞めになって!

アリアドネは落ち着かない。
なんでハデス様、こんなに注目されていてそんな平常心の見本の様なお顔をしていられるの?

そう思った先から、

「アリアドネ、彼奴等あいつらは気にせずとも良い。」

ハデスは、殿下もアンネマリーも十把一絡げに彼奴等呼ばわりした。




あなたにおすすめの小説

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】「元カノが忘れられないんでしょう?」と身を引いた瞬間、爽やか彼氏の執着スイッチが入りました

恋せよ恋
恋愛
「元カノが忘れられないなら、私が身を引くわくべきよね」 交際一周年、愛するザックに告げた決別の言葉。 でも、彼は悲しむどころか、見たこともない 暗い瞳で私を追い詰めた。 「僕を捨てる? 逃げられると思っているの、アン」 私の知る爽やかな王子の仮面が剥がれ落ち、 隠されていた狂おしいほどの独占欲が牙を剥く。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

【完結】ある公爵の後悔

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
王女に嵌められて冤罪をかけられた婚約者に会うため、公爵令息のチェーザレは北の修道院に向かう。 そこで知った真実とは・・・ 主人公はクズです。

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー