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【59】
「ア、アリアドネ、泣かないでくれ、」
「ううっ、だ、大丈夫です、ハデス様。」
ハデスが慌ててアリアドネの瞼にハンカチを押し当てる。
不器用さんだから、ちょっとゴシゴシ痛いほどである。
そんなハデスの手からハンカチを受け取って、アリアドネは零れてしまった涙を拭う。
アリアドネとハデスは今、劇場の貴賓席にいる。
何をそれ程拗らせたのか、二年もの年月を没交渉で過ごして来た二人が、最近漸く恋人らしく寄り添う姿に互いの母親達は決起した。
今、王都で話題の恋愛小説がある。
人気の平民作家による恋愛小説が婦人向けの週刊誌に掲載されている。それが貴族平民の境い無く、御婦人方の心を捕らえてヒットした。
婦人ばかりか令嬢達も夢中にさせて、一大ブームを巻き起こした。
その話題の恋愛小説が歌劇として上演されると云う。
ハデスとアリアドネの母親達は、恋人達に甘い恋愛歌劇をお見舞いして、恋の炎が燃え上がるのを加速させようと目論んだ。
そうして持ちうる力を十二分に発揮して、二人の為に貴賓席をゲットした。
こうしてハデスとアリアドネは、二人きりで貴賓席にいて、アリアドネは零れる涙を止められず、ハデスはそんなアリアドネをどう慰めてよいのか解らぬまま木偶の坊宜しくおろおろするのであった。
「アリアドネ、辛いのか?もう観るのは止めにして出ようか?」
「いいえ、いいえ、ハデス様、ぐす。そうではないのです、ぐす。」
「そうでなければ、どうなのだ、」
「あまりに悲しすぎて、ぐす。」
「無理をするな、目が溶けてしまう、もう出よう。」
「駄目よ駄目駄目ハデス様。今が見所なのです。想い合う二人がお別れするだなんて、ぐすぐす。」
「ア、アリアドネっ」
「ハデス様、ほらお座りになって。見逃してしまいますわ。ああ、アンドーレっ、オスカールっ、ぐす。」
アリアドネは100%恋愛脳である。
恋愛小説大好物である。
歌劇『ベルサイユのかすみ草』は、「週刊貴婦人」に連載中の人気恋愛小説で、アリアドネはそれを毎週欠かさず読んでいる。
毎週水曜日に学園の図書室の新刊棚に並ぶのを、一番乗りで読むほどには大ファンなのである。
「アリアドネ、もしや君は楽しんでいるというのか?」
「しっ、ハデス様。今良いところなのです。さあさあハデス様もご覧になって。」
アリアドネは、立ち上がろうと腰を浮かせたままのハデスの手を取り座らせる。
青い瞳から再び涙が溢れ出す。
「ううっ、アンドーレっ、オスカールっ」
「アリアドネっ、大丈夫かっ」
恋愛脳など一滴も無いハデスには、泣くばかりのアリアドネをどうやって慰めてよいのやら、手を拱くばかりであった。
目元を真っ赤にしながら観劇するアリアドネが可哀想で可哀想で、ハデスはとうとうアリアドネを抱き締めた。
「泣くな、アリアドネ。君に泣かれると私は辛くなる。」
「へ?」
「お願いだ、泣き止んでくれ。君が泣くと私は胸が痛くなるのだ。」
「ハ、ハデス様、大丈夫?どこが痛いと?」
「胸が痛む。」
「まあ!」
とんだバカップルである。
「君が恋愛小説が好きだというのは理解した。」
「ご心配をお掛けして申し訳ございません。」
「いや、以前、君と観劇に行った事があったろう。その、君はあの時楽しそうではなかったから、てっきり観劇は好みでないのだと思っていた。」
「え?」
「好きなのか?」
「ええ、大好き(大好物)です!」
「大好き...」
「あ、ええっと、あの、ハデス様の事も、大好きです。」
「...」
ハデスはアリアドネの言葉が嬉しかった。嬉しかったのだが、なんだかその恋愛小説家に負けた様な気持ちになった。
ハデスには、アリアドネをこんなにも表情豊かにさせる事は出来ない。アリアドネに感動を与える事など出来ない。
「アリアドネ。私は不甲斐ない男だ。君の涙を止める事すら出来ないのだから、感動を与える事など到底出来そうもない。」
こんな気弱なハデスを、アリアドネは初めて見た。
「ハデス様、何を仰いますの?私が貴方から感動を得られないと?そんな事はございません。貴方と初めてお会いした日に、私は確かに感動したのですもの。貴方の美しい瞳に見入ってしまったのよ。」
「瞳?」
訝しむ様にハデスが言えば、
「ええ。泉の深淵を覗く様な美しい瞳だと。」
アリアドネは、そうハデスに告白した。
ハデスはアリアドネを抱き寄せていた腕を伸ばして、そうしてアリアドネを見つめた。それから肩を囲う。そのまま再び今度はゆっくりと抱き寄せて、アリアドネをすっかり腕の中に囲い込んでからギュッと抱き締めた。
「ハデス様っ、」
「アリアドネ。私も君の瞳を美しいと思っている。」
「私の瞳を?」
「ああ。君の瞳はとても美しい。」
「あ、有難うございます。」
初々しい恋人達は、すっかりアンドーレもオスカールも忘却の彼方に放っぽり出して、貴賓席で抱き合いながら互いの心を確かめた。
翌日、グラントン侯爵家よりアリアドネへ贈り物が届けられた。大粒のサファイアをメレダイヤが囲むブローチであった。
ハデスと心が通じ合ってから初めての贈り物に、アリアドネは涙が零れてしまった。
ハデスは多分、アリアドネの涙を止める事は出来ないだろう。嬉し涙を止める事なんて出来ないだろう。
「ううっ、だ、大丈夫です、ハデス様。」
ハデスが慌ててアリアドネの瞼にハンカチを押し当てる。
不器用さんだから、ちょっとゴシゴシ痛いほどである。
そんなハデスの手からハンカチを受け取って、アリアドネは零れてしまった涙を拭う。
アリアドネとハデスは今、劇場の貴賓席にいる。
何をそれ程拗らせたのか、二年もの年月を没交渉で過ごして来た二人が、最近漸く恋人らしく寄り添う姿に互いの母親達は決起した。
今、王都で話題の恋愛小説がある。
人気の平民作家による恋愛小説が婦人向けの週刊誌に掲載されている。それが貴族平民の境い無く、御婦人方の心を捕らえてヒットした。
婦人ばかりか令嬢達も夢中にさせて、一大ブームを巻き起こした。
その話題の恋愛小説が歌劇として上演されると云う。
ハデスとアリアドネの母親達は、恋人達に甘い恋愛歌劇をお見舞いして、恋の炎が燃え上がるのを加速させようと目論んだ。
そうして持ちうる力を十二分に発揮して、二人の為に貴賓席をゲットした。
こうしてハデスとアリアドネは、二人きりで貴賓席にいて、アリアドネは零れる涙を止められず、ハデスはそんなアリアドネをどう慰めてよいのか解らぬまま木偶の坊宜しくおろおろするのであった。
「アリアドネ、辛いのか?もう観るのは止めにして出ようか?」
「いいえ、いいえ、ハデス様、ぐす。そうではないのです、ぐす。」
「そうでなければ、どうなのだ、」
「あまりに悲しすぎて、ぐす。」
「無理をするな、目が溶けてしまう、もう出よう。」
「駄目よ駄目駄目ハデス様。今が見所なのです。想い合う二人がお別れするだなんて、ぐすぐす。」
「ア、アリアドネっ」
「ハデス様、ほらお座りになって。見逃してしまいますわ。ああ、アンドーレっ、オスカールっ、ぐす。」
アリアドネは100%恋愛脳である。
恋愛小説大好物である。
歌劇『ベルサイユのかすみ草』は、「週刊貴婦人」に連載中の人気恋愛小説で、アリアドネはそれを毎週欠かさず読んでいる。
毎週水曜日に学園の図書室の新刊棚に並ぶのを、一番乗りで読むほどには大ファンなのである。
「アリアドネ、もしや君は楽しんでいるというのか?」
「しっ、ハデス様。今良いところなのです。さあさあハデス様もご覧になって。」
アリアドネは、立ち上がろうと腰を浮かせたままのハデスの手を取り座らせる。
青い瞳から再び涙が溢れ出す。
「ううっ、アンドーレっ、オスカールっ」
「アリアドネっ、大丈夫かっ」
恋愛脳など一滴も無いハデスには、泣くばかりのアリアドネをどうやって慰めてよいのやら、手を拱くばかりであった。
目元を真っ赤にしながら観劇するアリアドネが可哀想で可哀想で、ハデスはとうとうアリアドネを抱き締めた。
「泣くな、アリアドネ。君に泣かれると私は辛くなる。」
「へ?」
「お願いだ、泣き止んでくれ。君が泣くと私は胸が痛くなるのだ。」
「ハ、ハデス様、大丈夫?どこが痛いと?」
「胸が痛む。」
「まあ!」
とんだバカップルである。
「君が恋愛小説が好きだというのは理解した。」
「ご心配をお掛けして申し訳ございません。」
「いや、以前、君と観劇に行った事があったろう。その、君はあの時楽しそうではなかったから、てっきり観劇は好みでないのだと思っていた。」
「え?」
「好きなのか?」
「ええ、大好き(大好物)です!」
「大好き...」
「あ、ええっと、あの、ハデス様の事も、大好きです。」
「...」
ハデスはアリアドネの言葉が嬉しかった。嬉しかったのだが、なんだかその恋愛小説家に負けた様な気持ちになった。
ハデスには、アリアドネをこんなにも表情豊かにさせる事は出来ない。アリアドネに感動を与える事など出来ない。
「アリアドネ。私は不甲斐ない男だ。君の涙を止める事すら出来ないのだから、感動を与える事など到底出来そうもない。」
こんな気弱なハデスを、アリアドネは初めて見た。
「ハデス様、何を仰いますの?私が貴方から感動を得られないと?そんな事はございません。貴方と初めてお会いした日に、私は確かに感動したのですもの。貴方の美しい瞳に見入ってしまったのよ。」
「瞳?」
訝しむ様にハデスが言えば、
「ええ。泉の深淵を覗く様な美しい瞳だと。」
アリアドネは、そうハデスに告白した。
ハデスはアリアドネを抱き寄せていた腕を伸ばして、そうしてアリアドネを見つめた。それから肩を囲う。そのまま再び今度はゆっくりと抱き寄せて、アリアドネをすっかり腕の中に囲い込んでからギュッと抱き締めた。
「ハデス様っ、」
「アリアドネ。私も君の瞳を美しいと思っている。」
「私の瞳を?」
「ああ。君の瞳はとても美しい。」
「あ、有難うございます。」
初々しい恋人達は、すっかりアンドーレもオスカールも忘却の彼方に放っぽり出して、貴賓席で抱き合いながら互いの心を確かめた。
翌日、グラントン侯爵家よりアリアドネへ贈り物が届けられた。大粒のサファイアをメレダイヤが囲むブローチであった。
ハデスと心が通じ合ってから初めての贈り物に、アリアドネは涙が零れてしまった。
ハデスは多分、アリアドネの涙を止める事は出来ないだろう。嬉し涙を止める事なんて出来ないだろう。
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*こちらは元の小説の途中に、エピソードを追加したものです。
文字数が倍になっています。