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「ミネット。」
母はミネットへ語り掛ける。穏やかで良く通る母の声が、アウローラは好きである。
「貴女は次期当主と定められた。優しく見目良く優秀で貴女を愛する男性を将来の伴侶に得られた。貴女の未来は安泰よ。その安泰な未来を築くのは、当主となる貴女なのよ。良く学んで励んで頂戴。期待しているわ。」
母は、ミネットへの言葉はお終いであるようで、アストリウスに、次にトーマスに向かって穏やかな表情で微笑んだ。
「次女であるからと、愛情を掛ける余りに少々甘やかしてしまいました。閣下の御前での無礼、大変申し訳ございません。
未だ学生の身分ですから、卒業までにしっかり学ばせますので、どうかこの場はお目溢し下さいませ。
アウローラは控えめな娘でありますが、私を長く支えてくれました。きっと閣下のお役に立つことでしょう。磨けば光る珠でございます。どうか貴方様なりの方法で磨いてやって下さいませ。
それから、トーマス様。ミネットに代わってお詫び致します。ミネットは明るい娘です。少々気紛れではありますが、気立ての良い娘です。貴方はそんなミネットを良くご存知でしょう。今夜は気紛れが過ぎてしまいましたが、これより先は私がしっかり教育致します。どうかこれからもミネットを宜しくお願い致しますね。」
そこまで母が言い終えて、途端に場の空気が和らぐと、給仕が動き出して次の料理を配膳する。
母の醸し出す穏やかな静けさは、森の奥深くにある湖の、その湖面を覗く様であった。それは母の威厳であって、そんな母にいつでもアウローラは憧れる。
「どうかお気になさらないで頂きたい。貴女の仰る事は全て承知しております。アウローラとは、私なりに心を通わせているつもりです。年上の男の余裕を見せたくて、つい大人ぶっておりました為に、ご家族に誤解を与えてしまった。
ミネット嬢、すまなかったね。貴女には要らぬ気遣いをさせた。安心してくれないか。アウローラは侯爵家でも良く学んでくれている。使用人達にも気配りを忘れないし、事業を支える才もある。社交なら、既に公爵家との縁を繋いでくれているし、君が心配する事は何も無いんだよ。それから、」
それから、と言ってアストリウスはワインをひと口含む。それをゆっくり飲み込んで、再びミネットを見た。
「それから、私は君の気持ちは理解出来るよ。私は次男だからね。次期当主の兄と兄を教育する父を見て育った。そうして今は継ぐ筈のなかった爵位を継いでいる。それで私が幸福を感じたかと言えば、実はそうでもない。次男なりの自由な生き方を、私は嫌いではなかったからね。
首長とは私には些か荷が重い。けれどもやらねば一族も領地も立ち行かなくなる。器以上の料理を盛られて、力量不足を実感しながら必死になって熟している。私はそうい云うつまらない男なんだよ。
そうして幸運な事に、そんな男に勇気を出して嫁ぐ事を受け入れてくれた令嬢に恵まれた。手放すつもりが無いのだと解ってくれるだろうか。」
最後に眦を下げて、少し困った様な笑みを見せたアストリウスは、やはり世渡りに長けたやり手の青年貴族である。
「私...」
大人達に理を説かれて、ミネットの炎は消沈したようだった。父もどこか色を無くしたままで、トーマスも顔色が冴えない。
そんな中にあって、この男だけは漆黒の艷やかな髪を照明の灯りに照らされて輝いて見える。青い瞳がこちらへ向けられ、アウローラは惹き寄せられる様に見つめ返した。
「アウローラ、君の勤勉さは、私は宝だと思っている。君をその様に育てられたご両親は素晴らしいな。」
「アストリウス様。」
「後日ドレスを贈るよ。君の好みを聞こうだなんて言っておいて、実は既に決めているんだ。ごめんね。」
「ふふふ、」
最後のごめんねに思わず笑ってしまった。
絶対態と言っている。固まってしまった空気を解すのに、爵位の高い自分が戯けて見せる。それでもアストリウスは品性を失わない。
先日侯爵家を訪問した際に、アウローラは身体の寸法を図られていた。それは何れドレスが贈られる事を予感させて、胸が弾んでしまったのを憶えている。
アストリウスはアウローラの好みを聞くと言っていたが、実のところアウローラ自身に拘りは無かった。
アストリウスが引き立つなら、どんなドレスも嬉しいと本気で思っていたから、既にドレスを手配しているのを聞いて、寧ろ嬉しく思うのだった。
「楽しみにしております。」
「ああ。」
アウローラがそう言うと、アストリウスは青い瞳を細めて頷いた。
昨晩の晩餐が無かった様に、両親は翌朝にはいつもの両親であった。ミネットばかりは若干大人しく、それでも萎れている風ではないから、大丈夫だろうとそっとしておくことにした。
試験も終わり、それがまずまずの結果であるのにも安堵した。婚約してから浮かれていたなどと言われてしまっては敵わない。
逆にミネットは、少しばかり順位を落した。後継差し替えの混乱で、勉学に身が入らなかったのだろうと言われていた。生徒会の仕事もあるから、大変なのだなと思われている様であった。
母はミネットへ語り掛ける。穏やかで良く通る母の声が、アウローラは好きである。
「貴女は次期当主と定められた。優しく見目良く優秀で貴女を愛する男性を将来の伴侶に得られた。貴女の未来は安泰よ。その安泰な未来を築くのは、当主となる貴女なのよ。良く学んで励んで頂戴。期待しているわ。」
母は、ミネットへの言葉はお終いであるようで、アストリウスに、次にトーマスに向かって穏やかな表情で微笑んだ。
「次女であるからと、愛情を掛ける余りに少々甘やかしてしまいました。閣下の御前での無礼、大変申し訳ございません。
未だ学生の身分ですから、卒業までにしっかり学ばせますので、どうかこの場はお目溢し下さいませ。
アウローラは控えめな娘でありますが、私を長く支えてくれました。きっと閣下のお役に立つことでしょう。磨けば光る珠でございます。どうか貴方様なりの方法で磨いてやって下さいませ。
それから、トーマス様。ミネットに代わってお詫び致します。ミネットは明るい娘です。少々気紛れではありますが、気立ての良い娘です。貴方はそんなミネットを良くご存知でしょう。今夜は気紛れが過ぎてしまいましたが、これより先は私がしっかり教育致します。どうかこれからもミネットを宜しくお願い致しますね。」
そこまで母が言い終えて、途端に場の空気が和らぐと、給仕が動き出して次の料理を配膳する。
母の醸し出す穏やかな静けさは、森の奥深くにある湖の、その湖面を覗く様であった。それは母の威厳であって、そんな母にいつでもアウローラは憧れる。
「どうかお気になさらないで頂きたい。貴女の仰る事は全て承知しております。アウローラとは、私なりに心を通わせているつもりです。年上の男の余裕を見せたくて、つい大人ぶっておりました為に、ご家族に誤解を与えてしまった。
ミネット嬢、すまなかったね。貴女には要らぬ気遣いをさせた。安心してくれないか。アウローラは侯爵家でも良く学んでくれている。使用人達にも気配りを忘れないし、事業を支える才もある。社交なら、既に公爵家との縁を繋いでくれているし、君が心配する事は何も無いんだよ。それから、」
それから、と言ってアストリウスはワインをひと口含む。それをゆっくり飲み込んで、再びミネットを見た。
「それから、私は君の気持ちは理解出来るよ。私は次男だからね。次期当主の兄と兄を教育する父を見て育った。そうして今は継ぐ筈のなかった爵位を継いでいる。それで私が幸福を感じたかと言えば、実はそうでもない。次男なりの自由な生き方を、私は嫌いではなかったからね。
首長とは私には些か荷が重い。けれどもやらねば一族も領地も立ち行かなくなる。器以上の料理を盛られて、力量不足を実感しながら必死になって熟している。私はそうい云うつまらない男なんだよ。
そうして幸運な事に、そんな男に勇気を出して嫁ぐ事を受け入れてくれた令嬢に恵まれた。手放すつもりが無いのだと解ってくれるだろうか。」
最後に眦を下げて、少し困った様な笑みを見せたアストリウスは、やはり世渡りに長けたやり手の青年貴族である。
「私...」
大人達に理を説かれて、ミネットの炎は消沈したようだった。父もどこか色を無くしたままで、トーマスも顔色が冴えない。
そんな中にあって、この男だけは漆黒の艷やかな髪を照明の灯りに照らされて輝いて見える。青い瞳がこちらへ向けられ、アウローラは惹き寄せられる様に見つめ返した。
「アウローラ、君の勤勉さは、私は宝だと思っている。君をその様に育てられたご両親は素晴らしいな。」
「アストリウス様。」
「後日ドレスを贈るよ。君の好みを聞こうだなんて言っておいて、実は既に決めているんだ。ごめんね。」
「ふふふ、」
最後のごめんねに思わず笑ってしまった。
絶対態と言っている。固まってしまった空気を解すのに、爵位の高い自分が戯けて見せる。それでもアストリウスは品性を失わない。
先日侯爵家を訪問した際に、アウローラは身体の寸法を図られていた。それは何れドレスが贈られる事を予感させて、胸が弾んでしまったのを憶えている。
アストリウスはアウローラの好みを聞くと言っていたが、実のところアウローラ自身に拘りは無かった。
アストリウスが引き立つなら、どんなドレスも嬉しいと本気で思っていたから、既にドレスを手配しているのを聞いて、寧ろ嬉しく思うのだった。
「楽しみにしております。」
「ああ。」
アウローラがそう言うと、アストリウスは青い瞳を細めて頷いた。
昨晩の晩餐が無かった様に、両親は翌朝にはいつもの両親であった。ミネットばかりは若干大人しく、それでも萎れている風ではないから、大丈夫だろうとそっとしておくことにした。
試験も終わり、それがまずまずの結果であるのにも安堵した。婚約してから浮かれていたなどと言われてしまっては敵わない。
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