アウローラの望まれた婚姻

桃井すもも

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エリザベスの望まれた婚姻

【3】

学園から戻って手早く着替えを済ませ、足早に母の執務室へ向う。

「只今帰りました、お母様。」

エリザベスが入室すると、母は手元の書類に視線を落としてペンを走らせていた。

「お帰りなさい。」

一段落ついたらしい母に促されて二人掛けのソファーに腰掛ければ、母は眼鏡を外して執務机からこちらへと歩いて来た。

「丁度良いから少し休憩しましょう。貴女も戻ったばかりでしょう。」

そう言えば、執事が素早くお茶の用意をしてくれる。
室内にセカンドフラッシュの果実を思わせる香りが漂う。母はそこに蜂蜜を垂らすのが好きである。

「シャーロットが、」
「はい。」
「貴女と婚約を入れ替えて欲しいと言っているのよ。」
「...そうですか。」

シャーロットに縁談が持ち上がっているのは知っていた。お相手は、文官を多く輩出する家系で、爵位は子爵位。領地を持たない宮廷貴族の嫡男である。

嫡男は、既に文官となって王城へ出仕している。年齢は二十一歳。十七歳のシャーロットより四つ年上となる。年齢も家柄も問題ない。領地も無いから領地経営についての執務も無い。夫人としての家政が出来るのなら、何ら問題の無い縁談で、シャーロットにも不足は無いと思われた。

爵位は生家より劣るが、王城勤めの文官と言っても、高級官吏の登竜門的な部署に在籍しており、将来は明るいと評されている。

「私はね、正直な所、婚約者を差し替えるのには問題を感じてはいないのよ。」
「...はい。」
「けれど、貴女を後継から外すのは有り得ない。伯爵家を継承するのは貴女しか考えられないのよ。」

エリザベスは、俯いてティーカップを見つめていた顔を上げて母を見た。

母は、エリザベスに穏やかな眼差しを向けている。執務には公正を期して厳しい母も、母娘の対話の時には柔らかな表情を見せてくれる。

「どうしたら良いのかしらね。」
「..ええ」
「貴女は、どう思う?」
「私は...」

正直なところ、この頃のエリザベスの感情は疲弊していた。ヘンリーへ抱く恋心は萎むどころか益々温度を増して、彼がシャーロットと過ごす事に怒りとも哀しみともつかない感情が芽生えていた。
このまま行ったなら、そんな真っ黒な感情を抱く自分自身を、エリザベスはいつか軽蔑してしまうだろう。

母の様に公正に清廉に、父の様に愛情深く穏やかにありたいのに、現実のエリザベスはそれとは遥か遠くに位置している。後継としても未熟で、婚約者としても愛されない。そんな自分自身に自信を持てずに失望しかけている。

毎朝会うヘンリーと言葉を交わせるのは、身支度に時間が掛かるシャーロットを待つほんの僅かな時間で、馬車に乗ってしまえば、直ぐにヘンリーとシャーロットの世界となる。
そこにエリザベスは存在しない。時折、ヘンリーが気を遣って話し掛けてくれる優しさも、この頃には、しくしくと胸の内に痛みを感じてしまう様になっていた。

今日もそうであった。
昼食前に提出物を出すのに職員室へ寄って、それから食堂へ向かえば、既にヘンリーとシャーロットがテーブルに並んで座っていた。遠目で二人を見つけて分かったのは、二人の周囲に空き席がひとつも無かったことだった。二人は最初から二人きりで食事を摂ろうと、エリザベスの席すら取って置くことはしなかった。

エリザベスは結局、そのまま踵を返して図書室に向かい、1ページも進まない読書をして昼を過ごした。だから帰宅して蜂蜜を垂らした紅茶が空腹に沁みて切なくなった。

「後継については、お母様とお父様にお任せします。婚約者については、シャーロットの希望に任せます。」

「困ったわね。それではシャーロットとヘンリー様は、婚姻後には貴族籍を失う事になるわね。これから二人には手に職を付けてもらうしか無いでしょう。真逆シャーロットが、貴女の下でヘンリー様が従者となって勤めるのを許す筈もないでしょうからね。シャーロットはそれで良いとして、ヘンリー様は、あちらのご両親は納得しないでしょう。そうなれば、ヘンリー様は別な貴族家への婿入りを探すことになるでしょうから、可哀想だけれど、何れにしてもシャーロットの希望は叶わないわね。」

母の言う事は当然である。
だが、その当然を理解出来ないから、シャーロットは婚約者の差し替えを願ったのだろう。それともシャーロットは、後継ごとエリザベスとの差し替えを願っているのだろうか。
琥珀色に揺れるカップを見つめて、エリザベスはシャーロットの思考が理解出来ないままでいた。



「今日、放課後にヘンリー様とお買い物をして来たの。」

晩餐の席でシャーロットが言い出し、エリザベスは向かいの席に座るシャーロットへ顔を上げた。

シャーロットはエリザベスに視線を合わせて、意味深気な笑みを見せた。

「それで今度、観劇をご一緒する事になったの。」

エリザベスは、それには答えずカトラリーに視線を戻す。

「今週末は、新しく出来たカフェに行く約束をしているのよ。」

どれほど逢瀬を約束したのか、エリザベスは数えるのを辞める事にした。

「それで、「ヘンリー殿に言っておこう。」
「え?お父様、なにを?」
「世間の目を認識出来ない愚かな令息を、我が家に入れる訳にはいかないな。」
「え?え?どう言う事?」

平素は穏やかな父の厳しい物言いに、エリザベスも思わず父を見た。父の目は温度を低くしたように冷たい眼差しに見えていた。


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