アウローラの望まれた婚姻

桃井すもも

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エリザベスの望まれた婚姻

【4】

父は、いつもの温かさを一切感じさせない醒めた表情で言葉を続ける。

「婚約者の妹と連れ添って、二人きりで度々出歩く行いに疑問を抱けない男など、我がスタンリー伯爵家には不要だと言っている。」

「ヘンリー様はそんな御方ではないわ!」

「では、シャーロット。君はヘンリー殿の将来へ責任を持てるのか?」

「責任?」

「彼には継ぐ家も爵位も無い。言葉は悪いが他家に寄生せねば貴族として生きられない。」

「酷いわ、お父様!寄生だなんて!」

「シャーロット。間違わないでおくれ。私がその寄生して婿入りした男だよ。だが私はそれを恥じた事は一度も無い。我が伯爵家に、我が最愛の妻に仕えて支える事を幸運だとも幸福だとも思っている。この暮らしを守るのに命を懸けても惜しくない。
では、ヘンリー殿はどうなのか?幼い頃に、ご両親から教わらなかったのか?自分の生まれながらの不安定な立場について。彼は兄のスペアにさえなれないんだ。」

シャーロットは言葉を失って、はくはくと何か言おうとして言えずにいる。

「後継にもなれない、スペアにもなれない、継げる従属爵位も自身で手に入れた爵位も無い。せめて騎士爵でもあれば一代限りの貴族でいられるだろうが、君を連れ歩き遊び歩いているのなら騎士など到底無理だろう。騎士には誠実が求められる。婚約者の妹と遊び歩く男に得られるものではないよ。」

「酷い!酷い!お父様!ヘンリー様は立派な御方よ!一代貴族の騎士になどならないわ!」

「ほう、騎士を侮るか?」

「そんなんじゃあないわ、ヘンリー様はもっと優秀な御方だわ!」

「では、質問を変えようか。それで君はどうするんだ?ヘンリー殿と婚姻したなら、君等はこのまま行けば平民だ。」

「平、民、」

「間違わないことだ。平民を蔑む訳では無い。平民にも高官はいるし富豪も政治家もいる。現に市長は平民だろう。私が聞いているのは、君等が平民になって何で身を立てて生きていこうしているのかと言う事だよ。」

シャーロットは、色を無くした蒼白な顔で、それでも辿々しく話し出す。

「わ、私が、私が家を継げば、」

「馬鹿を言ってもらっては困る。今の君に後継など任せられない。何故か解るかな?君等に任せては領地も領民も忽ち飢えてしまうのが目に見えているからだよ。そうならない為に、傘下の貴族等は君達を傀儡にするだろう。シャーロット、もっと学びなさい。君はまだ学生で、今なら間に合う。そんな調子で今まで学園で過ごしていたのなら、その堕ちた評判を取り戻すのはさぞかし骨が折れることだろう。だが、今なら間に合うと言っているんだ、解るかい?」

こんな厳しい父を、エリザベスは生まれて初めて見た。父は本気で怒っている。家の為に、一族の為に、領地領民の為に、そうして母の為に。

父の様な人間だから、女当主を支えられるのだとエリザベスは思った。父の様な人でなければ務まらない。思えば祖父もそうであった。家族に確かな愛情を抱いていても、祖父の一番とは、祖母を支えて領地を繁栄させる事であった。

「お姉様なら出来るって言うの?」

「エリザベスは学んでいるよ。努力もしている。エリザベスだってもっと自由に遊びたいだろう。だが、学びを放って遊んでいても、君は楽しめないのだろう?」

父はそこでエリザベスを見て語り掛けた。

「私は、私には卒業までに憶えなければならない事が多いので。」

「それはなんだね?」

「お母様の執務は膨大です。それに、領地に関係する執務は書類ひとつ取っても様々ですし、特に国への申請は複雑で間違えられません。傘下貴族達との関わりも、時勢に影響を受ける領地での産業の保管も育成も、今の私では手をこまねく事ばかりです。」

「お姉様がそんなに特別なの?一年よ。たった一年先に生まれただけじゃない。先に生まれただけでお洋服も文具も一流品を与えられて、先に生まれただけでお父様にもお母様にも大切にされて、先に生まれただけで家門の貴族達から言葉を掛けられて、先に生まれただけでお祖母様からもお祖父様からも愛されて。そんなに全てを貰っておいて、先に生まれたからって爵位を譲られて、先に生まれたからって好きなひとと婚姻出来るだなんて、まるで天国ね!」

シャーロットの言葉は最後は悲鳴になって耳に痛みを感じる程であった。

「なら、貴女にあげるわシャーロット。全部、全て。勿論、婚約者も。」

「馬鹿にしてるの?!」

「馬鹿になんてしていないわ。全て貴女の言う通りだと思うわ。けれどシャーロット。貴女が言うように、私は先に生まれたけれど、どれも自分が欲しくて得たものではないわ。
ドレスなら、貴女にだってお母様は貴女の選ぶ可愛いものを造って下さったわ。文具もお友達とお揃いにしたいと言って文具店から買って来たものでしょう?
シャーロット、私は貴女の言うものの全てを貴女に譲っても惜しくはないのよ。それは私が今まで恵まれていたからだと思うわ。
でも、もし私が何も持たず、この身一つで生きるとしたら、それを私は自由なことだと嬉しく思うんじゃないかしら。お父様とお母様に庇護される学生のうちに、学べる事を学んでおいて手に職を付ける事だって出来る。
たった一人ですもの、私はこれから何にでもなれる。何処へでも行ける。それで貴族の身分を失っても構わない。それを天国だと思うかも知れないわね。」

シャーロットは、口を開けて瞳を見開いたまま、動かなかった。

「私は貴女より先に生まれてしまったけれど、それで貴女から何かを奪おうと思った訳ではないのよ。この世で一人きりの妹ですもの。貴女が望むなら、全部、貴女にあげる。シャーロット、それで幸せになれる?」

「駄目よ、エリザベス。次の当主は貴女なの。勝手に譲ってもらっては困るわね。」


シャーロットへ語るエリザベスを、母はやんわり窘めた。
母の静かな声は良く通る。耳に沁み入る声音だと思う。

「シャーロット。お父様が仰ったお言葉を、貴族の誰も貴女とヘンリー様には言わないでしょう。それはね、そんな事も判断出来ない人間を愚かと見捨てているからよ。
もし、これから貴女の耳に聞き難い言葉を伝えてくれる人に会ったなら、貴女はその方に感謝せねばならないわ。苦言を呈するとは話す方にも相当の勇気がいるのよ。お友達なら話した相手から嫌われる覚悟が必要ね。大人同士なら絶縁だってあり得るわ。
苦言か嫌味かを聞き分けるのは貴女次第だけれど、少なくともお父様は貴女を愛しているから叱るのよ。私達がいない未来で、貴女が道に迷わない様に。」

シャーロットは、母の言葉に俯いて、皿の上の乾いた料理を見つめていた。そうして一言、
「爵位なんて要らないわ」
そう言って席を立ち、そのまま食堂から出て行った。


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