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第二十三章
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再び始まった昼食時の温室通いも、暖房のない古びた温室ではそろそろ寒さが厳しくなってきた。
ブランケットを何枚重ねても、硝子で覆われた温室にはあちらこちらから隙間風が入ってくる。
外にいるより幾分はマシ、そんな有り様だった。
そしてこのごろは、ベネディクトも度々機嫌を悪くするようになっていた。
コートニーが昼時に誰とどこに行っているのかを、ベネディクトに明かさないことが原因だった。
彼は昼休みに入った教室にコートニーを迎えに来ては、わかりやすく苛立ちを見せるようになった。それをハリエットが宥めてくれて、プライドの高いベネディクトも、人前でコートニーを無理やり連れて行くようなことはしないでくれた。
冬の厳しさも婚約者の機嫌も、ジョゼフと過ごす時間も、全ていつかは終わりが来ることを予感させていた。
間もなく学園は冬季休暇に入る。
休暇が終われば年は新しくなり、季節は一日ごとに春へと向かう。
コートニーは、春が気になっていた。
ジョゼフが「春まで」と言ったことが、喉に魚の小骨が刺さったように心の奥に引っ掛かっていた。
そして、小説は一足先に終わりを迎えていた。
コートニーは、とうとう小説を読み終えてしまった。
最後のページは左側の上半分ほどまで文字が記されていたが、そこから下と右ページは空白だった。
前のページですでに物語はクライマックスを迎えており、残りの1ページは、余韻を滲ませてのエンディングだった。
小説の中の貴婦人は、全てを捨てて身分違いの恋人を選んだ。
貴族の夫も、その妻の身分も、餓えを知らない恵まれた暮らしも、家も家族も自身の評判も、全てを捨てて恋人を選んだ。
醜聞のために、諍いの末に夫とは離縁となり、嫁いだときの持参金は賠償金として没収されてしまう。
生家からも縁を切られて、主人公は奪われずに済んだ宝飾品を金銭に換えて、使用人の職を解かれてしまった恋人と二人で夫の治める領地を出ていく。
主人公が、恋人との関係を夫に全て明かしたのは、恋人の子を宿していたからだった。
このまま貴族の妻でいたなら、主人公は托卵をすることとになり、家の簒奪は重罪であった。
作中でも主人公は、夫から『阿婆擦れの百舌鳥め!』と叱責されている。
それなのに、物語はやはり物語で、全てを失った主人公は幸福だった。彼女にとっての幸せとは、身分でも財産でも人の評価でもなかった。
そこは流石に物語であるからか、彼女は最後まで餓えを知らずに暮らせたし、夫となった恋人は知的な人物で、市井にいても知識を生かして職を得る。すったもんだの末のエンディングは、生まれた子供と暮らす幸福な描写で終わっていた。
なにも知らずにいられたなら、コートニーは小説の終わりに胸を躍らせることができたのだろう。
身分の垣根は、物語の中では取るに足らないものだったろう。
だが現実には、コートニーにはそんなことはできようもないことだった。
ベネディクトの生家である公爵家は王家の血脈にあたる大家である。
生家には後妻になった母と弟妹たちがおり、コートニーは自分のために、家族のために、ベネディクトとの未来を大切にしなければならない。
どれほどジョゼフに心を惹かれてしまっても、その気持ちが恋心なのだと認めざるを得なくても、コートニーの物語の結末は別れの選択しかないものだった。
せめて温室で彼と二人でいられる時間だけは、あらゆることを一旦忘れて、恋心を打ち明けることもできぬまま、ほんの僅かなひとときを彼と過ごしていたかった。
神様は、そんなコートニーのために温情をかけてくれたのかもしれない。このままいては二人に良からぬことが起こるだろうと、コートニーに贈り物をしてくれたのだろう。
神様の贈り物とは、ジョゼフとの別れだった。
「コートニー嬢。君に頼みがあるんだ」
冬休みまであと数日というときになって、コートニーはジョゼフから頼み事をされた。
「頼み?それはどんなこと?」
答えを聞きたくないのに聞かずにいられない。
「ジェントルを、君に譲りたいんだ」
「ジェントルを?」
ジェントルは、今は子爵家で可愛がられて暮らしている。
「でも、ジェントルは、」
そう言おうとしたコートニーを、ジョゼフは遮った。そんなことは彼らしくないことだった。
「君との繋がりは、ジェントルしかいないから」
「ジョゼフ様⋯⋯」
別れの予感は随分前からあったのに、こんな行き成り訪れるとは思わなかった。
「祖母のところに行くことになったんだ」
「お、お祖母様のところ?」
ジョゼフの言った祖母とは、亡くなった母方の祖母である。王国の西側に位置する港湾都市、そこが母の生家の領地だった。
ジョゼフの実母が侯爵家の令嬢であることは、コートニーも知っていた。子爵家に嫁ぐことにどんな経緯があったかまでは知らないが、ジョゼフもまた身分違いの結婚の末にこの世に生を受けていた。
「僕が生まれたときから決まっていたんだ。侯爵家は伯父上が継ぐけれど、僕は学園を卒業したらお祖母様の後を継ぐって」
「お祖母様の後を継ぐ?」
「うん。お祖母様の養子になって、お祖母様の事業を引き継ぐ。そう初めから約束されていたんだ」
ジョゼフの祖母は侯爵夫人時代から個人的に立ち上げた商家を経営しているのだという。夫の侯爵が没して息子に爵位が移った後は、別宅を構えて商会経営に勤しんでいたのだが、後継者には初めからジョゼフを指名していた。
だから子爵家は、後継を弟のイーサンにしていたのだと、コートニーは全てに合点がいった。
ブランケットを何枚重ねても、硝子で覆われた温室にはあちらこちらから隙間風が入ってくる。
外にいるより幾分はマシ、そんな有り様だった。
そしてこのごろは、ベネディクトも度々機嫌を悪くするようになっていた。
コートニーが昼時に誰とどこに行っているのかを、ベネディクトに明かさないことが原因だった。
彼は昼休みに入った教室にコートニーを迎えに来ては、わかりやすく苛立ちを見せるようになった。それをハリエットが宥めてくれて、プライドの高いベネディクトも、人前でコートニーを無理やり連れて行くようなことはしないでくれた。
冬の厳しさも婚約者の機嫌も、ジョゼフと過ごす時間も、全ていつかは終わりが来ることを予感させていた。
間もなく学園は冬季休暇に入る。
休暇が終われば年は新しくなり、季節は一日ごとに春へと向かう。
コートニーは、春が気になっていた。
ジョゼフが「春まで」と言ったことが、喉に魚の小骨が刺さったように心の奥に引っ掛かっていた。
そして、小説は一足先に終わりを迎えていた。
コートニーは、とうとう小説を読み終えてしまった。
最後のページは左側の上半分ほどまで文字が記されていたが、そこから下と右ページは空白だった。
前のページですでに物語はクライマックスを迎えており、残りの1ページは、余韻を滲ませてのエンディングだった。
小説の中の貴婦人は、全てを捨てて身分違いの恋人を選んだ。
貴族の夫も、その妻の身分も、餓えを知らない恵まれた暮らしも、家も家族も自身の評判も、全てを捨てて恋人を選んだ。
醜聞のために、諍いの末に夫とは離縁となり、嫁いだときの持参金は賠償金として没収されてしまう。
生家からも縁を切られて、主人公は奪われずに済んだ宝飾品を金銭に換えて、使用人の職を解かれてしまった恋人と二人で夫の治める領地を出ていく。
主人公が、恋人との関係を夫に全て明かしたのは、恋人の子を宿していたからだった。
このまま貴族の妻でいたなら、主人公は托卵をすることとになり、家の簒奪は重罪であった。
作中でも主人公は、夫から『阿婆擦れの百舌鳥め!』と叱責されている。
それなのに、物語はやはり物語で、全てを失った主人公は幸福だった。彼女にとっての幸せとは、身分でも財産でも人の評価でもなかった。
そこは流石に物語であるからか、彼女は最後まで餓えを知らずに暮らせたし、夫となった恋人は知的な人物で、市井にいても知識を生かして職を得る。すったもんだの末のエンディングは、生まれた子供と暮らす幸福な描写で終わっていた。
なにも知らずにいられたなら、コートニーは小説の終わりに胸を躍らせることができたのだろう。
身分の垣根は、物語の中では取るに足らないものだったろう。
だが現実には、コートニーにはそんなことはできようもないことだった。
ベネディクトの生家である公爵家は王家の血脈にあたる大家である。
生家には後妻になった母と弟妹たちがおり、コートニーは自分のために、家族のために、ベネディクトとの未来を大切にしなければならない。
どれほどジョゼフに心を惹かれてしまっても、その気持ちが恋心なのだと認めざるを得なくても、コートニーの物語の結末は別れの選択しかないものだった。
せめて温室で彼と二人でいられる時間だけは、あらゆることを一旦忘れて、恋心を打ち明けることもできぬまま、ほんの僅かなひとときを彼と過ごしていたかった。
神様は、そんなコートニーのために温情をかけてくれたのかもしれない。このままいては二人に良からぬことが起こるだろうと、コートニーに贈り物をしてくれたのだろう。
神様の贈り物とは、ジョゼフとの別れだった。
「コートニー嬢。君に頼みがあるんだ」
冬休みまであと数日というときになって、コートニーはジョゼフから頼み事をされた。
「頼み?それはどんなこと?」
答えを聞きたくないのに聞かずにいられない。
「ジェントルを、君に譲りたいんだ」
「ジェントルを?」
ジェントルは、今は子爵家で可愛がられて暮らしている。
「でも、ジェントルは、」
そう言おうとしたコートニーを、ジョゼフは遮った。そんなことは彼らしくないことだった。
「君との繋がりは、ジェントルしかいないから」
「ジョゼフ様⋯⋯」
別れの予感は随分前からあったのに、こんな行き成り訪れるとは思わなかった。
「祖母のところに行くことになったんだ」
「お、お祖母様のところ?」
ジョゼフの言った祖母とは、亡くなった母方の祖母である。王国の西側に位置する港湾都市、そこが母の生家の領地だった。
ジョゼフの実母が侯爵家の令嬢であることは、コートニーも知っていた。子爵家に嫁ぐことにどんな経緯があったかまでは知らないが、ジョゼフもまた身分違いの結婚の末にこの世に生を受けていた。
「僕が生まれたときから決まっていたんだ。侯爵家は伯父上が継ぐけれど、僕は学園を卒業したらお祖母様の後を継ぐって」
「お祖母様の後を継ぐ?」
「うん。お祖母様の養子になって、お祖母様の事業を引き継ぐ。そう初めから約束されていたんだ」
ジョゼフの祖母は侯爵夫人時代から個人的に立ち上げた商家を経営しているのだという。夫の侯爵が没して息子に爵位が移った後は、別宅を構えて商会経営に勤しんでいたのだが、後継者には初めからジョゼフを指名していた。
だから子爵家は、後継を弟のイーサンにしていたのだと、コートニーは全てに合点がいった。
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