ソレイユの夜明け

桃井すもも

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「ソレイユ。体調を崩したと聞いた。もう大丈夫なのか?」

ソレイユは、カイルスの姿になんだか泣きたくなってしまった。一週間も経てば流石に気持ちは落ち着いて、ただノックスに会ったとして彼と何を話せばよいのか解らなかった。だから、予想外にカイルスが現れたことで言葉で言い表せない安堵を覚えた。

何故なのか、理由など解かりようもなかった。ただカイルスだけは、喩え嵐の中にいても外は晴れているのだと笑みを浮かべてソレイユを騙しおおせてくれるだろうと、そんな可笑しな信頼を寄せられた。

身体はどこも悪くない。少しだけ心が元気を無くしただけだ。カイルスにそう言ったなら、彼は笑って受け流してくれるだろう。

「あの、ノックス様は……」
「ああ、気にしなくても良いよ。今日は来られなくなった、それだけだ」

何かご用事なのでしょうかと聞こうとして、最後までは言えなかった。そうして、それ以上は聞けなかった。

「おいで、ソレイユ」

カイルスは、ソレイユが答えるのを待つことなく手を差し伸べてきた。それに引き寄せられるようにソレイユは歩み寄る。向かい合わせで見上げたカイルスは、いつもの狡猾そうな笑みをすっかり引っ込めて、今は優しい笑みを向けてソレイユを見下ろしていた。

ソレイユは、もうそれだけで十分だった。カイルスにいざなわれるまま踊るのが楽しかった。楽しいという感覚が久しぶりで、講師がワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリーと手拍子を叩くリズムに合わせて踊ることに没頭した。

踊り終えた頃には息が上がっていた。窓を開け放った部屋に風が入って頰を撫でる。前髪が風に吹かれて乱れたのを、カイルスの指先がそっとなぞった。

乱れ髪を直されて、それはほんの一瞬のことであったのに、ソレイユの心は乱された。
ぼっと顔が紅くなる。カイルスとは片手を組んで手を添えられて踊ったばかりであるのに、指先がほんの少し触れただけで、ソレイユはすっかり動揺してしまった。

いつだったかサイクロスに右目下の黒子を触れられたことがあった。あの時は、目をえぐられるのかと恐れおののいたが、こんな気持ちにはならなかった。

何が起こったのか。ソレイユにも解らない。けれどもその間だけはノックスを忘れていた。
ノックスから意識が離れたのは、あの競技大会のあった日ぶり、いや多分、昼時の廊下でノックスとエリスとスチュワードが並び歩く姿を見た、あの日以来のことだろう。

心のうちにしつこく漂っていたもやが晴れて、漸く初夏の明るい日射しが差し込んだ、そんな気持ちになったのである。



ソレイユは、足取りが軽くなったように思った。
それがなんだか嬉しくて、前方の気配に気付くのが遅くなった。

レッスンを終えるとカイルスは「名残惜しいが今日はこれまでだな」と言って去って行った。
ノックスとのお茶会は無くなって、そのまま帰る途中の回廊の先に小さな集団が見えた。
気付いた時には思ったよりも近くに来ていて、王城の侍女が脇に控えたことでソレイユもそれにならった。

荘厳な王城にいても華やかさを失わない、そんな集団だった。学園で会ったことは無い。姉に連れられた茶会でも、多分会ってはいないだろう。
二人の令嬢にそれぞれ侍女と近衛騎士が侍っていることで、小さな集団に見えていた。


「あら、貴女。もしかして噂のご令嬢かしら」

華やかな令嬢は声音も澄んで華やかだった。

「丁度良いところでお会い出来たわね。ご挨拶をしたいと思っていたの。だって私達、いずれ義姉妹になるのですもの。ね?エイブリン」

華やかな令嬢二人は、カイルスとサイクロスの婚約者達だった。

名乗る前に話し掛けて来た令嬢。鮮やかな金色の髪に青い瞳の令嬢は、カイルスの婚約者、バークリー公爵令嬢ドローシスだろう。隣りに並ぶエイブリンと呼ばれた金髪に翠眼の令嬢は、サイクロスの婚約者であるモーランド侯爵令嬢だ。

「初めまして。ソレイユ・ウォレス・アルマールと申します」

一方的に会話を始められてしまったから、ソレイユは漸くここで名を名乗ることが出来た。

「ええ、存じ上げているわ。貴女、有名ですもの」

互いに侍る侍女等の表情が硬くなる。ソレイユの背後に控えるオーガスタスは、静かに事の成り行きを見守っている。

「ねえ、ソレイユ様。私達これからそこのお庭でお茶をするところなの。貴女も如何?」

王太子の婚約者に誘われて、これが姉であるなら上手くかわすのだろうがソレイユはそんな術は持ち合わせていなかった。

「さあ、ご一緒に」

その声を合図に、華やかな集団が動き出す。ソレイユは、半ば飲み込まれるようにその一団に加わった。


ドローシスがそこのお庭と言ったのは本当で、直ぐに外回廊から降り口が見えてそこから庭園に出た。ガゼボではなかったから気付かなかったが、夏の日射しを遮る木陰にテーブルと椅子が設えてあった。

ソレイユが加わったのは急なことであったのに、茶器も茶菓子も既に整えられていた。

「王都は初めてなのですってね」

ドローシスは儚げな見目でありながら、ひと言ものを言えば途端に辺りが華やかになる、そんな令嬢だった。もう一人の令嬢も、ソレイユが「令嬢」と思う典型的な姿をしており、何処か近寄り難い雰囲気がある。

カイルスとはつい先ほどまでダンスを踊っていた。一度だけ会ったことのあるサイクロスも、粗野な物言いとは異なり大柄な体躯に王子らしい気品が見えていた。

二人の王子とその婚約者達。ソレイユの頭の中では両者は全く繋がらなかった。


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