今日も空は青い空

桃井すもも

文字の大きさ
8 / 55

【8】

しおりを挟む
 グレースは庭園を巡ったその足で、王城に隣接する王立美術館へ向かっていた。

 今日は一日この瞳を美しいものを映して楽しませてあげよう。そう決めて気持ちを切り替えた。

 貴族夫人でありながら職業婦人でもあるグレースは、追われる様に雑事にまみれる日も多い。そんな時間の隙間を縫って、美しいものに触れる機会を時折り持つ。

 グレースの商いは美をテーマとしている。美は感動であり喜びである。この世の一人でも多くの女性に美しいものに触れて欲しい。纏う喜びを体感して欲しい。それがグレースが商会を興した時からの理念であった。
 
 美術館や絵画集はグレースにとって発想の泉であった。時を経て尚時間も空間も超えて、輝きを失うことなくグレースを魅了し引き込む。

 思えば幼い頃も、度々母に手を引かれて美術館を訪れた。
 きっと、若き頃の母も迷い立ち止まる時があったのだろう。古の美に触れては、先に進むか後に戻るか、自身の信念と相談していたのかも知れない。

 何かに没頭する時間は雑念を払ってくれる。後に残るのは、至極シンプルな、「美しいものを発信する」その一点に帰結させてくれるのだ。

 心を踊らせる歌劇であったり、思わず感情移入して涙を零す小説であったり。方法は何でも良くて、心を鼓舞し震わせる感動がグレースを突き動かすのであった。

 自分の原点がこの世界に生きる喜びを体感すると云う、とてもシンプルな事なのだと気が付いて、グレースは迷いをひとつ振り払った。


「フランシス、お待たせ。疲れたでしょう。何処かこの近くでお茶でも頂きましょう。」

「はい、グレース様。それでは馬車を呼んで参ります。」

 フランシスが馬車を用意する間、グレースは美術館の玄関ホールから通りを眺める。

 行き交う人々の装い。ドレスに帽子、日傘にバッグ。
 世界は多彩な色で溢れている。
深く思考に入り込むと、ほんの囁かな揺らぎの様なものが閃いて、そこから次のアイデアが湧き起こる。それからアイデアが膨らんで、これだというものに出会える喜び。
 不意の瞬間に湧くアイデアの片鱗を探るのは、グレースの喜びであり癖であった。

 だから思考の海に沈み込んで、声を掛けられるまで気が付かなかった。

「グレース。」

 ロバートであった。
 昨日のうちに粗方の仕事を片付けていたから、彼も諸用を足しに外へ出ていたのだろう。

「そこから君が見えたから。」

 通りを指差しロバートが言う。

「絵画を鑑賞していたのかな?」
「ええ。先程王立庭園の薔薇を眺めておりましたの。折角近くまで来たので、此処へも。」
「美術鑑賞が好きなのか?」
「ええ、幼い頃にも良く来ていたものですから。」
「ふうん。」

 ロバートは何か考えた風であったが、

「これから時間があるかい?良ければ案内したいところがある。」
 そう提案して来た。

「フランシスが馬車を呼んでいるのです。」
 
「ああ、それでは私の馬車は帰そう。君の馬車に便乗しても?」

 ロバートが馬車を戻すと言うので、結局フランシスを伴ってグレースの馬車で移動する事となった。



「まあ、此処は。」

 到着したのは、真逆のアーバンノット伯爵邸であった。ロバートの生家である。

 ロバートの邸を初めて訪れたのは、父に彼を紹介された直ぐ後のことであった。共同経営者として、諸々の契約事項の確認をしようと招かれた。

 それからも幾度か訪問する機会があり、伯爵当主へ挨拶をしたり声を掛けられることも幾度かあった。
 夫人とは、元は茶会の場で母を介して挨拶する程度であったのが、ロバートと商会を興してからは親しく言葉を交わす機会が増えた。

 テラスに通されお茶を頂いていると、

「グレース、お久しぶりね。」
 ロバートの母である伯爵夫人に声を掛けられた。

「マリア様、お久しぶりでございます。ロバート様にお声を掛けて頂いて、本日はお邪魔させて頂いております。」
 そう挨拶をすれば、

「畏まらないで頂戴。嬉しいわ、元気そうね。」
 夫人は穏やかな笑みで答えてくれた。

「我が邸の絵画をお見せしたいとかロバートが言っているわ。」

「ええ、先程王立美術館でばったりお会いしましたの。」

「なかなか良いものが揃っているのよ。どれも主人の自慢の品だから観てやって頂戴。」
 と、伯爵自慢の品である事を教えてくれた。

「光栄ですわ。お言葉に甘えさせて頂きます。」

 そんな事を話していると、

「グレース。待たせたね。」
 ロバートが現れた。

「御婦人をお待たせするなんて、殿方失格よ。」
 夫人が苦言を呈すれば、

「はは、父上に奥の鍵を借りていたのでね。」
「まあ、奥の?」

 何やら親子にしか分からぬ会話をしている。

「それは素晴らしい。グレース、是非ともゆっくりご覧になってね。良ければその後お茶をご一緒したいわ。」
 そう夫人に送り出された。

「さあ、レディ。ご案内致しましょう。」

 ロバートがまるで舞踏会のエスコートのように、戯けた風に腕を差し出す。

「ふふ、宜しくお願いします。」

 それに乗ってグレースも、差し出され腕に手を添えて、伯爵邸の回廊を夜会会場に見立てて進むのであった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

あなたの愛はもう要りません。

たろ
恋愛
15歳の時にニ歳年上のダイガットと結婚したビアンカ。 この結婚には愛などなかった。 16歳になったビアンカはできるだけ目立たないように学校でも侯爵家でも大人しくしていた。 侯爵家で肩身の狭い思いをしながらも行くところがないビアンカはできるだけ問題を起こさないように過ごすしかなかった。 でも夫であるダイガットには恋人がいた。 その恋人にちょっかいをかけられ、ビアンカは我慢の限界を超える。 そして学園を卒業さえすればさっさと離縁して外国で暮らす。 その目標だけを頼りになんとか今の暮らしに耐えていた。 そして、卒業を控え「離縁して欲しい」その言葉を何度となく夫に告げた。 ✴︎今回は短めの話を投稿していく予定です。 (作者の時間の都合により)

【完結】お世話になりました

⚪︎
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

処理中です...