今日も空は青い空

桃井すもも

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 リシャールとの離縁の手続きは滞り無く成立した。

 ヴィリアーズ侯爵邸からはグレースの輿入れ時に持参した荷は速やかに撤収され、グレースはあの夜会以降侯爵邸を訪れる事は一度も無かった。
そうして三年振りに生家へ戻ったのだった。

 僅か三年、されど三年。
 生まれ育って慣れ親しんだ我が家であるが、三年前とは様変わりをしていた。

 賑やかである。
邸のあちらこちらから幼子のはしゃぐ声、とたとたと走り回りそれを追いかけるもう一つの足音が聞こえて来る。

 兄と義姉の間には二人の子がおり、上が男児に下が女児と、後継の見本を絵に描いた様な組み合わせに加えて、義姉は今三人目を懐妊中である。

 子供の放つ明るい息吹。
「出戻り」の疵を抱えて生家に戻ったグレースも、おばたま、おばたまと幼子達に懐かれて、その時ばかりは疵を思い出す暇もない。

 変わらず商会には出掛けるから日中は忙しく過ごして、それから邸に戻れば玄関ポーチには小さな頭が二つ並んで待っている。

 多忙な父親に身重の母、両親に思う様に甘えられない幼子達はターゲットを出戻りの叔母に向けた様である。

 失敗に終わった結婚であった。思い返そうと思えばいくらでも思い出せる。悲しい思い出ばかりでは無かったから、夜半の寝台の中でふと前夫の人懐っこい顔を思い出す事もあった。

 婚姻したばかりの頃から、恋人のいる別邸を住まいとする夫であった。なのに本邸を訪れればしつこい程に甘えられ、夜更けまで睦み合うのが毎度であった。
 それでもコウノトリはグレースの下へは訪れてはくれなった。

 子がいたなら、何か違っていたのだろうか。自分はまだあの侯爵邸にいたのだろうか。三年待っても子を宿せなかった事に、原因が自分の身体にあるのだと嫌でも思い至る。
 石女の烙印の押された自分には、明るい未来は望めないだろう。

 夜更けに思い悩むのに、明るい未来が思い浮かぶ事は少ない。独り寝の寝台で掛布に包まりながら、終わった事を考えるのはもうその位にして寝てしまおう、そう自分に言い聞かせて瞼を閉じる。

 そんな夜が明けた翌朝には、早起きしたらしい小さな頭が二つ揃って待っている。ちょこちょこ纏わり付かれるうちに、昨夜の憂いも薄らぐのだった。


 あれからリシャールがどうしているのかをグレースは聞いていない。今頃はイザベルと共に本邸に移っているだろう。

 リシャールとグレースの離縁を機に、父は侯爵家との事業提携を解除した。
 リシャールに原因がある離縁であったから、父は侯爵家より何某かの慰謝料を受け取った筈であるが、そこのところは父からは何も聞いていない。

 覚悟があったとは云え、傷を負わない訳では無い。ああであったなら、こうであったならと、過ぎた事を考える日が全く無い訳ではないのである。

 氷点下の冷たさで断ち切った夫であるが、すっぱり忘れられるほど割り切れないグレースは、それが長所なのか短所なのか情け深い気質なのであった。

 自分自身がしっかり地に足を付けて立てているなら何も恥ずべきことはない。
 ロバートとの事業に心を傾けて、今立っているここからまた歩き出せば良いのだ。

 秋の夜長。寝転ぶ寝台から窓へと目をやれば、欠ける所のない大きな月が見えている。いつの間にか満月となっていたらしい。

 季節は秋の盛りを迎えていた。
 一日一日季節は進む。
 一歩一歩歩くしかない。
 そのうち笑って話せる日が来るかもしれない。



「随分早いお目見えだね。」

「そういう貴方ももうお仕事をなさっていらっしゃるでしょう?」

「私はこれが趣味だからね。執務前の一杯の珈琲。この旨さを君にも解ってもらいたいものだね。」

 夫人時代の様な家政の無いグレースは、ここのところ以前よりも早い時間に商会に現れる。

 それなのに、いつも先にロバートが来ていて、彼の好みである珈琲を片手に新聞を読んでいるのである。

 職人達もまだ出勤しない商会には、ロバートとジョージ、グレースと今もグレースの従者を務めるフランシスの四人が、早朝の茶会よろしく和気藹々と進捗の確認をしたりして過ごしている。

 ああ、ここだけは変わらない。どうかこれからもこんな朝を過ごせます様に。

 R&G商会は、ロバートとグレースの頭文字を商会名に、規模は小さいながら業績を伸ばし続けていた。

 職人達を宝だと大切に育てて来た。そこから生まれる美を世に発信せんと励んで来た。商会は円熟期を迎えている。

 商会発足当初は、グレースは侯爵令息夫人としての家政もあったから毎日商会に出ていた訳では無かった。けれども、いつしか気が付けば生活の主軸は商会の方が重くなり、家政を熟して午前のうちには商会に出社するのが日常となっていた。

 もし、リシャールが侯爵邸に住んでいたのなら、商会経営には今ほど重きを置いていなかったかもしれない。ロバートとも、これほど密に関わることも無かったかもしれない。

 あったかもしれない未来は、結局訪れなかった。
 目の前で立ち昇る香りを楽しみ珈琲を啜る男を前に、なるべくして今があるのだと、日ごとに心も落ち着き穏やかな時間を取り戻して行くのであった。




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