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嘗て無いほど超の付く忙しさを乗り越えて、グレースはロバートと共に商会の2号店を立ち上げた。
自身に疵を付けた曰く付きの物件であったが、外観ばかりでなく内観も素晴らかった。
漆喰の白壁は色褪せ一つ無い。その白い壁を伝って天井を仰げば、繊細な花弁モチーフが浮き彫りにされており、聞くところによるとその技法は今は廃れて同じ仕様のものは造る事は出来ないのだと言う。
家財は全て侯爵家本邸に移した後であるし、それ以外の残置物は父が処分をしていたから邸内はもぬけの殻であるのに、漂う空気と空間が既に美を纏って、グレースは美しい館の中で立ち竦んだまま暫く動けぬ程であった。
学園を卒業したばかりのリシャールがイザベルを囲って八年程を住まいとしていた邸である。
この美しい空間にいたのなら、本邸への足が遠のくのも頷ける。単純に恋人との生活を楽しんでいただけなのであろうけれど。
東向きのサンルームは二連アーチの仕切りの造形が美しい。そこから入る朝の日差しは尚の事であった。
壁が半円の曲面になっている部分があり、これは外から見ると塔にも見えるのだが、その内側は縦長の四面窓が嵌められた出窓となっている。
2階へ続く階段部分は、明かり取りの窓が壁一面に嵌められており、眩しい陽の光が燦々と入り込んでいた。
グレースはロバートと何度も相談して、時にはロバートの生家のアーバンノット伯爵夫人やグレースの母にも知恵を借りて、この邸を飾るカーテンから家具、飾る絵画に至るまで二ヶ月程を掛けてしつらえた。
同時に新たな職人達を採用し、増産体制を整えた。被服と宝飾品はこれまでと変わらず、今は1号店となった元の商会の工房で製作をする。
新たな試みとして設けたカフェの為に、アーバンノット伯爵家・エバーンズ伯爵家の両伯爵家から料理人と配膳の為の使用人をこちらへ回した。両家の両親が共に快く人員を回してくれたのは有難い事であった。
夫人達の教育が行き届いた使用人達は、一言頼めば理解が早くきりきりと立ち回る。多忙なロバートとグレースが何かを教える必要が無いのにも助けられた。
そうして聖夜を迎える月にグランドオープンを迎えるのだが、この2号店の特色は併設されたカフェばかりでは無かった。
婦人服専門店であったR&G商会の新たな試みである。婦人服と揃いの紳士服、夜会や舞踏会へ揃いで身に着ける衣装と宝飾品を取り揃えていた。
これまでのロバートとグレースの装いは既に貴族達の間では話題となっていたから、それがプレタポルテとして売り出されるのは好意的に受け入れられた。当然、オートクチュールも請け負うことから、婦人等の間でも話題を集めた。
学園の卒業を迎える若きカップルの間でもそれは評判であったようで、開店当日からギャラリーもカフェも満員御礼、予想以上の盛況を迎えたのであった。
人気店が犇めく目抜き通りにあって馬車を停めるのは難しい。その難題は玄関ポーチ脇の庭園を一部馬車止まりに作り変え、円形に一方通行の通路を設けて入口と出口を定めた事で、敷地内までスムーズに入れるばかりか出るのも容易く、周辺の道路を塞がずに馬車を停める事が出来た。
これほどの優良物件を手に入れた父の目利きに、グレースは感謝した。
自身の三年に渡る時間と負った疵の代償であるのが複雑な思いを抱かせるも、終わり良ければ全てがまるく収まった。
今年最後の月。王都は冬の最中に最も華やかな季節を迎えていた。
聖夜が近づくにつれてあちらこちらで夜会や舞踏会が開かれて、貴族も平民もその慌ただしさすら愉しむ様は、この時期ならの光景であった。
工房もギャラリーも厨房も、一人くらい倒れてしまって可怪しくない程の忙しさであったから、ロバートとも相談して使用人達への臨時の手当を用意した。
生き馬の目を抜く年末商戦の忙しさも、過ぎてしまえば年の瀬には懐がほかほかと懐の暖まる手当となる。
皆、家族と過ごす年越しの団欒に思いを馳せながら励んでくれるのだから、働き者の使用人達はやはり得難い宝であるとグレースは改めて思うのであった。
聖夜の前日には、王城で舞踏会が催された。公の舞踏会としては今年最後のイベントである。
聖夜の晩は、貴族も平民も身内で祝うのが常であるから、その前に催される王家主催の舞踏会は取り分け華やかな祭典となる。
グレースとロバートも、二人の連名で招待状を受け取っていたから、多忙の間の空き時間を継ぎ接ぎして、二人揃いの衣装を設えた。
今年一年の集大成である。
この日の装いは、貴族達が殊更華やかに装う中で、ロバートとグレース達はその先駆けとして表舞台に立つ晴れの舞台なのであった。
布地は黒のコーティングジャージを選んだ。シルクサテンは華やぎの場の装いには王道であるが、敢えて廉価なジャージ生地を選んだ。
ジャージ生地は最近平民の間で好まれる話題の素材で、気鋭のデザイナーもデイドレスとして売り出していた。伸縮性に富み皺になり難く柔らかい。その独特の滑らかな手触りが特徴で、体型を選ばず美しいシルエットを生むところが人気となっていた。
今回のドレスは、襟は浅く胸元から臍下辺りまでをぴたりと身体に添う仕様にした。上半身だけで裸体のラインが思い浮かぶ大胆なデザインである。
腰から下は極く細かなプリーツを寄せてそれが裾まで流れる。足元で広がるラインと歩く度にプリーツが揺れるのが美しい。
腰の切り替え部分には、最早グレースを代表する大粒パールを繋ぎ合わせたものを二連、ベルトに見立てて緩く巻いている。
首元には、バロックパールを五連に重ねて、前は短めに背中側に長めに垂らして飾っている。耳朶に大粒のパールを一粒。
今宵のグレースは、宵の闇から真珠が生まれる様な清らかな光を放って見えた。
自身に疵を付けた曰く付きの物件であったが、外観ばかりでなく内観も素晴らかった。
漆喰の白壁は色褪せ一つ無い。その白い壁を伝って天井を仰げば、繊細な花弁モチーフが浮き彫りにされており、聞くところによるとその技法は今は廃れて同じ仕様のものは造る事は出来ないのだと言う。
家財は全て侯爵家本邸に移した後であるし、それ以外の残置物は父が処分をしていたから邸内はもぬけの殻であるのに、漂う空気と空間が既に美を纏って、グレースは美しい館の中で立ち竦んだまま暫く動けぬ程であった。
学園を卒業したばかりのリシャールがイザベルを囲って八年程を住まいとしていた邸である。
この美しい空間にいたのなら、本邸への足が遠のくのも頷ける。単純に恋人との生活を楽しんでいただけなのであろうけれど。
東向きのサンルームは二連アーチの仕切りの造形が美しい。そこから入る朝の日差しは尚の事であった。
壁が半円の曲面になっている部分があり、これは外から見ると塔にも見えるのだが、その内側は縦長の四面窓が嵌められた出窓となっている。
2階へ続く階段部分は、明かり取りの窓が壁一面に嵌められており、眩しい陽の光が燦々と入り込んでいた。
グレースはロバートと何度も相談して、時にはロバートの生家のアーバンノット伯爵夫人やグレースの母にも知恵を借りて、この邸を飾るカーテンから家具、飾る絵画に至るまで二ヶ月程を掛けてしつらえた。
同時に新たな職人達を採用し、増産体制を整えた。被服と宝飾品はこれまでと変わらず、今は1号店となった元の商会の工房で製作をする。
新たな試みとして設けたカフェの為に、アーバンノット伯爵家・エバーンズ伯爵家の両伯爵家から料理人と配膳の為の使用人をこちらへ回した。両家の両親が共に快く人員を回してくれたのは有難い事であった。
夫人達の教育が行き届いた使用人達は、一言頼めば理解が早くきりきりと立ち回る。多忙なロバートとグレースが何かを教える必要が無いのにも助けられた。
そうして聖夜を迎える月にグランドオープンを迎えるのだが、この2号店の特色は併設されたカフェばかりでは無かった。
婦人服専門店であったR&G商会の新たな試みである。婦人服と揃いの紳士服、夜会や舞踏会へ揃いで身に着ける衣装と宝飾品を取り揃えていた。
これまでのロバートとグレースの装いは既に貴族達の間では話題となっていたから、それがプレタポルテとして売り出されるのは好意的に受け入れられた。当然、オートクチュールも請け負うことから、婦人等の間でも話題を集めた。
学園の卒業を迎える若きカップルの間でもそれは評判であったようで、開店当日からギャラリーもカフェも満員御礼、予想以上の盛況を迎えたのであった。
人気店が犇めく目抜き通りにあって馬車を停めるのは難しい。その難題は玄関ポーチ脇の庭園を一部馬車止まりに作り変え、円形に一方通行の通路を設けて入口と出口を定めた事で、敷地内までスムーズに入れるばかりか出るのも容易く、周辺の道路を塞がずに馬車を停める事が出来た。
これほどの優良物件を手に入れた父の目利きに、グレースは感謝した。
自身の三年に渡る時間と負った疵の代償であるのが複雑な思いを抱かせるも、終わり良ければ全てがまるく収まった。
今年最後の月。王都は冬の最中に最も華やかな季節を迎えていた。
聖夜が近づくにつれてあちらこちらで夜会や舞踏会が開かれて、貴族も平民もその慌ただしさすら愉しむ様は、この時期ならの光景であった。
工房もギャラリーも厨房も、一人くらい倒れてしまって可怪しくない程の忙しさであったから、ロバートとも相談して使用人達への臨時の手当を用意した。
生き馬の目を抜く年末商戦の忙しさも、過ぎてしまえば年の瀬には懐がほかほかと懐の暖まる手当となる。
皆、家族と過ごす年越しの団欒に思いを馳せながら励んでくれるのだから、働き者の使用人達はやはり得難い宝であるとグレースは改めて思うのであった。
聖夜の前日には、王城で舞踏会が催された。公の舞踏会としては今年最後のイベントである。
聖夜の晩は、貴族も平民も身内で祝うのが常であるから、その前に催される王家主催の舞踏会は取り分け華やかな祭典となる。
グレースとロバートも、二人の連名で招待状を受け取っていたから、多忙の間の空き時間を継ぎ接ぎして、二人揃いの衣装を設えた。
今年一年の集大成である。
この日の装いは、貴族達が殊更華やかに装う中で、ロバートとグレース達はその先駆けとして表舞台に立つ晴れの舞台なのであった。
布地は黒のコーティングジャージを選んだ。シルクサテンは華やぎの場の装いには王道であるが、敢えて廉価なジャージ生地を選んだ。
ジャージ生地は最近平民の間で好まれる話題の素材で、気鋭のデザイナーもデイドレスとして売り出していた。伸縮性に富み皺になり難く柔らかい。その独特の滑らかな手触りが特徴で、体型を選ばず美しいシルエットを生むところが人気となっていた。
今回のドレスは、襟は浅く胸元から臍下辺りまでをぴたりと身体に添う仕様にした。上半身だけで裸体のラインが思い浮かぶ大胆なデザインである。
腰から下は極く細かなプリーツを寄せてそれが裾まで流れる。足元で広がるラインと歩く度にプリーツが揺れるのが美しい。
腰の切り替え部分には、最早グレースを代表する大粒パールを繋ぎ合わせたものを二連、ベルトに見立てて緩く巻いている。
首元には、バロックパールを五連に重ねて、前は短めに背中側に長めに垂らして飾っている。耳朶に大粒のパールを一粒。
今宵のグレースは、宵の闇から真珠が生まれる様な清らかな光を放って見えた。
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