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第十二章
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「ふんふんふん」
頬を撫でる風が心地よい。
春も盛りを過ぎて、そろそろ初夏の気配が漂っている。思わず鼻歌が出ちゃう。
レベッカは庭園のガゼボにいて、最近急激に腕前を上げた刺繍に没頭していた。なにせ、ご用命があったのだ。夫から。
案外衣装持ちなアルバートは、下着の枚数も多い。そこに刺繍を頼まれた。
「無理しなくていいんだ。ただ、その、手が空いた時にしてくれれば……」
嬉しい、と言ったのだ。
あの仁王立ちおパンツ姿で。
それで、レベッカは毎日刺繍に勤しんでいる。もちろん、おパンツに。位置もあれで良いと言うから、大丈夫なのかな? と思いながら、頼まれた通りに刺している。
もしかしたら、邸のお針子たちより頑張っちゃってるかもしれない。
こんなことを、エドモンドにはしてあげられなかった。刺繍すらできないほど多忙かといえば、確かに忙しくはあった。それくらいの時間は捻出できた。だが、エドモンドが言ったのだ。
刺繍をする時間があるなら……。
思考が王太子妃時代に逆行しかけたところで、ピィと小鳥の囀りに我に返った。
春の始めの頃には、囀りもどこか不慣れに聞こえていた。その若鳥も、今はメロディを奏でるように鳴いている。
小鳥でさえ、日々、囀り成長する。
レベッカは、日々、おパンツに刺繍する。
万事問題なし。過ぎたことは思い出に。始まることは希望を胸に。
レベッカは、糸目が綺麗だと褒めてくれた夫のために、心を込めて刺繍する。
「流石の出来栄えでございますね」
マルガレーテの言葉にレベッカも頷いた。
夜会の衣装が届けられた。その出来栄えをマルガレーテは褒めている。
「あの、無駄に嫌味な高級感が皆無でございますね」
それは、件の成金商会を揶揄している。マルガレーテは「成金」とまでは言ってはいなかったが、レベッカの中ではそれで確定していた。
「ええ。旦那様の爽やかさが引き立つわね。ちゃんと風が感じられるわ」
二人でトルソーに着せた衣装を眺めて、うんうんと頷いた。
「奥様のドレスも素敵でございます」
「ふふ、そう? 派手ではないかしら」
最近、褒められることにようやく慣れてきたレベッカであるが、まだ慣れきれずにいる。
「いいえ、まったく。奥様のお肌のお色にぴったりです」
「肌の色?」
「真珠のようなキメの細かさ。思わず触れたくなる白い肌」
マルガレーテが流れるように口遊んだ。
「え? それって何かの詩歌?」
「小説の台詞です」
「なんですって、読んでないわ、もう新しい号が出たの!?」
二人が話しているのは、淑女たちに人気の婦人雑誌の話である。
連載されている小説が恋愛もので、毎号毎号いいところで終わる。ええ、この次どうなるの! と思わせる。
小説どころか、雑誌すら読めなかった三年間。それは彼が、雑誌を読む時間があるのなら……。
いけないいけない、危うくまた過去に引き戻されるところだった。
「装飾品はどうしようかしら」
「旦那様でしたら、マラカイトをお選びになるかもしれませんね」
「え?旦那様は緑色がお好きなの?」
それはレベッカも知らないことだった。
「ええ。奥様の瞳の色がお好きですから」
レベッカの瞳は榛色である。マラカイトほど鮮やかなものではない。
「瞳というより、奥様を……」
そこでマルガレーテはコホンと咳払いをして、再び話しはじめた。
「あんなに熱く見つめられて、自然に呼吸ができる奥様は強者でございます」
「ええ? そんなことは無くってよ?」
どちらかといえばレベッカのほうが見つめている。そうであれば、強者とは夫のほうだろう。
ドレスの色は、コーラル混じりの淡い桃色だった。薄い色であるから派手にはならない。離縁されて下賜されたレベッカが着ても、悪目立ちはしないだろう。
アルバートには、共布でチーフを作ってもらっている。二人並べば揃いであることがわかる。彼の金色の髪に、桃色がかったコーラルはきっと似合うことだろう。
「楽しみだわ」
エドモンドの婚礼祝賀の夜会であるのに、ここにきてレベッカは初めて楽しみだと思えた。
夫と揃いの衣装で社交場に出る。それはきっと奇異の目を引くだろう。
だが、レベッカにはアルバートが一緒にいる。そしてブラックな王城で三年間も、もみもみ揉まれたレベッカである。多少の罵詈雑言ややっかみは、それなりに蹴散らすこともできるのだ。
レベッカのふわふわした見た目を侮っては、痛い目に遭うこと請け合いだ。
「それは、よろしゅうございました」
前夫の再婚を祝う夜会を、楽しみだと言えるレベッカに、マルガレーテも満面の笑みで頷いた。
「でも、ちょっと開きすぎではなくて?」
「そうでしょうか。奥様の豊かなお胸がちらりと覗いて、素晴らしいと思いますよ」
「まあ!」
王城では、例の成金商会にドレスを頼んでいたのだが、大体が当たり障りのないスタイルだった。
レベッカが頼んだわけではないのだが「主張しない」がコンセプトだった。色だって、エドモンドの瞳と同じロイヤルブルー一辺倒であった。
格調高くあるのだが、ブルネットの髪に榛色の瞳のレベッカが着ると、途端に地味に見えていた。
こんな明るい色のドレスを着るのは久しぶりのことである。どれくらい久しぶりかというなら三年ぶりだ。そう思うと、どれほど色褪せた日々を過ごしていたのかと我ながら驚く。
「旦那様は今夜も遅くなるのかしら」
多忙な夫は、この夜会服を試着する時間はあるだろうか。採寸は間違いないから心配はしていないが、ちょっと見てみたい気持ちがある。黒に近い濃鼠色。生地の織りが緻密で美しい。
上質が似合う男、マグダナース伯爵。
アルバート・キャンベル・マグダナース。
モットーは『賢王を愛せ』
紋章は三本の剣に冠。
その神聖なるシンボルは、ズボンの下に履くおパンツに印されている。
頬を撫でる風が心地よい。
春も盛りを過ぎて、そろそろ初夏の気配が漂っている。思わず鼻歌が出ちゃう。
レベッカは庭園のガゼボにいて、最近急激に腕前を上げた刺繍に没頭していた。なにせ、ご用命があったのだ。夫から。
案外衣装持ちなアルバートは、下着の枚数も多い。そこに刺繍を頼まれた。
「無理しなくていいんだ。ただ、その、手が空いた時にしてくれれば……」
嬉しい、と言ったのだ。
あの仁王立ちおパンツ姿で。
それで、レベッカは毎日刺繍に勤しんでいる。もちろん、おパンツに。位置もあれで良いと言うから、大丈夫なのかな? と思いながら、頼まれた通りに刺している。
もしかしたら、邸のお針子たちより頑張っちゃってるかもしれない。
こんなことを、エドモンドにはしてあげられなかった。刺繍すらできないほど多忙かといえば、確かに忙しくはあった。それくらいの時間は捻出できた。だが、エドモンドが言ったのだ。
刺繍をする時間があるなら……。
思考が王太子妃時代に逆行しかけたところで、ピィと小鳥の囀りに我に返った。
春の始めの頃には、囀りもどこか不慣れに聞こえていた。その若鳥も、今はメロディを奏でるように鳴いている。
小鳥でさえ、日々、囀り成長する。
レベッカは、日々、おパンツに刺繍する。
万事問題なし。過ぎたことは思い出に。始まることは希望を胸に。
レベッカは、糸目が綺麗だと褒めてくれた夫のために、心を込めて刺繍する。
「流石の出来栄えでございますね」
マルガレーテの言葉にレベッカも頷いた。
夜会の衣装が届けられた。その出来栄えをマルガレーテは褒めている。
「あの、無駄に嫌味な高級感が皆無でございますね」
それは、件の成金商会を揶揄している。マルガレーテは「成金」とまでは言ってはいなかったが、レベッカの中ではそれで確定していた。
「ええ。旦那様の爽やかさが引き立つわね。ちゃんと風が感じられるわ」
二人でトルソーに着せた衣装を眺めて、うんうんと頷いた。
「奥様のドレスも素敵でございます」
「ふふ、そう? 派手ではないかしら」
最近、褒められることにようやく慣れてきたレベッカであるが、まだ慣れきれずにいる。
「いいえ、まったく。奥様のお肌のお色にぴったりです」
「肌の色?」
「真珠のようなキメの細かさ。思わず触れたくなる白い肌」
マルガレーテが流れるように口遊んだ。
「え? それって何かの詩歌?」
「小説の台詞です」
「なんですって、読んでないわ、もう新しい号が出たの!?」
二人が話しているのは、淑女たちに人気の婦人雑誌の話である。
連載されている小説が恋愛もので、毎号毎号いいところで終わる。ええ、この次どうなるの! と思わせる。
小説どころか、雑誌すら読めなかった三年間。それは彼が、雑誌を読む時間があるのなら……。
いけないいけない、危うくまた過去に引き戻されるところだった。
「装飾品はどうしようかしら」
「旦那様でしたら、マラカイトをお選びになるかもしれませんね」
「え?旦那様は緑色がお好きなの?」
それはレベッカも知らないことだった。
「ええ。奥様の瞳の色がお好きですから」
レベッカの瞳は榛色である。マラカイトほど鮮やかなものではない。
「瞳というより、奥様を……」
そこでマルガレーテはコホンと咳払いをして、再び話しはじめた。
「あんなに熱く見つめられて、自然に呼吸ができる奥様は強者でございます」
「ええ? そんなことは無くってよ?」
どちらかといえばレベッカのほうが見つめている。そうであれば、強者とは夫のほうだろう。
ドレスの色は、コーラル混じりの淡い桃色だった。薄い色であるから派手にはならない。離縁されて下賜されたレベッカが着ても、悪目立ちはしないだろう。
アルバートには、共布でチーフを作ってもらっている。二人並べば揃いであることがわかる。彼の金色の髪に、桃色がかったコーラルはきっと似合うことだろう。
「楽しみだわ」
エドモンドの婚礼祝賀の夜会であるのに、ここにきてレベッカは初めて楽しみだと思えた。
夫と揃いの衣装で社交場に出る。それはきっと奇異の目を引くだろう。
だが、レベッカにはアルバートが一緒にいる。そしてブラックな王城で三年間も、もみもみ揉まれたレベッカである。多少の罵詈雑言ややっかみは、それなりに蹴散らすこともできるのだ。
レベッカのふわふわした見た目を侮っては、痛い目に遭うこと請け合いだ。
「それは、よろしゅうございました」
前夫の再婚を祝う夜会を、楽しみだと言えるレベッカに、マルガレーテも満面の笑みで頷いた。
「でも、ちょっと開きすぎではなくて?」
「そうでしょうか。奥様の豊かなお胸がちらりと覗いて、素晴らしいと思いますよ」
「まあ!」
王城では、例の成金商会にドレスを頼んでいたのだが、大体が当たり障りのないスタイルだった。
レベッカが頼んだわけではないのだが「主張しない」がコンセプトだった。色だって、エドモンドの瞳と同じロイヤルブルー一辺倒であった。
格調高くあるのだが、ブルネットの髪に榛色の瞳のレベッカが着ると、途端に地味に見えていた。
こんな明るい色のドレスを着るのは久しぶりのことである。どれくらい久しぶりかというなら三年ぶりだ。そう思うと、どれほど色褪せた日々を過ごしていたのかと我ながら驚く。
「旦那様は今夜も遅くなるのかしら」
多忙な夫は、この夜会服を試着する時間はあるだろうか。採寸は間違いないから心配はしていないが、ちょっと見てみたい気持ちがある。黒に近い濃鼠色。生地の織りが緻密で美しい。
上質が似合う男、マグダナース伯爵。
アルバート・キャンベル・マグダナース。
モットーは『賢王を愛せ』
紋章は三本の剣に冠。
その神聖なるシンボルは、ズボンの下に履くおパンツに印されている。
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