二度目は貴方と

桃井すもも

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第十八章

 その時、目の前を人影がよぎった。遅れて爽やかな風が吹き抜ける。この風は、旦那様!

 哀しい思い出に胸の傷がうずいたことは、そこでふつりと断ち切られた。
 アルバートがシンシアとダンスを踊りながらこちらへやってきた。互いに踊りながら移動しているから、それも不自然なことではない。

 視界の端にアルバートの後ろ姿が映って、そこから彼がシンシアごとくるりと回った。
 アルバートはこちらを見ていた。

 彼が心配しているのだと思った。
 レベッカの傷が思い出してしまうことを、わかっていたのだろうか。


 あの日、エドモンドがシンシアと会合する姿を見たことは、アルバートも知っている。彼はレベッカのすぐ後ろにいたのだから。

 レベッカの使用人たちはあの時、エドモンドの居場所についてレベッカには伝えなかった。エドモンドに用事があって、彼の側付きに行く先を尋ねたが、承知していないと言われた。
 確かにエドモンドにも公にしない執務はある。だがレベッカは彼の妃で、彼の日程は毎朝必ず伝えられていた。

 それは予定のわからない空白の時間だった。
 使用人たちが知らないのなら、彼の側近に聞くよりほかはなかった。

 それなのに、誰もが「休憩」だとか「散策」だとか曖昧なことを言った。
 その日の休憩時間には、レベッカがお茶を淹れていた。散策なら、すでにレベッカと一緒に冬枯れの外回廊を歩いていた。
 雪が積もって綺麗だからと、エドモンドから誘ってくれたのだ。

 エドモンドがどこにいるのか誰に尋ねてもわからない。埒が明かないとレベッカは、たまたま通りかかったアルバートに声をかけた。

「殿下でしたら南の応接室にいらっしゃいます」

 彼だけが事実を教えてくれた。
 後から考えれば、皆、エドモンドに口止めされていたのだろう。若しくは宰相辺りから。

 そうだというのに、アルバートだけが本当のことを教えてくれた。
 レベッカが尋ねなければ言わなかったかもしれない。だが彼に尋ねたレベッカに、有りの儘を答えてくれた。

 南の応接室には、庭園に面してテラスがある。冬の時期にはそこは一枚硝子ガラスの扉で仕切られる。硝子越しに雪景色を楽しむことができる。

 ほんの一刻ほど前には、エドモンドはそこでレベッカと休憩をした。レベッカが淹れたお茶を飲んだ。

 その彼は今、同じテラスでシンシアと茶会の最中だった。
 部屋まで行かずとも、外回廊の曲がり角から見えていた。

 レベッカがいたときには、ようやく暖まった室内に硝子扉は結露で覆われ曇っていた。それが今は綺麗に拭かれて、部屋の中がよく見えた。

 くるりと方向を変えて元きた廊下を戻るレベッカに、アルバートはなにも言わなかった。
 そんな彼に、「ありがとう」と言ったつもりだったが、ちゃんと言えていただろうか。

 それから半年もしないうちに、レベッカはエドモンドと離縁となり、同時にアルバートの妻となった。

 なぜあの日アルバートが、エドモンドの居場所を教えてくれたのか、その理由をレベッカは今も聞いていない。あの後もそんなことは幾度かあったから、「そういう話を詰めて」いたのだと理解した。

 年が明けてから伝えられた事には驚かなかった。仮面を幾つも持つレベッカは、ちゃんと笑みを浮かべていたと思う。それくらいの気構えは、生家の教えでも妃教育でも身につけていることだった。

 あの時、仮面を被らなかったのはエドモンドのほうだ。
 駄目じゃないエドモンド様。貴方がそんな顔をしていては、周りが困るのよ。そう思ったのである。


 何もかも終わったことだ。このチクリと痛む傷だって、明日には忘れてしまう。アルバートならきっと、帰りの馬車で下手な冗談を言って忘れさせてくれるだろう。

 もうすぐダンスが終わる。
 ゆっくりと速度が落ちて、最後にエドモンドは腕を伸ばしてくるりとレベッカをターンさせた。
 オルゴールの踊り子のように、レベッカはふわりと回った。淡いコーラルピンクのドレスのすそが視界に入って、ああ、今日はこんな明るい色のドレスを着ていたのだと思い出した。

 三年の間、ドレスはロイヤルブルーかシャンパンカラーだったから、花弁のような淡ピンクは新鮮に感じられた。

「レベッカ」

 エドモンドに名を呼ばれて、レベッカは彼を見上げた。青い瞳を見つめて微笑めば、エドモンドはその先を言うことはしなかった。

 周囲には踊り終えたカップルたちがいたし、今も王太子のダンスに辺りは色めき立っている。彼から一歩離れたら、その瞬間にエドモンドは、レベッカとは違う世界の人になるだろう。

 レベッカは、そこで一歩下がった。それからゆっくり頭を垂れて、エドモンドに辞去の挨拶をした。再び顔を上げて一歩後ろに下がったときに、腰にそっと手が添えられた。

「旦那様」

 いつの間にかアルバートが横にいた。シンシアもエドモンドの傍らに戻っていた。
 思わず夫を見上げたレベッカは、それから前にいる二人に向かって略式のカーテシーで礼をした。アルバートが腰を引き寄せて、そのまま彼らの前から離れた。

 ダンスホールから外に出ても、アルバートはレベッカの腰を引き寄せたままだった。
 がっしり引き寄せられていたから、ちょっと歩きづらかった。

「旦那様、シンシア様とのダンス、スピード違反はしなかったでしょう?」
「そんなこと、するわけがなかろう」
「嘘おっしゃい。私と二倍速で踊ったくせに」
「君だったからだ」
「私はスピード狂ではなくてよ」
「そうか? 私は君となら、どんなダンスも楽しめる」

 誰かが同じことを言ったなら、なんて気障きざなセリフだと思うだろう。けれどアルバートの言葉はいつだって本物だ。レベッカは、もうそのことを知っている。

「私だって貴方となら、どんなダンスも楽しめるわ」
「本当に?」
「まあ。貴方が先に言ったのよ?」
「ふっ、確かに」

 アルバートとおしゃべりしながら、レベッカは喧騒から離れた。腰に添えられた大きな手の平が、レベッカをいざなう。

 久しぶりのダンスに、すっかり喉が渇いてしまった。
 シャンパンをもらおう。旦那様と二人だけの乾杯をしよう。

 レベッカの心はすでに、琥珀こはく色の泡が弾けるシャンパン越しの夫の顔を映していた。



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