二度目は貴方と

桃井すもも

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第三十二章

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 容易く忘れられるものではないし、忘れなければならないと思ってもいなかった。 

 王城は、忘れることを許してくれない。
 今日のように足を踏み入れたなら、レベッカをあっと言う間に過去の記憶に引き戻そうとする。

 レベッカにとっての王城での日々は、レベッカの人生そのものだった。エドモンドに離縁されたからといって、レベッカの過去が消えて無くなる訳ではない。

 シンシアとの謁見があったり、ベンジャミンに再会したり、宰相と一悶着あったことで、過去の記憶は薄まることなく鮮明に蘇ってしまう。
 夜会でエドモンドと言葉を交わし、あんなふうに触れられると尚のこと、記憶は直ぐ様呼び起こされる。

 宰相とは少女の頃からの付き合いで、彼もまた自身を滅して国政に生きる人物だと、その点では彼のことをレベッカは信頼している。だが、彼は決して優しいばかりの人間ではない。

 エドモンドは、幼い頃から側にいた友人で、恋人で、夫で、なにより主君だった。自分の命と彼の命が同等だと思ったことなど一度もなく、彼の為に、一身に疑うことなく我が身の全てを捧げてきた。

 だからこそ、国母となれないことで責を問われても仕方がなかったと誰よりも理解している。エドモンドがレベッカを切ることを選択したのも、それが彼の情けなのだと思っている。

 彼がシンシアとの密会を重ねていたのに失望を覚えたのは、自分が信じた以上にエドモンドがレベッカの覚悟を信じてくれていなかったのを、目の当たりにしてしまったからだろう。

 何もかも覚悟を決めて妃になった。
 エドモンドを、誰よりも愛していた。
 その覚悟を、エドモンドは信頼してはくれなかった。

 エドモンドが、レベッカを想うが為に密かに動いていたことを、今更責めたい訳ではない。
 ただ何よりも誰よりも最初にレベッカに打ち明けてくれたなら、レベッカはエドモンドの苦悩を一緒に背負えた筈だと思う。

 貴方だけを、一人苦悩の海に溺れさせなどしなかったのに。

 レベッカがシンシアを認めるのは、彼女は確かに気位が高く我が儘で傲慢で扱い難くはあるが、彼女はエドモンドの心中を「王家の番人」の一人として、ちゃんと理解していたからだ。

 エドモンドの選択の犠牲になったのは、レベッカではなくシンシアだ。彼女こそ人生を王家に捧げたのだと、レベッカはそう思っている。

 シンシアは、直に後継を身籠り国母となるだろう。若く健康な身体に揺るがぬ生家の後ろ盾を得て、いずれこの国の頂に立つ王妃となる。
 彼女の側には賢者ベンジャミンがおり、彼女が国を傾けることはない。

 そしてレベッカは、エドモンドの苦悩もシンシアの犠牲もアルバートの献身も、決して無碍にすることはない。
 アルバートはレベッカに誓ってくれた。
 婚姻誓約書にサインを書いたあの日に、彼はレベッカに誓ってくれた。

「生涯、貴女だけを愛し貴女を守り貴女の幸せの為に生きることを誓う」

 エドモンドにレベッカの幸せを託されたアルバートは、今もそれを忠実に守りその通りにレベッカを愛してくれている。

 宰相の言葉は痛いほど胸に届いて、彼がレベッカを認めるが故に暗躍したことも、その結果エドモンドがレベッカとの離縁を急いだことも、全てが終わった今なら俯瞰で見返すことが出来る。


 レベッカは、王城からの帰路にあった。
 馬車は間もなく伯爵邸に着く。

 王城では、海が割れるように人垣が左右に別れて、それをアンネマリーが驚いて、神話だとか聖人だとか言い出して、レベッカはそのまっさらな心根に救われた。

 勇者の息子のヨハンツは、一瞬の迷いもなくその身でアルバートとレベッカを守った。彼には何の躊躇いも迷いも無く、仮にあそこで近衛騎士に斬られたとしても、多分あの青年は、その身を挺して真正面から刃を受けただろう。

 馬車の中にいて、レベッカはアンネマリーとヨハンツの、若く疑うことのない忠誠心に救われていた。

 アルバートは約束を守るだろう。
 レベッカを妻と愛してくれるだろう。レベッカは、これまでの人生で色んな種類の人々と出会って来たが、アルバートは多分……、

 ゴトンと小さく音がした。車輪が小石を踏んだのだろう。同時に馬は速度を緩めて、開かれた門扉を通り抜けた。

 緩やかに通路を回り込んで、馬車は伯爵家の玄関ポーチでゆっくり止まった。
 夫人の乗り心地が良いように心を配る、優秀な御者である。

 玄関ホールには、既に使用人達が並んでいるのがシルエットで見えていた。
 伯爵家は、レベッカという、曰く付きの元王太子妃を、当主夫人として大切にしている。 

 レベッカが毎夜思うのは、今日もまた夫と彼等のお陰で幸福な一日だったということで、夫に愛された後なら尚のことその思いは深まる。

「奥様、お帰りなさいませ」
「ただいま帰りました」
「大丈夫でございましたか?」
「ええ、大丈夫よ。心配してくれたのね、マルガレーテ」

 自室に戻れば侍女達が、手早く外出用の装いを解き部屋着に整えてくれる。その間にお茶の用意がされて、着替えが終わる頃には、部屋の中には爽やかな紅茶の香りが漂う。

 レベッカは、今も城で奮闘しているだろう夫の背中を思い浮かべた。
 どうして背中なのだろうと思って、
 ああ、そうだ。彼はいつもレベッカの前に立ちその背中でレベッカを守ってくれるからだと思い至った。

 それは今までレベッカが、エドモンドの前に立ち彼の身を守る気構えでいたから解ることだった。
 アルバートは、レベッカの前では自分のことなど容易く捨て去る。それが愛なのか主君に命じられた忠心からなのか、どちらでも構わないと思った。

 今までレベッカを、その背中で守ってくれる人はいなかった。レベッカは、いつでも守る側の人間だった。

 宰相に啖呵を切ったレベッカを即座に守った夫とはさっき別れたばかりなのに、レベッカはもう彼に会いたいと思った。

 今日は寝台の中で、あの宰相の悪口を面白可笑しく話しながら、二人で抱きしめ合いたいと思った。

「旦那様、早く帰ってきて」

 聞こえる筈などないのに、呟きは風が城まで届けてくれる、そんな気がしたのだった。

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