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「アテーシア、君に贈った薔薇を紛い物と称された私の気持ちが解るか?君の為の花だったのに、君に贈る為に育てた花だったのに。」
固く目を瞑るアテーシアの耳元に、アンドリューの静かな声が響く。
「あの薔薇は、私が育てた。私の部屋で苗木の時から、大切に大切に育てた花だよ。」
「え?!」
アンドリューの言葉に、思わずアテーシアは目を開き、振り返った先のアンドリューの近さに驚いた。でも、今はそんな事を気にしていられない。
「貴方が?育てたの?」
「そうだよ、アテーシア。Queen's rose とは別に、あの花は私が手ずから育てたんだ。改良途中の苗であったから、当然ロイヤルブルーにはならなかった。けれどもアテーシア、私はあの紫を帯びた花弁がとても美しいと思ったんだよ。可愛い君が王妃となる頃には、この薔薇の様な気品を兼ね備えた賢妃になるのだろうと夢想するほど美しいと見惚れたのだよ。」
覗き込み囁くアンドリューの吐息が頬に触れる。
「それを、『紛い物』だなどと。私に言わせれば研究機関の職員が育てた花の方が紛い物だ。あれらは王国の権勢を示す素材なのだから。私の愛は君だけに贈ったつもりだったんだがね。君が語った言葉を聞いて、私が後で一人泣いちゃっただなんて知らないだろう。」
「な、泣いちゃったの?」
「ああ、慰めてくれるかい?」
「ど、どうやって、」
「ここでキスをくれないか。」
「キ、キスなら、さっき、さっきしたわ!」
「君からキスが欲しいんだ。駄目?」
駄目って、もう唇がくっ付きそうな状態で、何言ってくれてるのこの王子!
アテーシアは大きく見開いた瞳で視線をくるくる彷徨わせて言葉を選んだ。
何を言えば良いのだ、ああ、あれだ、先ずは謝罪だ。
「ごめんなさい」
「それはキスをお断りしてるのかな?」
失敗した!もっと怒らせてしまった!
「そ、そ、そうではなくて、その、紛い物だなんて誤解してしまった事をあの、謝ります。」
「当たり前だ。でも当分許せそうにはないから謝罪は受け取らない事にするよ。
そうではなくて、今は君の慰めが欲しいんだ。」
アテーシアが、ほんの1cmほど顔を上げただけでアンドリューの柔らかな唇に辿り着いた。それをアンドリューが大人しく受け止めたのは最初だけで、残念ながら後は気が遠くなるまで貪られた。
虎に睨まれ凄まれた愚かな子栗鼠は、こうして罠に嵌ってしまった。
「君の私に向ける小麦粉の粒ほども無いなけなしの愛を、私に捧げてくれるよね?先に目に見える物を贈ったのに、それを自分で断ったのをまるで無い事にして、私の献身も真心も愛も疑うだなんて、こんな愚かな婚約者とは大陸中どこを探しても見つからないだろうな。」
「も、申し訳ございません」
濃厚な口付けに息も絶え絶えになったアテーシアを、アンドリューは更に責め立てる。
「どうやら形の残らないものは信じないらしい君に、形で示す事にしよう。禁書棚の鍵を贈ろう。王都に戻ったら渡すから、今度こそ必ず受け取るんだ。解ったね。」
「解りましたっ」
上官の命に答える一兵卒の様に、アテーシアは立派な返事を返した。
「君の誕生月に会えなかったのは、母から私への制裁だ。君がパトリックとの模擬戦で負傷する危険を回避出来なかった事が一つ、もう一つはモールバラ公爵夫人が私に不信感を抱いたからだ。君に薔薇を贈った行為が発端らしい。
私はね、茶会で君と会えたならもう一度あの鍵を渡そうと思っていたんだよ。宝石よりドレスより、何より君に相応しい贈り物だと思ったからだ。宝石が欲しかったかい?形が残る宝物が欲しかったのかい?
私は君に秘された知識を贈りたかった。禁書の記す事柄を、私の妃となる君に教えたいと思っていた。見えない贈り物はお嫌いか?」
皆まで聞いて、アテーシアはすっかりこれまでの凝り固まった自身の思考を改め反省した。
こんなに大切にしてもらっていたのに、私ったらこの方を小麦粉の粒ほども愛さないと言ったのだわ(本人に)。
大きな紺碧色の瞳が垂れ目になって、そうしてそんな潤んだお目々で見上げたなら、要らない欲を呼び起こすのを、折角寝た虎を叩き起こしてしまうのを、初心な愚か者は、全然気が及ばなかった。
「可愛いな。」
一瞬、状況判断が遅れた。むぎゅうと抱き締められてキュゥと声が漏れてしまった。
「可愛いな。食べてしまいたいと云う文句は真の感情であったのだな。どうしてくれよう、こんなに私を怒らせておいて、可愛い顔で追い詰めるとは。やはり君には敵わない。」
「降参だ」そう言いながらアンドリューはゆっくりとアテーシアの肩を押した。ぽふんとソファーに押し倒されて、反転した視界に天と地が解らなくなった。
アンドリューがこちらを見下ろしている。降参した筈なのに、アテーシアに覆い被さり今にも攻め込もうと構えている。
「ま、参りました」
アテーシアが降参を告げたその時、
「殿下、そこまでです。」
ベンジャミンの声がアンドリューの背後から聞こえた。
「辺境閣下がお見えです。」
アンドリューはそこで、
「残念」
そう言ってアテーシアを解放した。
後でアテーシアは、ベン・ボン兄弟にこってり絞られた。虎に情けを見せたなら忽ち食われてしまうのだと叱られた。
固く目を瞑るアテーシアの耳元に、アンドリューの静かな声が響く。
「あの薔薇は、私が育てた。私の部屋で苗木の時から、大切に大切に育てた花だよ。」
「え?!」
アンドリューの言葉に、思わずアテーシアは目を開き、振り返った先のアンドリューの近さに驚いた。でも、今はそんな事を気にしていられない。
「貴方が?育てたの?」
「そうだよ、アテーシア。Queen's rose とは別に、あの花は私が手ずから育てたんだ。改良途中の苗であったから、当然ロイヤルブルーにはならなかった。けれどもアテーシア、私はあの紫を帯びた花弁がとても美しいと思ったんだよ。可愛い君が王妃となる頃には、この薔薇の様な気品を兼ね備えた賢妃になるのだろうと夢想するほど美しいと見惚れたのだよ。」
覗き込み囁くアンドリューの吐息が頬に触れる。
「それを、『紛い物』だなどと。私に言わせれば研究機関の職員が育てた花の方が紛い物だ。あれらは王国の権勢を示す素材なのだから。私の愛は君だけに贈ったつもりだったんだがね。君が語った言葉を聞いて、私が後で一人泣いちゃっただなんて知らないだろう。」
「な、泣いちゃったの?」
「ああ、慰めてくれるかい?」
「ど、どうやって、」
「ここでキスをくれないか。」
「キ、キスなら、さっき、さっきしたわ!」
「君からキスが欲しいんだ。駄目?」
駄目って、もう唇がくっ付きそうな状態で、何言ってくれてるのこの王子!
アテーシアは大きく見開いた瞳で視線をくるくる彷徨わせて言葉を選んだ。
何を言えば良いのだ、ああ、あれだ、先ずは謝罪だ。
「ごめんなさい」
「それはキスをお断りしてるのかな?」
失敗した!もっと怒らせてしまった!
「そ、そ、そうではなくて、その、紛い物だなんて誤解してしまった事をあの、謝ります。」
「当たり前だ。でも当分許せそうにはないから謝罪は受け取らない事にするよ。
そうではなくて、今は君の慰めが欲しいんだ。」
アテーシアが、ほんの1cmほど顔を上げただけでアンドリューの柔らかな唇に辿り着いた。それをアンドリューが大人しく受け止めたのは最初だけで、残念ながら後は気が遠くなるまで貪られた。
虎に睨まれ凄まれた愚かな子栗鼠は、こうして罠に嵌ってしまった。
「君の私に向ける小麦粉の粒ほども無いなけなしの愛を、私に捧げてくれるよね?先に目に見える物を贈ったのに、それを自分で断ったのをまるで無い事にして、私の献身も真心も愛も疑うだなんて、こんな愚かな婚約者とは大陸中どこを探しても見つからないだろうな。」
「も、申し訳ございません」
濃厚な口付けに息も絶え絶えになったアテーシアを、アンドリューは更に責め立てる。
「どうやら形の残らないものは信じないらしい君に、形で示す事にしよう。禁書棚の鍵を贈ろう。王都に戻ったら渡すから、今度こそ必ず受け取るんだ。解ったね。」
「解りましたっ」
上官の命に答える一兵卒の様に、アテーシアは立派な返事を返した。
「君の誕生月に会えなかったのは、母から私への制裁だ。君がパトリックとの模擬戦で負傷する危険を回避出来なかった事が一つ、もう一つはモールバラ公爵夫人が私に不信感を抱いたからだ。君に薔薇を贈った行為が発端らしい。
私はね、茶会で君と会えたならもう一度あの鍵を渡そうと思っていたんだよ。宝石よりドレスより、何より君に相応しい贈り物だと思ったからだ。宝石が欲しかったかい?形が残る宝物が欲しかったのかい?
私は君に秘された知識を贈りたかった。禁書の記す事柄を、私の妃となる君に教えたいと思っていた。見えない贈り物はお嫌いか?」
皆まで聞いて、アテーシアはすっかりこれまでの凝り固まった自身の思考を改め反省した。
こんなに大切にしてもらっていたのに、私ったらこの方を小麦粉の粒ほども愛さないと言ったのだわ(本人に)。
大きな紺碧色の瞳が垂れ目になって、そうしてそんな潤んだお目々で見上げたなら、要らない欲を呼び起こすのを、折角寝た虎を叩き起こしてしまうのを、初心な愚か者は、全然気が及ばなかった。
「可愛いな。」
一瞬、状況判断が遅れた。むぎゅうと抱き締められてキュゥと声が漏れてしまった。
「可愛いな。食べてしまいたいと云う文句は真の感情であったのだな。どうしてくれよう、こんなに私を怒らせておいて、可愛い顔で追い詰めるとは。やはり君には敵わない。」
「降参だ」そう言いながらアンドリューはゆっくりとアテーシアの肩を押した。ぽふんとソファーに押し倒されて、反転した視界に天と地が解らなくなった。
アンドリューがこちらを見下ろしている。降参した筈なのに、アテーシアに覆い被さり今にも攻め込もうと構えている。
「ま、参りました」
アテーシアが降参を告げたその時、
「殿下、そこまでです。」
ベンジャミンの声がアンドリューの背後から聞こえた。
「辺境閣下がお見えです。」
アンドリューはそこで、
「残念」
そう言ってアテーシアを解放した。
後でアテーシアは、ベン・ボン兄弟にこってり絞られた。虎に情けを見せたなら忽ち食われてしまうのだと叱られた。
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