幽閉妃ルドヴィカ

桃井すもも

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第二十一章

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 その夜は、雪が降っていた。
 夕刻から降り出した雪は、夜半になっても止む気配はなかった。

 真夜中に、ルドヴィカは目が覚めた。
 サリサリと微かな音が絶え間なく聞こえて、それが雪の降り積もる音だとわかった。

 あんな軽く儚く溶けてしまう雪が、音を立てて積もる。その音に、うつらうつらとなりながら耳を澄ませた。

 王都にも雪は降る。だがルドヴィカは、雪が立てる音なんて聞いたことはなかった。生家の屋敷にいたときでさえ記憶にないから、堅牢な王城に至っては尚のことである。

 マクシミリアンは、この音を聞いたことはあるだろうか。

 ここが王領になって数十年が経っている。夏の避暑に訪れることはあっても、こんな真冬にやって来る王族なんていないだろう。

「マクシミリアン様、雪って音を立てて積もるのですよ。案外とおしゃべりなんです」

 とろとろと微睡みながら発した声は、本当に口にしたのか、それとも夢うつつであったのか、ルドヴィカにもわからなかった。

 ぱさりぱさりと、途切れることなく雪が降る。

 雪が漆黒の夜を明るく見せることも、踏み締めるとキュッキュと鳴って、きっと鳴兎なきうさぎの声はこんなふうなのだと思ったことも、降り固まった雪が淡い水色に見えることも、マクシミリアンに教えてあげたいと思った。

 マクシミリアンはきっと、得意げに話すルドヴィカを、あの澄んだ青い瞳を細めて見つめてくれるだろう。
 あまりにおしゃべりが過ぎたなら、そっと触れるだけの口づけをして、優しく止めてくれるだろう。

「マクシミリアン様……」

 目覚める間際の夢のなかで、最愛の夫の名を呼んだ。夢の中なのに、まなじりから耳まで流れる冷たいものを感じた。

 北の冬は、涙の温もりすら冷たくしてしまうのだと思いながら、ルドヴィカは意識を手放した。



 目が覚めたときに耳に届いたのは、ザッザッという雪を掻く音だった。

 一晩じゅう暖炉の火を落とさずにいたが、早朝の空気はピリリと痛みを感じるほど冷えていた。まだ空は薄暗く、こんな時間からビクターとティムズが雪掻きをしているのだと思った。

 どれほど積もったのだろうと窓辺に歩み寄り、階下を見下ろし驚いた。

「え」

 ルドヴィカの部屋は二階だが、記憶よりも地面が近く感じた。地面と言っても一面の雪である。降り積もった雪が一階の窓枠を超えて、まるで屋敷ごと背丈を縮めてしまったように見えた。

「一晩でこんなに積もったの?」

 俊敏なアーチーなら、窓から階下に飛び降りることもできそうだ。上背のあるヘレーネもできるかもしれない。
 ブレンダは?と、ふくよかな身体を思い浮かべて、無理だろうと思った。

 ルドヴィカだって無理である。それに王太子妃のルドヴィカが窓から外に飛び出すなんてあり得ない。そんなお転婆なことは、令嬢の頃にもしたことがない。

 すっかり朝になっても、雪はしんしんと降り続けていた。

 玄関ポーチに出て、ルドヴィカは言葉を失った。覚えのある庭木も何もかも、すっぽり雪に埋もれていた。

 多分、ルドヴィカの腰まであるのではないか。だが、ビクターたちが枯れ井戸までを整えて、地下通路へは難なく降りることができた。なにより、踏み台が必要ないほど、井戸は縁まで雪で埋もれていた。


 あの異国の不審青年は、今日のうちに麓に移される。その前にもう一度、話をしようと思った。
 アーチーは渋い顔をしたが、どうやら青年はルドヴィカには素直に応じるようだった。ルドゥイーブという名付けも、意味を知ってか知らずか大人しく受け入れていた。

「ルドヴィカ様、油断なさらずに。貴女はもっと慎重になるべきです」

 ランプの灯りが心許なく揺れる地下通路を歩きながら、アーチーに釘を刺されてしまった。彼は本心からルドヴィカを心配している。それはマクシミリアンへの忠心のほかに、彼自身の優しさから案じてくれるのだろう。

「わかりました」

 素直に答えれば、アーチーが小さく溜め息をついたのを背後に感じた。前を歩くウォルターは、なにも言うことはなかった。

 通路は教会の霊廟に繋がっている。
 すっかり慣れてしまったが、いにしえの英霊の眠りを妨げるようで、毎回、後ろめたい気持ちになる。

「あら?暗くない?」

 扉を開けて霊廟に入って、ルドヴィカは違和感を覚えた。いつもより室内が暗い。
 雪が降り続ける空は鼠色の曇天で、日光の乏しいのは確かである。だが、それにしても暗く感じる。

「ええ!」

 そこでルドヴィカは気がついた。窓が半分埋まっている。降り積もった雪が風雪に飛ばされたのか、窓をすっぽり覆っていた。

「こんなに降ったの?」

 考えてみれば、確かに屋敷も雪を集めた小さな山が幾つもできていた。だが、ここは屋敷以上に思えた。拘束中のルドゥイーブと老司祭のほかはゲンズブールしかいないから、雪掻きなんて手が足りなかっただろう。

 積雪は暴力的なほどで、北国の剥き出しの自然にルドヴィカは恐れおののいた。

 ルドゥイーブは幸運だろう。拘束されているのにどこがと言われそうだが、こんな豪雪の日に山腹を彷徨っていたなら、彼は夜明けの空を見ることはできなかっただろう。

 麓に移送されてから、彼の身がどうなるか想像できないが、雪に埋もれて凍死するよりはマシなのではないだろうか。

 そんなルドヴィカの内心をよそに、ルドゥイーブは昨日よりも更に顔色が良く見えた。

『おはようございます。ルドゥイーブ様』
『ああ、おはよう。ルドヴィカ』
『貴様、ルドヴィカ様に失敬であるぞ』

 ルドヴィカに対して鷹揚な態度をとるルドゥイーブにアーチーが突っかかるのは、もうお馴染みのことである。

『随分と顔色が良くなられましたね』
『ああ、今朝は固形食を食べられた。それから、んん……』
『あの苦いお茶を?』
『うん……まあ、そうかな』

 老司祭は、どうやらあの不味い薬草茶を、ルドゥイーブにも飲ませているようだった。

 簡素な衣服に着替えているルドゥイーブは、すっかり熱も下がっており、寝台にいるのは左手首を拘束するのに都合が良いからだろう。

 だが、それも間もなく外されて、彼は移動することとなっている。移動先は、関所の施設だろう。

 拷問なんてされるのだろうか。ルドヴィカには軍部のことはさっぱりわからなかった。だがルドゥイーブは、そんな不安を抱いているようには見えず、今もルドヴィカと穏やかに言葉を交わしている。

 できうることなら、密入国者として国外追放されてほしい。下手に王都に移送されては、彼は咎人とがびとの扱いを受けるかもしれない。
 それとも外交の切り札とされるのか。
 ルドヴィカには、どうにも後者のように思えてならなかった。




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