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第二十二章
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雪は止むことを忘れたように、尚も降り続いていた。
窓を覆う雪に部屋の中は更に薄暗くなり、とうとうランプを灯すほどになった。
ゲンズブールが、一旦雪の具合を確かめてくると言って、外に出て行った。
ルドヴィカは教会の外には一歩も出たことはなかったから、周囲がどうなっているのかも、教会の外観すら見たことがない。窓から見える景色だけが、ルドヴィカの知ることだった。
「不味いな」
そう呟いたのはアーチーだった。
「どうしたの?何が不味いの?」
「今日は馬車は来ないでしょう」
「それは麓からの?」
アーチーは小さく頷いた。
ルドゥイーブを移送するために麓から馬車が来る予定だった。それが大幅に時間が遅れていることには、ルドヴィカも気がついていた。
アーチーは、ちらりとルドゥイーブへ視線を移した。ルドゥイーブは、そんなアーチーを琥珀色の瞳で見つめ返した。
彼にしてみれば、ここにいても関所に移されても、捕らわれていることに変わりはない。ここにいるほうが幾分はマシという程度だろう。
「それでは、彼は今日は移送されないということなのね?」
「雪の積もり具合によりますが、恐らくは。除雪が追いつけば、或いは今日中に移すこともあるかもしれません」
そこでウォルターが、「ゲンズブールを加勢する」と言った。どうやらゲンズブールは、馬車が入る通路の除雪をし始めたようだった。遠くに聞き慣れた雪を掻く音が聞こえていた。
「司祭殿、ルドヴィカ様をお頼みいたします」
ウォルターは、そう老司祭に頼んだ。
ルドヴィカは、どちらかといえば自分のほうこそ老司祭を守る気でいたから、ウォルターが彼を頼りにしたことを心外だと思った。
「お任せください」
ええ?任せてよいの?
ルドヴィカは老司祭が適当に調子を合わせているのかと些か呆れたが、ここにはアーチーがいるし、ルドゥイーブは病み上がりのうえ拘束されているから、さして不安はなかった。
それに、ルドゥイーブからはルドヴィカを害する気配は伺えず、彼はそれなりの身分がある旅人なのかと思えていた。
ルドヴィカは、ベッド脇の椅子に腰掛けており、その後ろにアーチーが控えていた。
老司祭は窓辺にいて外の様子を眺めており、ウォルターが出て行った室内には、雪を掻く音だけが小さく聞こえていた。
『貴方は麓に移されますが、そのことはもうお聞きになっておられますか?』
ルドヴィカが尋ねると、ルドゥイーブは頷いた。
『司祭から聞いた』
落ち着いて答える様子には、移送先で自身がどうなるのかと不安そうな様子は見えない。
『申し訳ないのですが、私はこの後、貴方がどう扱われるのかわからないのです』
『それは止むを得ないことだろう』
『乱暴な扱いのないように、頼んでみます』
「ルドヴィカ様、それ以上は話してはなりません」
アーチーに止められて、ルドヴィカも行き過ぎた言動だったと口を噤んだ。
そこで話題を変えたのは、ルドゥイーブだった。
『君は優しいのだな』
『優しいのではなくて、世間知らずなだけです』
こんな異国の不審者と接触する姿をマクシミリアンが見たなら、きっと叱られてしまうだろう。無茶をするなと言う声が聞こえるような気がした。
『何か思い出せましたか?』
『どうだろう』
『それはどういう?』
彼は記憶がないと言ったが、断片的にでも思い出したのだろうか。
『なるべく早く、母国へ戻れることを祈っております』
ルドゥイーブに犯罪の意図が認められなければ、いずれは国外に出されるのだろうか。彼はとても悪人には見えず、高貴な身分であるのが言葉にも仕草にも見て取れる。
『ご家族は、きっと今頃、心配していることでしょう』
『ああ、そうだろうな』
ルドゥイーブには、心配してくれる家族がいるのだろう。ルドヴィカは、ふと生家の両親を思い浮かべた。
寝間着に裸足で冬の夜に移送された娘のことを、きっと案じているだろう。咎人ではないのに、まるで追放されたような扱いに、母は嘆いているのではないか。
『君はなぜここにいる?』
『貴様の質問は認めない』
ルドゥイーブは質問をしてきたが、すぐにアーチーに止められてしまった。
『追放されましたの』
「ルドヴィカ様、そんなことでは」「いいのよ、アーチー」
『それはなぜ?』
『私がいては困ることが起こったからです』
マクシミリアンの正妃を望む姫君のために、ルドヴィカは王都を追われた。
アーチーは、尚も何かを言おうとしたが、ルドヴィカはそれを手の平で制した。
『君はこれからどうするんだ?』
『わかりません』
『わからないのか?』
『ええ。自分のことすらわからない、不甲斐ない身なのです』
「ルドヴィカ様、それくらいになさってください」
アーチーは、そんな不甲斐ないルドヴィカに付き合わされている気の毒な人物だ。見張りとはいえ、ルドヴィカに親身になって寄り添ってくれる。
『私の国に来ないか?』
『え?』
『この国に君の居場所がないのなら、私の国に来るといい』
ルドゥイーブは、真っ直ぐルドヴィカを見つめて言った。精悍な顔立ちが笑みを浮かべると妖艶にも見える。ルドゥイーブには、人を惑わせる素養があるのだろう。
『貴方、何か思い出したの?』
『貴様、記憶が戻ったのだな。今すぐ身分を明かすんだ。なんのためにここに来た』
アーチーが剣の柄に手を掛けたのが気配でわかった。すでにルドヴィカの横に並び立ち警戒を深めている。
その時だった。
「ん?熊かな?」
窓辺に立って三人の会話に耳を傾けていた老司祭が言った。
「熊ですって!?」
それはまるで、ルドゥイーブが現れた時のようだ。
「外にウォルターとゲンズブールがいるわ」
アーチーも同じことを考えたのか、ルドゥイーブから視線を外して窓を見た。
ルドヴィカは椅子から立ち上がった。そのまま老司祭の隣に駆け寄り、窓の外を確かめた。
アーチーもルドヴィカの後を追い、背中が触れるほどピタリと寄り添って、同じように窓の外を見た。
外には大粒の雪が降っていた。真っ白な雪が覆うところに、絶え間なく雪が舞い降りる。
その隙間から黒くうごめくものが見えた。暗い焦げ茶色に見覚えがあった。それはまるで、ルドゥイーブが被っていた、あの毛皮とそっくりだった。
「いけない、熊だわ、ウォルターたちが危ないわ」
そこでルドヴィカに絶望を抱かせたのは、黒い影がもう一つ見えたことだった。
「なんだあれは、何頭いるんだ」
アーチーの言葉の通りだった。
雪の中に、熊とおぼしき焦げ茶の塊が、一つ、二つ、三つと増えた。
それは雪を掻き分けこちらに近づいてくるものの、深い雪に阻まれてスピードは然程速くない。そう思ったときにバタバタと音がして、ウォルターとゲンズブールが駆け込んで来た。
窓を覆う雪に部屋の中は更に薄暗くなり、とうとうランプを灯すほどになった。
ゲンズブールが、一旦雪の具合を確かめてくると言って、外に出て行った。
ルドヴィカは教会の外には一歩も出たことはなかったから、周囲がどうなっているのかも、教会の外観すら見たことがない。窓から見える景色だけが、ルドヴィカの知ることだった。
「不味いな」
そう呟いたのはアーチーだった。
「どうしたの?何が不味いの?」
「今日は馬車は来ないでしょう」
「それは麓からの?」
アーチーは小さく頷いた。
ルドゥイーブを移送するために麓から馬車が来る予定だった。それが大幅に時間が遅れていることには、ルドヴィカも気がついていた。
アーチーは、ちらりとルドゥイーブへ視線を移した。ルドゥイーブは、そんなアーチーを琥珀色の瞳で見つめ返した。
彼にしてみれば、ここにいても関所に移されても、捕らわれていることに変わりはない。ここにいるほうが幾分はマシという程度だろう。
「それでは、彼は今日は移送されないということなのね?」
「雪の積もり具合によりますが、恐らくは。除雪が追いつけば、或いは今日中に移すこともあるかもしれません」
そこでウォルターが、「ゲンズブールを加勢する」と言った。どうやらゲンズブールは、馬車が入る通路の除雪をし始めたようだった。遠くに聞き慣れた雪を掻く音が聞こえていた。
「司祭殿、ルドヴィカ様をお頼みいたします」
ウォルターは、そう老司祭に頼んだ。
ルドヴィカは、どちらかといえば自分のほうこそ老司祭を守る気でいたから、ウォルターが彼を頼りにしたことを心外だと思った。
「お任せください」
ええ?任せてよいの?
ルドヴィカは老司祭が適当に調子を合わせているのかと些か呆れたが、ここにはアーチーがいるし、ルドゥイーブは病み上がりのうえ拘束されているから、さして不安はなかった。
それに、ルドゥイーブからはルドヴィカを害する気配は伺えず、彼はそれなりの身分がある旅人なのかと思えていた。
ルドヴィカは、ベッド脇の椅子に腰掛けており、その後ろにアーチーが控えていた。
老司祭は窓辺にいて外の様子を眺めており、ウォルターが出て行った室内には、雪を掻く音だけが小さく聞こえていた。
『貴方は麓に移されますが、そのことはもうお聞きになっておられますか?』
ルドヴィカが尋ねると、ルドゥイーブは頷いた。
『司祭から聞いた』
落ち着いて答える様子には、移送先で自身がどうなるのかと不安そうな様子は見えない。
『申し訳ないのですが、私はこの後、貴方がどう扱われるのかわからないのです』
『それは止むを得ないことだろう』
『乱暴な扱いのないように、頼んでみます』
「ルドヴィカ様、それ以上は話してはなりません」
アーチーに止められて、ルドヴィカも行き過ぎた言動だったと口を噤んだ。
そこで話題を変えたのは、ルドゥイーブだった。
『君は優しいのだな』
『優しいのではなくて、世間知らずなだけです』
こんな異国の不審者と接触する姿をマクシミリアンが見たなら、きっと叱られてしまうだろう。無茶をするなと言う声が聞こえるような気がした。
『何か思い出せましたか?』
『どうだろう』
『それはどういう?』
彼は記憶がないと言ったが、断片的にでも思い出したのだろうか。
『なるべく早く、母国へ戻れることを祈っております』
ルドゥイーブに犯罪の意図が認められなければ、いずれは国外に出されるのだろうか。彼はとても悪人には見えず、高貴な身分であるのが言葉にも仕草にも見て取れる。
『ご家族は、きっと今頃、心配していることでしょう』
『ああ、そうだろうな』
ルドゥイーブには、心配してくれる家族がいるのだろう。ルドヴィカは、ふと生家の両親を思い浮かべた。
寝間着に裸足で冬の夜に移送された娘のことを、きっと案じているだろう。咎人ではないのに、まるで追放されたような扱いに、母は嘆いているのではないか。
『君はなぜここにいる?』
『貴様の質問は認めない』
ルドゥイーブは質問をしてきたが、すぐにアーチーに止められてしまった。
『追放されましたの』
「ルドヴィカ様、そんなことでは」「いいのよ、アーチー」
『それはなぜ?』
『私がいては困ることが起こったからです』
マクシミリアンの正妃を望む姫君のために、ルドヴィカは王都を追われた。
アーチーは、尚も何かを言おうとしたが、ルドヴィカはそれを手の平で制した。
『君はこれからどうするんだ?』
『わかりません』
『わからないのか?』
『ええ。自分のことすらわからない、不甲斐ない身なのです』
「ルドヴィカ様、それくらいになさってください」
アーチーは、そんな不甲斐ないルドヴィカに付き合わされている気の毒な人物だ。見張りとはいえ、ルドヴィカに親身になって寄り添ってくれる。
『私の国に来ないか?』
『え?』
『この国に君の居場所がないのなら、私の国に来るといい』
ルドゥイーブは、真っ直ぐルドヴィカを見つめて言った。精悍な顔立ちが笑みを浮かべると妖艶にも見える。ルドゥイーブには、人を惑わせる素養があるのだろう。
『貴方、何か思い出したの?』
『貴様、記憶が戻ったのだな。今すぐ身分を明かすんだ。なんのためにここに来た』
アーチーが剣の柄に手を掛けたのが気配でわかった。すでにルドヴィカの横に並び立ち警戒を深めている。
その時だった。
「ん?熊かな?」
窓辺に立って三人の会話に耳を傾けていた老司祭が言った。
「熊ですって!?」
それはまるで、ルドゥイーブが現れた時のようだ。
「外にウォルターとゲンズブールがいるわ」
アーチーも同じことを考えたのか、ルドゥイーブから視線を外して窓を見た。
ルドヴィカは椅子から立ち上がった。そのまま老司祭の隣に駆け寄り、窓の外を確かめた。
アーチーもルドヴィカの後を追い、背中が触れるほどピタリと寄り添って、同じように窓の外を見た。
外には大粒の雪が降っていた。真っ白な雪が覆うところに、絶え間なく雪が舞い降りる。
その隙間から黒くうごめくものが見えた。暗い焦げ茶色に見覚えがあった。それはまるで、ルドゥイーブが被っていた、あの毛皮とそっくりだった。
「いけない、熊だわ、ウォルターたちが危ないわ」
そこでルドヴィカに絶望を抱かせたのは、黒い影がもう一つ見えたことだった。
「なんだあれは、何頭いるんだ」
アーチーの言葉の通りだった。
雪の中に、熊とおぼしき焦げ茶の塊が、一つ、二つ、三つと増えた。
それは雪を掻き分けこちらに近づいてくるものの、深い雪に阻まれてスピードは然程速くない。そう思ったときにバタバタと音がして、ウォルターとゲンズブールが駆け込んで来た。
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