幽閉妃ルドヴィカ

桃井すもも

文字の大きさ
22 / 42

第二十二章

しおりを挟む
 雪は止むことを忘れたように、尚も降り続いていた。
 窓を覆う雪に部屋の中は更に薄暗くなり、とうとうランプを灯すほどになった。

 ゲンズブールが、一旦雪の具合を確かめてくると言って、外に出て行った。
 ルドヴィカは教会の外には一歩も出たことはなかったから、周囲がどうなっているのかも、教会の外観すら見たことがない。窓から見える景色だけが、ルドヴィカの知ることだった。

「不味いな」

 そう呟いたのはアーチーだった。

「どうしたの?何が不味いの?」
「今日は馬車は来ないでしょう」
「それは麓からの?」

 アーチーは小さく頷いた。
 ルドゥイーブを移送するために麓から馬車が来る予定だった。それが大幅に時間が遅れていることには、ルドヴィカも気がついていた。

 アーチーは、ちらりとルドゥイーブへ視線を移した。ルドゥイーブは、そんなアーチーを琥珀色の瞳で見つめ返した。

 彼にしてみれば、ここにいても関所に移されても、捕らわれていることに変わりはない。ここにいるほうが幾分はマシという程度だろう。

「それでは、彼は今日は移送されないということなのね?」
「雪の積もり具合によりますが、恐らくは。除雪が追いつけば、或いは今日中に移すこともあるかもしれません」

 そこでウォルターが、「ゲンズブールを加勢する」と言った。どうやらゲンズブールは、馬車が入る通路の除雪をし始めたようだった。遠くに聞き慣れた雪を掻く音が聞こえていた。

「司祭殿、ルドヴィカ様をお頼みいたします」

 ウォルターは、そう老司祭に頼んだ。
 ルドヴィカは、どちらかといえば自分のほうこそ老司祭を守る気でいたから、ウォルターが彼を頼りにしたことを心外だと思った。

「お任せください」

 ええ?任せてよいの?

 ルドヴィカは老司祭が適当に調子を合わせているのかと些か呆れたが、ここにはアーチーがいるし、ルドゥイーブは病み上がりのうえ拘束されているから、さして不安はなかった。

 それに、ルドゥイーブからはルドヴィカを害する気配は伺えず、彼はそれなりの身分がある旅人なのかと思えていた。

 ルドヴィカは、ベッド脇の椅子に腰掛けており、その後ろにアーチーが控えていた。
 老司祭は窓辺にいて外の様子を眺めており、ウォルターが出て行った室内には、雪を掻く音だけが小さく聞こえていた。

『貴方は麓に移されますが、そのことはもうお聞きになっておられますか?』

 ルドヴィカが尋ねると、ルドゥイーブは頷いた。

『司祭から聞いた』

 落ち着いて答える様子には、移送先で自身がどうなるのかと不安そうな様子は見えない。

『申し訳ないのですが、私はこの後、貴方がどう扱われるのかわからないのです』
『それは止むを得ないことだろう』
『乱暴な扱いのないように、頼んでみます』

「ルドヴィカ様、それ以上は話してはなりません」

 アーチーに止められて、ルドヴィカも行き過ぎた言動だったと口をつぐんだ。
 そこで話題を変えたのは、ルドゥイーブだった。

『君は優しいのだな』
『優しいのではなくて、世間知らずなだけです』

 こんな異国の不審者と接触する姿をマクシミリアンが見たなら、きっと叱られてしまうだろう。無茶をするなと言う声が聞こえるような気がした。

『何か思い出せましたか?』
『どうだろう』
『それはどういう?』

 彼は記憶がないと言ったが、断片的にでも思い出したのだろうか。

『なるべく早く、母国へ戻れることを祈っております』

 ルドゥイーブに犯罪の意図が認められなければ、いずれは国外に出されるのだろうか。彼はとても悪人には見えず、高貴な身分であるのが言葉にも仕草にも見て取れる。

『ご家族は、きっと今頃、心配していることでしょう』
『ああ、そうだろうな』

 ルドゥイーブには、心配してくれる家族がいるのだろう。ルドヴィカは、ふと生家の両親を思い浮かべた。

 寝間着に裸足で冬の夜に移送された娘のことを、きっと案じているだろう。咎人ではないのに、まるで追放されたような扱いに、母は嘆いているのではないか。

『君はなぜここにいる?』
『貴様の質問は認めない』

 ルドゥイーブは質問をしてきたが、すぐにアーチーに止められてしまった。

『追放されましたの』

「ルドヴィカ様、そんなことでは」「いいのよ、アーチー」

『それはなぜ?』
『私がいては困ることが起こったからです』

 マクシミリアンの正妃を望む姫君のために、ルドヴィカは王都を追われた。

 アーチーは、尚も何かを言おうとしたが、ルドヴィカはそれを手の平で制した。

『君はこれからどうするんだ?』
『わかりません』
『わからないのか?』
『ええ。自分のことすらわからない、不甲斐ない身なのです』

「ルドヴィカ様、それくらいになさってください」

 アーチーは、そんな不甲斐ないルドヴィカに付き合わされている気の毒な人物だ。見張りとはいえ、ルドヴィカに親身になって寄り添ってくれる。

『私の国に来ないか?』
『え?』
『この国に君の居場所がないのなら、私の国に来るといい』

 ルドゥイーブは、真っ直ぐルドヴィカを見つめて言った。精悍な顔立ちが笑みを浮かべると妖艶にも見える。ルドゥイーブには、人を惑わせる素養があるのだろう。

『貴方、何か思い出したの?』
『貴様、記憶が戻ったのだな。今すぐ身分を明かすんだ。なんのためにここに来た』

 アーチーが剣の柄に手を掛けたのが気配でわかった。すでにルドヴィカの横に並び立ち警戒を深めている。

 その時だった。

「ん?熊かな?」

 窓辺に立って三人の会話に耳を傾けていた老司祭が言った。

「熊ですって!?」

 それはまるで、ルドゥイーブが現れた時のようだ。

「外にウォルターとゲンズブールがいるわ」

 アーチーも同じことを考えたのか、ルドゥイーブから視線を外して窓を見た。

 ルドヴィカは椅子から立ち上がった。そのまま老司祭の隣に駆け寄り、窓の外を確かめた。
 アーチーもルドヴィカの後を追い、背中が触れるほどピタリと寄り添って、同じように窓の外を見た。

 外には大粒の雪が降っていた。真っ白な雪が覆うところに、絶え間なく雪が舞い降りる。
 その隙間から黒くうごめくものが見えた。暗い焦げ茶色に見覚えがあった。それはまるで、ルドゥイーブが被っていた、あの毛皮とそっくりだった。

「いけない、熊だわ、ウォルターたちが危ないわ」

 そこでルドヴィカに絶望を抱かせたのは、黒い影がもう一つ見えたことだった。

「なんだあれは、何頭いるんだ」

 アーチーの言葉の通りだった。
 雪の中に、熊とおぼしき焦げ茶の塊が、一つ、二つ、三つと増えた。

 それは雪を掻き分けこちらに近づいてくるものの、深い雪に阻まれてスピードは然程速くない。そう思ったときにバタバタと音がして、ウォルターとゲンズブールが駆け込んで来た。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi(がっち)
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

そんなに妹が好きなら死んであげます。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』 フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。 それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。 そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。 イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。 異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。 何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...