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第二十三章
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「ウォルター、ゲンズブール、無事だったのね!」
頭も肩にも雪を積もらせた二人が、手の平で雪をはたき落としながらこちらに来た。
「あれを見たのだな?」
アーチーの質問に、二人は同時に頷いた。
「何頭いたか確認できたか?」
「恐らく、五頭か六頭、いや、もっといたかもしれません」
「この山にそんなに熊がいたのか?そもそも熊は子連れでなければ集団になんてならないだろう」
アーチーとウォルターの会話を聞いて、ルドヴィカは心底恐ろしくなった。
ルドヴィカは本物の熊なんて見たことがない。二日前に熊だと思ったのは、ルドゥイーブが擬態していたものだ。
まさか、そうルドヴィカが思い浮かべたことは、同時にその場にいた者たち全てが考えたことだった。
『貴様、逃亡者か?追われているのか?』
アーチーが、ルドゥイーブに詰問した。だが彼は、何も答えなかった。
『それとも、貴様がここに呼んだのか』
二度目の問いにもルドゥイーブは、思考の見えない顔をして、口を開くことはしなかった。
ルドヴィカは、ルドゥイーブがここへ姿を現したときのことを思い浮かべていた。彼はここが教会だとわかって、もしかしたら一夜の宿を頼むつもりで訪れたのかもしれない。
仮に、脱走者であれば雪に穴を掘ってでも身を隠したのだろう。だが、彼はあのとき発熱していた。ここに来てから間もなく意識を手放すほどの高熱に苛まれていた。
『ルドゥイーブ様、貴方、逃げてきたの?』
熊らしき軍団が人なのか獣なのかもわからぬうちに、ルドヴィカはルドゥイーブが脱走者なのではないかと考えていた。
だが、アーチーはそうではなかった。
『貴様、もしやここにルドヴィカ様が滞在していると知った上で来たのではないのか』
そう言うと、アーチーは腰から剣を引き抜いた。
「アーチー!」
「私から離れてはなりません」
アーチーは、その背中にルドヴィカを隠すと、ルドゥイーブに向けて剣を構えた。ベッドサイドに片手を繋がれ、半身だけ身を起こしている状態の彼に、明らかな殺気を放った。
それがあまりに凄まじく、ルドヴィカはアーチーの背中に隠されながら、ピリピリとしたものを痛みとして感じた。
「アーチー殿、窓から下がられよ。来ますぞ」
ウォルターの言葉に、アーチーがルドヴィカを腰から持ち上げた。右手に剣を持ち、左腕でルドヴィカを抱え上げて、素早く部屋の奥に駆けた。
ここは古い教会で、外壁も内部も木造である。要塞でも砦でもないから、堅牢な装備もなければ建物を覆う塀もない。
侵入を阻むには、あまりに脆弱な造りであった。
アーチーに抱き上げられたことで、ルドヴィカの視界が高くなった。小柄なルドヴィカには見えなかった、外の風景が窓から見えた。
「ルドヴィカ様、掴まってください」
そう言われて、アーチーの首に両腕を回してしがみついた。だが、視線は窓から離すことはできなかった。
焦げ茶の物体が、もぞもぞとうごめくのが見えていた。三つや四つどころではないその数を、数えようとしてできなかった。
思考を落ち着かせて、正しく把握しなければと焦る気持ちを奮い立たせてようやく、いち、に、さん、と数をする。
数える先から、じりじりとうごめく焦げ茶の塊が、確実にこちらに近づいてくる。
「大丈夫です。何があろうと貴女だけはお護りする。そう誓って私はここにいるのです」
「アーチーっ」
ごめんなさい、と胸の内でアーチーに詫びた。彼は本来なら今頃は、王城にいたはずである。それを、ルドヴィカを見張るために護衛とされたのに、自身の命まで懸けようとしている。
「アーチー、大丈夫です。恥ずかしい最期にはしませんから」
「何を言っているんですか」
「守り刀は今もここに」
ルドヴィカは、そう言って太腿をさすって見せた。
マクシミリアンの妃になったときに、小刀を授けられていた。それは王族の身分を証明する特別なもので、マクシミリアンの瞳と同じサファイアが嵌められている。
勿論それは、護身用でもある。
護るのは、当然我が身である。我が身と、その名誉である。王太子妃は、身を汚されることなど許されない。有事の際には、守り刀は自決の道具となる。
ルドヴィカは、王城から追い出されたあの夜も、太腿に守り刀を忍ばせていた。それが一人寝する夜の習慣だった。
「早まってはなりません。そんなことは殿下は望んでおられません」
あの熊を擬態した集団が、密入国した破落戸、若しくは武闘集団であるなら、女人のルドヴィカが捕らえられた後に辿る運命は、死より惨たらしいものだろう。
衣服を纏わぬ剥き出しの首を切るのが、最も早く確実だろう。ルドヴィカはそれほど握力はないから、厚着をした衣服から胸を突くのも腹を裂くのも、相当苦労しそうである。
アーチーの腕の中で、ルドヴィカは死に方を考えた。その心中を読んだように、アーチーがルドヴィカを抱き上げる腕に力を込めた。
「ルドヴィカ様。屋敷にお戻りください。ランプは持たず、壁を伝ってできるだけ早足で歩くのです」
「アーチー、」
「貴女は殿下の宝なんだ」
「アーチーっ」
ルドヴィカは、思わずアーチーの首元に顔を埋めた。アーチーから、マクシミリアンに似た香りがしたことに胸に痛みを覚えた。
「登る時には階段から落ちないように気をつけて。出来ますね?ルドヴィカ様」
「貴方を置いてなんて行けないわ」
アーチーだけではない。ウォルターも老司祭もゲンズブールも。それに、ルドゥイーブだって、彼らの味方が敵かもわからない。
「貴女のためなら、たとえ何があろうとこれほどの誉れはありません。きっと殿下は、誉めてくださるでしょう」
「そんなこと、あるわけないじゃない。貴方を失うなんてそんなこと、マクシミリアン様が望むわけがないじゃない」
「大丈夫です。私はそうそう負けはしませんから」
アーチーはそう言って、目を細めて微笑んだ。
「必ず、後を追います。屋敷に戻ったなら、井戸から出る前に周囲をよく確かめてから外に出てください。あ奴らの仲間が屋敷にいないとは限らない。井戸のそばには必ずビクターかティムズが貴女の帰りを待っている」
何も心配いらないと言って、アーチーはルドヴィカを床に降ろした。
同時に、少し離れたところから破壊音が聞こえた。そこは多分、教会の応接室の扉で、焦げ茶の塊に見えたのはやはり獣の皮を被った人間なのだろう。
物々しい音を立てて扉を破壊した彼らが、暖を求めて訪れた旅人などではないことはルドヴィカにもわかった。
頭も肩にも雪を積もらせた二人が、手の平で雪をはたき落としながらこちらに来た。
「あれを見たのだな?」
アーチーの質問に、二人は同時に頷いた。
「何頭いたか確認できたか?」
「恐らく、五頭か六頭、いや、もっといたかもしれません」
「この山にそんなに熊がいたのか?そもそも熊は子連れでなければ集団になんてならないだろう」
アーチーとウォルターの会話を聞いて、ルドヴィカは心底恐ろしくなった。
ルドヴィカは本物の熊なんて見たことがない。二日前に熊だと思ったのは、ルドゥイーブが擬態していたものだ。
まさか、そうルドヴィカが思い浮かべたことは、同時にその場にいた者たち全てが考えたことだった。
『貴様、逃亡者か?追われているのか?』
アーチーが、ルドゥイーブに詰問した。だが彼は、何も答えなかった。
『それとも、貴様がここに呼んだのか』
二度目の問いにもルドゥイーブは、思考の見えない顔をして、口を開くことはしなかった。
ルドヴィカは、ルドゥイーブがここへ姿を現したときのことを思い浮かべていた。彼はここが教会だとわかって、もしかしたら一夜の宿を頼むつもりで訪れたのかもしれない。
仮に、脱走者であれば雪に穴を掘ってでも身を隠したのだろう。だが、彼はあのとき発熱していた。ここに来てから間もなく意識を手放すほどの高熱に苛まれていた。
『ルドゥイーブ様、貴方、逃げてきたの?』
熊らしき軍団が人なのか獣なのかもわからぬうちに、ルドヴィカはルドゥイーブが脱走者なのではないかと考えていた。
だが、アーチーはそうではなかった。
『貴様、もしやここにルドヴィカ様が滞在していると知った上で来たのではないのか』
そう言うと、アーチーは腰から剣を引き抜いた。
「アーチー!」
「私から離れてはなりません」
アーチーは、その背中にルドヴィカを隠すと、ルドゥイーブに向けて剣を構えた。ベッドサイドに片手を繋がれ、半身だけ身を起こしている状態の彼に、明らかな殺気を放った。
それがあまりに凄まじく、ルドヴィカはアーチーの背中に隠されながら、ピリピリとしたものを痛みとして感じた。
「アーチー殿、窓から下がられよ。来ますぞ」
ウォルターの言葉に、アーチーがルドヴィカを腰から持ち上げた。右手に剣を持ち、左腕でルドヴィカを抱え上げて、素早く部屋の奥に駆けた。
ここは古い教会で、外壁も内部も木造である。要塞でも砦でもないから、堅牢な装備もなければ建物を覆う塀もない。
侵入を阻むには、あまりに脆弱な造りであった。
アーチーに抱き上げられたことで、ルドヴィカの視界が高くなった。小柄なルドヴィカには見えなかった、外の風景が窓から見えた。
「ルドヴィカ様、掴まってください」
そう言われて、アーチーの首に両腕を回してしがみついた。だが、視線は窓から離すことはできなかった。
焦げ茶の物体が、もぞもぞとうごめくのが見えていた。三つや四つどころではないその数を、数えようとしてできなかった。
思考を落ち着かせて、正しく把握しなければと焦る気持ちを奮い立たせてようやく、いち、に、さん、と数をする。
数える先から、じりじりとうごめく焦げ茶の塊が、確実にこちらに近づいてくる。
「大丈夫です。何があろうと貴女だけはお護りする。そう誓って私はここにいるのです」
「アーチーっ」
ごめんなさい、と胸の内でアーチーに詫びた。彼は本来なら今頃は、王城にいたはずである。それを、ルドヴィカを見張るために護衛とされたのに、自身の命まで懸けようとしている。
「アーチー、大丈夫です。恥ずかしい最期にはしませんから」
「何を言っているんですか」
「守り刀は今もここに」
ルドヴィカは、そう言って太腿をさすって見せた。
マクシミリアンの妃になったときに、小刀を授けられていた。それは王族の身分を証明する特別なもので、マクシミリアンの瞳と同じサファイアが嵌められている。
勿論それは、護身用でもある。
護るのは、当然我が身である。我が身と、その名誉である。王太子妃は、身を汚されることなど許されない。有事の際には、守り刀は自決の道具となる。
ルドヴィカは、王城から追い出されたあの夜も、太腿に守り刀を忍ばせていた。それが一人寝する夜の習慣だった。
「早まってはなりません。そんなことは殿下は望んでおられません」
あの熊を擬態した集団が、密入国した破落戸、若しくは武闘集団であるなら、女人のルドヴィカが捕らえられた後に辿る運命は、死より惨たらしいものだろう。
衣服を纏わぬ剥き出しの首を切るのが、最も早く確実だろう。ルドヴィカはそれほど握力はないから、厚着をした衣服から胸を突くのも腹を裂くのも、相当苦労しそうである。
アーチーの腕の中で、ルドヴィカは死に方を考えた。その心中を読んだように、アーチーがルドヴィカを抱き上げる腕に力を込めた。
「ルドヴィカ様。屋敷にお戻りください。ランプは持たず、壁を伝ってできるだけ早足で歩くのです」
「アーチー、」
「貴女は殿下の宝なんだ」
「アーチーっ」
ルドヴィカは、思わずアーチーの首元に顔を埋めた。アーチーから、マクシミリアンに似た香りがしたことに胸に痛みを覚えた。
「登る時には階段から落ちないように気をつけて。出来ますね?ルドヴィカ様」
「貴方を置いてなんて行けないわ」
アーチーだけではない。ウォルターも老司祭もゲンズブールも。それに、ルドゥイーブだって、彼らの味方が敵かもわからない。
「貴女のためなら、たとえ何があろうとこれほどの誉れはありません。きっと殿下は、誉めてくださるでしょう」
「そんなこと、あるわけないじゃない。貴方を失うなんてそんなこと、マクシミリアン様が望むわけがないじゃない」
「大丈夫です。私はそうそう負けはしませんから」
アーチーはそう言って、目を細めて微笑んだ。
「必ず、後を追います。屋敷に戻ったなら、井戸から出る前に周囲をよく確かめてから外に出てください。あ奴らの仲間が屋敷にいないとは限らない。井戸のそばには必ずビクターかティムズが貴女の帰りを待っている」
何も心配いらないと言って、アーチーはルドヴィカを床に降ろした。
同時に、少し離れたところから破壊音が聞こえた。そこは多分、教会の応接室の扉で、焦げ茶の塊に見えたのはやはり獣の皮を被った人間なのだろう。
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