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第三十四章
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『ルドヴィカは、本当に可愛いな』
目を大きく見開いたルドヴィカに、ラィードはおおよそ囚われの身らしからぬことを言った。途端に、背後に立つアーチボルトが、剣の柄を握る音が小さく聞こえた。
『その言葉は認めよう。私の最愛は確かに可愛らしい』
ルドヴィカは、ええ?と思わず夫を見上げた。
マクシミリアンはそんなデレたことを人前でなんて言わない人だ。なのに夫は、ラィードの無礼発言に乗っかって咎めることはしなかった。
しかし隣に座るルドヴィカから見えたその拳は、ぎゅっと握り締められていた。
『君の国から使者が遣わされた日に、てっきり鼠も一緒に我が王城に入り込んだと思わされた。彼は君が情報収集に放った部下だろう』
「鼠?」
「当初我らは、君を狙う刺客と考えた。それで君の移送を急いだ」
眉を潜めたルドヴィカに、マクシミリアンは説明した。あの真夜中の出来事は、ルドヴィカが狙われていると判断してのことだったのか。
「物事の全貌は見えず、なにより急を要することだった。だから君にアーチボルトを付けた。君の情報を伏せるために、帯同する人員は限られていたから、最も信頼できる人間に絞った」
マクシミリアンは誰よりもアーチボルトを信頼してルドヴィカを託してくれたのだろう。その信頼通り、彼は自身も王族でありながら、最後までルドヴィカを護った。
あの教会でルドヴィカを逃がすときにも、アーチボルトは笑みを浮かべて、一人逃げるルドヴィカが不安にならずに済むようにと心を砕いてくれたのだった。
『すっかり揺動されてしまった。だが、妻をここに移したのは正解だったよ』
マクシミリアンは、ラィードに向き直って言った。
『君がここまで妻を追うとはね。寒いのは苦手だろう?』
北と南の王子が向き合い、歓談している。
こんな場面でなかったら、友好的な会談にも見える光景だった。会話は始終穏やかなもので、一見すれば和やかにさえ思える。
『君、文書の改竄が国際社会でまかり通ると本気で思ったのか?』
『まあ、ルドヴィカが正妃から降りれば結果は同じだからね。離縁してくれれば尚、良かった』
ラィードは鷹揚に答えた。
ルドヴィカは、初めからこの場にいたのだが、すでに話についていけなくなっていた。
なにがどうしてそうなったのか、マクシミリアンとラィードを交互に見ることしかできなかった。
「ルドヴィカ。彼はね、姫君の婚姻に関する文書を改竄したんだ」
「改竄?」
「南の大国は、姫君を側妃として縁談の申込みをしたんだ。それだって、受け入れ難い話だが、我が国に側妃制度があるのだから仕方がなかった。実に胸糞の悪い話だ」
ルドヴィカは、マクシミリアンからそんな汚い言葉を聞いたのは初めてのことだった。
「彼は、その『側妃』の部分を『正妃』と改竄した。此度の使節団は、彼の部隊で編成されていたからね。手を加えることができたんだろう」
「アイツが使節団を?部隊ってあの熊軍団のこと?」
ラィードを目の前にしても、ルドヴィカはアイツ呼ばわりがすっかり板についていた。
「てっきり、君を狙った刺客だと考えた。だが、どうやら違う意味での刺客だったらしい」
マクシミリアンは、ラィードを見据えたまま、戸惑うルドヴィカに打ち明けた。
「彼が君を狙っていたのは本当だ。だが、私欲でこんなことを引き起こすとは、流石に両国とも考えつかなかった」
「私欲ですって?」
それは妹姫を輿入れさせるために、邪魔なルドヴィカを排除しようとすることだったのか?
そうだとしたらラィードは、ほぼ成功する寸前だったろう。なにせ、あの教会でラィードを招き入れたのはルドヴィカ自身である。
「私ったら、すっかり騙されてしまったんですわ、このペテン師に」
ルドヴィカはラィードを睨みつけたが、彼はそれすら面白がるようだった。
そこでマクシミリアンは、ラィードに尋ねた。
『君は有能な軍師と聞いた。王太子を補佐する軍部の要だ。私の弟も同じであるからよくわかる。だからこそだよ』
そこまでは、ラィードは薄い笑みを消すことなくマクシミリアンを見ていた。
『教会に八人、地下通路に五人、この屋敷と敷地に十五人、雑木林に七人』
そこでラィードの表情に、微かな変化が見えた。
『君に帯同してきた騎士らだ。雑木林の中に取り残された者たちは、発熱と凍傷で酷い有り様だった。四肢に欠損を余儀なくされる者もいる。騎士としては、もう二度と剣を持てないだろう』
ラィードは目を伏せた。そこで彼はようやく若い青年らしい戸惑いが滲む姿を見せた。
『君の国は大陸きっての猛者揃いだ。恵まれた体躯に勇猛な気質、かつては血を好む民族だと恐れられた。それを文化的な国家として育てている国王から信頼されて預かった部隊だろう』
ラィードは、視線を伏せたままマクシミリアンの言葉を聞いている。
『我が国を侮ったか?北国を甘く見たか?君だって発熱しただろう。あれは君の国にはない病だから、さぞ辛かっただろう』
ラィードが罹患した病とは、王国では毎年冬になると流行する感冒であった。熱帯である南の大国にはない病だから、免疫がなかったのだろう。
如何に勇猛な騎士であっても病には勝てない。発熱した騎士たちを、雑木林の中に置いてこざるを得なかったにしても、日中も氷点下まで下がるこの地では、それだけで死を意味する。
『そんなに私の妻が欲しかったのか?』
ラィードが、そんな無謀な行軍を強行してまでルドヴィカを追ってきたことに、ルドヴィカは今更になって震え上がった。捕らえられたなら、どんな惨たらしい目に会っていただろう。
妹姫の婚礼ためにそこまでする?
ルドヴィカは、恐れ慄いたままラィードを見た。
目を大きく見開いたルドヴィカに、ラィードはおおよそ囚われの身らしからぬことを言った。途端に、背後に立つアーチボルトが、剣の柄を握る音が小さく聞こえた。
『その言葉は認めよう。私の最愛は確かに可愛らしい』
ルドヴィカは、ええ?と思わず夫を見上げた。
マクシミリアンはそんなデレたことを人前でなんて言わない人だ。なのに夫は、ラィードの無礼発言に乗っかって咎めることはしなかった。
しかし隣に座るルドヴィカから見えたその拳は、ぎゅっと握り締められていた。
『君の国から使者が遣わされた日に、てっきり鼠も一緒に我が王城に入り込んだと思わされた。彼は君が情報収集に放った部下だろう』
「鼠?」
「当初我らは、君を狙う刺客と考えた。それで君の移送を急いだ」
眉を潜めたルドヴィカに、マクシミリアンは説明した。あの真夜中の出来事は、ルドヴィカが狙われていると判断してのことだったのか。
「物事の全貌は見えず、なにより急を要することだった。だから君にアーチボルトを付けた。君の情報を伏せるために、帯同する人員は限られていたから、最も信頼できる人間に絞った」
マクシミリアンは誰よりもアーチボルトを信頼してルドヴィカを託してくれたのだろう。その信頼通り、彼は自身も王族でありながら、最後までルドヴィカを護った。
あの教会でルドヴィカを逃がすときにも、アーチボルトは笑みを浮かべて、一人逃げるルドヴィカが不安にならずに済むようにと心を砕いてくれたのだった。
『すっかり揺動されてしまった。だが、妻をここに移したのは正解だったよ』
マクシミリアンは、ラィードに向き直って言った。
『君がここまで妻を追うとはね。寒いのは苦手だろう?』
北と南の王子が向き合い、歓談している。
こんな場面でなかったら、友好的な会談にも見える光景だった。会話は始終穏やかなもので、一見すれば和やかにさえ思える。
『君、文書の改竄が国際社会でまかり通ると本気で思ったのか?』
『まあ、ルドヴィカが正妃から降りれば結果は同じだからね。離縁してくれれば尚、良かった』
ラィードは鷹揚に答えた。
ルドヴィカは、初めからこの場にいたのだが、すでに話についていけなくなっていた。
なにがどうしてそうなったのか、マクシミリアンとラィードを交互に見ることしかできなかった。
「ルドヴィカ。彼はね、姫君の婚姻に関する文書を改竄したんだ」
「改竄?」
「南の大国は、姫君を側妃として縁談の申込みをしたんだ。それだって、受け入れ難い話だが、我が国に側妃制度があるのだから仕方がなかった。実に胸糞の悪い話だ」
ルドヴィカは、マクシミリアンからそんな汚い言葉を聞いたのは初めてのことだった。
「彼は、その『側妃』の部分を『正妃』と改竄した。此度の使節団は、彼の部隊で編成されていたからね。手を加えることができたんだろう」
「アイツが使節団を?部隊ってあの熊軍団のこと?」
ラィードを目の前にしても、ルドヴィカはアイツ呼ばわりがすっかり板についていた。
「てっきり、君を狙った刺客だと考えた。だが、どうやら違う意味での刺客だったらしい」
マクシミリアンは、ラィードを見据えたまま、戸惑うルドヴィカに打ち明けた。
「彼が君を狙っていたのは本当だ。だが、私欲でこんなことを引き起こすとは、流石に両国とも考えつかなかった」
「私欲ですって?」
それは妹姫を輿入れさせるために、邪魔なルドヴィカを排除しようとすることだったのか?
そうだとしたらラィードは、ほぼ成功する寸前だったろう。なにせ、あの教会でラィードを招き入れたのはルドヴィカ自身である。
「私ったら、すっかり騙されてしまったんですわ、このペテン師に」
ルドヴィカはラィードを睨みつけたが、彼はそれすら面白がるようだった。
そこでマクシミリアンは、ラィードに尋ねた。
『君は有能な軍師と聞いた。王太子を補佐する軍部の要だ。私の弟も同じであるからよくわかる。だからこそだよ』
そこまでは、ラィードは薄い笑みを消すことなくマクシミリアンを見ていた。
『教会に八人、地下通路に五人、この屋敷と敷地に十五人、雑木林に七人』
そこでラィードの表情に、微かな変化が見えた。
『君に帯同してきた騎士らだ。雑木林の中に取り残された者たちは、発熱と凍傷で酷い有り様だった。四肢に欠損を余儀なくされる者もいる。騎士としては、もう二度と剣を持てないだろう』
ラィードは目を伏せた。そこで彼はようやく若い青年らしい戸惑いが滲む姿を見せた。
『君の国は大陸きっての猛者揃いだ。恵まれた体躯に勇猛な気質、かつては血を好む民族だと恐れられた。それを文化的な国家として育てている国王から信頼されて預かった部隊だろう』
ラィードは、視線を伏せたままマクシミリアンの言葉を聞いている。
『我が国を侮ったか?北国を甘く見たか?君だって発熱しただろう。あれは君の国にはない病だから、さぞ辛かっただろう』
ラィードが罹患した病とは、王国では毎年冬になると流行する感冒であった。熱帯である南の大国にはない病だから、免疫がなかったのだろう。
如何に勇猛な騎士であっても病には勝てない。発熱した騎士たちを、雑木林の中に置いてこざるを得なかったにしても、日中も氷点下まで下がるこの地では、それだけで死を意味する。
『そんなに私の妻が欲しかったのか?』
ラィードが、そんな無謀な行軍を強行してまでルドヴィカを追ってきたことに、ルドヴィカは今更になって震え上がった。捕らえられたなら、どんな惨たらしい目に会っていただろう。
妹姫の婚礼ためにそこまでする?
ルドヴィカは、恐れ慄いたままラィードを見た。
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