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「お、お早う御座います、イワン様。お待たせしてしまい申し訳ございません。」
「ああ、いやこちらこそ早朝から申し訳無かった。君のお父上とトーマスにも許可を得たくて、出仕なさる前に訪問してしまった。早馬で先触れを出したが文と同時に訪ってしまって、いや誠にお恥ずかしい。」
お互いペコペコしている内に朝餉が整ったらしく、折角だから一緒にどうかと云うことになった。
「クリスティナがクローム領を訪問するのであれば、是非とも私が一緒に同行して領地を案内して上げたいのです。無論、侍女も護衛も付けますので、お許し願えないかと慌てて訪問してしまいました。」
商談に長けているイワンらしく、謝罪まで清々しい。
結局、父も兄も遠縁とは云え異性同士の二人旅を許したのだから驚いた。
「クリスティナ。過去の事を禍根と思う必要は無い。真実は当事者達の胸の内だ。果たして高祖父達が仲違いしたのか定かではないのだ。離れて久しい血縁か何の縁がこうしてまみえた。行ってきたら良いだろう。男爵には私から文を出そう。クロームの大地を見てくると良い。」
父の言葉に背中を押されて、その日の午後には馬車の中にいたのである。
「王女殿下のお輿入れで忙しい身だとトーマスから聞いていた。実はあれから子爵邸で何度か晩餐に呼ばれていたのだが、君は暫く返って来ないと聞いて残念に思っていたんだ。王女殿下が無事に嫁がれて良かったよ。」
「ええ、本当に。お可愛らしい殿下がお輿入れされて、王城もすっかり寂しくなりました。
私もお仕えする先が変わりますし、こうしてお休みを頂戴して旅が出来るのも姫様のお輿入れあっての事です。有難いですわ。」
「新たな勤めが落ち着いたら、また食事に誘っても良いだろうか。」
「ええ、勿論ですわ。兄も一緒に。きっと喜びます。」
「あ、ああ、うん。そうだな、」
何だか隣に座る侍女も、向かいに座る護衛も苦い顔をしている。疲れたのだろうか。
「少し休憩致しましょうか?皆も疲れたのではなくて?」
クリスティナは侍女や護衛を休ませようと気遣うも、彼等は大丈夫です、進みましょうと譲らない。
仕方なくこのまま馬車を進める。
「この先が今夜の宿だ。馬にももう少し頑張ってもらおう。」
そうかそう云う事ならと、クリスティナも納得する。
夏至にはまだ遠いが、日の入りは驚く程遅くなった。宵を迎えるまでの夕暮れを楽しむには良い季節である。
北に向かっているから少しばかり冷えを感じるも、風は爽やかで心地良い。
遠くの空が茜に染まり始めた。
木々の影も地平線も色を濃くして来た。
空と大地のコントラストが美しい。
窓から外を眺めながら、生まれて初めて進む道の風景を目に焼き付けた。
気の所為だろうか。馬の嘶きが聴こえる。
他にも旅人がいるのかもしれない。
どうやらイワンも護衛もそれに気が付いたらしく、珍しく警戒する様な表情を浮かべている。
やはり馬の様だ。
蹄の音がする。随分急がせている様で、急ぎの文を届ける早馬であろうか。
蹄の音が近付いて来る。
護衛とイワンは、剣の鞘に手を掛けている。
隣に座る侍女が顔色を変えて、クリスティナも緊張を覚えた。
「そこの馬車、」
この声、真逆。
「そこの馬車、止まり給え、」
確かに声が聴こえて、クリスティナはその声音に覚えがあって、え、え、真逆と慌ててしまう。
「イワン様、馬車を止めて下さい。」
「いや、怪しい者かもしれない。」
「いえ、多分大丈夫です。」
「何?」
「多分、知り合いです。」
「何だって?!」
程なくして馬車は速度を落として道端に止まった。
護衛が先に扉を開けるタイミングを見計らっていると、
コンコンと窓を叩かれた。
「クリスティナ、居るか。」
「ローレン様?」
この数ヶ月、擦れ違うくらいしか会えなかった男が、窓の外にいる。
夕暮れが迫っているが、外は未だ明るさを残している。
クリスティナは、馬車の窓から外を覗けばやはりよく知る顔がこちらを覗き込んでいた。
「ローレン様!」
何故ここに?
どうやってここに?
窓から見るローレンの位置が高い。
真逆、馬に乗ってここまで来たの?
あの早馬の蹄は、ローレンが馬を走らせた蹄の音だったの?
クリスティナが混乱する内に、イワンと護衛は馬車から外へ出て行く。
慌ててクリスティナも後を追えば、ステップの前には既に手が差し伸べられていた。
貴方、こんな紳士な方ではなかった筈よ。
まるでエスコートでもする様な仕草で、ローレンはクリスティナに手を差し出す。
馬は護衛が手綱を引いている。
ローレンが差し出す掌に、クリスティナは手を添えた。途端にキュッと握られて、危うくステップを踏み外しそうになる。
けれども、どうやらそれを見越していたらしいローレンは、そのままクリスティナを抱き上げた。
深い森と麝香の香り、そこに今は汗と埃が混じっている。
持ち上げるように抱えられて、クリスティナはイワンや侍女の手前、恥ずかしさに赤面してしまった。
けれども次の瞬間、
「ローレン様!どうしたの?!怪我をされているわ!」
クリスティナは、ローレンの顔を見て冷静さを失ってしまった。
ローレンの口元は青く色を変えている。
馬車を止めた時のローレンは夕日を背にしていたから、陰になった表情からは分からなかった。
左の頬と口元は青痣を作って、口の端が切れているらしく赤いものが滲んでいる。
「ローレン様!何処で怪我を!大変!手当を!「大丈夫だ、クリスティナ」
幼子をあやす様に、ローレンはクリスティナを抱き締めた。
「ああ、いやこちらこそ早朝から申し訳無かった。君のお父上とトーマスにも許可を得たくて、出仕なさる前に訪問してしまった。早馬で先触れを出したが文と同時に訪ってしまって、いや誠にお恥ずかしい。」
お互いペコペコしている内に朝餉が整ったらしく、折角だから一緒にどうかと云うことになった。
「クリスティナがクローム領を訪問するのであれば、是非とも私が一緒に同行して領地を案内して上げたいのです。無論、侍女も護衛も付けますので、お許し願えないかと慌てて訪問してしまいました。」
商談に長けているイワンらしく、謝罪まで清々しい。
結局、父も兄も遠縁とは云え異性同士の二人旅を許したのだから驚いた。
「クリスティナ。過去の事を禍根と思う必要は無い。真実は当事者達の胸の内だ。果たして高祖父達が仲違いしたのか定かではないのだ。離れて久しい血縁か何の縁がこうしてまみえた。行ってきたら良いだろう。男爵には私から文を出そう。クロームの大地を見てくると良い。」
父の言葉に背中を押されて、その日の午後には馬車の中にいたのである。
「王女殿下のお輿入れで忙しい身だとトーマスから聞いていた。実はあれから子爵邸で何度か晩餐に呼ばれていたのだが、君は暫く返って来ないと聞いて残念に思っていたんだ。王女殿下が無事に嫁がれて良かったよ。」
「ええ、本当に。お可愛らしい殿下がお輿入れされて、王城もすっかり寂しくなりました。
私もお仕えする先が変わりますし、こうしてお休みを頂戴して旅が出来るのも姫様のお輿入れあっての事です。有難いですわ。」
「新たな勤めが落ち着いたら、また食事に誘っても良いだろうか。」
「ええ、勿論ですわ。兄も一緒に。きっと喜びます。」
「あ、ああ、うん。そうだな、」
何だか隣に座る侍女も、向かいに座る護衛も苦い顔をしている。疲れたのだろうか。
「少し休憩致しましょうか?皆も疲れたのではなくて?」
クリスティナは侍女や護衛を休ませようと気遣うも、彼等は大丈夫です、進みましょうと譲らない。
仕方なくこのまま馬車を進める。
「この先が今夜の宿だ。馬にももう少し頑張ってもらおう。」
そうかそう云う事ならと、クリスティナも納得する。
夏至にはまだ遠いが、日の入りは驚く程遅くなった。宵を迎えるまでの夕暮れを楽しむには良い季節である。
北に向かっているから少しばかり冷えを感じるも、風は爽やかで心地良い。
遠くの空が茜に染まり始めた。
木々の影も地平線も色を濃くして来た。
空と大地のコントラストが美しい。
窓から外を眺めながら、生まれて初めて進む道の風景を目に焼き付けた。
気の所為だろうか。馬の嘶きが聴こえる。
他にも旅人がいるのかもしれない。
どうやらイワンも護衛もそれに気が付いたらしく、珍しく警戒する様な表情を浮かべている。
やはり馬の様だ。
蹄の音がする。随分急がせている様で、急ぎの文を届ける早馬であろうか。
蹄の音が近付いて来る。
護衛とイワンは、剣の鞘に手を掛けている。
隣に座る侍女が顔色を変えて、クリスティナも緊張を覚えた。
「そこの馬車、」
この声、真逆。
「そこの馬車、止まり給え、」
確かに声が聴こえて、クリスティナはその声音に覚えがあって、え、え、真逆と慌ててしまう。
「イワン様、馬車を止めて下さい。」
「いや、怪しい者かもしれない。」
「いえ、多分大丈夫です。」
「何?」
「多分、知り合いです。」
「何だって?!」
程なくして馬車は速度を落として道端に止まった。
護衛が先に扉を開けるタイミングを見計らっていると、
コンコンと窓を叩かれた。
「クリスティナ、居るか。」
「ローレン様?」
この数ヶ月、擦れ違うくらいしか会えなかった男が、窓の外にいる。
夕暮れが迫っているが、外は未だ明るさを残している。
クリスティナは、馬車の窓から外を覗けばやはりよく知る顔がこちらを覗き込んでいた。
「ローレン様!」
何故ここに?
どうやってここに?
窓から見るローレンの位置が高い。
真逆、馬に乗ってここまで来たの?
あの早馬の蹄は、ローレンが馬を走らせた蹄の音だったの?
クリスティナが混乱する内に、イワンと護衛は馬車から外へ出て行く。
慌ててクリスティナも後を追えば、ステップの前には既に手が差し伸べられていた。
貴方、こんな紳士な方ではなかった筈よ。
まるでエスコートでもする様な仕草で、ローレンはクリスティナに手を差し出す。
馬は護衛が手綱を引いている。
ローレンが差し出す掌に、クリスティナは手を添えた。途端にキュッと握られて、危うくステップを踏み外しそうになる。
けれども、どうやらそれを見越していたらしいローレンは、そのままクリスティナを抱き上げた。
深い森と麝香の香り、そこに今は汗と埃が混じっている。
持ち上げるように抱えられて、クリスティナはイワンや侍女の手前、恥ずかしさに赤面してしまった。
けれども次の瞬間、
「ローレン様!どうしたの?!怪我をされているわ!」
クリスティナは、ローレンの顔を見て冷静さを失ってしまった。
ローレンの口元は青く色を変えている。
馬車を止めた時のローレンは夕日を背にしていたから、陰になった表情からは分からなかった。
左の頬と口元は青痣を作って、口の端が切れているらしく赤いものが滲んでいる。
「ローレン様!何処で怪我を!大変!手当を!「大丈夫だ、クリスティナ」
幼子をあやす様に、ローレンはクリスティナを抱き締めた。
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