サマードレスに憧れて 〜君の映画が撮りたくて〜

tommynya

文字の大きさ
3 / 29

第2章 ライトブルーの残像 ①

しおりを挟む
「真梨野!サークルの会議、始まるぞ!」

 サークル棟の映画研究会部室で先輩の声が響き、窓の外をぼんやり眺めていた俺は急いで席に着いた。夏の陽射しが窓から差し込み、古びた木製の机の上にまだらな光の模様を描く。教室の隅では扇風機がゆっくりと首を振り、汗ばんだ首筋に時折心地よい風を送ってくれる。

 映画サークルの夏休みプロジェクト企画会議。各自が撮影予定の作品について発表し、協力を仰ぐ場だ。俺も何か言わなければならないのに、頭の中はカナのことでいっぱいで、まともなプレゼン内容が固まっていない。

 昨夜も寝る前まで脚本を書いていたはずなのに、気づけばカナの横顔を思い浮かべ、ノートには殴り書きの名前だけが残されていた。

「次、真梨野、お前はどうする?」
 順番が回ってきて、俺は喉が締まる感覚に襲われる。部室の空気が急に重くなったような気がした。

「あー、俺は..……」
 サークルのメンバーの視線に押されながらも、練りに練った企画を発表することにした。

「フランス映画『サマードレス』のオマージュ作品を撮りたいんです」

「へぇ、また芸術系か」先輩が感心したように言う。
「お前らしいな」

「オマージュといっても、完全なコピーじゃなくて。日本の大学を舞台にした、夏の恋の物語……」

 言いながら、頭の中で映像が形を取り始める。高2の冬、部活の合宿中に足首を捻挫して一人映画館で見た『サマードレス』。あのライトブルーのドレスを纏った主人公が海辺から去るシーン。その映像が俺の心に刻み込まれ、孤独の中で救いになったような気がしていた。

「主演は?」先輩の質問が思考を中断させる。

「それが……」

 心臓が激しく鼓動する中、今こそ言うべき時だと決意した。

「工学部2年の奏多怜に頼もうと思ってます」
「奏多?あの写真サークルの?」
「はい」
「なぜ奏多?」
「他に代わりがいないからです...」

 それ以上の説明はできなかった。なぜカナにこだわるのか、自分でもうまく言葉にできない。あの透明感のある表情、静かな佇まい、時折見せる遠い目。それらが『サマードレス』の主人公と重なって見えるのだ。

「でも、奏多は演技経験あるのか?」
「いや、まだ声はかけていないです」

 サークルの部室が一瞬静まり返り、窓の外から蝉の声だけが聞こえてくる。

「お前、また変な勧誘するなよ」

 リョウがニヤニヤしながら言う。いつの間にか映画サークルにも顔を出すようになっていた。困ったことだが、俺の言動をいちいち茶化すのが趣味らしい。

「うるせぇ」

「まあ、本人が良ければいいんじゃない?」先輩が言った。
「ただ、演技経験のない人を主演に据えるのはリスクだぞ」

「わかってます。だけど、カナしかいないんです」

「カナ?」
「あ、奏多のことだ。あだ名」

 正確には俺だけがそう呼んでいるだけなのだが、そんなことは言えなかった。

「なるほど。親しいのか?」

 リョウが「全然」と口パクで言っているのが見えたので睨んでやる。こいつはカナと俺の距離感を知っていて、いつもからかってくるのだ。

「まぁ、頑張れよ」先輩は笑って次の人に話を振った。

 会議が終わると、俺はすぐにリョウのもとへ向かう。夕暮れの校舎の廊下は赤茶けた光に染まり、窓の外では部活帰りの学生たちが帰路を急いでいる。

「お前、いつからサークル来てんだよ」

「暇だからな」リョウは肩をすくめる。
「それに、お前がまたカナに絡むって聞いたし」

「誰に聞いたんだよ?」

「サークルの渡辺が言ってたんだ」
『あいつ、また変な妄想始めたぞ』って。

「勝手な事言うなよ...」
「それより、本当にカナに声かけるの?」
「うん」

「どこで?いつ?」
「今からでも部室に行ってみる」

「マジか」リョウの目が丸くなり、
「俺も行くわ」とテンション高めの様子。

「お前は来なくていい」
「なんで?見たいじゃん、告白現場」
「告白じゃねぇよ!映画の出演依頼だ」

「まぁまぁ」リョウは意味深に笑う。
「お前の熱い思いを、この目で見届けたいだけさ」

 結局、リョウも一緒に写真サークルの部室へ向かうことになった。廊下を歩きながら、緊張はピークに達する。足音が妙に響く。どんな言葉で誘えばいい?どう説明すれば納得してくれるだろう?頭の中でセリフを何度も練習した。

 写真サークルの部室のドアは半開きで、中から話し声が聞こえる。俺は軽くノックし、手の汗を急いでズボンでぬぐった。

「失礼します」

 中には数人の学生がいて、それぞれカメラをいじったり、パソコンで写真を編集したりしている。壁には学生たちが撮影した写真がびっしりと貼られ、風景や人物、動物など、日常の一瞬を切り取った美しいものばかりだ。

 そして、窓際の席で一人、カナがいた。夕日に照らされた横顔は、まるで青春映画のオープニングのようだった。黒縁眼鏡を掛け、画面を見つめる姿。細い指がマウスを操作するのに見とれ、一瞬言葉を失う。

「カナ」
 声をかけると、彼は少し驚いたように顔を上げた。

「真梨野先輩?」

 カナは静かに言う。相変わらず敬語だ。その言葉が妙に胸に刺さる。知り合って1年以上経つのに、まだ「先輩」と距離を置かれているのだ。

「ちょっといいか?話があるんだ」
「はい」

 カナは素直に立ち上がる。リョウは部室の入り口で待ち、妙にニヤニヤしているのが気になるが、今はそれどころではない。俺たちは廊下に出た。

「カナ」

 俺は一瞬、言葉に詰まる。初めて見る眼鏡姿は、いつもと違う魅力が溢れていた。また違う映画の構想が頭を駆け巡り始める。なぜ俳優を目指さないのか?素質ありすぎるだろう…。妄想の世界に入りそうになったが、慌てて正気に戻った。

「俺の映画に出てくれないか?」
「映画ですか?」
「そう。夏休みに撮る短編映画なんだ。フランス映画のオマージュで」
「僕……演技は全くしたことないです」

 カナは困惑したように眉を寄せるが、その表情さえも絵になる。

「大丈夫だ。セリフもそんなに多くない。存在感が大事なんだ」
「でも……」
「カナ、俺の映画に出てくれ!」

 思わず声が大きくなり、廊下に響いて顔が熱くなる。だが、もう引き返せない。

「ライトブルーのドレスを着る役なんだけど、本当に似合うと思うんだ!」

 カナの表情が一瞬固まる。先ほどまでの困惑とは違う、何かがひらめいたような複雑な表情だった。

「ドレス……ですか?」
「うん。『サマードレス』っていう映画のオマージュで...」

「嫌ですよ、先輩」カナはきっぱりと言った。「撮影ならいいですけど、出るのは無理です」
「え?」
「僕、カメラの後ろにいる方が得意なんで」

 彼の目に冷たさが宿る。それでも、その瞳の奥に何か別の感情が渦巻いているような気がした。怒りではなく、何か...恐れ?いや、もっと複雑なものだ。

「でも...」
「先輩、諦めて下さい」
 カナはそう言って、軽く会釈し、部室に戻っていった。

「振られたな」リョウが近づいてきて言う。
「映画の出演依頼だっての」

「同じようなもんだろ」リョウは笑いながら、
「それに、いきなりドレス着せるなんて言うからだよ」
「だって、あいつにはそれが似合うと思ったんだ」

 俺は正直に答える。カナの静かな佇まいが、俺の中のあの夏の光と重なる。あいつならスクリーンで輝けるはずだ。

「お前、いつも変わらないよな」
 リョウは呆れたように言ったが、その目は少し優しかった。
 夕暮れの廊下で、俺たちは立ち尽くす。窓から差し込む橙色の光が、廊下の床を染めていた。

「諦めるのか?」リョウが尋ねる。
「諦めるわけないだろ」
「やっぱりな」リョウは笑う。

「お前、昔から好きなものには異常に固執するよな。中学の時の写真コンテストといい...」
「あれは別だろ」

「同じだよ。結局、お前の『これしかない』っていう妄想だ」
「妄想じゃない」俺は少しムッとして言い返す。
「直感だよ。監督の直感」

「はいはい」リョウはさらに笑う。
「それで、次はどうするの?」
「考えておく」

 俺たちは工学寮に戻る道を歩き始めた。夏の夕暮れは長く、空はまだ明るい。けれど、木々の間に落ちる影は少しずつ濃くなっていく。カナのドレス姿を想像すると、胸がざわつく。

「なぁ、マリ」リョウが真面目な顔で言う。
「カナのこと、どう思ってんの?」
「どうって...映画に最適な俳優だよ」

「そうじゃなく」リョウは立ち止まる。
「個人的に、興味あるの?」
「は?何言ってんだよ」

「いや、お前、カナの話になると目の色変わるし」
「そんなことない」
「あるよ」リョウはまっすぐ俺の目を見た。
「『サマードレス』でも、主人公は恋をするんだろ?」

「それは...」
「お前、カナに恋してんじゃないの?」
「馬鹿言うな!」
 思わず声が大きくなり、通りがかりの学生が振り返る。

「俺はただ、映画を撮りたいだけなんだ」
「ふーん。でも、お前の性趣向がどうであれ、お前は俺の友達だぞ」

 リョウは悪戯に笑う。俺は返事をしなかった。食堂ではすでに夕食の準備が始まっていた。カレーの香りが漂っている。

「俺、先に飯食ってくるわ」リョウが言った。
「お前も来る?」
「いや、ちょっと考えごとがある」
「カナのこと?」
「うるせぇ」

 リョウは笑いながら食堂へ向かった。俺は自室に戻るつもりだったが、足が勝手にカナの部屋の前で止まってしまう。201号室。ドアの前で数分間、立ち尽くす。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

雨とマルコポーロ――恋が香る夜に

tommynya
BL
就活十連敗、心が折れかけていた雨の夜。駅前でうなだれていた凪に、傘を差し出したのは、まるでフランス映画から抜け出したような、美しい青年だった。「濡れてる人を見ると、紅茶を飲ませたくなるんだ」── 連れていかれたのは、裏通りにある静かなティーサロン・Salon de Thé ―「Minuit」真夜中の紅茶店。   「この紅茶は、夜飲めば少しだけ泣ける味なんだ」   花と果実とバニラが混ざる“マルコポーロ”の香りが、疲れた心にやさしく触れていく。 名前も知らないまま始まった、不思議な会話と心のぬくもり。   だが後日、彼が人気モデル“NOA”であることを知った凪は──。   雨と、夜気、香りと詩。そして紅茶が繋ぐ、ふたりの距離はじれったくも確かに近づいていく。 この恋はまだ名前を持たない。でも、確かに始まりかけている──。 ※10章で1幕終了という感じです!  11章からは攻め視点と、その後の甘すぎる日常です。  16章がグランドフィナーレという感じです☺︎ 星川 クレール 乃亜(攻め){ホシカワ クレール ノア} • 大学2年 20歳、仏文学専攻、身長182cm • 紅茶専門サロンで働くモデルの青年 • 美しい容姿と不思議な言葉遣い(詩的) • 1/4 フランスの血を引く • 香りと記憶に関する独自の感性を持つ • 一見、人に対して興味が薄いようなところがあるが、  凪には強めの、執着や保護欲を隠し持つ            ✖️ 長谷川 凪(受け){ハセガワ ナギ} • 大学4年 22歳 心理学専攻、身長175cm • 就活に疲れている • 華奢に見えるが、趣味は筋トレ • 腹筋は仕上がっている • 嫌な事があると雨に濡れがち • 真面目で素朴、努力家だが、自己肯定感が低め • 落ち込んでいたとき、乃亜の紅茶とことばに癒される • “名前も知らない相手”に心を救われ、また会いたいと思ってしまう ✴︎ 本文の詩は、ポール・ヴェルレーヌとジャック・プレヴェールの詩にインスパイアされた、完全オリジナルの創作です。引用は一切ないですが、彼らのロマンチックな雰囲気を感じてもらえたら嬉しいです。 ジャンル:青春BL・日常系 シリーズ名:「Minuit」詩的パラレル

雨の日は君と踊りたい 〜魂の半分を探して…切ない練習生BL〜

tommynya
BL
ワルシャワで「次世代のショパン」と呼ばれたレインは13歳でK-POPに出会い、16歳で来日。 芸術高校ピアノ科に通いながら、アイドル練習生生活をスタート。 高校1年の時、同じ事務所の舞踊科の先輩・レオと出会う。 彼の踊る姿は妖精のようで、幽玄の美の化身。 二人は似ていた。服装も雰囲気も何もかも――お互いに不思議な繋がりを感じる。 それは、まるで“もうひとりの自分”のようだった。 「人の魂は、時に半分に分かれて生まれてくる」 という祖母の言葉を思い出しながら、レオはレインを“魂の半分”だと感じはじめる。 レインもレオに特別な感情をいだき、その想いに戸惑う。 アイドル志望者として抱いてはいけない感情……。 ある日、事務所から新ユニットのデビューが決定。 メンバー選考は事務所内オーディション。 2人は練習に明け暮れるが、結果は意外な結末に――。 水のように透き通る音色と、風のように自由な舞い。 才能と感情が共鳴する、切なく眩しいローファンタジー青春BL。 魂の絆は、彼らをどこへ導くのか。 〈攻め〉    風間玲央(カザマレオ)20歳 大学1年生 180cm 実力とルックスの全てを持つイケメン。 高校時代からファンクラブがある。 天性のダンサーで昔からもう1人の自分「魂の半分」を探している。 特技「風の囁き」             × 〈受け〉    水沢玲音(ミズサワレイン)18歳 高校3年 175cm 絶対音感を持つ元天才ピアニスト。繊細で自信がない。 雨の音が好き。育ちが良く可愛い。レオに憧れている。 特技「水の記憶」

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

兄ちゃんの代わりでもいいから

甘野えいりん
BL
将来の夢もなく、ただ毎日を過ごしていた高校二年の青垣直汰。
 大学三年の教育実習生として来た尾原悠は、綺麗で、真面目で、少し不器用な──ほっておけない人だった。 
そんな悠が気になって仕方なく、気づけば恋にのめり込んでいく直汰。
 けれど悠には、直汰の兄に忘れられない想いがあって……。
 それでも直汰は、その兄の代わりでもいいと気持ちをぶつける。
 ふたりの距離が少しずつ縮まるにつれ、悠への想いはあふれて止まらない。
 悠の想いはまだ兄に向いたままなのか──。

【BL】正統派イケメンな幼馴染が僕だけに見せる顔が可愛いすぎる!

ひつじのめい
BL
αとΩの同性の両親を持つ相模 楓(さがみ かえで)は母似の容姿の為にΩと思われる事が多々あるが、説明するのが面倒くさいと放置した事でクラスメイトにはΩと認識されていたが楓のバース性はαである。  そんな楓が初恋を拗らせている相手はαの両親を持つ2つ年上の小野寺 翠(おのでら すい)だった。  翠に恋人が出来た時に気持ちも告げずに、接触を一切絶ちながらも、好みのタイプを観察しながら自分磨きに勤しんでいたが、実際は好みのタイプとは正反対の風貌へと自ら進んでいた。  実は翠も幼い頃の女の子の様な可愛い楓に心を惹かれていたのだった。  楓がΩだと信じていた翠は、自分の本当のバース性がβだと気づかれるのを恐れ、楓とは正反対の相手と付き合っていたのだった。  楓がその事を知った時に、翠に対して粘着系の溺愛が始まるとは、この頃の翠は微塵も考えてはいなかった。 ※作者の個人的な解釈が含まれています。 ※Rシーンがある回はタイトルに☆が付きます。

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

処理中です...