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第3章 熱帯夜の抱擁 ①
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「暑っ!」
部屋の冷房が壊れた熱帯夜。俺は汗だくでカナの扉をノックする。リョウが外出中のため、頼れるのがカナだけだ。湿度の高い空気が肌にまとわりつき、冷房のない部屋は蒸し風呂と化していた。
シャツは背中に張り付き、額の汗を何度拭っても意味がない。夏の熱気は容赦なく部屋全体を熱帯地方へと変える。窓を開けても風はほとんど入らず、せめて部屋から逃げ出したくて、カナに頼ってみることにした。
「カナ~、いる?」
指の関節が扉に触れる音が静かな廊下に響く。一度、二度、三度。返事を待つ間も首筋を汗が伝う。時計はすでに夜の10時を回る。
もう寝ているかもしれないと諦めかけた瞬間、ドアが開き、白いTシャツにグレーのハーフパンツ姿のカナが現れる。不思議そうな目で俺を見つめながら、部屋から漏れる冷気が、廊下に立つ俺の熱い肌をわずかに癒していく。
「真梨野先輩?どうしたんですか?こんな時間に」
カナの声は眠たげで、髪は柔らかく乱れていた。寝る準備をしていたのだろう。その姿を見て少し後悔するが、あまりの暑さに耐えられなかった。
「冷房壊れてさ。死にそう。助けて」
俺は慣れた様子で部屋に入り込む。そんな無遠慮な行動に、カナは少し戸惑いながら扉の前に立ち尽くした。大学二年生にして、すでに工学部内で知られた存在のカナ。
写真サークルの新星として、その美しさから女子たちの間で密かな人気を集めている。だが彼自身はそういったことに興味がないらしく、いつも一人で過ごしている。俺と話すようになったのも、偶然映画の話題で意気投合したことがきっかけだった。
「あの、入るんですか?また映画の話ですか?」
カナの声には驚きと困惑が混じっていた。日中、遭遇する度に映画出演のお願いをしていた為、警戒されているようだ。それに突然の訪問は失礼だったかもしれない。しかし、今夜のために用意していたものがある。
「ごめん、ごめん。入っていい?映画の話じゃないよ。一緒に観たくて。フランソワ・オゾンの『サマードレス』とか、何本かお勧め持ってきたんだ」
DVDケースを掲げると、カナの表情が一変する。映画好きの彼らしく、瞳がキラリと輝いた。無表情だった面差しに生気が宿る。
「持ってるんですか?」
「単館系映画オタクをなめんなよ。カナが好きそうなのいろいろ選んできた」
思わず胸を張る俺に、カナは微笑み、部屋に招き入れてくれた。彼の部屋は整理整頓され、シンプルながらも洗練された雰囲気が漂っている。壁には写真が貼られ、すべてモノクロ。大半が風景か建物の写真で、一枚一枚が絶妙な構図で切り取られていて、素人目にも才能を感じさせる。しかし、人物の写真は一枚もない。
「やっぱり、写真上手いな」
俺は壁に貼られた作品を眺めながら素直に感心する。特に古い灯台を下から見上げたアングルの一枚が印象的で、モノクロの階調が美しかった。
「ありがとうございます」
カナは照れたように答えた。彼はベッドに腰掛け、俺もその横に座る。近すぎるかもと思ったが、カナは特に気にする様子もなくDVDプレイヤーのセッティングを始めた。俺たちの間にはほんの数センチの距離しかない。
「あ、そうだ」
俺はリュックから缶ビールを二本取り出した。汗で少し濡れた缶が、部屋の涼しさでみずみずしく輝いている。
「ビール、飲む?」
「え、先輩、これ……」
カナは驚いた表情を浮かべる。もしかして酒が苦手なのかと一瞬不安がよぎる。
「マリでいいよ。みんなそう呼んでるし」
「マリ...さん」
まだ敬語が、残るのが愛らしい。体育会系の先輩と美形の後輩。一見不釣り合いな組み合わせだが、映画という共通点で繋がっていることがなぜか嬉しかった。
「カナ、20歳だっけ?」
「先月です」
「じゃあ、飲めるな」
「実は……飲んだことないんですよね」
初々しさが滲む返事に、なぜか胸がキュンとしてしまう。体育会系の見た目の俺が単館系映画オタクというギャップで驚かれるように、カナもまた意外な素顔を持っていた。美形なのに女の子と遊んでいる様子もなく、あどけなさが残る。そんなギャップが俺の中で不思議な感情を呼び起こしていく。
「じゃあ、今日が初めてだな」
俺はプシュッと缶を開け、一本をカナに手渡す。彼は少し躊躇ってから、そっと口をつけた。その仕草にも映画の一場面のような美しさがある。
「……苦い」
顔をしかめるカナの姿が微笑ましい。
「まあね。でも慣れるよ」
俺は大きく一口飲んでから、映画を指さした。冷えたビールが喉を通り、暑さで乾いた体に染み渡る。
「それじゃ、再生しますね」
カナがDVDをセットすると、テレビ画面に『サマードレス』のオープニングが流れ始めた。海の近くのコテージ、ゲイカップルの痴話喧嘩。何度も見た映画だが、カナと観るのは初めてで、何だか新鮮に感じる。
「このオープニング、印象的だよな。こんな始まり方他にない」
俺はビールを飲みながら呟く。カナは無言で画面を見つめていたが、薄暗い部屋でも彼の目が輝いているのがわかった。
「マリさんはこの映画、何回見たんですか?」
「マリでいいって。もう100回は見たかな。大学の映画サークルでも上映会したことあるし。俺は好きな映画を何回も観るタイプなんだ」
「そうなんだ……凄いです」
映画が始まり、俺たちは肩を寄せ合って画面に集中する。オゾンの斬新な演出に、カナは釘付けになっていた。青年が海辺で過ごす夏、初めての経験、刺激的で美しい世界。ふと、カナの横顔を盗み見すると、それもまた芸術作品のように思えた。
部屋の冷房が壊れた熱帯夜。俺は汗だくでカナの扉をノックする。リョウが外出中のため、頼れるのがカナだけだ。湿度の高い空気が肌にまとわりつき、冷房のない部屋は蒸し風呂と化していた。
シャツは背中に張り付き、額の汗を何度拭っても意味がない。夏の熱気は容赦なく部屋全体を熱帯地方へと変える。窓を開けても風はほとんど入らず、せめて部屋から逃げ出したくて、カナに頼ってみることにした。
「カナ~、いる?」
指の関節が扉に触れる音が静かな廊下に響く。一度、二度、三度。返事を待つ間も首筋を汗が伝う。時計はすでに夜の10時を回る。
もう寝ているかもしれないと諦めかけた瞬間、ドアが開き、白いTシャツにグレーのハーフパンツ姿のカナが現れる。不思議そうな目で俺を見つめながら、部屋から漏れる冷気が、廊下に立つ俺の熱い肌をわずかに癒していく。
「真梨野先輩?どうしたんですか?こんな時間に」
カナの声は眠たげで、髪は柔らかく乱れていた。寝る準備をしていたのだろう。その姿を見て少し後悔するが、あまりの暑さに耐えられなかった。
「冷房壊れてさ。死にそう。助けて」
俺は慣れた様子で部屋に入り込む。そんな無遠慮な行動に、カナは少し戸惑いながら扉の前に立ち尽くした。大学二年生にして、すでに工学部内で知られた存在のカナ。
写真サークルの新星として、その美しさから女子たちの間で密かな人気を集めている。だが彼自身はそういったことに興味がないらしく、いつも一人で過ごしている。俺と話すようになったのも、偶然映画の話題で意気投合したことがきっかけだった。
「あの、入るんですか?また映画の話ですか?」
カナの声には驚きと困惑が混じっていた。日中、遭遇する度に映画出演のお願いをしていた為、警戒されているようだ。それに突然の訪問は失礼だったかもしれない。しかし、今夜のために用意していたものがある。
「ごめん、ごめん。入っていい?映画の話じゃないよ。一緒に観たくて。フランソワ・オゾンの『サマードレス』とか、何本かお勧め持ってきたんだ」
DVDケースを掲げると、カナの表情が一変する。映画好きの彼らしく、瞳がキラリと輝いた。無表情だった面差しに生気が宿る。
「持ってるんですか?」
「単館系映画オタクをなめんなよ。カナが好きそうなのいろいろ選んできた」
思わず胸を張る俺に、カナは微笑み、部屋に招き入れてくれた。彼の部屋は整理整頓され、シンプルながらも洗練された雰囲気が漂っている。壁には写真が貼られ、すべてモノクロ。大半が風景か建物の写真で、一枚一枚が絶妙な構図で切り取られていて、素人目にも才能を感じさせる。しかし、人物の写真は一枚もない。
「やっぱり、写真上手いな」
俺は壁に貼られた作品を眺めながら素直に感心する。特に古い灯台を下から見上げたアングルの一枚が印象的で、モノクロの階調が美しかった。
「ありがとうございます」
カナは照れたように答えた。彼はベッドに腰掛け、俺もその横に座る。近すぎるかもと思ったが、カナは特に気にする様子もなくDVDプレイヤーのセッティングを始めた。俺たちの間にはほんの数センチの距離しかない。
「あ、そうだ」
俺はリュックから缶ビールを二本取り出した。汗で少し濡れた缶が、部屋の涼しさでみずみずしく輝いている。
「ビール、飲む?」
「え、先輩、これ……」
カナは驚いた表情を浮かべる。もしかして酒が苦手なのかと一瞬不安がよぎる。
「マリでいいよ。みんなそう呼んでるし」
「マリ...さん」
まだ敬語が、残るのが愛らしい。体育会系の先輩と美形の後輩。一見不釣り合いな組み合わせだが、映画という共通点で繋がっていることがなぜか嬉しかった。
「カナ、20歳だっけ?」
「先月です」
「じゃあ、飲めるな」
「実は……飲んだことないんですよね」
初々しさが滲む返事に、なぜか胸がキュンとしてしまう。体育会系の見た目の俺が単館系映画オタクというギャップで驚かれるように、カナもまた意外な素顔を持っていた。美形なのに女の子と遊んでいる様子もなく、あどけなさが残る。そんなギャップが俺の中で不思議な感情を呼び起こしていく。
「じゃあ、今日が初めてだな」
俺はプシュッと缶を開け、一本をカナに手渡す。彼は少し躊躇ってから、そっと口をつけた。その仕草にも映画の一場面のような美しさがある。
「……苦い」
顔をしかめるカナの姿が微笑ましい。
「まあね。でも慣れるよ」
俺は大きく一口飲んでから、映画を指さした。冷えたビールが喉を通り、暑さで乾いた体に染み渡る。
「それじゃ、再生しますね」
カナがDVDをセットすると、テレビ画面に『サマードレス』のオープニングが流れ始めた。海の近くのコテージ、ゲイカップルの痴話喧嘩。何度も見た映画だが、カナと観るのは初めてで、何だか新鮮に感じる。
「このオープニング、印象的だよな。こんな始まり方他にない」
俺はビールを飲みながら呟く。カナは無言で画面を見つめていたが、薄暗い部屋でも彼の目が輝いているのがわかった。
「マリさんはこの映画、何回見たんですか?」
「マリでいいって。もう100回は見たかな。大学の映画サークルでも上映会したことあるし。俺は好きな映画を何回も観るタイプなんだ」
「そうなんだ……凄いです」
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