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第6章 眠れる美に落ちたキス ①
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蒸し暑い夜、俺はカナの部屋で映画談義に熱中していた。
「マリ、この映画どう思う?」カナが問いかけてくる。
エアコンをつけても湿った空気が肌にまとわりつく。冷えたビールを分け合いながら、フランソワ・オゾンの作品について語り合った。
「ゴダールは難解だけど、この映像の切り取り方が革新的だよな。オゾンの手法をクラピッシュのような軽快なラブストーリーに応用すれば……」
映画の話になると止まらなくなる俺に、カナは楽しそうに耳を傾け、時折質問を投げかけてくれる。彼の真摯な眼差しに心躍る。
演技指導のため、毎日のようにカナの部屋へ通うようになって一週間、俺達の距離は確実に縮まっていた。
「マリ、聞いてる?」カナの声で我に返る。
「あ、ごめん。考え事してた」
「何か変なことでも考えてた?」
「違うよ。大したことじゃない」
俺は視線をそらした。先日の撮影を思い出すと、顔が熱くなる。
工学部の学生が映画にハマるなんて、周りからすれば不思議かもしれない。リョウなどは「オタクかよ」と冷やかしてくるが、カナと映画を語り合う時間は特別で、かけがえのない瞬間だった。二人とも芸大志望だったが、親の希望で工学部に入ったという共通点にも最近気づいた。
「オゾンって変わった映画多いよね」とカナが言う。
「変わってるんじゃなくて深いんだよ。自由に映画を作れるのって強いし、ゲイの監督らしいよな。憧れる」
「確かに。それに、男同士の恋愛を描くのも美しさが際立っていて上手いよね」
カナはそう言って、一瞬間を置いてから続けた。
「マリは……そういうの気にする?」
「え?」
「同性の恋愛……男が男を……好きになること」
突然の質問に、言葉が詰まる。ビールのせいか、部屋の温度のせいか、顔が熱くなる。
「別に……いいんじゃない?好きは好きじゃん」
軽く答えたつもりだったが、カナの緊張した表情がふっと緩んだ。
「そっか……」
時計を見ると、もう夜中の0時を回っている。明日も1限から講義があるのに、カナとの時間はあっという間に過ぎてしまう。帰らなくてはいけないのに、この空間から離れたくない気持ちが強くなる。
「ねぇ、もう一本見ない?オゾンの『Summer of 85』も面白いよ」カナの提案に頷こうとした瞬間、大きな欠伸が漏れる。
「あ、ごめん……少し眠くて」
「無理しなくていいよ。休む?」
「いや、平気、見よう」
俺は体を起こして、目を擦った。眠りに落ちれば、この時間が終わってしまう。そんな思いで、必死に眠気と闘う。しかし、映画のオープニングが終わった頃には瞼が重くなり、意識が遠のく。
「マリ、大丈夫?寝る?」
カナの言葉が遠くに聞こえる。気がつけば、瞼が閉じそうになっていた。昼間から脚本を書いていて、疲れが出たのかもしれない。カナの部屋の心地よい雰囲気と、彼のベッドの柔らかさが、俺を睡魔へと誘う。
「ごめん...少しだけ……」
そのまま、俺は寝落ちしてしまう。少なくとも、カナにはそう見えただろう。
実際は半分眠っていたのかもしれない。意識はあるのに体は動かず、目は閉じたまま。そんな中途半端な状態で、不思議な出来事が起こる。
映画のエンドロールが流れる静かな部屋で、微かに髪に触れられる感覚。
「油断しすぎだよ、マリ……」
カナの囁きが聞こえる。そして、彼の指先が俺の頬を撫で、唇をなぞる。
「抑えきれないかも」と小さく呟く声。でも、その言葉は届かなかったかのように、カナはそのまま続けた。
「可愛いな……」その言葉と共に、唇に何かが触れる感覚。
柔らかくて温かい何か。指にしてはしっとりとしていて、微かに息づかいまで感じられる……これは、もしかして……。
思い切って薄目を開けると、カナの顔が目の前にあった。これは……キス?
頭が真っ白になる。どう反応すべきか分からず、俺は再び瞼を閉じて息を殺した。
暫くすると、カナの温もりが離れていく。彼はどこか別の場所、おそらく机の方へ移動したようだ。カタカタとキーボードを打つ音が聞こえる。
俺の心臓は爆発しそうなほど早く脈打つ。今のは夢?現実?カナが俺にキスした?男同士なのに?そして「可愛い」って……。ずっと眠ったふりをするわけにもいかず、少し時間を置いてから、大げさに伸びをしながら目を覚ます演技をした。
「あ、ごめん。寝てたみたい」
カナはパソコンに向かって何かを打っていた。振り返ると、何でもなかったかのような表情で俺を見る。
「お疲れ。30分くらい寝てたよ」
30分も?その間、彼は俺を観察していたのだろうか。
「なんか……変なことした?寝言とか」
わざとらしく尋ねてみる。カナは一瞬目を見開いた気がしたが、すぐに平静を装った。
「特に何も。静かに寝てたよ」
カナは視線をパソコンに戻す。その横顔には動揺の色は見えない。あれは夢だったのか。いや、確かに感じた。唇の感触、温もり、囁き声……全てリアルだった。
「そっか……」俺は自然を装いながらも、どうしても気になって仕方がない。このまま帰るべきか、それとも...。
「カナ、今何してるの?」
「ん?ちょっと写真の編集」
カナはパソコンの画面を俺の方へ向ける。先日撮影した俺の写真だった。モノクロに加工され、光と影のコントラストが際立っている。ドレスを着た俺の姿が、まるで別人のように美しく映っている。
「……すごい。アートだな」
素直に感心する。カナの技術は確かだ。彼の目に映る世界は、いつも少し違う色を持っている。
「ドレス似合ってたよ、マリ」
カナは真剣な表情で言った。目が合い、俺は慌てて視線をそらす。心臓が早鐘を打つ。
「冗談だろ...?恥ずかしいんだけど」
「冗談じゃない。本当に……美しかった」
カナの声が低くなる。部屋の空気が変化した気がした。時計のカチカチという音だけが響く静寂。
「マリ、聞きたいことがあるんだ」
カナが椅子から立ち上がり、俺の方に向き直った。その表情は真剣で、わずかに緊張しているようにも見える。
「なに?」
「さっき……本当に寝てた?」
一瞬、息が止まる。カナは知っている?気づいていた?頭の中が真っ白になる。
「え?……うん、寝てたよ」
嘘をついた。なぜだろう。本当のことを言えば良かったのに。
「何でキスしたの?」と本当は聞きたい。でも、その言葉は喉の奥で詰まってしまった。
カナはしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そっか……なら良かった」
その言葉に、少しだけ失望を感じる。良かった?どういう意味だ?気づかれなくて安心したということか?
「……なんで?」
思わず問いかける。カナは少し驚いたような顔をして、それから微笑んだ。
「いや、何でもないよ。気にしないで」
そう言いながら、彼は再びパソコンに向き直った。会話は終わり。何かが宙ぶらりんのまま、中途半端に終わってしまった気がする。
「そろそろ帰るわ。もう遅いし」
「ああ、そうだね。また明日」
カナは振り返らずに言った。その背中が、どことなく寂しげに見える。
「おやすみ」
部屋を出る時、最後にもう一度カナを見た。彼はまだパソコンに向かっていたが、画面には何も映っていなかった。ただ黒い画面を見つめているだけ。
廊下に出て、自分の部屋へ向かいながら、考え込んだ。このまま知らないふりをするべきか。それとも、明日カナに話すべきか。あのキスは何だったのか。彼の気持ちはどうなのか。そして、自分の気持ちは……。
自室に戻り、ベッドに倒れ込む。天井を見つめながら、今日起きたことを思い返す。カナのキス……何かが本当に始まったと確信した。
スマホを取り出して、リョウにメッセージを送信。
『起きてる?ちょっと話したいことがある』すぐに返信が来る。
『まだ起きてる。どうした?』
『今から行くよ』
俺は深呼吸して、ベッドから起き上がった。頭が混乱している。これからどうすれば良いのか、分からない。ただ一つ確かなのは、カナが俺にキスしたということ。そして、それが嫌ではなかったということ。
「マリ、この映画どう思う?」カナが問いかけてくる。
エアコンをつけても湿った空気が肌にまとわりつく。冷えたビールを分け合いながら、フランソワ・オゾンの作品について語り合った。
「ゴダールは難解だけど、この映像の切り取り方が革新的だよな。オゾンの手法をクラピッシュのような軽快なラブストーリーに応用すれば……」
映画の話になると止まらなくなる俺に、カナは楽しそうに耳を傾け、時折質問を投げかけてくれる。彼の真摯な眼差しに心躍る。
演技指導のため、毎日のようにカナの部屋へ通うようになって一週間、俺達の距離は確実に縮まっていた。
「マリ、聞いてる?」カナの声で我に返る。
「あ、ごめん。考え事してた」
「何か変なことでも考えてた?」
「違うよ。大したことじゃない」
俺は視線をそらした。先日の撮影を思い出すと、顔が熱くなる。
工学部の学生が映画にハマるなんて、周りからすれば不思議かもしれない。リョウなどは「オタクかよ」と冷やかしてくるが、カナと映画を語り合う時間は特別で、かけがえのない瞬間だった。二人とも芸大志望だったが、親の希望で工学部に入ったという共通点にも最近気づいた。
「オゾンって変わった映画多いよね」とカナが言う。
「変わってるんじゃなくて深いんだよ。自由に映画を作れるのって強いし、ゲイの監督らしいよな。憧れる」
「確かに。それに、男同士の恋愛を描くのも美しさが際立っていて上手いよね」
カナはそう言って、一瞬間を置いてから続けた。
「マリは……そういうの気にする?」
「え?」
「同性の恋愛……男が男を……好きになること」
突然の質問に、言葉が詰まる。ビールのせいか、部屋の温度のせいか、顔が熱くなる。
「別に……いいんじゃない?好きは好きじゃん」
軽く答えたつもりだったが、カナの緊張した表情がふっと緩んだ。
「そっか……」
時計を見ると、もう夜中の0時を回っている。明日も1限から講義があるのに、カナとの時間はあっという間に過ぎてしまう。帰らなくてはいけないのに、この空間から離れたくない気持ちが強くなる。
「ねぇ、もう一本見ない?オゾンの『Summer of 85』も面白いよ」カナの提案に頷こうとした瞬間、大きな欠伸が漏れる。
「あ、ごめん……少し眠くて」
「無理しなくていいよ。休む?」
「いや、平気、見よう」
俺は体を起こして、目を擦った。眠りに落ちれば、この時間が終わってしまう。そんな思いで、必死に眠気と闘う。しかし、映画のオープニングが終わった頃には瞼が重くなり、意識が遠のく。
「マリ、大丈夫?寝る?」
カナの言葉が遠くに聞こえる。気がつけば、瞼が閉じそうになっていた。昼間から脚本を書いていて、疲れが出たのかもしれない。カナの部屋の心地よい雰囲気と、彼のベッドの柔らかさが、俺を睡魔へと誘う。
「ごめん...少しだけ……」
そのまま、俺は寝落ちしてしまう。少なくとも、カナにはそう見えただろう。
実際は半分眠っていたのかもしれない。意識はあるのに体は動かず、目は閉じたまま。そんな中途半端な状態で、不思議な出来事が起こる。
映画のエンドロールが流れる静かな部屋で、微かに髪に触れられる感覚。
「油断しすぎだよ、マリ……」
カナの囁きが聞こえる。そして、彼の指先が俺の頬を撫で、唇をなぞる。
「抑えきれないかも」と小さく呟く声。でも、その言葉は届かなかったかのように、カナはそのまま続けた。
「可愛いな……」その言葉と共に、唇に何かが触れる感覚。
柔らかくて温かい何か。指にしてはしっとりとしていて、微かに息づかいまで感じられる……これは、もしかして……。
思い切って薄目を開けると、カナの顔が目の前にあった。これは……キス?
頭が真っ白になる。どう反応すべきか分からず、俺は再び瞼を閉じて息を殺した。
暫くすると、カナの温もりが離れていく。彼はどこか別の場所、おそらく机の方へ移動したようだ。カタカタとキーボードを打つ音が聞こえる。
俺の心臓は爆発しそうなほど早く脈打つ。今のは夢?現実?カナが俺にキスした?男同士なのに?そして「可愛い」って……。ずっと眠ったふりをするわけにもいかず、少し時間を置いてから、大げさに伸びをしながら目を覚ます演技をした。
「あ、ごめん。寝てたみたい」
カナはパソコンに向かって何かを打っていた。振り返ると、何でもなかったかのような表情で俺を見る。
「お疲れ。30分くらい寝てたよ」
30分も?その間、彼は俺を観察していたのだろうか。
「なんか……変なことした?寝言とか」
わざとらしく尋ねてみる。カナは一瞬目を見開いた気がしたが、すぐに平静を装った。
「特に何も。静かに寝てたよ」
カナは視線をパソコンに戻す。その横顔には動揺の色は見えない。あれは夢だったのか。いや、確かに感じた。唇の感触、温もり、囁き声……全てリアルだった。
「そっか……」俺は自然を装いながらも、どうしても気になって仕方がない。このまま帰るべきか、それとも...。
「カナ、今何してるの?」
「ん?ちょっと写真の編集」
カナはパソコンの画面を俺の方へ向ける。先日撮影した俺の写真だった。モノクロに加工され、光と影のコントラストが際立っている。ドレスを着た俺の姿が、まるで別人のように美しく映っている。
「……すごい。アートだな」
素直に感心する。カナの技術は確かだ。彼の目に映る世界は、いつも少し違う色を持っている。
「ドレス似合ってたよ、マリ」
カナは真剣な表情で言った。目が合い、俺は慌てて視線をそらす。心臓が早鐘を打つ。
「冗談だろ...?恥ずかしいんだけど」
「冗談じゃない。本当に……美しかった」
カナの声が低くなる。部屋の空気が変化した気がした。時計のカチカチという音だけが響く静寂。
「マリ、聞きたいことがあるんだ」
カナが椅子から立ち上がり、俺の方に向き直った。その表情は真剣で、わずかに緊張しているようにも見える。
「なに?」
「さっき……本当に寝てた?」
一瞬、息が止まる。カナは知っている?気づいていた?頭の中が真っ白になる。
「え?……うん、寝てたよ」
嘘をついた。なぜだろう。本当のことを言えば良かったのに。
「何でキスしたの?」と本当は聞きたい。でも、その言葉は喉の奥で詰まってしまった。
カナはしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そっか……なら良かった」
その言葉に、少しだけ失望を感じる。良かった?どういう意味だ?気づかれなくて安心したということか?
「……なんで?」
思わず問いかける。カナは少し驚いたような顔をして、それから微笑んだ。
「いや、何でもないよ。気にしないで」
そう言いながら、彼は再びパソコンに向き直った。会話は終わり。何かが宙ぶらりんのまま、中途半端に終わってしまった気がする。
「そろそろ帰るわ。もう遅いし」
「ああ、そうだね。また明日」
カナは振り返らずに言った。その背中が、どことなく寂しげに見える。
「おやすみ」
部屋を出る時、最後にもう一度カナを見た。彼はまだパソコンに向かっていたが、画面には何も映っていなかった。ただ黒い画面を見つめているだけ。
廊下に出て、自分の部屋へ向かいながら、考え込んだ。このまま知らないふりをするべきか。それとも、明日カナに話すべきか。あのキスは何だったのか。彼の気持ちはどうなのか。そして、自分の気持ちは……。
自室に戻り、ベッドに倒れ込む。天井を見つめながら、今日起きたことを思い返す。カナのキス……何かが本当に始まったと確信した。
スマホを取り出して、リョウにメッセージを送信。
『起きてる?ちょっと話したいことがある』すぐに返信が来る。
『まだ起きてる。どうした?』
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