サマードレスに憧れて 〜君の映画が撮りたくて〜

tommynya

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第5章 光の中の裸体 ②

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 息を止めて、ゆっくりと下げようとしたその瞬間。

「待って」

 カナの声が静かに響いた。俺は目を開け、彼を見る。カナの頬は少し紅潮していた。

「もういいよ」
「え?」

 俺は困惑する。全部脱がなくていいの?約束と違うじゃないか。

 カナは少し赤い顔を見せ、窓際に歩み寄る。

「これで十分」

 彼の声は小さかった。スタジオの中に、波の音だけが満ちた。

「次は...これ」

 彼がライトブルーのドレスを手に取る。陽の光が生地を通り抜け、彼の手に青い影を落とす。

「これ、着てみて」
「え?俺が?」

 俺は完全に混乱した。俺がドレス?女装?そんなことは聞いていない。

 カナは少し困った表情を浮かべた。言葉を選ぶように、間を置いてから話し始める。

「そう。マリがこれを着た姿を撮りたい」
「でも、映画ではカナが着るんじゃ...」
「俺に着せようとしてるんだから、マリも着れるよね?」

 理屈になっていないが、反論する気力もなかった。そもそも、ここまで来て断るのも不自然だろう。俺は恐る恐るドレスを受け取った。

「着方……わからないよ」照れ隠しに笑う。カナも少し緊張を解くように微笑む。
「手伝うよ」

 カナが近づき、ドレスを着せてくれた。頭からかぶらせ、腕を通し、背中のファスナーを上げる。彼の指先が俺の肌に触れるたび、落雷に打たれたかのような衝撃が走る。温かな指が背中を滑る感触に、ビクッと反応してしまう。

「少しキツイかも。ファスナー途中までにしとくね」

 カナはドレスの肩紐をずらし、調整しながら、構図を決めていく。肌に触れる指の感触が羽根のように優しい。その感触により、身震いが止まらなくなる。彼の顔が近い。相変わらず長い睫毛が白い肌に影を落としている。

「女性用だから、肩幅がきついね」

 彼の吐息が首筋に当たって、くすぐったい感覚が広がる。何でもない顔をして必死に平静を装う。
 ようやくドレスを着終えると、カナは少し離れて俺を見つめた。彼の眼差しに何かが宿る。驚き?感動?

「マリ……綺麗だよ」

 その言葉に、胸がきゅんと締め付けられた。カナが俺を「綺麗」だと思ってくれている。それだけで、恥ずかしさよりも嬉しさが勝った。

「変じゃない?」

 俺は自分の姿を確かめようと、スタジオの壁に掛かった小さな鏡に近づく。そこに映る自分は、確かに奇妙だった。男の筋肉質な体にドレス。でも、不思議と違和感がない。ライトブルーの色合いが、日焼けした肌の色と意外と調和している。

「全然。似合ってる。俺より似合うんじゃない?」

 さすがにそれはないと思ったが、カナの真剣な表情を見ると何も言えなかった。カナは再びカメラを構え始める。「動かないで」「こっちを向いて」「もっと自然に」と指示が続く。

 窓から差し込む夏の光が、ドレスの青をより鮮やかにした。俺は初めこそ恥ずかしかったが、次第にカナの指示に従うことに快感を覚え始めた。

「腕を上げて」
「こう?」
「そう、いいね。光が綺麗に当たってる」

 カナの声には熱がこもっていた。彼の作品への情熱が伝わってくる。俺はそんな彼の姿に見惚れていた。カメラを持つ洗練された手つき、真剣な眼差し、時折漏れる満足げな表情。全てが魅力的に映る。

「窓際に立って」

 俺は言われるままに窓に近づく。潮風が窓から入り込み、ドレスを優しく揺らす。

「完璧」

 カナの声が僅かに震えていた。彼の瞳が輝いている。俺だけを見つめる熱い視線。俺はその視線の先にいることが、なぜか誇らしく感じられた。

 撮影開始から一時間後。最初の緊張は徐々に消え、俺は次第にカナの世界に引き込まれていった。彼の指示に従い、時に自分から動き、様々なポーズを取る。

「マリ、もっと自由に動いて」
「こう?」

 俺はドレスが舞うように回転してみた。生地が風を捉え、ふわりと広がる感覚が心地よい。

「最高だよ」

 カナの声には純粋な喜びが溢れていた。彼の笑顔が、この瞬間を特別なものに変えていく。

「次はここに寝て」

 床に敷かれた白いブランケットの上に仰向けに寝転ぶ。するとカナが俺の上にまたがりカメラを構えた。これは、映画で見た記憶がある。アントニオーニの『欲望』の写真撮影のシーン。これはギリギリアウトかもしれない。

 じわじわとカナの膝が、腰の両脇に沈み込む。体重はほとんどかかっていないのに、彼の存在の重さが全身を押さえつけるようだ。

「カナ、ちょっとこれは恥ずかしい……」

 思ったより震えた声が出て自分でも驚いた。カメラを構えるカナの顔が近くて、睫毛の一本一本まで見える距離だ。彼の太ももが俺の脇腹に触れて、その柔らかな圧力に思考が白く飛びそうになる。

「いいから。少し動いて表情見せて」

 もう無理だった。カナに支配される俺という感じ。まるで逃げられない籠の中の小鳥だった。
 自分の世界に陶酔しているカナ。連写するシャッター音は止まらない。その音が俺の心臓の鼓動とシンクロしていく。

「自由に動いて」

 どうやって?こんな状況で動けるわけがない。でも、指示には従わなければ。俺は僅かに身じろぎした。
 その瞬間――ドレスの裾が捲れた。

 太ももが露わになり、潮風がそこに吹き込む。

「あ……」

 慌てて裾を押さえようとした手を、カナの視線が止める。

「動かないで」

 強い口調。いつもの穏やかなカナじゃない。彼の喉がゴクリと動き、レンズの向こうの瞳が、いつもより暗くて闇のように深い。

 漏れる吐息。カナの呼吸か俺の呼吸かもう区別がつかない。
 ドレスの薄い生地越しに、身体が熱を持っている……いや、それだけじゃない。
 身体が――反応している。

 まずい……このままじゃ、カナに気づかれる。彼は俺の真上にいて、ドレスは薄すぎる。
 何が起きているか一目瞭然だ。恥ずかしくて死にそう……。

「カナ……もう無理」

 声が裏返る。羞恥心とそれ以外の感情に全身が震えた。

「もう少しだけ我慢できる?」

 カナの声が掠れていた。彼も限界なのかもしれない……右手がカメラから離れ、俺の頬に触れた。冷たい指先が、火照った肌をなぞる。

「表情、すごくいいよ」

 その言葉の意味を理解したくない。俺の顔は今、どんな風に見えているんだろう。彼の指が、ゆっくりと頬から顎へ、首筋へと滑る。その軌道が熱を持ち、触れられただけで、身体の奥に稲妻が走る。

「マリ……」

 カナが俺の名前を呼ぶ。その声があまりにも甘く、切なくて……本当に限界だった。
近すぎる距離に意識が遠のき、そして、官能の渦に飲み込まれていった。

 ◇

 撮影が終わり、意識は朦朧としていた。何が起こったのか、理解が追いつかない。スタジオのシャワーを借りて、冷たい水で身体を冷やす。心臓はまだ早く脈打ち、これまで経験したことのない感情が全身に満ち溢れていた。
 少し落ち着いた頃に、着替えを済ませ、シャワールームから出た。

「どうだった?」

 カナがカメラの画面を確認しながら尋ねた。彼は撮った写真を眺め、時折満足げに頷く。

「恥ずかしかった……でも、少し楽しかったかも」

 素直な気持ちを伝える。カナは顔を上げ、真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。

「そう」

 彼は穏やかに微笑む。その笑顔に、俺の心は静かに揺れていた。

「カナって……カメラ持つと人格変わるんだな……いつもと違ってちょっと驚いた」

「そうかな?集中するとこんな感じかも……?ちょっと無理させた?ごめん……」

 支配的で、本当に捕食者みたいだった……とは言わないでおこう。

「これで、映画に出てくれるよね?」

 そうか、全ては映画のため。撮影の余韻に浸っていた、ふわふわと宙に浮いていた俺の気持ちが、現実に引き戻される。

「約束は守るよ」

 俺は少し冷静さを取り戻し、カナは満足そうに写真を眺め続けた。

 撮影後、俺たちは海を見下ろすカフェで休憩した。窓際の席からは、青い海と白い砂浜が一望できる。アイスコーヒーを飲みながら、カナは時折撮った写真を俺に見せて意見を聞く。彼の真剣な横顔は、撮影時と同様に惹きつけられるものがあった。

「マリ」
「ん?」

 カナが突然顔を上げ、俺と視線を交わす。彼の瞳には何か言葉にできないものが宿っているように見えた。

「今日、ありがとう。勇気あるよね」
「俺もカナを撮りたいから...」

 俺の言葉に、彼は少し頬を染めて視線を落とす。

「そこまでして映画に出て欲しいって言われたの……初めてだよ」

「俺の映画、最高にしたいんだ。だからカナじゃないとダメなんだよ」

 その言葉に嘘はない。カナの繊細な表情と存在感は他の誰にも真似できない天性のものだ。俺の映画の主役はカナ以外に考えられないほどに……でも、それだけなのか?本当にそれだけの理由で、今日のようなことをしたのだろうか。

 胸の奥で疼く感情が、その理由づけを嘘だと囁いていた。

「そんなに期待されると、プレッシャーだな」

 海を見つめながら、カナはポツリと呟いた。彼の横顔が切なくも美しい。そして、突然彼は俺の手に触れた。テーブルの上で、彼の指がそっと俺の指に重なった。

「でも、頑張るから」

 その接触に俺の鼓動は高まる。カナの手は柔らかく僅かに冷たい。コーヒーの冷たさか、それとも彼自身の緊張か。

 俺たちはそのまま、数秒間沈黙を共有する。言葉よりも、この静かな瞬間が何かを語っているような気がした。

 帰りのバスでは、互いに疲れていたのか、会話は少なかった。窓の外の景色を眺めながら、今日の出来事を思い浮かべる。脱いだこと、ドレスを着たこと、カナの「綺麗だよ」という言葉。全てが現実離れした不思議な体験だった。

 でも、時折カナと目が合うと、笑い合うその笑顔に、何か共犯関係のような親密さを感じる。二人だけの秘密の関係。確実に何かが変わった。単なる映画監督と役者の絆を超えた関係に変化していると感じた。

 ◇

 部屋に戻ると、リョウに迎えられた。彼は俺の顔を見るなり、笑い出した。

「どうだった?」
「脱いだよ……やばかった」
「マジか!全部?」

 リョウの目が丸くなる。彼は俺がそこまでするとは思っていなかったようだ。

「ほぼ……」

 正確には下着までだったけど、詳細は省略した。リョウは笑い声を上げる。

「マリ、勇者だな。で、写真は?」
「これから編集するらしい。それと、カナは映画に出てくれるって」

 それが今日の目的だったはず。でも、なぜか達成感よりも、別の感情の方が大きかった。何か違う扉が開いたような気がする。
 リョウは俺の肩を叩いた。彼の目には「やるじゃん」という尊敬の色が浮かんでいる。

「良かったじゃん。願いが叶って」

 俺はベッドに倒れ込んだ。今日は色々あったな...ドレスを着たことや、撮影の内容はリョウには言えない。なぜだろう?秘密にしておきたい気持ちがある。カナとの特別な瞬間。それを誰かに話すことで、その魔法が解けてしまうような気がしたのだ。

 カナとの時間。俺の裸をカメラに収める彼の真剣な表情。ドレスの感触。全てが新鮮で心に刻まれた。

 そして、彼の言葉。「マリ……綺麗だよ」

 その言葉を思い出すだけで、頬が熱くなるのを感じる。これは、一体なんなんだろう?俺はカナのことを、どう思っているんだろう?単なる役者として、映画の仲間として見ているのか、それとも……。

 心の奥で、答えは見つかっていた。でも、まだ認めたくない……認めるのがただただ怖かった。

 俺は天井を見つめながら、今日の光景を何度も思い返す。八月からの撮影で、カナと一緒に過ごす時間が増える。そのことを考えるだけで、胸の高鳴りが止まらない。
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