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第9話 村の少年、剣を握る
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村に太陽が昇る頃、アレンは崩れた家の梁を組み直していた。
昨日の失敗現場を見て、村の誰もが「諦めた」と思っていたのだが、そんなことはなかった。
むしろ、彼は夜明け前から新しい設計図を描き直し、柱の比率を再計算していた。
欠片ひとつ無駄にせず、夜の間に乾かした泥と石灰を混ぜて、強度を増した自然セメントを作り上げる徹底ぶりである。
「ほんと、あの人は止まるってことを知らないんだな……」
ミーナは、しばらく前から声をかけるタイミングを失っていた。
木の破片を抱えながら立ち尽くし、気づけば隣に村の少年がいた。
「ミーナ姉ちゃん、アレンさん、もう三回くらい同じ柱打ち直してるよ」
「……うん。でも、嫌な顔ひとつしないでやるんだよ。すごい人だよね。」
「俺もあんな風に強くなれたらなあ」
少年――テオは小柄で、村一番のやんちゃ者だ。
いつもは木の枝で剣の真似事ばかりしている。
だがその目には憧憬と、ほんの少しの焦りもあった。
「俺、ちゃんと強くなって、村を守る人になるんだ」
「えらいね。でも、武器を振り回すのは危ないよ?」
「わかってるよ。でも、あの人見た? 昨日、崩れた屋根の下で全然慌ててなかったんだ。あれ、たぶん本当に勇者なんだよ」
その言葉に、ミーナは苦笑した。
「勇者」という言葉はこの村ではほとんど使われない。
魔王戦争の記録など、誰にとっても遠い伝説だ。
◇
その日の昼、アレンが家の壁を仕上げていると、背後で何やらぶつぶつと呟く声がした。
振り向くと、テオが木の棒を構え、真剣な顔で振っている。
「……なかなか鋭いですね」
声をかけると少年はびくっとして、棒を落とした。
「う、うわっ、アレンさん!? 見てたの?」
「ええ。ずいぶん熱心でしたから。」
「べ、別に遊びで……」
「木剣でも、立派に鍛錬になりますよ。」
アレンはそっと拾い上げた棒を軽く振ってみせる。
一瞬の軌跡で風が鳴いた。
その速さにテオは息を飲む。
「すげぇ……目で追えなかった」
「力じゃありませんよ。振る“意志”です。」
アレンは穏やかに微笑む。
「剣を握る理由は、人それぞれです。でも、“誰かを倒すため”ではなく、“誰かを守るため”に振るなら、それは正しい剣です。」
テオが真剣に頷いた。
「俺も、守れる人になりたい。」
「なら、教えましょうか?」
「……いいの!?」
アレンは空を見上げた。
昼下がりの風が心地よく、村の鐘が遠くで鳴る。
「私も昔、教わったんですよ。師匠に。“力を持つものは、それ以上に優しくあれ”と。」
テオは木剣を構えなおす。
アレンはわずかに笑って、腰を落とした。
「まずは構えから。肩の力を抜いて、重心を下げて。剣を振るのではなく、『流す』んです。」
少年がぎこちない動きで真似をする。
そして次の瞬間、アレンの木剣がふっと動いた。
一閃。目には止まらない。
地面に立ててあった小石が二つに割れて転がる。
「……これが“流す”ということです」
テオの目が輝いた。
「教えてください! アレンさん、俺、もっと強くなりたい!」
「いいでしょう。でも、条件があります。」
「条件?」
「一日一回、必ず“誰かのため”に剣を振ること。木を切るでもいい、荷物を運ぶでもいい。剣は人ではなく、世界と共にあるものです。」
少年はその言葉の意味をすぐには理解できなかったが、力強く頷いた。
「わかった! 約束する!」
◇
それから数日、村にはひそかな日課が増えた。
朝の井戸汲み、畑の手伝い、そして“アレンの剣の稽古”。
テオは毎朝アレンの家跡に通い、二人で木を切りながら剣の素振りをした。
アレンは彼が疲れるたびに、持っていた水瓶を差し出した。
「焦らなくてもいい。力は“積み重ね”です。」
「でも、アレンさんは最初から強かったんでしょ?」
「いいえ。弱かったですよ。誰にも勝てない時期のほうが長かった。」
「嘘だ!」
「本当です。負けるたびに学ぶことは多い。勝ち続けるよりずっと意味があります。」
風が強くなり、木の葉が流れた。
アレンとテオは同時に剣を振るう。
旋風のように草が舞い上がり、葉が落ちる。
まるで時間そのものが止まったようだった。
「……すごい、今、風が止まった気がした。」
「気のせいでしょう。さぁ、もう一度。」
その稽古をこっそりと見ている影がひとつ。
誰も近づかない丘の頂に、一人の女が立っていた。
リリアだ。
彼女の足もとに、伝令魔法の水晶が輝いている。
「報告いたします。アレン=クロード、辺境の村で民間人に剣術を教示中。……ですが、王都で学ぶ剣とは異質。魔術波形が発生しています。」
通信の向こうから、低い男の声が返る。
『詳細を。どの程度の異常だ』
「素手で振った風圧が、剣気として共鳴しています。――神気に近い。」
無言の静寂。
王都からの答えは一つだった。
『監視を続けろ。決して接触するな。聖域を触れた者が次に何を呼ぶか、わからん。』
リリアは水晶を握りしめた。
その眼差しの先で、アレンは疲れた少年の頭を軽く撫でている。
優しい笑み。昔、戦場で見た冷徹な魔導師ではない。
――“人の形をした奇跡”。
「アレン……あなたは、何のためにそんな力を持ったの?」
◇
一方その頃、王都アルディナ。
レオニール王子は報告書を投げ捨て、机を叩いた。
「聖剣を持たぬ男が神気を放つ? 冗談も大概にしろ!」
「殿下、証拠の魔術記録があります。観測班が確認を……」
「わかっている! つまり、あの無能が『神域』を再現したということだろう!」
怒号に臣下たちは怯えるしかなかった。
王子は立ち上がり、冷たい声で命じた。
「使者を出せ。あの村に。名目は税調査でも視察でもいい。とにかく“あいつ”の力を見せろ。沈静化のための報告が必要だ。」
密命が動く。
そして、次章の悲劇の始まりが静かに形を取り始める。
◇
その夜、ルーデン村では焚き火の明かりが灯っていた。
テオが疲れた顔でアレンの隣に腰を下ろす。
「アレンさん、俺、今日ね、ミーナ姉ちゃんの荷物持ち手伝ったよ。」
「それは良いことですね。剣も少しずつ軽くなるでしょう。」
「うん。でも、まだあんな風に動けないな。アレンさん、なんであんな速いの?」
「それは――守りたいものが多いから、ですよ。」
少年は首をかしげ、笑った。
「俺も、守りたいもの……見つける!」
「きっと、すぐ見つかりますよ。」
その言葉と同時に、星が一つ流れた。
願いを託すには短すぎたが、確かに光は刻まれた。
その光の下で育まれた誓いが、後に世界を動かすほどの力になることを、この時の誰も知らなかった。
昨日の失敗現場を見て、村の誰もが「諦めた」と思っていたのだが、そんなことはなかった。
むしろ、彼は夜明け前から新しい設計図を描き直し、柱の比率を再計算していた。
欠片ひとつ無駄にせず、夜の間に乾かした泥と石灰を混ぜて、強度を増した自然セメントを作り上げる徹底ぶりである。
「ほんと、あの人は止まるってことを知らないんだな……」
ミーナは、しばらく前から声をかけるタイミングを失っていた。
木の破片を抱えながら立ち尽くし、気づけば隣に村の少年がいた。
「ミーナ姉ちゃん、アレンさん、もう三回くらい同じ柱打ち直してるよ」
「……うん。でも、嫌な顔ひとつしないでやるんだよ。すごい人だよね。」
「俺もあんな風に強くなれたらなあ」
少年――テオは小柄で、村一番のやんちゃ者だ。
いつもは木の枝で剣の真似事ばかりしている。
だがその目には憧憬と、ほんの少しの焦りもあった。
「俺、ちゃんと強くなって、村を守る人になるんだ」
「えらいね。でも、武器を振り回すのは危ないよ?」
「わかってるよ。でも、あの人見た? 昨日、崩れた屋根の下で全然慌ててなかったんだ。あれ、たぶん本当に勇者なんだよ」
その言葉に、ミーナは苦笑した。
「勇者」という言葉はこの村ではほとんど使われない。
魔王戦争の記録など、誰にとっても遠い伝説だ。
◇
その日の昼、アレンが家の壁を仕上げていると、背後で何やらぶつぶつと呟く声がした。
振り向くと、テオが木の棒を構え、真剣な顔で振っている。
「……なかなか鋭いですね」
声をかけると少年はびくっとして、棒を落とした。
「う、うわっ、アレンさん!? 見てたの?」
「ええ。ずいぶん熱心でしたから。」
「べ、別に遊びで……」
「木剣でも、立派に鍛錬になりますよ。」
アレンはそっと拾い上げた棒を軽く振ってみせる。
一瞬の軌跡で風が鳴いた。
その速さにテオは息を飲む。
「すげぇ……目で追えなかった」
「力じゃありませんよ。振る“意志”です。」
アレンは穏やかに微笑む。
「剣を握る理由は、人それぞれです。でも、“誰かを倒すため”ではなく、“誰かを守るため”に振るなら、それは正しい剣です。」
テオが真剣に頷いた。
「俺も、守れる人になりたい。」
「なら、教えましょうか?」
「……いいの!?」
アレンは空を見上げた。
昼下がりの風が心地よく、村の鐘が遠くで鳴る。
「私も昔、教わったんですよ。師匠に。“力を持つものは、それ以上に優しくあれ”と。」
テオは木剣を構えなおす。
アレンはわずかに笑って、腰を落とした。
「まずは構えから。肩の力を抜いて、重心を下げて。剣を振るのではなく、『流す』んです。」
少年がぎこちない動きで真似をする。
そして次の瞬間、アレンの木剣がふっと動いた。
一閃。目には止まらない。
地面に立ててあった小石が二つに割れて転がる。
「……これが“流す”ということです」
テオの目が輝いた。
「教えてください! アレンさん、俺、もっと強くなりたい!」
「いいでしょう。でも、条件があります。」
「条件?」
「一日一回、必ず“誰かのため”に剣を振ること。木を切るでもいい、荷物を運ぶでもいい。剣は人ではなく、世界と共にあるものです。」
少年はその言葉の意味をすぐには理解できなかったが、力強く頷いた。
「わかった! 約束する!」
◇
それから数日、村にはひそかな日課が増えた。
朝の井戸汲み、畑の手伝い、そして“アレンの剣の稽古”。
テオは毎朝アレンの家跡に通い、二人で木を切りながら剣の素振りをした。
アレンは彼が疲れるたびに、持っていた水瓶を差し出した。
「焦らなくてもいい。力は“積み重ね”です。」
「でも、アレンさんは最初から強かったんでしょ?」
「いいえ。弱かったですよ。誰にも勝てない時期のほうが長かった。」
「嘘だ!」
「本当です。負けるたびに学ぶことは多い。勝ち続けるよりずっと意味があります。」
風が強くなり、木の葉が流れた。
アレンとテオは同時に剣を振るう。
旋風のように草が舞い上がり、葉が落ちる。
まるで時間そのものが止まったようだった。
「……すごい、今、風が止まった気がした。」
「気のせいでしょう。さぁ、もう一度。」
その稽古をこっそりと見ている影がひとつ。
誰も近づかない丘の頂に、一人の女が立っていた。
リリアだ。
彼女の足もとに、伝令魔法の水晶が輝いている。
「報告いたします。アレン=クロード、辺境の村で民間人に剣術を教示中。……ですが、王都で学ぶ剣とは異質。魔術波形が発生しています。」
通信の向こうから、低い男の声が返る。
『詳細を。どの程度の異常だ』
「素手で振った風圧が、剣気として共鳴しています。――神気に近い。」
無言の静寂。
王都からの答えは一つだった。
『監視を続けろ。決して接触するな。聖域を触れた者が次に何を呼ぶか、わからん。』
リリアは水晶を握りしめた。
その眼差しの先で、アレンは疲れた少年の頭を軽く撫でている。
優しい笑み。昔、戦場で見た冷徹な魔導師ではない。
――“人の形をした奇跡”。
「アレン……あなたは、何のためにそんな力を持ったの?」
◇
一方その頃、王都アルディナ。
レオニール王子は報告書を投げ捨て、机を叩いた。
「聖剣を持たぬ男が神気を放つ? 冗談も大概にしろ!」
「殿下、証拠の魔術記録があります。観測班が確認を……」
「わかっている! つまり、あの無能が『神域』を再現したということだろう!」
怒号に臣下たちは怯えるしかなかった。
王子は立ち上がり、冷たい声で命じた。
「使者を出せ。あの村に。名目は税調査でも視察でもいい。とにかく“あいつ”の力を見せろ。沈静化のための報告が必要だ。」
密命が動く。
そして、次章の悲劇の始まりが静かに形を取り始める。
◇
その夜、ルーデン村では焚き火の明かりが灯っていた。
テオが疲れた顔でアレンの隣に腰を下ろす。
「アレンさん、俺、今日ね、ミーナ姉ちゃんの荷物持ち手伝ったよ。」
「それは良いことですね。剣も少しずつ軽くなるでしょう。」
「うん。でも、まだあんな風に動けないな。アレンさん、なんであんな速いの?」
「それは――守りたいものが多いから、ですよ。」
少年は首をかしげ、笑った。
「俺も、守りたいもの……見つける!」
「きっと、すぐ見つかりますよ。」
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