織り手、世界を繕う ~失業した俺が異世界で「門」の守護者になった件~

たまごころ

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第2話 星見の塔の学徒

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二つの月が沈み、アーケイディアの夜が明け始めた。星見の塔の最上階から最初の朝日が差し込み、石造りの廊下をゆっくりと照らし出していく。橘悠真は慣れないベッドで目を覚ました。一瞬、自分がどこにいるのかわからず、跳ね起きて周囲を見回した。

「ああ、ここは塔だった」

昨日の出来事が蘇る。異世界への召喚、闇の怪物との戦い、そしてこの塔での暮らしを選んだ決断。全てが夢ではないことを、硬い石の床の感触が確かにさせた。

シャドウが窓辺に座り、外を眺めている。朝日の光を受けて、黒い毛並みが銀色に輝いている。

「おはよう、シャドウ」

猫は振り向き、短く鳴き声を上げた。まるで朝の挨拶を返しているようだ。

ドアをノックする音がした。

「悠真、起きてる?朝食の時間よ」

レイラの声だ。悠真は急いで服を整え、ドアを開けた。廊下には銀髪のエルフが立っており、今日は実用的な探検服のようなものを着ている。

「眠れた?」

「まあまあだ」悠真はうなずいた。「まだ少し混乱しているけど」

「それなら普通よ」レイラが微笑んだ。「初めてここに来た時、私は三日間現実だと思えなかったもの。さあ、下の食堂に行きましょう。マーリン師匠も待っているわ」

二人が螺旋階段を下りていくと、下層からいい匂いが漂ってきた。食堂は広い円形の部屋で、中央には大きなテーブルが置かれている。マーリンはすでに席について、分厚い本をめくっていた。

「おはよう、悠真。よく眠れたかね?」

「はい、なんとか」

「それは良かった」マーリンは本を閉じた。「では朝食を済ませた後、君の最初の訓練を始めよう」

食事はシンプルだが美味しかった。温かいスープ、焼きたてのパン、見たこともない果実。悠真は黙々と食べながら、これからのことを考えていた。

訓練とは何をするのだろう。魔法を唱えるのか、それともあの「糸」を見る力を鍛えるのか。不安と期待が入り混じる。

朝食が終わると、マーリンは立ち上がった。

「では図書室へ来なさい。まずは基礎から始める」

図書室は昨日よりもさらに広く感じられた。高い天井、無数の本、そして中央には大きな机が置かれている。マーリンはその机の前に立ち、悠真を招き寄せた。

「魔法を学ぶ前に、まずはこの世界の基本を理解する必要がある」老人は空中に手をかざすと、光の粒子が集まり、立体の図が浮かび上がった。「アーケイディアは七つの層から成り立っている。物質界、精霊界、影界、そして四つの元素界だ」

光の図が回転し、層が重なり合う様子を示している。

「通常、生き物は一つの層にしか存在できない。しかし、稀に複数の層を認識できる者が現れる。それを『門』を持つ者と呼ぶ」

マーリンは悠真を見つめた。

「君は昨日、世界の『糸』が見えたと言ったね。あれは層と層の間にある繋がり、いわば世界の縫い目だ。普通の者には見えず、感じることすらできない」

「でも、なぜ僕にそんな力が?」

「それは誰にもわからない」マーリンは首を振った。「『門』は遺伝でもなく、努力で得られるものでもない。運命のいたずらと言うしかない。しかし、その力の使い方は学ぶことができる」

老人は机の上に水晶の球を置いた。

「まずは感覚を研ぎ澄ますことから始めよう。この水晶には微かな魔力が込められている。目を閉じて、その力を感じ取れるか試してみなさい」

悠真はためらわず、水晶の前に座った。目を閉じ、意識を集中させる。最初は何も感じなかった。ただの冷たいガラスの塊にすぎない。

「焦ってはいけない」マーリンの声が静かに響く。「魔法は急ぎで習得できるものではない。十年かかる者もいれば、一日で感じ取れる者もいる。自分自身のペースを見つけなさい」

悠真は深呼吸し、リラックスしようとした。肩の力を抜き、思考を空っぽにする。すると、ほんのわずかだが、水晶から微かな振動のようなものが伝わってくる気がした。

「何か……感じるかもしれない」

「それを追いなさい。しかし、掴もうとしてはだめ。流れに身を任せるのだ」

振動は次第に明確になっていく。まるで小さな心臓が鼓動しているようだ。温かさでも冷たさでもない、独特の感覚。それが彼の手のひらを通じて、体内に伝わってくる。

「よくできた」マーリンが認めた。「初日にして魔力を感じ取れるとは。やはり君には素質がある」

悠真が目を開けると、水晶が微かに輝いていた。自分の力でそうなったのだろうか。

「これが魔法の第一歩だ」マーリンはうなずいた。「魔力を感じ、認識し、そして操作する。全てはここから始まる」

その時、レイラが図書室に入ってきた。彼女の手には小さな袋が握られていた。

「師匠、東の森から採取したサンプルです。結界の裂け目の近くで見つけました」

マーリンは袋を受け取り、中身を机の上に広げた。黒ずんだ葉、変色した土、そして奇妙な形の石。どれも不気味なオーラを放っている。

「これは……闇の侵食が思ったより進行しているな」

「私もそう思います」レイラの表情が曇った。「昨日の戦いの後、さらに調査しましたが、裂け目は確実に広がっています。このままでは一週間も持たないかもしれません」

マーリンは深く考え込んだ。「では計画を早めなければならない。悠真の訓練も加速させる必要がある」

老人は悠真の方に向き直った。

「本来ならば、基礎を数年かけて固めるべきだ。しかし、時間がない。今日から実践的な訓練も並行して行おう」

「実践的な訓練?」

「あの『糸』を見る力だ」マーリンの目が真剣になった。「君はすでに一度、それを目にしている。今度は意識的に見ることを学ばなければならない」

レイラが心配そうに言った。「でも師匠、危なくないですか?彼はまだ魔力の基礎も……」

「危険はある」マーリンは認めた。「しかし、東の森の結界が崩壊すれば、周囲の村々が危険にさらされる。何百という命が失われるかもしれない。リスクを取る価値は十分にある」

悠真は二人の会話を聞きながら、覚悟を決めた。自分がここにいる理由、この力が与えられた理由。今はわからなくても、行動するしかない。

「僕も訓練を受けます。できる限りのことを」

マーリンは満足そうにうなずいた。「では午前中は魔力の感覚訓練、午後は『糸』の認識訓練を行おう。レイラ、君も手伝ってくれ」

「わかりました、師匠」

午前の訓練は引き続き水晶を使ったものだった。今度は複数の水晶を用意し、それぞれの魔力の違いを識別する練習だ。最初は混乱したが、次第にそれぞれが独特の「音色」を持っていることがわかってきた。

「魔法には様々な種類がある」マーリンが説明する。「元素魔法、精霊魔法、幻術、癒しの術。それぞれに魔力の性質が異なる。優れた魔術師は、それらを楽器のように使い分けることができる」

悠真は一つ一つの水晶に集中した。火の水晶は熱く激しい、水の水晶は滑らかで流動的、風の水晶は軽やかで変わりやすい。感覚が研ぎ澄まされていくのがわかった。

昼食後、午後の訓練が始まった。場所は塔の最上階にある円形の部屋。ここは天井がガラス張りで、空が丸見えになっている。

「この部屋は星見の間と呼ばれている」マーリンが説明した。「ここでは世界の層が薄く、『糸』が見えやすい。まずはリラックスして、目を閉じてみなさい」

悠真は部屋の中央に座り、目を閉じた。深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる。

「昨日、君は危機的な状況で自然に『糸』を見た」マーリンの声が静かに響く。「あれは本能的な反応だ。今度は意識的に同じ状態を作り出さなければならない。心の目を開くのだ」

何分かが過ぎた。最初は何も起こらない。しかし、次第に周囲の空間が「厚み」を帯びてくる感覚があった。目を閉じていても、部屋の形、マーリンの位置、レイラの存在がわかる。

「そうだ、その調子だ」マーリンが囁く。「さらに深く」

突然、視界が開けた。

目を開けていなくても「見える」。無数の光の糸が空間を埋め尽くし、絡み合い、流れている。それぞれが微妙に色合いを変え、振動し、まるで生き物のように動いている。

「見えます」悠真は息を殺した。「たくさんの糸が……」

「それらが世界の織物だ」マーリンの声が遠くから聞こえる。「今、感じていることを言葉にしてみなさい。何が見える?」

「細い糸、太い糸……青いもの、金色のもの、銀色のもの……それらが絡み合って、網の目のようになっています。ところどころにほつれがあります。小さな穴が空いているようで……」

「よくできた」マーリンが認めた。「では、そのほつれの一つに意識を向けてみなさい。ゆっくりと、急がないで」

悠真は最も近いほつれに意識を集中させた。それは小さな歪みで、周囲の糸が乱れ、ねじれている。昨日森で見た大きな裂け目とは比べ物にならないほど小さいが、確かに存在する。

「どうすれば直せるのですか?」

「糸の流れを感じることだ」マーリンが指導する。「無理に引っ張ったり、結んだりしてはならない。自然な流れを見つけ、そこに沿ってほつれを解くのだ」

悠真は慎重に意識を伸ばした。ほつれた糸に触れると、微かな抵抗を感じる。無理に引っ張れば切れてしまいそうだ。代わりに、糸が本来向かうべき方向を探る。

少しずつ、ほんの少しずつ、糸の緊張が緩んでいく。ねじれが解け、ほつれが閉じていく。まるで傷が癒えるように。

「おお……」レイラが感嘆の声を上げた。

悠真が目を開けると、星見の間の空気が澄んだように感じられた。ほつれは消え、糸の流れが滑らかになっている。

「成功だ」マーリンが微笑んだ。「君は小さな歪みを修復した。これが『門』の力の基本だ」

「でも、森の大きな裂け目を直すのは、これとは比べ物にならないでしょう?」

「その通り」マーリンは真剣な表情でうなずいた。「あれはこの千倍、いや一万倍の規模だ。しかし、原理は同じ。小さなほつれを直せるなら、大きな裂け目も理論的には直せる。必要なのは力と技術、そして何より経験だ」

その時、塔が微かに震えた。

三人は同時に窓の外を見た。東の方角に、不気味な紫の光が一瞬閃いた。

「また起きた」レイラが呟いた。「森での闇の活性化だ」

マーリンの表情が険しくなった。「時間がさらに迫っている。悠真、君の訓練は続けるが、休息も必要だ。今夜は早く休みなさい。明日からはより実践的な訓練を始めよう」

夜、悠真は自分の部屋で一日を振り返っていた。手のひらを見つめると、微かな光の残像がちらつくような気がした。あの糸の感覚、魔力の振動。全てが現実だ。

シャドウがベッドの端に跳び乗り、彼の横に座った。琥珀色の目が悠真を見つめている。

「お前は僕の守護者なんだよね?マーリンはそう言ってた」

猫は鳴き声を上げ、頭をこすりつけてきた。その温もりが不思議と安心感を与えてくれる。

ドアをノックする音がした。

「入って」

レイラが入ってきた。彼女の手には温かい飲み物が入ったカップが二つあった。

「眠れそうにないと思って。私も最初の頃はそうだったから」

「ありがとう」悠真はカップを受け取った。香りはハーブティーのようだ。

レイラは窓辺に腰掛け、外の夜景を見つめた。「あの紫の光、見えた?」

「うん。あれは?」

「闇の波動が強まった証拠だ」レイラの声に憂いが混じる。「この塔には結界が張られているから大丈夫だけど、森の近くの村々は危険にさらされている。人々は何も知らずに眠っている」

「僕に何ができる?」

レイラは振り向き、真剣な目で彼を見た。「あなたは『門』を持っている。世界の歪みを直す力がある。それは誰にもできないことなの」

「でも、まだ何もできない。小さなほつれを直しただけだ」

「それで十分よ」レイラは微笑んだ。「誰だって最初は小さな一歩から。私だって、最初の炎の魔法を覚えた時は蝋燭の火を灯すのがやっとだった。今では炎の壁を作れるようになったけど」

彼女はカップを手に持ち、考え込むように俯いた。

「マーリン師匠はあなたに大きな期待を寄せている。私も最初は疑っていたけど、今日の訓練を見て考えが変わった。あなたは確かに特別だ」

「特別かどうかはわからない」悠真はため息をついた。「ただ、目の前のことをこなしていくしかない」

「それでいいのよ」レイラは立ち上がった。「焦らず、一歩ずつ。私たちがついている。シャドウも」

そう言うと、彼女は部屋を出ていった。悠真はカップの最後の一口を飲み干し、ベッドに横になった。天井を見つめながら、今日学んだことを思い出す。

魔力の感覚。糸の流れ。ほつれの修復。

少しずつ、確かに力が目覚めている。怖さもあるが、同時にどこかわくわくもする。この力で誰かを助けられるかもしれない。意味のあることをできるかもしれない。

シャドウが彼の胸元に丸まり、温かい体を預けてきた。その鼓動が規則的に響く。

「よし、明日も頑張ろう」

窓の外では、二つの月が並んで輝き、無数の星が瞬いていた。アーケイディアの夜はまだまだ長いが、新しい朝が来ることは確かだった。

(続く)
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