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第4話 雪山の守り神、フェンリルの背中に乗って悠々下山(人化したらケモ耳美女でした)
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雪山の裏側でSSランクドラゴンが星になってから、数分後。
山の中腹を、惨めな姿で彷徨う4つの影があった。
勇者カイルとその取り巻きたちである。
「はぁ、はぁ……くそっ、寒い……なんで俺がこんな目に……」
カイルはガタガタと震えながら、膝まで埋まる雪を掻き分けて進んでいた。
かつて輝いていた白銀の鎧は捨てた。重すぎて歩けなかったからだ。
今は下着同然のインナーの上に、たまたま荷物の中に残っていたボロボロの防寒マント(予備用)を一枚羽織っているだけだ。
「カイルぅ……もう歩けないよぉ……おんぶしてぇ……」
「黙れマリア! 俺だって限界なんだ!」
背後で泣き言を漏らす聖女マリアを一喝する。
マリアもまた、美しい法衣は泥と雪で汚れ、鼻水を垂らした哀れな姿になっていた。
武闘家のニーナは無言で、死んだ魚のような目をして歩いている。
魔導師のレオンに至っては、杖を杖として(歩行補助具として)使いながら、ブツブツと何事かを呟いていた。
「あり得ない……僕の魔力が……計算が合わない……これは夢だ……」
現実逃避を始めたらしい。
彼らはゴブリンの群れから必死に逃げ出し、なんとか撒くことには成功したが、その代償として完全に遭難していた。
方向感覚はなく、猛吹雪で視界はゼロ。
レベル1の彼らにとって、この雪山は死の世界そのものだった。
「おい、あれを見ろ!」
カイルが指差した先。
吹雪の切れ間に、わずかだが岩陰が見えた。
風を凌げそうな場所だ。
「あそこで休もう! 少し休めば、体力も回復するはずだ!」
4人は希望を見出した遭難者のように、転がるようにして岩陰へと殺到した。
お互いに体を寄せ合い、わずかな体温を分け合う。
「うぅ……お腹空いた……」
「ニーナ、非常食は?」
「ないよぉ。全部リュックに入れたまま捨てちゃったもん」
絶望的な沈黙が流れる。
もしアレンがいれば。
この状況でも、彼はきっと魔法の鞄から温かいスープと焼きたてのパンを取り出し、魔石コンロで暖を取れるように手配してくれただろう。
テントだって、ふかふかの寝袋だってあったはずだ。
「ちくしょう……アレンの野郎……!」
カイルは歯ぎしりをした。
自分が彼を追放したことは棚に上げ、アレンが備品を持っていなかった(奪えなかった)ことを恨んだ。
「あいつ、絶対許さない。街に戻ったら、指名手配してやる。俺たちの装備を盗んだ罪で、極刑にしてやるからな……!」
「そうね……そうよ、あいつが悪いのよ……」
彼らがそうやって歪んだ恨みを募らせていた、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
地鳴りがした。
雪崩か? と全員が身構える。
だが、音は地下からではなく、空から降ってきた。
「な、なんだ?」
カイルが空を見上げる。
分厚い雪雲が渦を巻き、その中心から、何か巨大な物体が落下してくるのが見えた。
赤黒く燃える、隕石のような塊。
「い、隕石!?」
「いや、あれは……生き物!?」
落下してくる物体。
それは、アレンのデコピンによって遥か彼方から吹き飛ばされてきた、SSランクドラゴン『エンシェント・ヴォルカニック・ドラゴン』だった。
もちろん、彼らにそれを知る由はない。
ただ、とてつもなく巨大な「災厄」が、自分たちの頭上めがけて落ちてくることだけは理解できた。
「ひ、ひいいいいいいっ!?」
「逃げろおおおおおおっ!!」
疲労困憊の体に鞭打ち、彼らは蜘蛛の子を散らすように飛び出した。
直後。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
世界が揺れた。
彼らがさっきまで隠れていた岩陰のすぐ近くに、ドラゴンの巨体が墜落したのだ。
凄まじい衝撃波が発生し、降り積もった雪が津波となって押し寄せる。
「ギャアアアアアアッ!!」
カイルたちは木の葉のように吹き飛ばされた。
雪崩に巻き込まれ、もみくちゃにされながら斜面を転がり落ちていく。
幸運だったのは、ドラゴンの墜落地点が直撃コースから数十メートルずれていたことと、柔らかい新雪がクッションになったことだろう。
もし直撃していれば、彼らは肉片すら残らなかったはずだ。
数分後。
静寂が戻った雪原に、カイルは半分だけ顔を出していた。
「げほっ、ごほっ……!」
口に入った雪を吐き出す。
全身が痛い。だが、生きている。
「みんな……生きてるか……?」
「うぅ……死ぬかと思った……」
近くの雪山から、マリアとレオンが這い出してくる。ニーナも少し離れた場所で足をバタつかせているのが見えた。
しぶとい。
腐っても元Sランクパーティー、悪運だけは強いようだ。
カイルは震える足で立ち上がり、落下地点の方を見た。
そこには、巨大なクレーターができあがっており、その中心に見たこともないほど巨大なドラゴンの死体(のように見える気絶体)が横たわっていた。
「ど、ドラゴン……? なんでこんなところに……」
「まさか、空から降ってきたのか……?」
理解不能な事態に、思考が追いつかない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
彼らの進路――下山するためのルートが、ドラゴンの巨体と、それによって引き起こされた大規模な地形変動によって完全に塞がれてしまったということだ。
「あ……あぁ……」
カイルは膝から崩れ落ちた。
終わった。
もう、歩いて帰ることすらできない。
「神様……俺たちが何をしたっていうんだ……」
カイルが天を仰いで絶望に暮れていた、その時。
遥か頭上の斜面から、何かが滑り降りてくる気配がした。
「今度はなんだ!? また魔物か!?」
全員がビクついて身構える。
だが、聞こえてきたのは魔物の咆哮ではなく、楽しげな男女の声だった。
「わあぁぁっ! アレン様、速いです! 風になったみたいです!」
「ははは、フェリス、ちょっと飛ばしすぎだぞ。振り落とされそうだ」
「え?」
カイルたちは耳を疑った。
聞き覚えのある声。
いや、聞き間違いに決まっている。
あのアレンが、こんな楽しそうな声を出しているはずがない。
あいつは今頃、どこかで野垂れ死んでいるはずなのだから。
だが、その影は確実に近づいてきた。
白銀の閃光。
巨大な狼の姿をした獣が、雪煙を巻き上げながら、信じられない速度で斜面を駆け下りてくる。
その背中に乗っているのは――。
「よっと」
狼がカイルたちの目の前で急ブレーキをかけ、優雅に着地した。
風圧でカイルの前髪が舞い上がる。
巨大な銀狼の背中。
そこに跨っているのは、漆黒の高級そうなコートを身に纏い、顔色一つ変えずに涼しい顔をしている黒髪の青年。
「ア……アレン……?」
カイルは掠れた声でその名を呼んだ。
間違いようがない。
数時間前に自分たちが追放した、幼馴染の荷物持ちだ。
だが、雰囲気がまるで違う。
以前の彼は、常に背中を丸め、重い荷物に押し潰されそうな悲壮感を漂わせていた。
しかし今の彼はどうだ。
堂々とした姿勢、肌は艶やかで、全身から溢れ出るような自信とオーラを纏っている。
何より、彼が乗っているその魔物は……。
「フェ、フェンリル……!?」
レオンが裏返った声で叫んだ。
伝説の魔獣。
Sランクモンスターの中でも別格とされる、神の眷属。
それがなぜ、アレンを背中に乗せて、まるで忠実な愛犬のように大人しくしているのか。
アレンは、雪に埋もれたカイルたちを見下ろした。
その目は、まるで道端の石ころを見るかのような、無機質なものだった。
「ん? なんだ、お前らだったのか」
アレンは心底どうでもよさそうに言った。
「まだそんなところにいたのか。てっきり転移結晶で帰ったと思ってたよ」
その言葉が、カイルの神経を逆撫でした。
転移結晶がないのは誰のせいだと思っているんだ。
「お、お前……! その格好はなんだ! その魔物は!」
カイルは雪の中から這い出し、アレンを指差して喚いた。
「俺たちの装備を盗んで逃げたくせに、なんでそんな良いコートを着てるんだ! それに、そのフェンリルはなんだ! どうやってテイムした!」
「盗んだ?」
アレンは小首を傾げた。
「人聞きの悪いことを言うなよ。お前らが『荷物持ちはクビだ』って言ったんだろ? だから俺は、俺のスキルで収納していた自分の荷物を持って帰っただけだ。そこに入っていた装備も金も、管理者は俺だったからな」
「だ、だからって全部持っていくやつがあるか! 返せ! 今すぐ俺の聖剣を返せ!」
「嫌だね」
即答だった。
「これは俺が管理料として頂いておく。それに、今のレベル1のお前じゃ、聖剣なんて重くて持てないだろ?」
「なっ……!?」
カイルは言葉を失った。
なぜ、バレている?
自分たちがレベル1になったことを。
「鑑定……まさか、お前……」
「精々頑張って自力で下山しな。まあ、その装備じゃ夜を越すのは無理だろうけど」
アレンはフェンリルの首筋をポンと叩いた。
「行こうか、フェリス。ここ空気悪いし」
「はい、アレン様! こんな汚い虫けらたちの相手をする必要はありませんね!」
フェンリルが人語を喋ったことにも驚く間もなく、銀狼は鼻を鳴らし、カイルたちに向けて盛大に雪を蹴り上げた。
バサァッ!!
大量の雪を顔面に浴びて、カイルたちは再び埋もれる。
「あ、待て! 待ってくれアレン!」
マリアが悲鳴のような声を上げた。
「ごめんなさい! 私が悪かったわ! だから乗せて! お願い、私も連れて行って!」
かつての恋人(だと思っていた相手)の、プライドも何もない懇願。
だが、アレンは振り返りもしなかった。
「じゃあな。達者で」
ヒュンッ!!
風を切る音と共に、アレンとフェンリルは一瞬で加速した。
それはまさに疾風だった。
カイルたちが数時間かけて登ってきた道のりを、彼らはわずか数秒で駆け抜け、視界の彼方へと消えていった。
残されたのは、雪に埋もれた元勇者一行と、巨大なドラゴンの死体による通行止めだけ。
「…………畜生ぉおおおおおおおッ!!」
カイルの絶叫が、虚しく雪山に響き渡った。
***
「ふふっ、アレン様、あの方達の顔、傑作でしたね!」
山麓への道を駆け下りながら、フェンリル――フェリスが楽しそうに話しかけてきた。
俺の股の間(背中の上だが)から聞こえる彼女の声は弾んでいる。
「まあな。あそこまで落ちぶれているとは思わなかったけど」
俺は苦笑した。
正直、もう少し憎しみが湧くかと思ったが、実際に会ってみると、あまりにも惨めすぎて哀れみすら感じなかった。
今の俺と彼らとでは、住む世界が違いすぎる。
象が蟻を気にしないように、俺の中で彼らの存在は既にどうでもいいものになっていた。
「それよりフェリス、乗り心地最高だぞ。全然揺れないし、温かいし」
「きゃっ! そ、そうですか? アレン様にそう言っていただけると、背中の毛並みをお手入れした甲斐があります!」
フェリスは尻尾をブンブンと振っているのが分かった。
この巨体でそれをやられると、遠心力で少し揺れるのだが、それもご愛嬌だ。
あっという間に、景色が変わった。
白一色だった世界に、緑が混じり始める。
標高が下がり、気温も上がってきた。
「アレン様、もうすぐ街が見えてきます」
「ああ。さすがにその姿のままだと騒ぎになるから、手前で人化してくれるか?」
「はい、承知いたしました!」
森の入り口付近、人目につかない場所でフェリスは停止した。
俺が背中から降りると、彼女は再び光に包まれ、銀髪の美少女へと姿を変えた。
「お待たせしました、アレン様!」
ニコニコと笑顔で駆け寄ってくるフェリス。
その姿は、白いワンピース姿の可憐な少女そのものだ。
ただ一つ、頭頂部にある銀色のモフモフした獣耳と、お尻の方で揺れているふさふさの尻尾を除けば。
「うーん、耳と尻尾は隠せないのか?」
「えっ? あ、はい……興奮すると出てしまって……今はアレン様と一緒なので、嬉しくて引っ込められないのです」
顔を赤らめてモジモジするフェリス。
可愛いから許す。
だが、これでは街中で目立ってしまう。
獣人族は珍しくはないが、フェンリルの耳と尻尾は特徴的すぎる。
「仕方ないな。これを着ておけ」
俺は【亜空間倉庫】から、フード付きのローブを取り出した。
これはカイルのために予備で持っていた『隠者のローブ』だ。
認識阻害の魔法がかかっており、顔や特徴を隠すのに丁度いい。
「わあ、アレン様の匂いがします……!」
「いや、それは新品だからしないと思うぞ」
フェリスは嬉しそうにローブを羽織り、フードを深く被った。
これで一見すると、ただの魔法使いの少女に見えなくもない。
「よし、行こうか。まずはギルドだ」
「はい! どこまでもお供します!」
俺たちは並んで歩き出した。
目指すは、山麓の要塞都市『バルガ』。
ここはこの地方最大の冒険者の拠点であり、俺たちがダンジョンアタックのために滞在していた街でもある。
門番にギルド証を見せ(俺の分だけはちゃんと持っていた)、中に入る。
カイルたちが戻っていないことは、まだ知られていないはずだ。
街は活気に満ちていた。
だが、俺たちが歩くと、すれ違う人々が二度見してくるのを感じた。
「おい、見ろよあの男……」
「すげえイイ男だな。貴族様か?」
「隣の女の子も、フード被ってるけど絶対美人だぞ」
どうやら、レベルアップによる肉体改造で、俺の容姿もそれなりに向上しているらしい。
以前は「地味な荷物持ち」として誰の記憶にも残らなかった俺が、今は注目の的だ。
悪い気分ではない。
冒険者ギルド『竜の顎』亭の扉を開ける。
喧騒に包まれていた酒場が一瞬、静まり返った気がした。
俺は真っ直ぐにカウンターへと向かった。
受付嬢のミリィさんが、目を丸くして俺を見ている。
「あ、アレンさん? え、アレンさんですよね?」
「ああ、久しぶり。ミリィさん」
「ひ、久しぶりって、今朝出発したばかりじゃないですか! それに、その格好……雰囲気も全然違って……」
彼女は俺の全身をジロジロと見た後、背後のカイルたちがいないことに気づいたようだ。
「あれ? 勇者カイル様たちは?」
「ああ、彼らならまだ山の中だよ」
俺はさらりと言った。
「俺はパーティーをクビになったからね。一足先に帰ってきたんだ」
「ええっ!? クビ!? この極寒の霊峰で、荷物持ちのアレンさんを置いてけぼりにしたんですか!?」
ミリィさんの大声に、ギルド中の冒険者たちがざわついた。
勇者パーティーの非道な行い。
それは瞬く間に噂となるだろう。
「まあ、俺は運良く自力で帰ってこられたけどね。彼らはまだ『修行』をするそうだよ。装備も食料もない状態で」
「そ、そんな……死んじゃいますよ!」
「大丈夫じゃないかな? 彼らは『最強』の勇者パーティーなんだから」
俺は皮肉たっぷりに笑った。
そして、カウンターにドン! と巨大な革袋を置いた。
「それより、素材の買取をお願いしたいんだけど」
「は、はい。ゴブリンの魔石か何かですか?」
「いや」
俺は袋の口を開けた。
中から溢れ出したのは、眩いばかりの光を放つ純白の毛皮と、巨大な牙。
そして、虹色に輝くドラゴンの鱗(さっきデコピンした時に剥がれ落ちたやつを拾っておいた)。
「ホ、ホワイトウルフ・ロードの素材!? それに、この熱を帯びた鱗は……まさかドラゴンの!?」
「!!」
ギルド内が爆発したような騒ぎになった。
Sランク素材の山。
それを涼しい顔で持ってきた、元荷物持ちの青年。
「これ、全部アレンさんが……?」
「ああ。帰り道に襲ってきたから、ちょっと返り討ちにしたんだ」
俺は微笑んだ。
これが、俺の成り上がり伝説の第一歩。
まずはこの街で、圧倒的な財力と名声を手に入れる。
そして、カイルたちが(もし生きて戻れたら)見るのは、雲の上の存在となった俺の姿だ。
「さあ、査定してくれ。いくらになる?」
俺の問いかけに、ミリィさんは震える手で計算機を取り出した。
(つづく)
山の中腹を、惨めな姿で彷徨う4つの影があった。
勇者カイルとその取り巻きたちである。
「はぁ、はぁ……くそっ、寒い……なんで俺がこんな目に……」
カイルはガタガタと震えながら、膝まで埋まる雪を掻き分けて進んでいた。
かつて輝いていた白銀の鎧は捨てた。重すぎて歩けなかったからだ。
今は下着同然のインナーの上に、たまたま荷物の中に残っていたボロボロの防寒マント(予備用)を一枚羽織っているだけだ。
「カイルぅ……もう歩けないよぉ……おんぶしてぇ……」
「黙れマリア! 俺だって限界なんだ!」
背後で泣き言を漏らす聖女マリアを一喝する。
マリアもまた、美しい法衣は泥と雪で汚れ、鼻水を垂らした哀れな姿になっていた。
武闘家のニーナは無言で、死んだ魚のような目をして歩いている。
魔導師のレオンに至っては、杖を杖として(歩行補助具として)使いながら、ブツブツと何事かを呟いていた。
「あり得ない……僕の魔力が……計算が合わない……これは夢だ……」
現実逃避を始めたらしい。
彼らはゴブリンの群れから必死に逃げ出し、なんとか撒くことには成功したが、その代償として完全に遭難していた。
方向感覚はなく、猛吹雪で視界はゼロ。
レベル1の彼らにとって、この雪山は死の世界そのものだった。
「おい、あれを見ろ!」
カイルが指差した先。
吹雪の切れ間に、わずかだが岩陰が見えた。
風を凌げそうな場所だ。
「あそこで休もう! 少し休めば、体力も回復するはずだ!」
4人は希望を見出した遭難者のように、転がるようにして岩陰へと殺到した。
お互いに体を寄せ合い、わずかな体温を分け合う。
「うぅ……お腹空いた……」
「ニーナ、非常食は?」
「ないよぉ。全部リュックに入れたまま捨てちゃったもん」
絶望的な沈黙が流れる。
もしアレンがいれば。
この状況でも、彼はきっと魔法の鞄から温かいスープと焼きたてのパンを取り出し、魔石コンロで暖を取れるように手配してくれただろう。
テントだって、ふかふかの寝袋だってあったはずだ。
「ちくしょう……アレンの野郎……!」
カイルは歯ぎしりをした。
自分が彼を追放したことは棚に上げ、アレンが備品を持っていなかった(奪えなかった)ことを恨んだ。
「あいつ、絶対許さない。街に戻ったら、指名手配してやる。俺たちの装備を盗んだ罪で、極刑にしてやるからな……!」
「そうね……そうよ、あいつが悪いのよ……」
彼らがそうやって歪んだ恨みを募らせていた、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
地鳴りがした。
雪崩か? と全員が身構える。
だが、音は地下からではなく、空から降ってきた。
「な、なんだ?」
カイルが空を見上げる。
分厚い雪雲が渦を巻き、その中心から、何か巨大な物体が落下してくるのが見えた。
赤黒く燃える、隕石のような塊。
「い、隕石!?」
「いや、あれは……生き物!?」
落下してくる物体。
それは、アレンのデコピンによって遥か彼方から吹き飛ばされてきた、SSランクドラゴン『エンシェント・ヴォルカニック・ドラゴン』だった。
もちろん、彼らにそれを知る由はない。
ただ、とてつもなく巨大な「災厄」が、自分たちの頭上めがけて落ちてくることだけは理解できた。
「ひ、ひいいいいいいっ!?」
「逃げろおおおおおおっ!!」
疲労困憊の体に鞭打ち、彼らは蜘蛛の子を散らすように飛び出した。
直後。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
世界が揺れた。
彼らがさっきまで隠れていた岩陰のすぐ近くに、ドラゴンの巨体が墜落したのだ。
凄まじい衝撃波が発生し、降り積もった雪が津波となって押し寄せる。
「ギャアアアアアアッ!!」
カイルたちは木の葉のように吹き飛ばされた。
雪崩に巻き込まれ、もみくちゃにされながら斜面を転がり落ちていく。
幸運だったのは、ドラゴンの墜落地点が直撃コースから数十メートルずれていたことと、柔らかい新雪がクッションになったことだろう。
もし直撃していれば、彼らは肉片すら残らなかったはずだ。
数分後。
静寂が戻った雪原に、カイルは半分だけ顔を出していた。
「げほっ、ごほっ……!」
口に入った雪を吐き出す。
全身が痛い。だが、生きている。
「みんな……生きてるか……?」
「うぅ……死ぬかと思った……」
近くの雪山から、マリアとレオンが這い出してくる。ニーナも少し離れた場所で足をバタつかせているのが見えた。
しぶとい。
腐っても元Sランクパーティー、悪運だけは強いようだ。
カイルは震える足で立ち上がり、落下地点の方を見た。
そこには、巨大なクレーターができあがっており、その中心に見たこともないほど巨大なドラゴンの死体(のように見える気絶体)が横たわっていた。
「ど、ドラゴン……? なんでこんなところに……」
「まさか、空から降ってきたのか……?」
理解不能な事態に、思考が追いつかない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
彼らの進路――下山するためのルートが、ドラゴンの巨体と、それによって引き起こされた大規模な地形変動によって完全に塞がれてしまったということだ。
「あ……あぁ……」
カイルは膝から崩れ落ちた。
終わった。
もう、歩いて帰ることすらできない。
「神様……俺たちが何をしたっていうんだ……」
カイルが天を仰いで絶望に暮れていた、その時。
遥か頭上の斜面から、何かが滑り降りてくる気配がした。
「今度はなんだ!? また魔物か!?」
全員がビクついて身構える。
だが、聞こえてきたのは魔物の咆哮ではなく、楽しげな男女の声だった。
「わあぁぁっ! アレン様、速いです! 風になったみたいです!」
「ははは、フェリス、ちょっと飛ばしすぎだぞ。振り落とされそうだ」
「え?」
カイルたちは耳を疑った。
聞き覚えのある声。
いや、聞き間違いに決まっている。
あのアレンが、こんな楽しそうな声を出しているはずがない。
あいつは今頃、どこかで野垂れ死んでいるはずなのだから。
だが、その影は確実に近づいてきた。
白銀の閃光。
巨大な狼の姿をした獣が、雪煙を巻き上げながら、信じられない速度で斜面を駆け下りてくる。
その背中に乗っているのは――。
「よっと」
狼がカイルたちの目の前で急ブレーキをかけ、優雅に着地した。
風圧でカイルの前髪が舞い上がる。
巨大な銀狼の背中。
そこに跨っているのは、漆黒の高級そうなコートを身に纏い、顔色一つ変えずに涼しい顔をしている黒髪の青年。
「ア……アレン……?」
カイルは掠れた声でその名を呼んだ。
間違いようがない。
数時間前に自分たちが追放した、幼馴染の荷物持ちだ。
だが、雰囲気がまるで違う。
以前の彼は、常に背中を丸め、重い荷物に押し潰されそうな悲壮感を漂わせていた。
しかし今の彼はどうだ。
堂々とした姿勢、肌は艶やかで、全身から溢れ出るような自信とオーラを纏っている。
何より、彼が乗っているその魔物は……。
「フェ、フェンリル……!?」
レオンが裏返った声で叫んだ。
伝説の魔獣。
Sランクモンスターの中でも別格とされる、神の眷属。
それがなぜ、アレンを背中に乗せて、まるで忠実な愛犬のように大人しくしているのか。
アレンは、雪に埋もれたカイルたちを見下ろした。
その目は、まるで道端の石ころを見るかのような、無機質なものだった。
「ん? なんだ、お前らだったのか」
アレンは心底どうでもよさそうに言った。
「まだそんなところにいたのか。てっきり転移結晶で帰ったと思ってたよ」
その言葉が、カイルの神経を逆撫でした。
転移結晶がないのは誰のせいだと思っているんだ。
「お、お前……! その格好はなんだ! その魔物は!」
カイルは雪の中から這い出し、アレンを指差して喚いた。
「俺たちの装備を盗んで逃げたくせに、なんでそんな良いコートを着てるんだ! それに、そのフェンリルはなんだ! どうやってテイムした!」
「盗んだ?」
アレンは小首を傾げた。
「人聞きの悪いことを言うなよ。お前らが『荷物持ちはクビだ』って言ったんだろ? だから俺は、俺のスキルで収納していた自分の荷物を持って帰っただけだ。そこに入っていた装備も金も、管理者は俺だったからな」
「だ、だからって全部持っていくやつがあるか! 返せ! 今すぐ俺の聖剣を返せ!」
「嫌だね」
即答だった。
「これは俺が管理料として頂いておく。それに、今のレベル1のお前じゃ、聖剣なんて重くて持てないだろ?」
「なっ……!?」
カイルは言葉を失った。
なぜ、バレている?
自分たちがレベル1になったことを。
「鑑定……まさか、お前……」
「精々頑張って自力で下山しな。まあ、その装備じゃ夜を越すのは無理だろうけど」
アレンはフェンリルの首筋をポンと叩いた。
「行こうか、フェリス。ここ空気悪いし」
「はい、アレン様! こんな汚い虫けらたちの相手をする必要はありませんね!」
フェンリルが人語を喋ったことにも驚く間もなく、銀狼は鼻を鳴らし、カイルたちに向けて盛大に雪を蹴り上げた。
バサァッ!!
大量の雪を顔面に浴びて、カイルたちは再び埋もれる。
「あ、待て! 待ってくれアレン!」
マリアが悲鳴のような声を上げた。
「ごめんなさい! 私が悪かったわ! だから乗せて! お願い、私も連れて行って!」
かつての恋人(だと思っていた相手)の、プライドも何もない懇願。
だが、アレンは振り返りもしなかった。
「じゃあな。達者で」
ヒュンッ!!
風を切る音と共に、アレンとフェンリルは一瞬で加速した。
それはまさに疾風だった。
カイルたちが数時間かけて登ってきた道のりを、彼らはわずか数秒で駆け抜け、視界の彼方へと消えていった。
残されたのは、雪に埋もれた元勇者一行と、巨大なドラゴンの死体による通行止めだけ。
「…………畜生ぉおおおおおおおッ!!」
カイルの絶叫が、虚しく雪山に響き渡った。
***
「ふふっ、アレン様、あの方達の顔、傑作でしたね!」
山麓への道を駆け下りながら、フェンリル――フェリスが楽しそうに話しかけてきた。
俺の股の間(背中の上だが)から聞こえる彼女の声は弾んでいる。
「まあな。あそこまで落ちぶれているとは思わなかったけど」
俺は苦笑した。
正直、もう少し憎しみが湧くかと思ったが、実際に会ってみると、あまりにも惨めすぎて哀れみすら感じなかった。
今の俺と彼らとでは、住む世界が違いすぎる。
象が蟻を気にしないように、俺の中で彼らの存在は既にどうでもいいものになっていた。
「それよりフェリス、乗り心地最高だぞ。全然揺れないし、温かいし」
「きゃっ! そ、そうですか? アレン様にそう言っていただけると、背中の毛並みをお手入れした甲斐があります!」
フェリスは尻尾をブンブンと振っているのが分かった。
この巨体でそれをやられると、遠心力で少し揺れるのだが、それもご愛嬌だ。
あっという間に、景色が変わった。
白一色だった世界に、緑が混じり始める。
標高が下がり、気温も上がってきた。
「アレン様、もうすぐ街が見えてきます」
「ああ。さすがにその姿のままだと騒ぎになるから、手前で人化してくれるか?」
「はい、承知いたしました!」
森の入り口付近、人目につかない場所でフェリスは停止した。
俺が背中から降りると、彼女は再び光に包まれ、銀髪の美少女へと姿を変えた。
「お待たせしました、アレン様!」
ニコニコと笑顔で駆け寄ってくるフェリス。
その姿は、白いワンピース姿の可憐な少女そのものだ。
ただ一つ、頭頂部にある銀色のモフモフした獣耳と、お尻の方で揺れているふさふさの尻尾を除けば。
「うーん、耳と尻尾は隠せないのか?」
「えっ? あ、はい……興奮すると出てしまって……今はアレン様と一緒なので、嬉しくて引っ込められないのです」
顔を赤らめてモジモジするフェリス。
可愛いから許す。
だが、これでは街中で目立ってしまう。
獣人族は珍しくはないが、フェンリルの耳と尻尾は特徴的すぎる。
「仕方ないな。これを着ておけ」
俺は【亜空間倉庫】から、フード付きのローブを取り出した。
これはカイルのために予備で持っていた『隠者のローブ』だ。
認識阻害の魔法がかかっており、顔や特徴を隠すのに丁度いい。
「わあ、アレン様の匂いがします……!」
「いや、それは新品だからしないと思うぞ」
フェリスは嬉しそうにローブを羽織り、フードを深く被った。
これで一見すると、ただの魔法使いの少女に見えなくもない。
「よし、行こうか。まずはギルドだ」
「はい! どこまでもお供します!」
俺たちは並んで歩き出した。
目指すは、山麓の要塞都市『バルガ』。
ここはこの地方最大の冒険者の拠点であり、俺たちがダンジョンアタックのために滞在していた街でもある。
門番にギルド証を見せ(俺の分だけはちゃんと持っていた)、中に入る。
カイルたちが戻っていないことは、まだ知られていないはずだ。
街は活気に満ちていた。
だが、俺たちが歩くと、すれ違う人々が二度見してくるのを感じた。
「おい、見ろよあの男……」
「すげえイイ男だな。貴族様か?」
「隣の女の子も、フード被ってるけど絶対美人だぞ」
どうやら、レベルアップによる肉体改造で、俺の容姿もそれなりに向上しているらしい。
以前は「地味な荷物持ち」として誰の記憶にも残らなかった俺が、今は注目の的だ。
悪い気分ではない。
冒険者ギルド『竜の顎』亭の扉を開ける。
喧騒に包まれていた酒場が一瞬、静まり返った気がした。
俺は真っ直ぐにカウンターへと向かった。
受付嬢のミリィさんが、目を丸くして俺を見ている。
「あ、アレンさん? え、アレンさんですよね?」
「ああ、久しぶり。ミリィさん」
「ひ、久しぶりって、今朝出発したばかりじゃないですか! それに、その格好……雰囲気も全然違って……」
彼女は俺の全身をジロジロと見た後、背後のカイルたちがいないことに気づいたようだ。
「あれ? 勇者カイル様たちは?」
「ああ、彼らならまだ山の中だよ」
俺はさらりと言った。
「俺はパーティーをクビになったからね。一足先に帰ってきたんだ」
「ええっ!? クビ!? この極寒の霊峰で、荷物持ちのアレンさんを置いてけぼりにしたんですか!?」
ミリィさんの大声に、ギルド中の冒険者たちがざわついた。
勇者パーティーの非道な行い。
それは瞬く間に噂となるだろう。
「まあ、俺は運良く自力で帰ってこられたけどね。彼らはまだ『修行』をするそうだよ。装備も食料もない状態で」
「そ、そんな……死んじゃいますよ!」
「大丈夫じゃないかな? 彼らは『最強』の勇者パーティーなんだから」
俺は皮肉たっぷりに笑った。
そして、カウンターにドン! と巨大な革袋を置いた。
「それより、素材の買取をお願いしたいんだけど」
「は、はい。ゴブリンの魔石か何かですか?」
「いや」
俺は袋の口を開けた。
中から溢れ出したのは、眩いばかりの光を放つ純白の毛皮と、巨大な牙。
そして、虹色に輝くドラゴンの鱗(さっきデコピンした時に剥がれ落ちたやつを拾っておいた)。
「ホ、ホワイトウルフ・ロードの素材!? それに、この熱を帯びた鱗は……まさかドラゴンの!?」
「!!」
ギルド内が爆発したような騒ぎになった。
Sランク素材の山。
それを涼しい顔で持ってきた、元荷物持ちの青年。
「これ、全部アレンさんが……?」
「ああ。帰り道に襲ってきたから、ちょっと返り討ちにしたんだ」
俺は微笑んだ。
これが、俺の成り上がり伝説の第一歩。
まずはこの街で、圧倒的な財力と名声を手に入れる。
そして、カイルたちが(もし生きて戻れたら)見るのは、雲の上の存在となった俺の姿だ。
「さあ、査定してくれ。いくらになる?」
俺の問いかけに、ミリィさんは震える手で計算機を取り出した。
(つづく)
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