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第5話 ギルドでの報告。「勇者が帰ってこない? 装備がないと無理でしょうね」
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「こ、これは……本物だ……間違いねぇ……」
冒険者ギルド『竜の顎』亭の査定カウンター。
そこに置かれた白銀の毛皮と、熱を放つ赤黒い鱗を前にして、鑑定士の老人は震える手でルーペを覗き込んでいた。
彼の額からは滝のような脂汗が流れ落ち、眼鏡が曇るのを何度も指で拭っている。
周囲を取り囲む冒険者たちの喧騒は、いつの間にか静寂へと変わっていた。
誰もが息を呑み、唾を飲み込む音さえ聞こえてきそうな緊張感が場を支配している。
「おい、じじい。どうなんだよ。それは本物なのか?」
痺れを切らした屈強な戦士の一人が声を上げた。
鑑定士はガバリと顔を上げ、血走った目で叫んだ。
「本物どころの騒ぎじゃねぇ! この毛皮は『氷の皇帝』ホワイトウルフ・ロードの、それも一切の傷がない最上級品だ! そしてこっちの鱗は……伝説級の『エンシェント・ヴォルカニック・ドラゴン』の逆鱗だぞ!? こんなもん、王都の博物館でしかお目にかかれねぇ代物だ!」
ドッと、ギルド内が再び沸騰した。
「すげぇ……マジかよ」
「ロードを無傷で? それにドラゴンの鱗って、どうやって手に入れたんだ?」
「おい、あいつ……元『暁の剣』の荷物持ちのアレンだろ? あんな冴えない男が、どうやって……」
畏怖、嫉妬、好奇心。
様々な視線が俺に突き刺さるが、レベル9999の精神耐性を持つ俺には、そよ風ほどにも感じられなかった。
俺はカウンターに肘をつき、涼しい顔で受付嬢のミリィに微笑みかけた。
「で、いくらになる?」
「は、はい! えっと、その……金額があまりに大きすぎて、私の一存では……!」
ミリィがパニックになって目を回しかけたその時、ギルドの奥にある重厚な扉が開かれた。
ドスドスと床を揺らして現れたのは、身の丈2メートルはある巨漢。
顔に大きな刀傷を持ち、かつては「岩砕き」の異名で知られた元Sランク冒険者、ギルドマスターのガンザスだ。
「騒がしいぞ、テメェら! ギルドが壊れるかと思ったじゃねぇか!」
ガンザスの怒号一発で、荒くれ者たちが静まり返る。
彼は鋭い眼光を巡らせ、カウンターの上の素材、そして俺の顔を見てピタリと視線を止めた。
「……アレンか。久しぶりだな」
「どうも、マスター。お元気そうで」
「ふん。テメェがこんな派手な土産を持って帰ってくるとはな。……部屋に来い。詳しい話を聞かせてもらおうか」
ガンザスは顎で奥の部屋をしゃくった。
俺は肩をすくめ、隣でフードを目深に被って俺の服の裾を握りしめているフェリスに声をかけた。
「行こうか」
「はい、アレン様……」
フェリスは周囲の視線を警戒するように、低く唸り声を漏らしていたが、俺が頭を撫でるとすぐにおとなしくなった。
***
ギルドマスター室。
革張りのソファーに座らされた俺の前で、ガンザスは腕を組んで眉間に深い皺を寄せていた。
「さて、単刀直入に聞くぞ。あの素材はどこで手に入れた? 勇者カイルたちはどうした? なぜお前だけがここにいる?」
矢継ぎ早の質問。
俺はテーブルに出された茶を一口啜ってから、淡々と答えた。
「素材は帰り道で襲ってきたやつを返り討ちにしただけです。カイルたちはまだ山にいますよ。俺は彼らにクビを宣告されたんで、一人で帰ってきたんです」
「……クビだ、と?」
ガンザスの目が険しくなる。
「おい、待て。場所はどこだ? どこで解雇された?」
「『氷獄の霊峰』の中腹、八合目の古代遺跡前あたりですね」
「なっ……!?」
ガンザスがバン! と机を叩いて立ち上がった。
分厚いオーク材の机がミシミシと悲鳴を上げる。
「八合目だと!? あそこは標高4000メートルを超え、気温はマイナス30度を下回る死の世界だぞ! そこでパーティーメンバーを、しかも戦闘職じゃない荷物持ちを追放したってのか!? 正気か!?」
「彼らは至って正気でしたよ。『お前のような役立たずは要らない、経験値の無駄だ』ってね」
「馬鹿野郎がッ!!」
ガンザスの怒号が室内に響いた。
彼は勇者パーティーの実力を買っていたが、その驕り高ぶった性格には以前から懸念を抱いていたらしい。
だが、まさかここまで腐っているとは思わなかったのだろう。
「……ですまん。お前が生きて戻れたのは奇跡だが……カイルたちはどうした? そのまま攻略を続行したのか?」
「ええ、そのつもりみたいでしたよ」
「……あいつら、帰りの手段はどう確保している? お前がいなくなった今、荷物は誰が持っているんだ?」
さすがはギルドマスター。
すぐに核心に気づいたようだ。
俺は意地悪く笑って、自分のマジックポーチをポンと叩いた。
「俺ですよ」
「は?」
「彼らは『荷物持ちは要らない』と言いましたが、『荷物を置いていけ』とは言いませんでした。それに、俺の収納スキルは俺にしか扱えない。中身を取り出すこともできませんから、そのまま持って帰ってきました」
「…………」
ガンザスは口を半開きにして固まった。
「つまり……彼らは今、あの極寒の雪山で、食料も、野営道具も、予備の武器も、回復薬もなしに……丸腰で放り出されているということか?」
「そうなりますね。あ、そうそう。転移結晶も俺のポーチの中でした」
「…………」
ガンザスは天を仰ぎ、深いため息をついた。
その顔には、呆れと、そして絶望的な状況への理解が浮かんでいた。
「終わったな」
一言だった。
「食料もなし、帰還手段もなし。あそこはSランク魔物がうろつく魔境だ。勇者とはいえ、補給なしで生き延びられる場所じゃねぇ。ましてや、今の気候は大荒れだ」
「まあ、彼らは『最強』ですからね。木の根っことか齧って生き延びるんじゃないですか?」
俺が他人事のように言うと、ガンザスは鋭い目で俺を睨んだ。
だが、その目には責める色はなかった。
「……お前、随分と変わったな。昔はもっとオドオドしていたが、今は肝が座っているというか……底が見えねぇ」
「死にかけたんでね。覚悟が決まったんですよ」
「そうか。……まあいい。カイルたちのことは、ギルドとして捜索隊を出すかどうか検討するが、今の天候じゃ二次遭難がオチだ。事実上、彼らは『遭難』、最悪の場合は『死亡』扱いになるだろう」
勇者パーティーの全滅。
それは国家的な損失であり、大ニュースだ。
だが、俺の心は驚くほど痛まなかった。
「それで、俺の素材の買取はどうなります? まさか勇者の捜索費用に充てるから没収、なんて言いませんよね?」
「言うわけあるか。ギルドは公平だ。……査定額だが」
ガンザスは引き出しから一枚の羊皮紙を取り出し、羽ペンで数字を書き殴った。
そして、それを俺に提示する。
「金貨で言うと、およそ5億ガルドだ」
「ごっ……!?」
さすがの俺も声が出そうになった。
5億ガルド。
この国で城付きの領地が買える金額だ。
一般市民の生涯年収が3000万ガルド程度であることを考えれば、天文学的な数字である。
「ホワイトウルフ・ロードの素材も希少だが、ドラゴンの鱗、これがデカイ。加工すれば国宝級の防具ができる。王家が言い値で買い取るだろうよ」
「なるほど。じゃあ、それでお願いします」
「支払いはギルドの口座に振り込んでおく。ギルドカードを更新すれば、どこの街でも引き出せるようになる」
ガンザスは手続きの書類を作成し始めた。
その手際は早いが、どこか上の空だった。
やはり、勇者パーティーの件が頭を離れないのだろう。
「ときにアレン。お前のランクだが、今はFランクだったな」
「ええ、万年Fランクの荷物持ちでしたから」
「今回の討伐実績と、これだけの素材を持ち帰る実力……特例で昇格させる。B、いや、Aランクでもいいくらいだが……いきなり上げると周囲がうるさい。まずはCランクからだ。文句はないな?」
「ありませんよ。ランクなんて飾りですから」
「ふん、言うようになったな」
ガンザスはニヤリと笑い、新しいギルドカードを俺に投げ渡した。
銀色に輝くCランクカード。
これで俺も、一人前の冒険者として認められたわけだ。
「それと、そこの嬢ちゃん」
ガンザスが、俺の隣でじっとしているフェリスに視線を向けた。
「さっきから殺気がすげぇんだが、お前の連れか?」
「ああ、紹介します。俺の相棒のフェリスです。魔導師……みたいなものです」
「……みたいなもの、か。まあ深くは聞かん。ギルド証を作るなら手続きをしておけ。身分証代わりになる」
「フェリス、どうする?」
俺が聞くと、フェリスはフードの下から金色の瞳を輝かせた。
「アレン様と同じ証……! はい、欲しいです!」
「じゃあ、登録を頼みます」
ミリィが呼ばれ、水晶玉を持ってきた。
ステータス測定だ。
フェリスが恐る恐る手をかざす。
ボウッ!!
水晶玉が眩い白銀の光を放ち、ピキピキと音を立ててヒビが入った。
「ひぃっ!?」
ミリィが悲鳴を上げる。
「あー……」
俺は頭をかいた。
フェリスは人化しているとはいえ、中身はSランクモンスターのフェンリルだ。
人間のための測定器では容量オーバーなのだろう。
「こ、壊れちゃいました……でも、測定結果は出てます!」
ミリィが震える声で読み上げる。
【名前】フェリス
【職業】魔導師(仮)
【魔力】測定不能(Sランク相当以上)
【スキル】氷結魔法(極)、身体強化(極)、野生の勘……
「魔力測定不能……!? Sランク以上!?」
ガンザスが椅子から転げ落ちそうになった。
「おいアレン! お前、とんでもねぇ化け物を連れてきたな!?」
「まあ、頼りになる相棒ですよ」
俺は笑って誤魔化した。
フェリスは「えへへ」と照れて、俺の腕に抱きついてきた。
柔らかい感触が当たる。
ガンザスは呆れたように首を振った。
「まったく……お前、本当にただの荷物持ちだったのか? 勇者カイルが見抜けなかった才能が、お前にはあったってことか」
「さあね。カイルたちは俺を『無能』と呼んでいましたから」
「節穴だったな、あいつらは。……世界を救うのは勇者じゃなくて、案外お前みたいなやつかもしれん」
ガンザスは意味深なことを呟き、背もたれに体を預けた。
「とりあえず、今日はもう休め。勇者の件については、明日また正式に聴取するかもしれんが、お前にお咎めはない。追放された被害者だからな」
「助かります。では」
俺は立ち上がり、フェリスを連れて部屋を出ようとした。
その時、ドアが勢いよく開かれ、伝令の職員が飛び込んできた。
「マスター! 大変です! 『氷獄の霊峰』の方角で、大規模な爆発音が観測されました! それに、山頂付近の天候が異常です! 見たこともない黒い雲が……」
「なんだと!?」
ガンザスの顔色がサッと変わる。
俺はピンときた。
爆発音。それは間違いなく、さっき俺がデコピンで吹き飛ばしたドラゴンが墜落した音だろう。
そして異常気象は、おそらくドラゴンの死体から漏れ出した魔力が環境に影響を与えているのだ。
「……まさか、魔王軍の仕業か? 勇者たちが交戦しているのか?」
ガンザスが緊迫した表情で推測するが、俺は心の中で「違います、俺のデコピンです」と訂正しておいた。
もちろん、口には出さない。
「アレン! お前、何か心当たりは……」
「いえ、さっぱり」
俺はすっとぼけた。
「俺はただ、急いで帰ってきただけですから。じゃあ、お疲れ様でした」
俺は逃げるようにギルドを出た。
背後でガンザスが怒号を飛ばし、対策本部を設置しろと叫んでいるのが聞こえる。
悪いな、マスター。
でも、今の俺はもう「世界を救う義務」なんて背負っていないんだ。
***
ギルドを出ると、空は既に茜色に染まっていた。
街の目抜き通りには、夕食の支度をする匂いが漂っている。
「アレン様、これからどうなさるのですか?」
フェリスがフードを少し上げて、上目遣いで聞いてきた。
俺は懐に入ったギルドカード(と、そこに記録された5億ガルドの残高)を思い浮かべ、ニヤリと笑った。
「そうだな。まずは宿を取ろう。今まで泊まれなかった、一番高い宿のスイートルームだ」
「すいーとるーむ……! 甘いお部屋ですか?」
「甘くて広い部屋だよ。それから、服も買いに行こう。フェリスにもっと似合う服をな」
「わあ! アレン様とお買い物! 嬉しいです!」
フェリスがぴょんぴょんと跳ねる。
その拍子に、ローブの下で尻尾が揺れるのがわかった。
「それと……」
俺は山の方角を振り返った。
夕闇に沈む白銀の山脈。
あの中腹で、今まさにカイルたちが地獄を見ているはずだ。
「今日は美味しい酒が飲めそうだ」
俺たちが高級宿『王の休息』に向かって歩き出したその頃。
山の方角から、空気を震わせるような遠吠えが聞こえた気がした。
それは魔物の声か、それとも絶望した勇者の叫びか。
俺にはもう、関係のないことだった。
***
【一方その頃】
標高3500メートル地点。
ドラゴンの墜落によって地形が変わった雪山で、カイルたちは身を寄せ合っていた。
「さ、寒い……火が……つかない……」
レオンが震える手で火打石を打つが、湿った雪の上では火花が散るだけで、薪代わりの枯れ木に火がつかない。
そもそも、この高度では酸素が薄く、火がつきにくいのだ。
そんな知識すら、彼らは持っていなかった。
全て、アレンが魔法道具で解決していたからだ。
「うぅ……アレン……戻ってきてよぉ……」
マリアがうわ言のように呟く。
彼女の顔色は土気色で、低体温症の症状が出始めていた。
「くそっ……! なんでだ! なんで俺たちがこんな目に……!」
カイルはボロボロになったマントを握りしめ、涙を流した。
悔しさと、寒さと、空腹と、そして何より――アレンへの屈辱的な敗北感が、彼の心を蝕んでいた。
「アレン……あいつ、絶対に殺す……! 俺の聖剣を奪い、フェンリルを手懐け、俺たちを見下した……! この恨み、必ず晴らしてやる……!」
憎悪だけが、今の彼を動かす唯一の燃料だった。
だが、その燃料も尽きようとしていた。
夜が来る。
『氷獄の霊峰』の夜は、気温がマイナス50度近くまで下がる。
装備のない人間が生きられる環境ではない。
「ギャギャギャッ……」
闇の向こうから、無数の赤い目が光った。
昼間に撒いたはずのゴブリンたちが、血の匂いを嗅ぎつけて戻ってきたのだ。
しかも、今度は仲間を呼んで、数百匹の群れとなって。
「ひっ……!」
ニーナが悲鳴を噛み殺す。
武器はない。
体力もない。
魔法も使えない。
あるのは、レベル1の貧弱な体だけ。
「来るな……来るなぁぁぁぁッ!!」
カイルの絶叫が、吹雪の中に消えていった。
かつて栄光を極めた勇者パーティー『暁の剣』の、本当の地獄はここからだった。
(つづく)
冒険者ギルド『竜の顎』亭の査定カウンター。
そこに置かれた白銀の毛皮と、熱を放つ赤黒い鱗を前にして、鑑定士の老人は震える手でルーペを覗き込んでいた。
彼の額からは滝のような脂汗が流れ落ち、眼鏡が曇るのを何度も指で拭っている。
周囲を取り囲む冒険者たちの喧騒は、いつの間にか静寂へと変わっていた。
誰もが息を呑み、唾を飲み込む音さえ聞こえてきそうな緊張感が場を支配している。
「おい、じじい。どうなんだよ。それは本物なのか?」
痺れを切らした屈強な戦士の一人が声を上げた。
鑑定士はガバリと顔を上げ、血走った目で叫んだ。
「本物どころの騒ぎじゃねぇ! この毛皮は『氷の皇帝』ホワイトウルフ・ロードの、それも一切の傷がない最上級品だ! そしてこっちの鱗は……伝説級の『エンシェント・ヴォルカニック・ドラゴン』の逆鱗だぞ!? こんなもん、王都の博物館でしかお目にかかれねぇ代物だ!」
ドッと、ギルド内が再び沸騰した。
「すげぇ……マジかよ」
「ロードを無傷で? それにドラゴンの鱗って、どうやって手に入れたんだ?」
「おい、あいつ……元『暁の剣』の荷物持ちのアレンだろ? あんな冴えない男が、どうやって……」
畏怖、嫉妬、好奇心。
様々な視線が俺に突き刺さるが、レベル9999の精神耐性を持つ俺には、そよ風ほどにも感じられなかった。
俺はカウンターに肘をつき、涼しい顔で受付嬢のミリィに微笑みかけた。
「で、いくらになる?」
「は、はい! えっと、その……金額があまりに大きすぎて、私の一存では……!」
ミリィがパニックになって目を回しかけたその時、ギルドの奥にある重厚な扉が開かれた。
ドスドスと床を揺らして現れたのは、身の丈2メートルはある巨漢。
顔に大きな刀傷を持ち、かつては「岩砕き」の異名で知られた元Sランク冒険者、ギルドマスターのガンザスだ。
「騒がしいぞ、テメェら! ギルドが壊れるかと思ったじゃねぇか!」
ガンザスの怒号一発で、荒くれ者たちが静まり返る。
彼は鋭い眼光を巡らせ、カウンターの上の素材、そして俺の顔を見てピタリと視線を止めた。
「……アレンか。久しぶりだな」
「どうも、マスター。お元気そうで」
「ふん。テメェがこんな派手な土産を持って帰ってくるとはな。……部屋に来い。詳しい話を聞かせてもらおうか」
ガンザスは顎で奥の部屋をしゃくった。
俺は肩をすくめ、隣でフードを目深に被って俺の服の裾を握りしめているフェリスに声をかけた。
「行こうか」
「はい、アレン様……」
フェリスは周囲の視線を警戒するように、低く唸り声を漏らしていたが、俺が頭を撫でるとすぐにおとなしくなった。
***
ギルドマスター室。
革張りのソファーに座らされた俺の前で、ガンザスは腕を組んで眉間に深い皺を寄せていた。
「さて、単刀直入に聞くぞ。あの素材はどこで手に入れた? 勇者カイルたちはどうした? なぜお前だけがここにいる?」
矢継ぎ早の質問。
俺はテーブルに出された茶を一口啜ってから、淡々と答えた。
「素材は帰り道で襲ってきたやつを返り討ちにしただけです。カイルたちはまだ山にいますよ。俺は彼らにクビを宣告されたんで、一人で帰ってきたんです」
「……クビだ、と?」
ガンザスの目が険しくなる。
「おい、待て。場所はどこだ? どこで解雇された?」
「『氷獄の霊峰』の中腹、八合目の古代遺跡前あたりですね」
「なっ……!?」
ガンザスがバン! と机を叩いて立ち上がった。
分厚いオーク材の机がミシミシと悲鳴を上げる。
「八合目だと!? あそこは標高4000メートルを超え、気温はマイナス30度を下回る死の世界だぞ! そこでパーティーメンバーを、しかも戦闘職じゃない荷物持ちを追放したってのか!? 正気か!?」
「彼らは至って正気でしたよ。『お前のような役立たずは要らない、経験値の無駄だ』ってね」
「馬鹿野郎がッ!!」
ガンザスの怒号が室内に響いた。
彼は勇者パーティーの実力を買っていたが、その驕り高ぶった性格には以前から懸念を抱いていたらしい。
だが、まさかここまで腐っているとは思わなかったのだろう。
「……ですまん。お前が生きて戻れたのは奇跡だが……カイルたちはどうした? そのまま攻略を続行したのか?」
「ええ、そのつもりみたいでしたよ」
「……あいつら、帰りの手段はどう確保している? お前がいなくなった今、荷物は誰が持っているんだ?」
さすがはギルドマスター。
すぐに核心に気づいたようだ。
俺は意地悪く笑って、自分のマジックポーチをポンと叩いた。
「俺ですよ」
「は?」
「彼らは『荷物持ちは要らない』と言いましたが、『荷物を置いていけ』とは言いませんでした。それに、俺の収納スキルは俺にしか扱えない。中身を取り出すこともできませんから、そのまま持って帰ってきました」
「…………」
ガンザスは口を半開きにして固まった。
「つまり……彼らは今、あの極寒の雪山で、食料も、野営道具も、予備の武器も、回復薬もなしに……丸腰で放り出されているということか?」
「そうなりますね。あ、そうそう。転移結晶も俺のポーチの中でした」
「…………」
ガンザスは天を仰ぎ、深いため息をついた。
その顔には、呆れと、そして絶望的な状況への理解が浮かんでいた。
「終わったな」
一言だった。
「食料もなし、帰還手段もなし。あそこはSランク魔物がうろつく魔境だ。勇者とはいえ、補給なしで生き延びられる場所じゃねぇ。ましてや、今の気候は大荒れだ」
「まあ、彼らは『最強』ですからね。木の根っことか齧って生き延びるんじゃないですか?」
俺が他人事のように言うと、ガンザスは鋭い目で俺を睨んだ。
だが、その目には責める色はなかった。
「……お前、随分と変わったな。昔はもっとオドオドしていたが、今は肝が座っているというか……底が見えねぇ」
「死にかけたんでね。覚悟が決まったんですよ」
「そうか。……まあいい。カイルたちのことは、ギルドとして捜索隊を出すかどうか検討するが、今の天候じゃ二次遭難がオチだ。事実上、彼らは『遭難』、最悪の場合は『死亡』扱いになるだろう」
勇者パーティーの全滅。
それは国家的な損失であり、大ニュースだ。
だが、俺の心は驚くほど痛まなかった。
「それで、俺の素材の買取はどうなります? まさか勇者の捜索費用に充てるから没収、なんて言いませんよね?」
「言うわけあるか。ギルドは公平だ。……査定額だが」
ガンザスは引き出しから一枚の羊皮紙を取り出し、羽ペンで数字を書き殴った。
そして、それを俺に提示する。
「金貨で言うと、およそ5億ガルドだ」
「ごっ……!?」
さすがの俺も声が出そうになった。
5億ガルド。
この国で城付きの領地が買える金額だ。
一般市民の生涯年収が3000万ガルド程度であることを考えれば、天文学的な数字である。
「ホワイトウルフ・ロードの素材も希少だが、ドラゴンの鱗、これがデカイ。加工すれば国宝級の防具ができる。王家が言い値で買い取るだろうよ」
「なるほど。じゃあ、それでお願いします」
「支払いはギルドの口座に振り込んでおく。ギルドカードを更新すれば、どこの街でも引き出せるようになる」
ガンザスは手続きの書類を作成し始めた。
その手際は早いが、どこか上の空だった。
やはり、勇者パーティーの件が頭を離れないのだろう。
「ときにアレン。お前のランクだが、今はFランクだったな」
「ええ、万年Fランクの荷物持ちでしたから」
「今回の討伐実績と、これだけの素材を持ち帰る実力……特例で昇格させる。B、いや、Aランクでもいいくらいだが……いきなり上げると周囲がうるさい。まずはCランクからだ。文句はないな?」
「ありませんよ。ランクなんて飾りですから」
「ふん、言うようになったな」
ガンザスはニヤリと笑い、新しいギルドカードを俺に投げ渡した。
銀色に輝くCランクカード。
これで俺も、一人前の冒険者として認められたわけだ。
「それと、そこの嬢ちゃん」
ガンザスが、俺の隣でじっとしているフェリスに視線を向けた。
「さっきから殺気がすげぇんだが、お前の連れか?」
「ああ、紹介します。俺の相棒のフェリスです。魔導師……みたいなものです」
「……みたいなもの、か。まあ深くは聞かん。ギルド証を作るなら手続きをしておけ。身分証代わりになる」
「フェリス、どうする?」
俺が聞くと、フェリスはフードの下から金色の瞳を輝かせた。
「アレン様と同じ証……! はい、欲しいです!」
「じゃあ、登録を頼みます」
ミリィが呼ばれ、水晶玉を持ってきた。
ステータス測定だ。
フェリスが恐る恐る手をかざす。
ボウッ!!
水晶玉が眩い白銀の光を放ち、ピキピキと音を立ててヒビが入った。
「ひぃっ!?」
ミリィが悲鳴を上げる。
「あー……」
俺は頭をかいた。
フェリスは人化しているとはいえ、中身はSランクモンスターのフェンリルだ。
人間のための測定器では容量オーバーなのだろう。
「こ、壊れちゃいました……でも、測定結果は出てます!」
ミリィが震える声で読み上げる。
【名前】フェリス
【職業】魔導師(仮)
【魔力】測定不能(Sランク相当以上)
【スキル】氷結魔法(極)、身体強化(極)、野生の勘……
「魔力測定不能……!? Sランク以上!?」
ガンザスが椅子から転げ落ちそうになった。
「おいアレン! お前、とんでもねぇ化け物を連れてきたな!?」
「まあ、頼りになる相棒ですよ」
俺は笑って誤魔化した。
フェリスは「えへへ」と照れて、俺の腕に抱きついてきた。
柔らかい感触が当たる。
ガンザスは呆れたように首を振った。
「まったく……お前、本当にただの荷物持ちだったのか? 勇者カイルが見抜けなかった才能が、お前にはあったってことか」
「さあね。カイルたちは俺を『無能』と呼んでいましたから」
「節穴だったな、あいつらは。……世界を救うのは勇者じゃなくて、案外お前みたいなやつかもしれん」
ガンザスは意味深なことを呟き、背もたれに体を預けた。
「とりあえず、今日はもう休め。勇者の件については、明日また正式に聴取するかもしれんが、お前にお咎めはない。追放された被害者だからな」
「助かります。では」
俺は立ち上がり、フェリスを連れて部屋を出ようとした。
その時、ドアが勢いよく開かれ、伝令の職員が飛び込んできた。
「マスター! 大変です! 『氷獄の霊峰』の方角で、大規模な爆発音が観測されました! それに、山頂付近の天候が異常です! 見たこともない黒い雲が……」
「なんだと!?」
ガンザスの顔色がサッと変わる。
俺はピンときた。
爆発音。それは間違いなく、さっき俺がデコピンで吹き飛ばしたドラゴンが墜落した音だろう。
そして異常気象は、おそらくドラゴンの死体から漏れ出した魔力が環境に影響を与えているのだ。
「……まさか、魔王軍の仕業か? 勇者たちが交戦しているのか?」
ガンザスが緊迫した表情で推測するが、俺は心の中で「違います、俺のデコピンです」と訂正しておいた。
もちろん、口には出さない。
「アレン! お前、何か心当たりは……」
「いえ、さっぱり」
俺はすっとぼけた。
「俺はただ、急いで帰ってきただけですから。じゃあ、お疲れ様でした」
俺は逃げるようにギルドを出た。
背後でガンザスが怒号を飛ばし、対策本部を設置しろと叫んでいるのが聞こえる。
悪いな、マスター。
でも、今の俺はもう「世界を救う義務」なんて背負っていないんだ。
***
ギルドを出ると、空は既に茜色に染まっていた。
街の目抜き通りには、夕食の支度をする匂いが漂っている。
「アレン様、これからどうなさるのですか?」
フェリスがフードを少し上げて、上目遣いで聞いてきた。
俺は懐に入ったギルドカード(と、そこに記録された5億ガルドの残高)を思い浮かべ、ニヤリと笑った。
「そうだな。まずは宿を取ろう。今まで泊まれなかった、一番高い宿のスイートルームだ」
「すいーとるーむ……! 甘いお部屋ですか?」
「甘くて広い部屋だよ。それから、服も買いに行こう。フェリスにもっと似合う服をな」
「わあ! アレン様とお買い物! 嬉しいです!」
フェリスがぴょんぴょんと跳ねる。
その拍子に、ローブの下で尻尾が揺れるのがわかった。
「それと……」
俺は山の方角を振り返った。
夕闇に沈む白銀の山脈。
あの中腹で、今まさにカイルたちが地獄を見ているはずだ。
「今日は美味しい酒が飲めそうだ」
俺たちが高級宿『王の休息』に向かって歩き出したその頃。
山の方角から、空気を震わせるような遠吠えが聞こえた気がした。
それは魔物の声か、それとも絶望した勇者の叫びか。
俺にはもう、関係のないことだった。
***
【一方その頃】
標高3500メートル地点。
ドラゴンの墜落によって地形が変わった雪山で、カイルたちは身を寄せ合っていた。
「さ、寒い……火が……つかない……」
レオンが震える手で火打石を打つが、湿った雪の上では火花が散るだけで、薪代わりの枯れ木に火がつかない。
そもそも、この高度では酸素が薄く、火がつきにくいのだ。
そんな知識すら、彼らは持っていなかった。
全て、アレンが魔法道具で解決していたからだ。
「うぅ……アレン……戻ってきてよぉ……」
マリアがうわ言のように呟く。
彼女の顔色は土気色で、低体温症の症状が出始めていた。
「くそっ……! なんでだ! なんで俺たちがこんな目に……!」
カイルはボロボロになったマントを握りしめ、涙を流した。
悔しさと、寒さと、空腹と、そして何より――アレンへの屈辱的な敗北感が、彼の心を蝕んでいた。
「アレン……あいつ、絶対に殺す……! 俺の聖剣を奪い、フェンリルを手懐け、俺たちを見下した……! この恨み、必ず晴らしてやる……!」
憎悪だけが、今の彼を動かす唯一の燃料だった。
だが、その燃料も尽きようとしていた。
夜が来る。
『氷獄の霊峰』の夜は、気温がマイナス50度近くまで下がる。
装備のない人間が生きられる環境ではない。
「ギャギャギャッ……」
闇の向こうから、無数の赤い目が光った。
昼間に撒いたはずのゴブリンたちが、血の匂いを嗅ぎつけて戻ってきたのだ。
しかも、今度は仲間を呼んで、数百匹の群れとなって。
「ひっ……!」
ニーナが悲鳴を噛み殺す。
武器はない。
体力もない。
魔法も使えない。
あるのは、レベル1の貧弱な体だけ。
「来るな……来るなぁぁぁぁッ!!」
カイルの絶叫が、吹雪の中に消えていった。
かつて栄光を極めた勇者パーティー『暁の剣』の、本当の地獄はここからだった。
(つづく)
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