3 / 23
第3話 死の森での絶望
しおりを挟む
王都から遠く離れた死の森。その名のとおり、ここに踏み入れた者のほとんどは二度と戻らない。
腐敗した大樹と、濃密な瘴気。鳥のさえずりもなく、夜が永遠に続くような闇の世界だった。
その奥で、ルディウスはじっと座っていた。
焚き火もなく、光源もない。ただ、自らが放つ微かな魔力の輝きが周囲をぼんやり照らしている。
向かいには、エルフの少女リシェル。彼女はまだ完全に回復してはいなかったが、恐れよりも好奇心が勝っていた。
「どうして……あなたはそこまで冷静でいられるのですか? 人間に裏切られ、追放されても怒りも悲しみも……あまりに静かすぎる」
ルディウスは答えない。
指先で地面をなぞり、古代文字を描いていた。その文字が淡く光ると、周囲の瘴気がわずかに和らぐ。
「人の感情なんてものは、とっくに使い果たした。悲しみすら贅沢だと思えるほどにな」
「それでも……あなたは誰かを助けた。私を助けてくれた。完全な悪なら、そんなことはしないはずです」
リシェルの言葉にルディウスの手が止まる。
一瞬だけ、目が鋭く光を反射した。
「助けたわけじゃない。たまたま目についただけだ。お前が、俺を導く“鍵”になる気がした」
「鍵……?」
「そうだ。お前の体に、神代の封印の欠片が宿っている。俺が失った記憶を繋ぐためのものだ」
リシェルは息を呑んだ。
彼の言葉が真実なら、自分は運命のいたずらで、魔王の復活を補助してしまったことになる。
「なら……私はあなたに利用されるだけの存在だ」
「違う。お前は選べる。俺と共に歩くか、それとも——ここで死ぬか」
ルディウスの瞳は冷たいようで、どこかに温度があった。
リシェルはその目を見つめ、ゆっくりと頷く。
「……世界にもう一度、均衡を取り戻したい。あなたの目的が破壊ではなく、秩序の回復なら……手を貸します」
ルディウスがわずかに口角を上げる。
「いい選択だ。これで俺の計画は進む」
「計画?」
「王国を倒すには、ただ力を振るうだけでは足りん。まずは“力を示し”、恐怖を刻む。そして、俺を討とうとするすべての国を、ひとつずつ潰していく」
「……まるで世界征服」
「言葉は好きに呼べ。俺は俺の理を取り戻すだけだ」
リシェルは焚き火代わりの封印文字を見つめながら、かすかに唇を噛んだ。
何かを壊さねば、新しいものは生まれない。彼の言葉には、確かに説得力があった。
しかし、それが正しいかどうかを判断できるだけの勇気を、彼女はまだ持っていなかった。
そのとき、森の奥から低いうなり声が響いた。
リシェルが振り向くと、巨大な影が木立の間を進んでくる。
「……来たか」
闇に覆われた巨大な狼。六つの赤い眼を持ち、地を這うたびに黒い蒸気を放っている。
名をグリモル。古代種の魔獣であり、この森の主。
「この魔獣……私の一族の伝承で見たことがあります。勇者アレンですら討伐を避けたほどの存在!」
ルディウスは微動だにせず、まるで待っていたかのように立ち上がった。
「これでいい。王国の勇者に見せつけるための、最初の“証明”だ」
「証明……?」
「俺がいかに“無能”でなかったかを、世界に知らしめるためにな」
グリモルが咆哮する。大気が一瞬で裂け、地面が沈む。
その迫力にリシェルは悲鳴を上げて身を伏せた。だがルディウスは一歩も引かない。
「もっと吠えろ。これが俺の序章だ」
彼の片目が赤く輝き、右腕に黒炎が巻きついた。
そして、ゆっくりと呪文を唱える。
「――奈落の雷、降れ」
雷鳴が森を貫いた。
空間そのものが裂けるような轟音とともに、上空から黒い稲妻がグリモルを直撃する。
耳をつんざく爆音のあと、あたりは灼けた煙と焦げた匂いで満たされた。
グリモルの巨体は地にひれ伏し、六つの眼がひとつずつ光を失っていく。
ルディウスが指を鳴らすと、その亡骸から黒い霧が立ちのぼり、彼の手元に吸い込まれていった。
「魂核を取り込んだ……これで、次の段階へ進める」
リシェルが呆然と見つめる。
「まるで……神話に出てくる冥王のよう」
「冥王? いい言葉だな。だが俺は魔王で十分だ」
彼は淡々と答える。その目に宿るのは、焦燥でも悲嘆でもない、ただ確かな意思。
かつて理想を語った青年はもういない。そこに立つのは、生きるために絶望を力に変えた存在だった。
その夜、死の森全体が彼の魔力で覆われる。
瘴気が収束し、蠢く影が形を成してゆく。無数の魔獣が跪き、目に紅い光を宿した。
リシェルが震え声で問う。
「これが……あなたの軍勢?」
「いや、これはただの余興だ」
ルディウスが指を挙げる。
その指先が漆黒の光に包まれ、地面から巨大な石の塔が突き上がった。
かつて古代文明の遺跡だったものが、彼の魔力で再生し、闇の砦として姿を変えていく。
「ここが俺の拠点になる。名を――“奈落城”とする」
リシェルが息を呑む。
「まさか、一夜で……」
「魔力とは想いの結晶だ。強ければ強いほど、世界はそれを現実に変える。
つまり、俺の想いがどれだけ凄烈だったか、理解できただろう」
冷笑の後、静けさが戻る。
やがてリシェルがぽつりと問う。
「……あなたの心は、本当に憎しみだけでできているのですか」
ルディウスはしばらく沈黙し、そして小さく呟いた。
「いいや。俺にはまだ、一つだけ残っている感情がある」
「それは?」
「許せないという想いだ。だが、それは必ず誰かを救うための怒りであってほしい」
そう言い残すと、ルディウスは背を向け、塔の階段を登っていった。
彼の歩みが闇に溶けていく。
リシェルはその背を見つめながら、小さく呟いた。
「やはり……あなたは完全な悪にはなれない。だからこそ、この物語は終わらないのでしょうね」
静寂のなかで、遠く王都の鐘の音が微かに響いた。
その音が、近づきつつある運命の幕開けを告げていた。
(続く)
腐敗した大樹と、濃密な瘴気。鳥のさえずりもなく、夜が永遠に続くような闇の世界だった。
その奥で、ルディウスはじっと座っていた。
焚き火もなく、光源もない。ただ、自らが放つ微かな魔力の輝きが周囲をぼんやり照らしている。
向かいには、エルフの少女リシェル。彼女はまだ完全に回復してはいなかったが、恐れよりも好奇心が勝っていた。
「どうして……あなたはそこまで冷静でいられるのですか? 人間に裏切られ、追放されても怒りも悲しみも……あまりに静かすぎる」
ルディウスは答えない。
指先で地面をなぞり、古代文字を描いていた。その文字が淡く光ると、周囲の瘴気がわずかに和らぐ。
「人の感情なんてものは、とっくに使い果たした。悲しみすら贅沢だと思えるほどにな」
「それでも……あなたは誰かを助けた。私を助けてくれた。完全な悪なら、そんなことはしないはずです」
リシェルの言葉にルディウスの手が止まる。
一瞬だけ、目が鋭く光を反射した。
「助けたわけじゃない。たまたま目についただけだ。お前が、俺を導く“鍵”になる気がした」
「鍵……?」
「そうだ。お前の体に、神代の封印の欠片が宿っている。俺が失った記憶を繋ぐためのものだ」
リシェルは息を呑んだ。
彼の言葉が真実なら、自分は運命のいたずらで、魔王の復活を補助してしまったことになる。
「なら……私はあなたに利用されるだけの存在だ」
「違う。お前は選べる。俺と共に歩くか、それとも——ここで死ぬか」
ルディウスの瞳は冷たいようで、どこかに温度があった。
リシェルはその目を見つめ、ゆっくりと頷く。
「……世界にもう一度、均衡を取り戻したい。あなたの目的が破壊ではなく、秩序の回復なら……手を貸します」
ルディウスがわずかに口角を上げる。
「いい選択だ。これで俺の計画は進む」
「計画?」
「王国を倒すには、ただ力を振るうだけでは足りん。まずは“力を示し”、恐怖を刻む。そして、俺を討とうとするすべての国を、ひとつずつ潰していく」
「……まるで世界征服」
「言葉は好きに呼べ。俺は俺の理を取り戻すだけだ」
リシェルは焚き火代わりの封印文字を見つめながら、かすかに唇を噛んだ。
何かを壊さねば、新しいものは生まれない。彼の言葉には、確かに説得力があった。
しかし、それが正しいかどうかを判断できるだけの勇気を、彼女はまだ持っていなかった。
そのとき、森の奥から低いうなり声が響いた。
リシェルが振り向くと、巨大な影が木立の間を進んでくる。
「……来たか」
闇に覆われた巨大な狼。六つの赤い眼を持ち、地を這うたびに黒い蒸気を放っている。
名をグリモル。古代種の魔獣であり、この森の主。
「この魔獣……私の一族の伝承で見たことがあります。勇者アレンですら討伐を避けたほどの存在!」
ルディウスは微動だにせず、まるで待っていたかのように立ち上がった。
「これでいい。王国の勇者に見せつけるための、最初の“証明”だ」
「証明……?」
「俺がいかに“無能”でなかったかを、世界に知らしめるためにな」
グリモルが咆哮する。大気が一瞬で裂け、地面が沈む。
その迫力にリシェルは悲鳴を上げて身を伏せた。だがルディウスは一歩も引かない。
「もっと吠えろ。これが俺の序章だ」
彼の片目が赤く輝き、右腕に黒炎が巻きついた。
そして、ゆっくりと呪文を唱える。
「――奈落の雷、降れ」
雷鳴が森を貫いた。
空間そのものが裂けるような轟音とともに、上空から黒い稲妻がグリモルを直撃する。
耳をつんざく爆音のあと、あたりは灼けた煙と焦げた匂いで満たされた。
グリモルの巨体は地にひれ伏し、六つの眼がひとつずつ光を失っていく。
ルディウスが指を鳴らすと、その亡骸から黒い霧が立ちのぼり、彼の手元に吸い込まれていった。
「魂核を取り込んだ……これで、次の段階へ進める」
リシェルが呆然と見つめる。
「まるで……神話に出てくる冥王のよう」
「冥王? いい言葉だな。だが俺は魔王で十分だ」
彼は淡々と答える。その目に宿るのは、焦燥でも悲嘆でもない、ただ確かな意思。
かつて理想を語った青年はもういない。そこに立つのは、生きるために絶望を力に変えた存在だった。
その夜、死の森全体が彼の魔力で覆われる。
瘴気が収束し、蠢く影が形を成してゆく。無数の魔獣が跪き、目に紅い光を宿した。
リシェルが震え声で問う。
「これが……あなたの軍勢?」
「いや、これはただの余興だ」
ルディウスが指を挙げる。
その指先が漆黒の光に包まれ、地面から巨大な石の塔が突き上がった。
かつて古代文明の遺跡だったものが、彼の魔力で再生し、闇の砦として姿を変えていく。
「ここが俺の拠点になる。名を――“奈落城”とする」
リシェルが息を呑む。
「まさか、一夜で……」
「魔力とは想いの結晶だ。強ければ強いほど、世界はそれを現実に変える。
つまり、俺の想いがどれだけ凄烈だったか、理解できただろう」
冷笑の後、静けさが戻る。
やがてリシェルがぽつりと問う。
「……あなたの心は、本当に憎しみだけでできているのですか」
ルディウスはしばらく沈黙し、そして小さく呟いた。
「いいや。俺にはまだ、一つだけ残っている感情がある」
「それは?」
「許せないという想いだ。だが、それは必ず誰かを救うための怒りであってほしい」
そう言い残すと、ルディウスは背を向け、塔の階段を登っていった。
彼の歩みが闇に溶けていく。
リシェルはその背を見つめながら、小さく呟いた。
「やはり……あなたは完全な悪にはなれない。だからこそ、この物語は終わらないのでしょうね」
静寂のなかで、遠く王都の鐘の音が微かに響いた。
その音が、近づきつつある運命の幕開けを告げていた。
(続く)
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる