8 / 23
第8話 初めての仲間、エルフの少女
しおりを挟む
奈落城の塔から見下ろす夜明けの森は、まるで血に染まった大地のように赤く光っていた。
黒い靄が漂い、死の森の木々の葉さえも赤黒く染まりつつある。
だがその異様な光景の中で、ひとつだけ穏やかな光が差し込んでいた。
塔の中庭、ルディウスの傍らに立つ少女リシェルは、静かに祈りの歌を口ずさんでいた。
古代エルフの言葉で綴られたその旋律は、魔族すら沈黙させる不思議な響きを持つ。
枯れ果てていた花々が、彼女の周囲で小さく芽吹いていく。
「森が、少しだけ息を吹き返したようね」
リシェルが嬉しそうに微笑む。
だがルディウスは腕を組んだまま、その光景をじっと見つめていた。
「一時的なものだ。瘴気の濃度が下がれば植物は蘇る。だがそれは自然の回復ではない。
――お前の歌が『死者の記憶』を揺り起こしているだけだ」
「死者の……記憶?」
ルディウスはゆっくりリシェルの方に顔を向けた。
「森も、花も、命の残滓を宿す。お前の力はそれを“聴いている”だけだ。
同族のエルフには珍しい資質だな。“魂律(こんりつ)”の系統魔法だろう」
リシェルは驚いた顔をした。
「そんな専門的なこと、どうしてわかるの?」
「俺はいずれすべての理を司る存在だった。命の構造を知らぬわけがない」
ルディウスの声に、どこか寂しさが混じっていた。
リシェルは小さく頷き、「ありがとう」とだけ言って再び歌を紡いだ。
その柔らかな旋律が奈落城の冷たい空気を包む。
すると不意に、森の奥からかすかな返答が聞こえた。
「……助けて……」
風に混じるような声。リシェルはびくりと体を震わせた。
「今の、聞こえた?」
「聞いた。……人の声だな」
ルディウスは一瞬で周囲を探る。魔力感知の視界に、濃い生命反応が浮かび上がっていた。
それは森の東の沼地、先日の聖教軍が侵入した方向の少し先。
「カイン、部隊を出せ。俺は一瞬で向かう」
「了解です、ルディウス様!」
ルディウスはリシェルに視線を戻した。
「お前も来い。お前の歌が鍵になるやもしれん」
二人の影が、闇の中に溶けるように消えた。
***
沼地は腐臭と共に濃霧に包まれていた。
泥の上には、王国の紋章が刻まれた壊れた槍が散乱している。
その中央、魔力の糸に縛られるようにひとりの少女が倒れていた。
長い金色の髪、尖った耳。リシェルと同じエルフ族だが、その肌に刻まれた符は呪いの印だった。
ルディウスが手をかざす。
「封印魔法……王国式、しかも高位だな。これを使う者は限られている」
リシェルが少女に駆け寄り、膝をつく。
「ひどい……生きてはいるけど、このままじゃ魂が枯れちゃう」
「誰がやった?」
「……聖教会の紋章。たぶん、聖女直属の実験部隊よ。彼女たち、力を持つ種族を捕まえて“祝福の儀”とか称して――」
リシェルは言いながら拳を震わせた。
ルディウスは無言でその封印の鎖に触れる。
「俺の力の前では、ただの紙切れだ」
黒い雷が走り、鎖が粉々に砕けた。
だが同時に、少女の体が激しく痙攣した。
「っ……うぁ……!!」
リシェルが驚いて彼女を抱きしめる。
「落ち着いて! もう大丈夫、怖くない!」
ルディウスがわずかに魔力を緩め、優しく言う。
「恐れるな。お前の敵はどこにもいない」
少女は震えながらも、ゆっくりと瞳を開いた。
湖面を映したような蒼の瞳。だがその奥に、どこか違う光があった。
「……あなたが、救ってくれたの……?」
「そうだ。名を聞こう」
「私……フィア。古森のハーフエルフ。捕まって……気がついたら、あの教会の地下で……」
リシェルは彼女の傷を癒しながら、怒りを隠せずにいた。
「王国は、どこまで堕ちていくの……同族を、こんな風に利用するなんて」
「利用ではない。恐れているのだ」
ルディウスが冷たく言い放つ。
「神の力を持たぬ者が“奇跡”を創れる。その事実が、神を崇める者たちにとって耐え難い恐怖なのだ」
フィアは涙をこぼしながら顔を上げた。
「だったら……私、力を取り戻して戦いたい。
この“神聖”という名の鎖を断ち切るために」
ルディウスの目が鋭く光る。
「言葉ではなく意志か。いいだろう」
彼はフィアの手を取ると、その掌に小さな黒い紋を刻んだ。
それは闇契約の印――だが従属ではなく、“共闘”を意味するものだ。
「お前を俺の従者ではなく、“盟友”とする。
この魔印が示すのは支配ではない。互いの信頼の証だ」
フィアは目を見開いた。
「あなたが……魔王なのに?」
「魔王とは、力を恐れず向き合う者の呼称だ。神と人のどちらにも縛られぬ存在。
お前がその覚悟を持つなら、俺は拒まない」
少女の瞳に、涙の代わりに強い光が宿る。
「ありがとう……ルディウス様。私、もう逃げない」
その瞬間、リシェルがふと微笑んだ。
彼女の胸の奥で、何か温かいものが溶け出すような感覚があった。
「ようやくね……“仲間”ができたのね」
ルディウスは肩をすくめた。
「仲間、か。そんな言葉、久しく耳にしていなかった」
彼は森の奥に視線を向けた。
風が吹き抜け、赤く染まった木々が揺れる。
その奥で、何か巨大な気配が動いた。
カインが慌てて報告に来る。
「ルディウス様! 西の山脈から魔竜が出現しました! しかも、こちらに向かっています!」
「魔竜……」
ルディウスの口元に冷たい笑みが浮かぶ。
「ちょうどいい。新しい力の試し台だ」
リシェルとフィアが顔を見合わせる間に、ルディウスは足元の大地を踏み鳴らした。
瞬間、奈落城全体が共鳴し、空へと巨大な黒の陣が広がる。
「俺のもとへ来い、“空を裂く者”」
空を覆う雲が焼け、山脈の向こうから黄金の翼が姿を見せた。
それは数百年に一度しか現れないといわれる古代竜ベルガロア。
雷鳴を纏い、あらゆる災厄の象徴と呼ばれた存在。
リシェルが息をのむ。
「だめ……あんなの、止められない……!」
ルディウスは軽く笑った。
「止めはしない。支配する」
右手をかざし、詠唱する。
「支配呪式、第七段階――“魂の契り(アニマ・ディール)”」
その言葉とともに、黒い雷が天を貫いた。
竜の咆哮が森を揺るがし、光の嵐が大地を呑み込む。
やがて、音が止んだ。
空を漂っていた巨大な影がゆっくりと降下し、ルディウスの前に降り立った。
竜はその頭を低く垂れ、従属の意を示す。
「……ありえない……あの竜を、一瞬で……」リシェルが呆然と呟く。
ルディウスは淡々と答えた。
「単純な話だ。力には、より強い“意思”を重ねるだけでいい」
彼が竜の額に手を置くと、あたりに微かな光が散った。
その光は、まるで旧世界の秩序が一つ終わり、新たな支配が始まる宣言のようだった。
「これで、神も竜も、人も等しく“下”だ。
残るは、神の領域――天界への門を開くのみ」
遠くで、王都の鐘の音が鳴る。
それは偶然にも、ルディウスの決意に呼応するかのように響いた。
その夜、魔王に従う第二の盟友、フィア・エルヴァーンが誕生した。
そして世界は、確実に変革の音を立て始めていた。
(続く)
黒い靄が漂い、死の森の木々の葉さえも赤黒く染まりつつある。
だがその異様な光景の中で、ひとつだけ穏やかな光が差し込んでいた。
塔の中庭、ルディウスの傍らに立つ少女リシェルは、静かに祈りの歌を口ずさんでいた。
古代エルフの言葉で綴られたその旋律は、魔族すら沈黙させる不思議な響きを持つ。
枯れ果てていた花々が、彼女の周囲で小さく芽吹いていく。
「森が、少しだけ息を吹き返したようね」
リシェルが嬉しそうに微笑む。
だがルディウスは腕を組んだまま、その光景をじっと見つめていた。
「一時的なものだ。瘴気の濃度が下がれば植物は蘇る。だがそれは自然の回復ではない。
――お前の歌が『死者の記憶』を揺り起こしているだけだ」
「死者の……記憶?」
ルディウスはゆっくりリシェルの方に顔を向けた。
「森も、花も、命の残滓を宿す。お前の力はそれを“聴いている”だけだ。
同族のエルフには珍しい資質だな。“魂律(こんりつ)”の系統魔法だろう」
リシェルは驚いた顔をした。
「そんな専門的なこと、どうしてわかるの?」
「俺はいずれすべての理を司る存在だった。命の構造を知らぬわけがない」
ルディウスの声に、どこか寂しさが混じっていた。
リシェルは小さく頷き、「ありがとう」とだけ言って再び歌を紡いだ。
その柔らかな旋律が奈落城の冷たい空気を包む。
すると不意に、森の奥からかすかな返答が聞こえた。
「……助けて……」
風に混じるような声。リシェルはびくりと体を震わせた。
「今の、聞こえた?」
「聞いた。……人の声だな」
ルディウスは一瞬で周囲を探る。魔力感知の視界に、濃い生命反応が浮かび上がっていた。
それは森の東の沼地、先日の聖教軍が侵入した方向の少し先。
「カイン、部隊を出せ。俺は一瞬で向かう」
「了解です、ルディウス様!」
ルディウスはリシェルに視線を戻した。
「お前も来い。お前の歌が鍵になるやもしれん」
二人の影が、闇の中に溶けるように消えた。
***
沼地は腐臭と共に濃霧に包まれていた。
泥の上には、王国の紋章が刻まれた壊れた槍が散乱している。
その中央、魔力の糸に縛られるようにひとりの少女が倒れていた。
長い金色の髪、尖った耳。リシェルと同じエルフ族だが、その肌に刻まれた符は呪いの印だった。
ルディウスが手をかざす。
「封印魔法……王国式、しかも高位だな。これを使う者は限られている」
リシェルが少女に駆け寄り、膝をつく。
「ひどい……生きてはいるけど、このままじゃ魂が枯れちゃう」
「誰がやった?」
「……聖教会の紋章。たぶん、聖女直属の実験部隊よ。彼女たち、力を持つ種族を捕まえて“祝福の儀”とか称して――」
リシェルは言いながら拳を震わせた。
ルディウスは無言でその封印の鎖に触れる。
「俺の力の前では、ただの紙切れだ」
黒い雷が走り、鎖が粉々に砕けた。
だが同時に、少女の体が激しく痙攣した。
「っ……うぁ……!!」
リシェルが驚いて彼女を抱きしめる。
「落ち着いて! もう大丈夫、怖くない!」
ルディウスがわずかに魔力を緩め、優しく言う。
「恐れるな。お前の敵はどこにもいない」
少女は震えながらも、ゆっくりと瞳を開いた。
湖面を映したような蒼の瞳。だがその奥に、どこか違う光があった。
「……あなたが、救ってくれたの……?」
「そうだ。名を聞こう」
「私……フィア。古森のハーフエルフ。捕まって……気がついたら、あの教会の地下で……」
リシェルは彼女の傷を癒しながら、怒りを隠せずにいた。
「王国は、どこまで堕ちていくの……同族を、こんな風に利用するなんて」
「利用ではない。恐れているのだ」
ルディウスが冷たく言い放つ。
「神の力を持たぬ者が“奇跡”を創れる。その事実が、神を崇める者たちにとって耐え難い恐怖なのだ」
フィアは涙をこぼしながら顔を上げた。
「だったら……私、力を取り戻して戦いたい。
この“神聖”という名の鎖を断ち切るために」
ルディウスの目が鋭く光る。
「言葉ではなく意志か。いいだろう」
彼はフィアの手を取ると、その掌に小さな黒い紋を刻んだ。
それは闇契約の印――だが従属ではなく、“共闘”を意味するものだ。
「お前を俺の従者ではなく、“盟友”とする。
この魔印が示すのは支配ではない。互いの信頼の証だ」
フィアは目を見開いた。
「あなたが……魔王なのに?」
「魔王とは、力を恐れず向き合う者の呼称だ。神と人のどちらにも縛られぬ存在。
お前がその覚悟を持つなら、俺は拒まない」
少女の瞳に、涙の代わりに強い光が宿る。
「ありがとう……ルディウス様。私、もう逃げない」
その瞬間、リシェルがふと微笑んだ。
彼女の胸の奥で、何か温かいものが溶け出すような感覚があった。
「ようやくね……“仲間”ができたのね」
ルディウスは肩をすくめた。
「仲間、か。そんな言葉、久しく耳にしていなかった」
彼は森の奥に視線を向けた。
風が吹き抜け、赤く染まった木々が揺れる。
その奥で、何か巨大な気配が動いた。
カインが慌てて報告に来る。
「ルディウス様! 西の山脈から魔竜が出現しました! しかも、こちらに向かっています!」
「魔竜……」
ルディウスの口元に冷たい笑みが浮かぶ。
「ちょうどいい。新しい力の試し台だ」
リシェルとフィアが顔を見合わせる間に、ルディウスは足元の大地を踏み鳴らした。
瞬間、奈落城全体が共鳴し、空へと巨大な黒の陣が広がる。
「俺のもとへ来い、“空を裂く者”」
空を覆う雲が焼け、山脈の向こうから黄金の翼が姿を見せた。
それは数百年に一度しか現れないといわれる古代竜ベルガロア。
雷鳴を纏い、あらゆる災厄の象徴と呼ばれた存在。
リシェルが息をのむ。
「だめ……あんなの、止められない……!」
ルディウスは軽く笑った。
「止めはしない。支配する」
右手をかざし、詠唱する。
「支配呪式、第七段階――“魂の契り(アニマ・ディール)”」
その言葉とともに、黒い雷が天を貫いた。
竜の咆哮が森を揺るがし、光の嵐が大地を呑み込む。
やがて、音が止んだ。
空を漂っていた巨大な影がゆっくりと降下し、ルディウスの前に降り立った。
竜はその頭を低く垂れ、従属の意を示す。
「……ありえない……あの竜を、一瞬で……」リシェルが呆然と呟く。
ルディウスは淡々と答えた。
「単純な話だ。力には、より強い“意思”を重ねるだけでいい」
彼が竜の額に手を置くと、あたりに微かな光が散った。
その光は、まるで旧世界の秩序が一つ終わり、新たな支配が始まる宣言のようだった。
「これで、神も竜も、人も等しく“下”だ。
残るは、神の領域――天界への門を開くのみ」
遠くで、王都の鐘の音が鳴る。
それは偶然にも、ルディウスの決意に呼応するかのように響いた。
その夜、魔王に従う第二の盟友、フィア・エルヴァーンが誕生した。
そして世界は、確実に変革の音を立て始めていた。
(続く)
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる