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第11話 王国討伐隊との再会
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赤く染まった空が、不穏な風を森へと運んでいた。
神代遺跡アトラクシアの崩壊の後、世界は確実に変わり始めている。
空の彼方には裂けたような光の筋が走り、昼と夜の境目が定まらない。
ルディウスは奈落城の玉座に座り、穏やかに目を閉じていた。
その背後には黒き竜ベルガロアが佇み、静かに息を吐くだけで空間を震わせる。
床の下に広がる魔力の流れは、すでに王国の東領へと届いていた。
フィアが焦りを含んだ声で報告する。
「ルディウス様、王国が動きました。数千規模の討伐軍がこちらに向かっています。
勇者アレンは前線には出ていませんが、聖女セリナが自ら率いているとのことです」
「聖女か」
彼はわずかに笑った。
「最も純粋に見える者ほど、最も深い依存を宿す。……神が彼女に何を見せたのか、実に興味深いな」
リシェルが眉をひそめた。
「その言い方、まるで――」
「まるで哀れんでいるようにか? そうだ。憎しみと哀れみは紙一重だ」
彼は立ち上がる。
漆黒の外套が揺れ、玉座の間に重たい風が吹き抜けた。
「討伐軍には俺の存在を見せる。
だが潰すのではなく、“絶望”を与えよう。二度と剣を取るという意思を奪えばいい」
カインが膝をつく。
「命令を。闇騎士団、いつでも動けます」
「よい、だが兵は動かすな。俺が行く」
「まさか、単身で……」フィアが驚く。
「軍勢で潰せば恐怖は薄れる。ひとりでできるからこそ、“圧”が生まれる」
彼の眼差しは静かだった。
玉座の部屋全体が黒い光を吸い込み、次の瞬間、ルディウスの姿は霧のように掻き消えた。
***
そのころ、王国東端。
討伐軍の陣営は緊張に包まれていた。
旗の森に囲まれ、銀の鎧をまとった戦士たちが整列している。
彼らの隊の中央には、白きローブを纏った女――聖女セリナが立つ。
彼女の顔には疲労と焦燥が浮かんでいたが、その瞳の奥にはまだ強い光がある。
「必ず、止めなければならないのです。彼を……ルディウスを」
参謀の騎士が困惑しつつ問う。
「聖女様、本当に交渉の余地は……? 奴は魔王と化しました。和解など――」
「それでもです!」
セリナの声が静かに響いた。
「彼は本来、この世界を導く力を持っていた方。私が彼を切り捨てた――その罪を償うのは、この私です」
兵の間にさざめきが走る。
彼女が勇者アレンを差し置いて指揮を執ることに異論がある者もいた。
だが彼女の祈りと覚悟に触れ、誰もが口を閉ざした。
夜風が流れたその瞬間、陣のすべての松明が一斉に消えた。
「……風が止まった?」
指揮官が剣に手をかける。
空気が重くなり、次の瞬間、中心の天幕が内側から裂けた。
黒雲のような霧が流れ込み、その中から一人の男が歩み出る。
「……久しいな、セリナ」
十字の月光を背に立つ男。
その姿に、兵士たちの息が一斉に止まる。
「ルディウス……あなた、本当に……魔に堕ちたの?」
「堕ちた? 違う。真実に戻っただけだ。
お前たちが“神”と呼ぶ存在の裏に、どれだけの血と犠牲が眠っているか。俺はそれを見た」
セリナは杖を強く握る。
「でもあなたのしていることは、世界を破壊するだけ! 本当の改革にはならない!」
「改革?」ルディウスは笑った。
「神の御言葉に従う世界が、どれほど歪んでいたか忘れたか?
力のない者は救われず、祈る者すら見放す――それが神々の作った秩序だ」
「それでも、あなたなら……!」
「違う。俺は“世界”を愛さないことを選んだ。だからこそ、壊せる」
それは悲しいほど静かな声だった。
一歩踏み出すたびに、足元の地面が漆黒に染まる。
兵士たちが剣を構えるが、その刹那――。
「動くな」
わずか一言で、数十人の兵が同時に膝をついた。
体の意思が奪われたように、誰も身動き一つ取れない。
セリナの頬に汗が流れる。
「これが……あなたの新しい力?」
「“上書き(リコード)”と呼んでいる。
この世界の法則を書き換え、人の意思を停止させる魔法だ」
空間が軋んだ。
セリナは魔力を放出して防御するが、それだけで呼吸が苦しくなる。
「なぜ……ここまで憎めるの?」
「憎しみではない。理だ。
この世界の螺旋を終わらせるために、俺は“魔王”と呼ばれる道を選んだ。
だが、その始まりを与えたのは――お前たちだ」
ルディウスの声が低く響いた瞬間、大地が揺れた。
空を裂いて雷鳴が轟き、黒い雲が渦を巻く。
フィアとリシェルが遠方から駆けつけたとき、すでに討伐軍の半数が地に伏していた。
彼らは死んではいない。ただ、魂の一部を抜かれ、夢のような沈黙に囚われている。
「ルディウス! やり過ぎよ!!」リシェルが叫ぶ。
「それ以上は、本当に取り返しがつかない!」
彼はわずかに視線を向けた。
「これ以上? もとより取り返す価値などあるのか」
その時、セリナが膝をつき、祈りの言葉を紡ぎ始めた。
「光よ、我が罪と共にこの影を断て……《聖封陣(セラフィリア)》!」
白銀の陣が広がり、ルディウスの周囲を囲む。
声が空に響き、彼の動きを止めるかのように光の鎖が現れた。
フィアが息を呑む。
「まさか、自己を犠牲にする封印魔法!?」
リシェルが駆け寄ろうとするが、ルディウスが手を上げる。
「退け、リシェル。これは神より預かった鎖……
だが――俺はもう神ではない」
解放された力が弾けた。
光の鎖は裂け、反動でセリナが吹き飛ばされた。
彼女を受け止めたリシェルが叫ぶ。
「セリナ様!」
「……大丈夫。少し……やりすぎただけ……」
ルディウスはその光を見届け、かすかに微笑んだ。
「まだ人を救おうとする心が残っていたか。
お前は、純粋さゆえに一番壊れやすい」
「ルディウス……」セリナは弱々しく問う。
「あなたはいま、幸せなの?」
「幸せ?」
その言葉に、ルディウスの表情が一瞬だけ揺れた。
「そんな感情、今さら必要か。
だが――お前がまだそれを問えることが、少しだけ救いだ」
そのまま彼は背を向け、空を見上げる。
血のように赤い月が、彼の姿を照らしていた。
「この戦いは終わりではない。
神の領域を開くための鍵が、次に現れる。
それまでに――お前たちが“信じる世界”を見せてみろ」
突風が吹き、黒い羽のような魔力が散った。
次の瞬間、ルディウスの姿は消えた。
残されたのは沈黙。
倒れ伏す兵士たちと、空を見上げるセリナだけだった。
「彼はいずれ……神をも倒すつもりなのね」
リシェルが静かに呟き、拳を握った。
だがその胸の奥では、壊れゆく世界の行く末を止められない予感が広がっていた。
赤い空の下、遠くの雷鳴が王国を震わせる。
それは、神を拒んだ者が放つ最初の審判の音だった。
(続く)
神代遺跡アトラクシアの崩壊の後、世界は確実に変わり始めている。
空の彼方には裂けたような光の筋が走り、昼と夜の境目が定まらない。
ルディウスは奈落城の玉座に座り、穏やかに目を閉じていた。
その背後には黒き竜ベルガロアが佇み、静かに息を吐くだけで空間を震わせる。
床の下に広がる魔力の流れは、すでに王国の東領へと届いていた。
フィアが焦りを含んだ声で報告する。
「ルディウス様、王国が動きました。数千規模の討伐軍がこちらに向かっています。
勇者アレンは前線には出ていませんが、聖女セリナが自ら率いているとのことです」
「聖女か」
彼はわずかに笑った。
「最も純粋に見える者ほど、最も深い依存を宿す。……神が彼女に何を見せたのか、実に興味深いな」
リシェルが眉をひそめた。
「その言い方、まるで――」
「まるで哀れんでいるようにか? そうだ。憎しみと哀れみは紙一重だ」
彼は立ち上がる。
漆黒の外套が揺れ、玉座の間に重たい風が吹き抜けた。
「討伐軍には俺の存在を見せる。
だが潰すのではなく、“絶望”を与えよう。二度と剣を取るという意思を奪えばいい」
カインが膝をつく。
「命令を。闇騎士団、いつでも動けます」
「よい、だが兵は動かすな。俺が行く」
「まさか、単身で……」フィアが驚く。
「軍勢で潰せば恐怖は薄れる。ひとりでできるからこそ、“圧”が生まれる」
彼の眼差しは静かだった。
玉座の部屋全体が黒い光を吸い込み、次の瞬間、ルディウスの姿は霧のように掻き消えた。
***
そのころ、王国東端。
討伐軍の陣営は緊張に包まれていた。
旗の森に囲まれ、銀の鎧をまとった戦士たちが整列している。
彼らの隊の中央には、白きローブを纏った女――聖女セリナが立つ。
彼女の顔には疲労と焦燥が浮かんでいたが、その瞳の奥にはまだ強い光がある。
「必ず、止めなければならないのです。彼を……ルディウスを」
参謀の騎士が困惑しつつ問う。
「聖女様、本当に交渉の余地は……? 奴は魔王と化しました。和解など――」
「それでもです!」
セリナの声が静かに響いた。
「彼は本来、この世界を導く力を持っていた方。私が彼を切り捨てた――その罪を償うのは、この私です」
兵の間にさざめきが走る。
彼女が勇者アレンを差し置いて指揮を執ることに異論がある者もいた。
だが彼女の祈りと覚悟に触れ、誰もが口を閉ざした。
夜風が流れたその瞬間、陣のすべての松明が一斉に消えた。
「……風が止まった?」
指揮官が剣に手をかける。
空気が重くなり、次の瞬間、中心の天幕が内側から裂けた。
黒雲のような霧が流れ込み、その中から一人の男が歩み出る。
「……久しいな、セリナ」
十字の月光を背に立つ男。
その姿に、兵士たちの息が一斉に止まる。
「ルディウス……あなた、本当に……魔に堕ちたの?」
「堕ちた? 違う。真実に戻っただけだ。
お前たちが“神”と呼ぶ存在の裏に、どれだけの血と犠牲が眠っているか。俺はそれを見た」
セリナは杖を強く握る。
「でもあなたのしていることは、世界を破壊するだけ! 本当の改革にはならない!」
「改革?」ルディウスは笑った。
「神の御言葉に従う世界が、どれほど歪んでいたか忘れたか?
力のない者は救われず、祈る者すら見放す――それが神々の作った秩序だ」
「それでも、あなたなら……!」
「違う。俺は“世界”を愛さないことを選んだ。だからこそ、壊せる」
それは悲しいほど静かな声だった。
一歩踏み出すたびに、足元の地面が漆黒に染まる。
兵士たちが剣を構えるが、その刹那――。
「動くな」
わずか一言で、数十人の兵が同時に膝をついた。
体の意思が奪われたように、誰も身動き一つ取れない。
セリナの頬に汗が流れる。
「これが……あなたの新しい力?」
「“上書き(リコード)”と呼んでいる。
この世界の法則を書き換え、人の意思を停止させる魔法だ」
空間が軋んだ。
セリナは魔力を放出して防御するが、それだけで呼吸が苦しくなる。
「なぜ……ここまで憎めるの?」
「憎しみではない。理だ。
この世界の螺旋を終わらせるために、俺は“魔王”と呼ばれる道を選んだ。
だが、その始まりを与えたのは――お前たちだ」
ルディウスの声が低く響いた瞬間、大地が揺れた。
空を裂いて雷鳴が轟き、黒い雲が渦を巻く。
フィアとリシェルが遠方から駆けつけたとき、すでに討伐軍の半数が地に伏していた。
彼らは死んではいない。ただ、魂の一部を抜かれ、夢のような沈黙に囚われている。
「ルディウス! やり過ぎよ!!」リシェルが叫ぶ。
「それ以上は、本当に取り返しがつかない!」
彼はわずかに視線を向けた。
「これ以上? もとより取り返す価値などあるのか」
その時、セリナが膝をつき、祈りの言葉を紡ぎ始めた。
「光よ、我が罪と共にこの影を断て……《聖封陣(セラフィリア)》!」
白銀の陣が広がり、ルディウスの周囲を囲む。
声が空に響き、彼の動きを止めるかのように光の鎖が現れた。
フィアが息を呑む。
「まさか、自己を犠牲にする封印魔法!?」
リシェルが駆け寄ろうとするが、ルディウスが手を上げる。
「退け、リシェル。これは神より預かった鎖……
だが――俺はもう神ではない」
解放された力が弾けた。
光の鎖は裂け、反動でセリナが吹き飛ばされた。
彼女を受け止めたリシェルが叫ぶ。
「セリナ様!」
「……大丈夫。少し……やりすぎただけ……」
ルディウスはその光を見届け、かすかに微笑んだ。
「まだ人を救おうとする心が残っていたか。
お前は、純粋さゆえに一番壊れやすい」
「ルディウス……」セリナは弱々しく問う。
「あなたはいま、幸せなの?」
「幸せ?」
その言葉に、ルディウスの表情が一瞬だけ揺れた。
「そんな感情、今さら必要か。
だが――お前がまだそれを問えることが、少しだけ救いだ」
そのまま彼は背を向け、空を見上げる。
血のように赤い月が、彼の姿を照らしていた。
「この戦いは終わりではない。
神の領域を開くための鍵が、次に現れる。
それまでに――お前たちが“信じる世界”を見せてみろ」
突風が吹き、黒い羽のような魔力が散った。
次の瞬間、ルディウスの姿は消えた。
残されたのは沈黙。
倒れ伏す兵士たちと、空を見上げるセリナだけだった。
「彼はいずれ……神をも倒すつもりなのね」
リシェルが静かに呟き、拳を握った。
だがその胸の奥では、壊れゆく世界の行く末を止められない予感が広がっていた。
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