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偽りの姫、記憶喪失で手に入れたものは
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海に投げ出された。
先ほどまで乗っていた船に波が覆いかぶさり、全てを流していく。
激しく混乱する船の中で頭を激しく打ち付けたようで、意識が混濁する。必死に木の板にしがみつくことだけを考えた。
――気付くと海岸に倒れていた。
(奇跡的に助かったみたい。とっても寒いわ)
長時間、海に漂った体は冷え切っていた。体を動かす体力も尽きている。
(せっかく岸に打ち上げられたというのに、ここまでなのかしら……)
なかば砂に埋もれながら倒れていると、人の気配が近づいてくる。
「大丈夫かっ!?」
見慣れない鎧を身につけた兵士たちだった。ひときわ目立つ金髪の男性に抱き起こされた。
「体が冷え切っている。すぐに手当てを」
「あ……」
声が掠れ視線が彷徨う。
「しっかりしろ!早く連れて行くんだ!」
再び意識を失った。
――1週間後
「熱も下がってようやく状況も落ち着いてきたようだな。これを食べてくれ。うまいぞ」
ホワイトシチューの香りが漂い、空腹の胃が悲鳴を上げた。
「美味しそうな香り……」
食べ終えると、何度目かの礼を言った。
「本当に助けていただいたこと、なんとお礼したらいいか……」
「気にしないでくれ」
「あの、気になっているのですが、私のほかに流されてきた人はいなかったのですか?」
ほかに手当てを受けている人が見当たらなかった。
「残念ながら、君のほかにはいない。……尋ねたいことがあるのだが、あなたはもしかしてリーセロット姫なのではないか?」
「え?」
「あなたの身につけていたドレスは最高級の生地だ。装飾品も一流。隣国の王女が我が国に来訪することは聞いていた。そして、船が遭難したことも知っている」
船が遭難した日のことを思い出そうとすると、頭がズキリと痛む。
「私が何者なのか、やっぱり思い出せません」
「記憶を失ったままか……」
ここに来てから自分の名前や住んでいた場所を聞かれたが、全く思い出せなかった。だから、リーセロット姫なのでは、と言われてもピンとこない。
「自分のことを思い出すことはできませんが、まさか私がお姫様だなんて」
「君にそう言われてしまうと、こちらもお手上げなのだがな。……いや、すまない。不安なところに余計なことを言った」
「いえ。きっと遭難した時に頭を打ち付けたのでしょう。後頭部がまだ痛みますから」
「本当にすまない」
痛ましそうな目で見られた。
「しばらくゆっくりと静養してくれ。オレはカルスと言って、フォーシュ王国の一領主なんだ。日課の見回りをしていたらあなたが海岸に倒れていた」
「そうでしたか……。見つけられた私は運がよかったのね」
遠くを見るように目を伏せる。
「思ったよりも穏やかな人で驚いた」
「え?」
「重ね重ねすまない。オレはどうしても君はリーセロット姫じゃないかと考えているからそう感じてしまう」
「私がリーセロット姫だったとして……どうして穏やかだと驚くのです?」
「それはえーと……王女は気位が高いと聞いていたから」
気まずくなったカルスは視線を泳がせ立ち上がった。
「今日はゆっくり休んでくれ。オレはどうも言葉がうまくない……」
ボヤキながら去っていく。
――それからカルスは、よく顔を出しにきた。
「今日は、少し城の中を歩いてみないか?」
「ええ。ずっと部屋にいるのはつまらないと思っていたわ」
カルスに連れられて外を歩くと、そびえ立つ城壁が見えた。
「歴史を感じる城壁ね。ずいぶんと高さがあるわ」
「今は平和だが、かつては君の国の襲来もあったからな。今でも訓練はかかさず行っているよ」
城壁に縄をかけて昇る者と上から練習用弓矢で狙う者の姿がある。
「今でも危険が及ぶと考えているの?」
「君が平和を望むなら危険ではないな」
毎日、少しずつ話すうちに砕けた話し方をするようになっていた。
「私が王女なら、警戒する対象だということね?」
「まあ、そうだね。でも、こうして仲良くしていたら、悪い方にいかないと思っている。君は優しい人だからね」
カルスは自分をすっかりリーセロット姫だと思っているらしい。
だから、自分もリーセロット姫なんじゃないかと思い始めていた。
「私……リーセロット姫なのかな。記憶はないけれど、不思議とお茶の作法だとか覚えているの。ドレスの合わせ方とか」
「リーセロット姫は美人だと聞いたから、間違いないんじゃないか?」
からかうようにカルスが目を細めて言う。
「か、からかわないで。きゃっ」
地面の凸凹につまづいた。
「大丈夫か?」
すかさず手を差し伸べられた。
「城の床は平らなのが普通なのにここのは段差があるから……」
「それ、やっぱりリーセロット姫の記憶なんじゃないか?」
ふとした拍子に今みたいに思い出すことがあった。
「オレの腕につかまって。ここは地面が凸凹だからね」
「……ありがとう」
――それからまた幾日か時間が過ぎた。
カルスと顔を合わせることはすでに日課となっていた。
「今日はこれをつけてくれないか?」
目隠しを渡された。
「どうして目隠しなんか……」
「ちょっと驚かせたいことがあるんだ。心配しなくていい。オレが手を引くから」
仕方なく目隠しをつけ、手を引かれてしばらく歩いた。
「着いた。目隠しを外すぞ」
目隠しを取ると、花壇に咲き誇る花々が目に入り、言葉を失った。
「まあ……なんて綺麗なの」
「気に入った?」
「もしかして、私のためにこれを?」
「そうだよ。女王様のご機嫌をとるために。……いや、嘘だ。君の笑顔が見たかった」
カルスがポケットから何やら小さな箱を取り出した。
「……これ、受け取って欲しいんだ」
(あれって……まさか)
予想通り、小箱を開くと指輪が入っていた。青く輝いてとても美しい。
「綺麗だわ。これはあなたの瞳の色と同じね」
「ああ。つまり……」
カルスはひざまずいた。
「オレは君と過ごすうちにこうしてずっと側にいて欲しいと願うようになった。……だが、君はおそらくリーセロット姫だろう。田舎領主のオレが求婚していい相手じゃないのはわかっている。だけど、どうしても言いたかった」
「カルス……」
彼の好意はなんとなくわかっていた。彼は美しく優しい男性だ。自分も当たり前のように好きになっていた。
「遭難はきっと弟のアレニウスの仕業だと思うの。だから、私……リーセロット姫は帰国して命を再び狙われるならば、ここであなたと一緒に生きていきた……」
最後まで言い終わらないうちにカルスに抱きしめられた。
(私、ここで幸せになるわ)
そう思った矢先、とんでもない事実を聞いてしまった。
ホンモノの王女がフォーシュ王国の王子と結婚することになったらしい、と。
ある日、騎士たちが話していたのを偶然、聞いてしまったのだ。
(本物ってなに?私、リーセロット姫じゃないの?)
心臓が早鐘を打ち呼吸が浅くなる。
本物のリーセロットはフォーシュの王城まで護衛に守られながら到着したのち、美男子と名高いステット王子と恋に落ちたのだそうだ。
王族の証を示して身元を証明したらしい。
(ということは、私は姫でもなんでもないんじゃない……)
茫然としていると、指輪に目が止まった。
(カルスは私をリーセロット姫だと思っていたから、好きになってくれたのだわ。……私、ここにいられない。今すぐ出て行かなきゃ)
もしかしたら、罪を問われるかもしれないと指先が冷たくなくなった。
指輪を外すとテーブルに置いた。そして、誰にも知られないようにして密かに城を抜け出した。
(どこにいけばいいのだろう?)
城下町を抜けて、ふらふらと歩いていると声をかけられた。
「あんた、どこから来たの?ずいぶん疲れているようじゃないの。うちにおいで。なにか美味しいものを食べさせてあげる」
いかにも人の良さそうなおばあさんで、言われるままついていく。歩き疲れてどうにでもなれ、という気持ちになっていた。
「……へえ、あの遭難した船の生き残りだったの。大変だったねえ」
話してはマズイかもしれないとは思いつつ、おしゃべり上手なおばあちゃんに聞かれるまま答えた。
そして、そのまま居ついた。日中はおばあちゃんの手伝いをして過ごした。
(私、なにをしているんだろう。このままここにいていいのかな……)
自問自答していると、おばあちゃんに言われた。
「あんたを探している人がいるみたいだよ」
「私を探している人?」
「村の入口に今、兵士が来ていてね、記憶喪失の人を探しているんだって。あんた、記憶ないだろう?もしかしてあんたのことをじゃないかねえ」
「……わかったわ。そちらへ行ってみる」
なるべく冷静に言うと、密かに家を出て裏手にまわった。額に汗がにじむ。
(私を捕えようとしているのかも。偽物だったし、逃げ出してしまったし……)
本当はリーセロット姫だと勘違いしていたことを謝りたかった。だけど、怖かった。拒絶されて冷たくされたらと。
柵を乗り越えようとして、スカートの裾が引っかかった。
(もたもたしている場合じゃないのに)
震えながら引っ掛かりを外そうとしていると、こちらに向かって走ってくる足音が聞こえた。
「待て!」
慌ててスカートが破れた。前につんのめる。
「危ない!」
腕を掴まれた。
「こちらを見ろ」
見なくても声でわかった。上を向くとやっぱりカルスだった。走って来たせいで息が上がり、彼の美しい金髪がボサボサになっている。
「ごめんなさい。私はリーセロット姫ではなかったのね。それなのに、自分を姫だと勘違いして……」
「君は確かにリーセロット姫じゃない」
「はい……」
言葉が途切れ地面を見つめた。
「君はエミリアというんだ」
「え……?」
「君はエミリアといってリーセロット姫の侍女だったんだ。だから礼儀作法も身についていた」
「私は、リーセロット姫の侍女……」
なにか目まぐるしく頭の中でなにかが動いている。
「そして、君はリーセロット姫の影武者でもあった」
「影武者?」
「アレニウス王子が継承権を持つ姉を亡き者にしたんだ。だから、あの事故は起きた。君は姫の替わりになって本物のリーセロット姫を逃がしていたんだ」
ボンヤリとしていた記憶が、カルスの話でだんだんと蘇ってきた。
(そうだ。海は荒れて刺客が現れたんだ。私は姫を守るために、姫のドレスを着ると甲板に飛び出して……)
「……確かに私は、リーセロット姫の影武者でした」
「なぜ、逃げたんだ?」
「自分がリーセロット姫ではないと知ったからです。あの城にいるべきじゃないと思いました。私は得体の知れない人間で……あなたを騙していたことに変わりない。あなたが怒ってもおかしくないと」
「そんなわけないだろ!」
眉間に深い皺を寄せカルスは険しい表情をしていた。
「君が本物のリーセロット姫じゃなくても関係ない。むしろ、君が姫じゃなくてよかった。本物の姫は殿下と結婚して国は平和に保たれる。いいことづくめじゃないか」
「……前向きに捉えてくださるんですね」
「オレはショックだったよ」
「私がリーセロット姫ではなかったから?」
「オレの話を聞いていたか?違うよ」
指でこめかみを押さえながらカルスがふてくされたように言う。
「オレの元を勝手に去ったのがショックだったんだ」
「……許可をとればよかった、ということではないですよね?」
「そうだよ。本当に心配させて……」
カルスはポケットから指輪を取り出すと、再びエミリアの指にはめた。置いてきた指輪だった。
「……いいんですか? ただの侍女で、影武者だった私なんかで」
「いいに決まってる。ずっとオレの側にいて笑っていて欲しい」
エミリアは、頬を赤らめはにかんだ。
――カルスは、ことあるごとにエミリアに気持ちを告げる。
「私はもう逃げませんから。心配だからとそう何度も言わなくても大丈夫ですから」
「違うよ。ただ自分の気持ちを伝えたいだけだよ」
「ありがとう。私も……あなたを愛しています」
影武者の仕事は、意義があると思い命を懸けていた。だが、一人の男性に一途に愛され、今は自分の命が大切だ。
(ただの“私”として愛される幸せ)
エミリアは指にはめられた指輪を見て、唇に笑みを浮かべる。
いつもまでもこの幸せを手放したくないと感じたエミリアだった。
先ほどまで乗っていた船に波が覆いかぶさり、全てを流していく。
激しく混乱する船の中で頭を激しく打ち付けたようで、意識が混濁する。必死に木の板にしがみつくことだけを考えた。
――気付くと海岸に倒れていた。
(奇跡的に助かったみたい。とっても寒いわ)
長時間、海に漂った体は冷え切っていた。体を動かす体力も尽きている。
(せっかく岸に打ち上げられたというのに、ここまでなのかしら……)
なかば砂に埋もれながら倒れていると、人の気配が近づいてくる。
「大丈夫かっ!?」
見慣れない鎧を身につけた兵士たちだった。ひときわ目立つ金髪の男性に抱き起こされた。
「体が冷え切っている。すぐに手当てを」
「あ……」
声が掠れ視線が彷徨う。
「しっかりしろ!早く連れて行くんだ!」
再び意識を失った。
――1週間後
「熱も下がってようやく状況も落ち着いてきたようだな。これを食べてくれ。うまいぞ」
ホワイトシチューの香りが漂い、空腹の胃が悲鳴を上げた。
「美味しそうな香り……」
食べ終えると、何度目かの礼を言った。
「本当に助けていただいたこと、なんとお礼したらいいか……」
「気にしないでくれ」
「あの、気になっているのですが、私のほかに流されてきた人はいなかったのですか?」
ほかに手当てを受けている人が見当たらなかった。
「残念ながら、君のほかにはいない。……尋ねたいことがあるのだが、あなたはもしかしてリーセロット姫なのではないか?」
「え?」
「あなたの身につけていたドレスは最高級の生地だ。装飾品も一流。隣国の王女が我が国に来訪することは聞いていた。そして、船が遭難したことも知っている」
船が遭難した日のことを思い出そうとすると、頭がズキリと痛む。
「私が何者なのか、やっぱり思い出せません」
「記憶を失ったままか……」
ここに来てから自分の名前や住んでいた場所を聞かれたが、全く思い出せなかった。だから、リーセロット姫なのでは、と言われてもピンとこない。
「自分のことを思い出すことはできませんが、まさか私がお姫様だなんて」
「君にそう言われてしまうと、こちらもお手上げなのだがな。……いや、すまない。不安なところに余計なことを言った」
「いえ。きっと遭難した時に頭を打ち付けたのでしょう。後頭部がまだ痛みますから」
「本当にすまない」
痛ましそうな目で見られた。
「しばらくゆっくりと静養してくれ。オレはカルスと言って、フォーシュ王国の一領主なんだ。日課の見回りをしていたらあなたが海岸に倒れていた」
「そうでしたか……。見つけられた私は運がよかったのね」
遠くを見るように目を伏せる。
「思ったよりも穏やかな人で驚いた」
「え?」
「重ね重ねすまない。オレはどうしても君はリーセロット姫じゃないかと考えているからそう感じてしまう」
「私がリーセロット姫だったとして……どうして穏やかだと驚くのです?」
「それはえーと……王女は気位が高いと聞いていたから」
気まずくなったカルスは視線を泳がせ立ち上がった。
「今日はゆっくり休んでくれ。オレはどうも言葉がうまくない……」
ボヤキながら去っていく。
――それからカルスは、よく顔を出しにきた。
「今日は、少し城の中を歩いてみないか?」
「ええ。ずっと部屋にいるのはつまらないと思っていたわ」
カルスに連れられて外を歩くと、そびえ立つ城壁が見えた。
「歴史を感じる城壁ね。ずいぶんと高さがあるわ」
「今は平和だが、かつては君の国の襲来もあったからな。今でも訓練はかかさず行っているよ」
城壁に縄をかけて昇る者と上から練習用弓矢で狙う者の姿がある。
「今でも危険が及ぶと考えているの?」
「君が平和を望むなら危険ではないな」
毎日、少しずつ話すうちに砕けた話し方をするようになっていた。
「私が王女なら、警戒する対象だということね?」
「まあ、そうだね。でも、こうして仲良くしていたら、悪い方にいかないと思っている。君は優しい人だからね」
カルスは自分をすっかりリーセロット姫だと思っているらしい。
だから、自分もリーセロット姫なんじゃないかと思い始めていた。
「私……リーセロット姫なのかな。記憶はないけれど、不思議とお茶の作法だとか覚えているの。ドレスの合わせ方とか」
「リーセロット姫は美人だと聞いたから、間違いないんじゃないか?」
からかうようにカルスが目を細めて言う。
「か、からかわないで。きゃっ」
地面の凸凹につまづいた。
「大丈夫か?」
すかさず手を差し伸べられた。
「城の床は平らなのが普通なのにここのは段差があるから……」
「それ、やっぱりリーセロット姫の記憶なんじゃないか?」
ふとした拍子に今みたいに思い出すことがあった。
「オレの腕につかまって。ここは地面が凸凹だからね」
「……ありがとう」
――それからまた幾日か時間が過ぎた。
カルスと顔を合わせることはすでに日課となっていた。
「今日はこれをつけてくれないか?」
目隠しを渡された。
「どうして目隠しなんか……」
「ちょっと驚かせたいことがあるんだ。心配しなくていい。オレが手を引くから」
仕方なく目隠しをつけ、手を引かれてしばらく歩いた。
「着いた。目隠しを外すぞ」
目隠しを取ると、花壇に咲き誇る花々が目に入り、言葉を失った。
「まあ……なんて綺麗なの」
「気に入った?」
「もしかして、私のためにこれを?」
「そうだよ。女王様のご機嫌をとるために。……いや、嘘だ。君の笑顔が見たかった」
カルスがポケットから何やら小さな箱を取り出した。
「……これ、受け取って欲しいんだ」
(あれって……まさか)
予想通り、小箱を開くと指輪が入っていた。青く輝いてとても美しい。
「綺麗だわ。これはあなたの瞳の色と同じね」
「ああ。つまり……」
カルスはひざまずいた。
「オレは君と過ごすうちにこうしてずっと側にいて欲しいと願うようになった。……だが、君はおそらくリーセロット姫だろう。田舎領主のオレが求婚していい相手じゃないのはわかっている。だけど、どうしても言いたかった」
「カルス……」
彼の好意はなんとなくわかっていた。彼は美しく優しい男性だ。自分も当たり前のように好きになっていた。
「遭難はきっと弟のアレニウスの仕業だと思うの。だから、私……リーセロット姫は帰国して命を再び狙われるならば、ここであなたと一緒に生きていきた……」
最後まで言い終わらないうちにカルスに抱きしめられた。
(私、ここで幸せになるわ)
そう思った矢先、とんでもない事実を聞いてしまった。
ホンモノの王女がフォーシュ王国の王子と結婚することになったらしい、と。
ある日、騎士たちが話していたのを偶然、聞いてしまったのだ。
(本物ってなに?私、リーセロット姫じゃないの?)
心臓が早鐘を打ち呼吸が浅くなる。
本物のリーセロットはフォーシュの王城まで護衛に守られながら到着したのち、美男子と名高いステット王子と恋に落ちたのだそうだ。
王族の証を示して身元を証明したらしい。
(ということは、私は姫でもなんでもないんじゃない……)
茫然としていると、指輪に目が止まった。
(カルスは私をリーセロット姫だと思っていたから、好きになってくれたのだわ。……私、ここにいられない。今すぐ出て行かなきゃ)
もしかしたら、罪を問われるかもしれないと指先が冷たくなくなった。
指輪を外すとテーブルに置いた。そして、誰にも知られないようにして密かに城を抜け出した。
(どこにいけばいいのだろう?)
城下町を抜けて、ふらふらと歩いていると声をかけられた。
「あんた、どこから来たの?ずいぶん疲れているようじゃないの。うちにおいで。なにか美味しいものを食べさせてあげる」
いかにも人の良さそうなおばあさんで、言われるままついていく。歩き疲れてどうにでもなれ、という気持ちになっていた。
「……へえ、あの遭難した船の生き残りだったの。大変だったねえ」
話してはマズイかもしれないとは思いつつ、おしゃべり上手なおばあちゃんに聞かれるまま答えた。
そして、そのまま居ついた。日中はおばあちゃんの手伝いをして過ごした。
(私、なにをしているんだろう。このままここにいていいのかな……)
自問自答していると、おばあちゃんに言われた。
「あんたを探している人がいるみたいだよ」
「私を探している人?」
「村の入口に今、兵士が来ていてね、記憶喪失の人を探しているんだって。あんた、記憶ないだろう?もしかしてあんたのことをじゃないかねえ」
「……わかったわ。そちらへ行ってみる」
なるべく冷静に言うと、密かに家を出て裏手にまわった。額に汗がにじむ。
(私を捕えようとしているのかも。偽物だったし、逃げ出してしまったし……)
本当はリーセロット姫だと勘違いしていたことを謝りたかった。だけど、怖かった。拒絶されて冷たくされたらと。
柵を乗り越えようとして、スカートの裾が引っかかった。
(もたもたしている場合じゃないのに)
震えながら引っ掛かりを外そうとしていると、こちらに向かって走ってくる足音が聞こえた。
「待て!」
慌ててスカートが破れた。前につんのめる。
「危ない!」
腕を掴まれた。
「こちらを見ろ」
見なくても声でわかった。上を向くとやっぱりカルスだった。走って来たせいで息が上がり、彼の美しい金髪がボサボサになっている。
「ごめんなさい。私はリーセロット姫ではなかったのね。それなのに、自分を姫だと勘違いして……」
「君は確かにリーセロット姫じゃない」
「はい……」
言葉が途切れ地面を見つめた。
「君はエミリアというんだ」
「え……?」
「君はエミリアといってリーセロット姫の侍女だったんだ。だから礼儀作法も身についていた」
「私は、リーセロット姫の侍女……」
なにか目まぐるしく頭の中でなにかが動いている。
「そして、君はリーセロット姫の影武者でもあった」
「影武者?」
「アレニウス王子が継承権を持つ姉を亡き者にしたんだ。だから、あの事故は起きた。君は姫の替わりになって本物のリーセロット姫を逃がしていたんだ」
ボンヤリとしていた記憶が、カルスの話でだんだんと蘇ってきた。
(そうだ。海は荒れて刺客が現れたんだ。私は姫を守るために、姫のドレスを着ると甲板に飛び出して……)
「……確かに私は、リーセロット姫の影武者でした」
「なぜ、逃げたんだ?」
「自分がリーセロット姫ではないと知ったからです。あの城にいるべきじゃないと思いました。私は得体の知れない人間で……あなたを騙していたことに変わりない。あなたが怒ってもおかしくないと」
「そんなわけないだろ!」
眉間に深い皺を寄せカルスは険しい表情をしていた。
「君が本物のリーセロット姫じゃなくても関係ない。むしろ、君が姫じゃなくてよかった。本物の姫は殿下と結婚して国は平和に保たれる。いいことづくめじゃないか」
「……前向きに捉えてくださるんですね」
「オレはショックだったよ」
「私がリーセロット姫ではなかったから?」
「オレの話を聞いていたか?違うよ」
指でこめかみを押さえながらカルスがふてくされたように言う。
「オレの元を勝手に去ったのがショックだったんだ」
「……許可をとればよかった、ということではないですよね?」
「そうだよ。本当に心配させて……」
カルスはポケットから指輪を取り出すと、再びエミリアの指にはめた。置いてきた指輪だった。
「……いいんですか? ただの侍女で、影武者だった私なんかで」
「いいに決まってる。ずっとオレの側にいて笑っていて欲しい」
エミリアは、頬を赤らめはにかんだ。
――カルスは、ことあるごとにエミリアに気持ちを告げる。
「私はもう逃げませんから。心配だからとそう何度も言わなくても大丈夫ですから」
「違うよ。ただ自分の気持ちを伝えたいだけだよ」
「ありがとう。私も……あなたを愛しています」
影武者の仕事は、意義があると思い命を懸けていた。だが、一人の男性に一途に愛され、今は自分の命が大切だ。
(ただの“私”として愛される幸せ)
エミリアは指にはめられた指輪を見て、唇に笑みを浮かべる。
いつもまでもこの幸せを手放したくないと感じたエミリアだった。
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