男装して恋人代行したら、見破ったイケメンに惚れられ家族になっちゃいました

大井町 鶴

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男装して恋人代行したら、見破ったイケメンに惚れられ家族になっちゃいました

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「その案件、ぜひ引き受けさせてもらいます!」

ジルは真剣な表情で言うと、ランタ男爵と握手を交わす。

――3ヶ月前、ジルの父は病気で倒れた。

ジルの父は街で床屋を経営していたのだが、古くなった店舗の改装をしようとして悪徳業者に騙され、ショックで持病を悪化させてしまったのだ。

だから、ジルが父の代わりに一家を支えなければならない。

母はずいぶん前に亡くなっており、今は自分がどうにかするしかない。家にはまだ幼い妹のネルと弟のアザルがいる。

(まさかこんなに借金があるなんて……!)

ジルは赤茶の髪をぐしゃりとかきあげ、請求書を睨んだ。

父は髪を切る才能はあっても、計算が大の苦手だ。無謀すぎる借金だった。

「はあ、劇場のヘアメイクの仕事以外にも働かないとダメそうだなぁ……」

独り言を呟いたつもりだが、同じくヘアメイクの仕事仲間であるシェリルが聞いていたらしい。

「お金に困ってるの?いい人、紹介してあげようか?」

とある男爵を紹介してあげる、と言われた。

「え、愛人とか私イヤなんだけど?」
「そうじゃなくて。ジルはウィッグつくりもしているでしょ?知り合いのランタ男爵って人がハゲを気にしていてウィッグ欲しいんだって。あんたがウィッグ作ればちょうどいいじゃない」
「なるほど。それなら問題ないわ」

というわけで、シェリルに紹介してもらってランタ男爵の専用ウィッグつくりをすることになった。

専用のウィッグとなると高収入が見込める。ジルは男爵の機嫌をとるためにも、サービスで肩もみなどをしてあげた。

すると、ランタ男爵はだんだんと気を許して、プライベートなことを話すようになった。ウィッグの調整タイムは、もはや人生相談の時間だ。

「……うちの娘の婚約者が格上の子爵令息なんだが、イヤなヤツなんだよ。うちの娘を大事にしようとしない。政略結婚だから仕方ないとはいえ、腑に落ちんのだ」
「お貴族様は大変ですねえ」

男爵はたびたび、自分の娘に対して冷たい扱いをする婚約相手に憤り、文句を言っていた。

――そんなある日、ランタ男爵はジルの前に現れると、一気に不満をぶちまけた。

「聞いてくれ!うちの可愛いニイナにアイツは婚約破棄を突きつけた!エイア伯爵のイマイチな見た目の令嬢に乗り換えたんだ!最低だろ!?」
「男爵様、落ち着いて下さい。えーと、ニイナお嬢様に婚約を申しこんでいた男が格上のイマイチ令嬢と婚約するために婚約破棄を突きつけたんですか?こちらに何の落ち度もないのに?」
「うちの娘に落ち度なんてあるもんか。ウソをでっち上げて婚約破棄を突きつけたんだ!許しがたい!イヤ絶対に許せん!」

事情を詳しく聞くと、ジルも怒りの気持ちが湧いた。

さまざまな悪評をでっち上げて婚約破棄を突きつけたクセに、子爵令息とイマイチな伯爵令嬢との婚約お披露目パーティーに出席するように言われたのだとか。

「貴族社会はタテ社会だから、嫌でもパーティーに出席せねばならん。病気だと言えばその場はどうにかなるだろうが、いつかは顔を出さなきゃならない状況は変わらない。そこでだ、君に頼みたいことがある」
「私に?」

突然、話に巻き込まれたジルは動揺した。

「君はウィッグつくりが得意で、凛々しくて美形。舞台俳優としても十分やっていけるだろう」
「はあ……褒められるのは嬉しいですが、それとお嬢様の件とどう関わりがあるのでしょうか?」
「まあ、聞き給え。君はきっと男物の短髪ウィッグを被ったら、ハンサム男子になるに違いない!よって、娘の恋人のフリをしてもらいたい!」
「はい!?」

ジルは男爵のとんでもない案につい叫んだ。

「パーティーに娘の新恋人として出席するんだ。そうすれば、逆らうことなくアイツに悔しい思いをさせられるというものだ。引き受けてくれれば、報酬をたんまり支払おうじゃないか!」
「本当ですか!?」

何を言うのだろうと思っていたが、報酬に惹かれてジルはものすごく真剣に考え始めた。

――そこで冒頭の会話に戻る。

「その案件、ぜひ引き受けさせてもらいます!」

ランタ男爵の娘のニイナは華やな美人ではないが、キレイな人だった。控えめで百合のよう。ヘアメイクとして腕を振るいたくなる逸材だ。

「あなたが私の恋人役を務めてくれるの?」
「はい。私は女性ですが背丈もありますし、ヘアメイクの仕事をしていますからお役に立てるかと」

ジルは手持ちの男物ウィッグを並べると、ニイナの好みの像をヒアリングしながらウィッグを選び、メイクして理想の男性になりきる。

「まあ、ステキ!まるでおとぎ話の王子様みたいだわ」

男装したジルを見てニイナが口元に手を当てた。

「えへへ。実は私、役者を夢見たことがあって、カッコイイ男性も演じてみたいと思っていたんです」

胸の中にあった密かな夢を言うと、ニイナがニコッと微笑む。

「あなたならばできるわ。パーティーに行くのが楽しみになってきたくらいよ。さっそく、恋人のフリを練習してみましょう」

恋人らしい会話の練習をすると、段々と板についてそれらしく見えるようになってきた。

(これならパーティーでもいける!)

自信を持ったジルとニイナだった。

――パーティーの日がやってきた。

パーティー会場に着くと、馬車から降りたジルは颯爽とニイナをエスコートする。

ニイナはジル渾身のヘアメイクで美しさが際立ち、ジルの立ち振る舞いもスタイリッシュだったので、すぐに人の目を引いた。

「オレに婚約破棄されたばかりで男連れとはあきれたもんだな!」

突然、偉そうな物言いをしてきたヤツがいると思ったら、元婚約者のゴードという男だとニイナが囁いた。

「……お前、今日はずいぶんとキレイじゃないか」

ゴードはニイナの顔を見ると、にじり寄って来る。ジルが庇うようにニイナの前に立ちはだかった。

「彼女に近寄らないで下さい。もう、あなたと縁のない人でしょう」
「あ?なんだお前」

貴族だとは思えない口の聞き方をするゴードは凶暴そうだ。

「ゴード様!どちらに行かれますの?」

甲高い声がしてゴードの腕をとったのはイマイチな顔立ちの令嬢……ゴードを奪ったポシェル伯爵令嬢だった。

「アナタはゴード様に捨てられた方だったわよね?……で、その隣の美しい方はどなた?」

ポシェルは男装姿のジルをジロジロと全身を舐め回すように見る。

「私は“アーツ”です。ニイナ様のご厚意でこちらに連れて来ていただいたのですよ」
「呼んでいない者は入場などできないぞ!帰れ!」

ポシェルが“美しい方”と言ったものだから、ゴードは睨みつけアーツことジルを牽制した。

「ゴード様、いいではありませんか。今日はおめでたい日なのですから」

ポシェルが言うと、ゴードは大人しくなった。が、威嚇するようにジルを睨むとポシェルを連れて去って行った。

「元婚約者の男、ろくでもないヤツですね」

ヒソヒソとニイナの耳元で囁くと、ニイナはすぐにうなずいた。

「そうでしょう?あんな人に婚約破棄されて落ち込んでいただなんて愚かだったわ」

くすり、と微笑んだニイナの顔を見た男性たちから思わずため息が漏れる。

(こんなに美しいニイナ様に冷たくする男なんてクソくらえだわ。ニイナ様にいい人が見つかるといいな)

「ニイナ様の美しさに魅了されている男性がたくさんいるようですよ。私は適当なところで離れますからお話されてみては?」

ジルが提案すると、ニイナもまんざらじゃないみたいで再びうなずいた。

ニイナが男性に話しかけられたのをきっかけに、飲み物を取りに行くフリをしてその場を離れようとすると、数歩進んだところで声をかけられた。

「良かったらこれをどうぞ。そろそろノドが乾きませんこと?」
「……ああ、どうも」

ワイングラスを差し出してきたのは、ポシェルだった。

彼女は顔もスタイルもイマイチだが、裕福な伯爵令嬢だということで着ているドレスが豪華だ。

ニイナの元婚約者のゴードもお金で釣られたのかな、と考えているとまた話しかけられる。

「飲まないのですか?もしかして警戒されています?私がニイナさんの婚約者をとってしまったから」

上目遣いで言うポシェルにゾゾ……っとする。

「それは……」
「まあ、とりあえず飲んで仲良くなりましょう」

なぜ、仲良く?と思ったところで、ポシェルは持っていたワインを一気に飲む。

「ほら、あなたも飲んで」

やたらと酒を勧めてくるあやしさに、“酒が飲めないので”と、断った。

「お酒が苦手なんて残念ですわ。でも、こうしてお話していると、仲良くなれるものですわね。……私、あなたと出会って、ちょっと早まってしまったと後悔しはじめましたわ。だって、あなた様の方がイケメンでとってもス・テ・キ♡」

全身の毛が立つ。

(マズイ!私、狙われてる!)

ここからどうにかして逃げ出さねば、と思っていると、急にポシェルがフラついた。

「ああ……!酔ってしまったわ。すみませんけれど、部屋まで送ってもらえませんかしら?」
「え、私がですか?」

確かに赤い顔をしてそこそこ酔っているらしいポシェルを見て、慌ててゴードの姿を探すが、ヤツはほかの令嬢と話していた。

(なんでアイツ、ほかの女と話しているのよ!)

「……ほら、ゴード様も楽しくお話中でしょう?邪魔してはいけませんわ」

当人たちの婚約お披露目パーティーなのに、2人して自由すぎるのでは?と思ったが、とりあえず部屋まで送って戻ればいいかと、口を開いた。

「分かりました。では、お部屋までお送りしましょう」

ポシェルの手を取ると、言われるままに部屋の方へと向かう。

「アーツ様、お優しいですわあ」
「婚約者の方に知らせなくて良かったのですか?」
「良いのよ。あの人はうちの爵位に興味があるだけですもの」

意外ときちんと把握しているのだな、と思ったところで、ポシェルの部屋に辿り着いた。

「では、私はここで」
「ああっ!」

ポシェルは突然、大きくよろめくと床に倒れ込んだ。

「ポシェル嬢!?」
「私1人では、ベッドまで辿り着けませんわ。私を運んで下さらない?」
「え……」

ジルは迷ったが、ポシェルはなんだか悩んでいそうだったので、仕方なくベッドまで運ぶことにした。

ベッドに辿り着くとポシェルを座らせる。

「では、今度こそ私はここで……」
「ちょーっと!お待ちくださいませ!」

ポシェルの両手が伸びてきてガッチリと両腕を掴まれた。ポシェルはボリュームがある令嬢で力が強かった。簡単にベッドに倒された。

(うわー!!襲われてる!)

まさか女性から押し倒されるとは思っていなかったジルは慌てまくった。

「気分が悪いのでは!?」
「気分は悪くありませんわ。どちらかというと、ものすごく気分がてきましたわ。さあ、楽しみましょうね」
「ひえっ」

まんまと騙されたのだと分かると、ジタバタと抵抗した。だが、ポシェルはジルに覆いかぶさると、タイに手を伸ばしてくる。

「やめ……やめてください!落ち着いて!今日はあなたの婚約お披露目パーティーでしょう!?」

ジルが叫ぶと、ポシェルはニヤリとした。

「そんなの、我が家の力でどうにでもできますわ」

先ほどは、婚約者が爵位狙いとか言ってツラそうにしてたのに、今の彼女はまるで獲物を前にしたライオン……いや、カバであろうか。

(とにかく、逃げないと!女だってバレちゃうし)

あくまで男爵の依頼は、《男性としてニイナの恋人を演じること》だ。女だとバレれば、報酬をもらえない。

ポシェルと格闘していると、扉がいきなりバン!と開いた。

「貴様ぁ!オレの婚約者に何しているんだ!!」

真っ赤な顔をしたゴードが剣を持って立っていた。

(わわわ!剣持ってる!冗談じゃない!殺される前に逃げなきゃ)

ジルは、ポシェルを突き飛ばすと、そのまま、窓から庭に飛び降りた。

ゴードはなにやら叫んでいたが、ポシェルに止められたようで静かになる。

(パーティーの日に婚約者が浮気していた、なんて知られたら大変だもんね)

庭を急ぎ走っていると、突然、剣を下げた男に行く手を遮られた。

「止まれ!ここで何をしている?お嬢様の部屋から飛び降りて来たのを見たぞ」

おそらく警備の者だろう。主の娘の部屋から出て来たのを見られたのはマズイ。

「誘惑されたから逃げて来たんだよ!見逃してくれ!」
「誘惑?……まあ、アレならやりかねないな」

雇い主の娘をずいぶんとヒドイ言い方をする。

「とはいえ、このまま見逃すわけにはいかないな。こちらに付いて来てもらおう」

男に連れて行かれそうになって、手足をバタつかせて必死に抵抗した。捕まったら計画はパーだ。

「こら、大人しくしろ」

男が取り押さえようと、ジルの体に手を伸ばした。あ、と思った時には遅かった。

男の手が胸に触れていた。サラシを巻いていても掴まれたらさすがに女だと気付いたはずだ。案の定、男は困惑した顔をした。

「え……女?」
「ちょっと放してよ!」

ジルは男の手を振り払った。そのまま走り去ろうとしたが、男に腕を掴まれた。

「どういうわけか聞かせてもらおう」

近くにあるガゼボに連れて行かれ、事情聴取される。

仕方なく理由を正直に話した。

「……なるほど。それはまた不運だったな。あのお嬢様の男癖の悪さは身内の間じゃ有名だ」

男は最初の様子とは変わって、なんだかリラックスしているようだ。頼めば見逃してくれそうな気がしてジルは言った。

「どうか、見逃してもらえないですか?」
「条件付きならいいぞ」
「条件が必要なんですか……?」

男がどんなことを言うのだろう、とジルは警戒した。

「その前にだが……。君が正直に話してくれたからオレのこともきちんと話そうと思う。オレは警備員ではなくて……実は、ここの長男なんだ。と言っても使用人の子だが。長らく放っておかれたのに、急に呼び戻されてね。でも、こんなバカバカしい家族になんてなりたくないな、と思っていたところだ」
「そう、だったのですか……」
「改めてよろしく。オレはへバリンという。君の名は?」
「私はジルといいます。普段はヘアメイクの仕事をしています」
「そうか。だから、こんなに髪の毛も艶やかなんだね。きちんと手入れがされている」

へバリンはジルの髪の毛に触れながら微笑んだ。よく見たら、彼はかなりのイケメンだった。

「そ、そろそろ戻らないと……!ニイナ様が困っているかもしれない」
「よし、会場まで案内しよう」
「あなたはパーティーには参加しないのですか?」
「さっき言ったろ?こんなバカバカしい家族の一員になりたくないって。参加なんかしないさ」

婚外子でも長男である彼には迷いが無いようだ。

会場に戻ると、美しいニイナにまだ男性たちが群がっていた。元婚約者のゴードの態度があまりにひどいので、ニイナに非があるとは思っていないようだった。

(良かった。ニイナ様にいい人は見つかったかな?)

気になりつつ、ニイナに声をかける。

「ニイナ、帰ろうか。長らく席を外していてごめんね」
「アーツ、戻ったのね。私は楽しく過ごしていたわ。心配ないわよ」

ニッコリ微笑むニイナは楽しんでいたようだ。

ホッとしながら、ニイナを連れて帰宅したのだった。

――翌日、いつものように劇場でヘアメイクの仕事をしていると、自分を呼んでいる人がいる、と言われて楽屋の出入り口に向かった。

するとなぜか、ニイナとへバリンが立っていた。

「お嬢様とへバリンさんがどうして一緒に?」
「へバリン様が私の元を訪ねていらっしゃったの。あなたに話があるのですって。では、私はここで。あとは2人で宜しくね」

ニイナはサッサと馬車に乗ると去ってしまった。呆気にとられていると、へバリンに言われる。

「君、忘れているようだけど、“条件”について話しにきたのさ」
「あ……、忘れてました」
「劇場の支配人には話を通してあるから、このまま君をカフェにでも連れて行きたいんだけどいいかな?」
「じゃあ、急いで片付けてきますね」

ジルは急いで片付けをしてメイク道具を持ってバリンの元へと戻る。

へバリンはジルの重そうなメイク道具を見ると、すぐに持ってくれた。

「結構な重さだね。これを仕事のたびに持ち運びしているなんて大変だ」
「そうではありますけど、役者さんを映えさせるには必要なので。それに、案外、楽しんでやっているんですよ」

そんなことを話しながらカフェに着くと、ケーキとお茶を頼む。

「さて、そろそろ本題について話そうか」

ケーキもご馳走してくれたヘバリンに、ジルの気持ちはすっかり和らいでいた。

「はい、ウィッグを作るのが条件でしょうか?」
「いや、オレの髪の毛はフサフサだ。オシャレにもさほど興味は無いし、ウィッグは必要ないかな」
「ではどんな条件を……?」

厳しい条件を出されたらどうしようかとジルは少し焦った。

「今後は、ああいった仕事は引き受けないで欲しい、というのが条件だ」
「え?」
「想定外のことに巻き込まれることもあるから危険だよ。あの後、ゴードが怒りまくって、さすがにポシェルも気を使ったらしい」
「はあ、それは自業自得かと」
「そうだな、ハハハ」

ヘバリンが自分を心配してくれたことが嬉しかった。

「できれば……ああいった仕事は私もやりたくないですけど、実家に借金があって仕方ないとこがあるんです。ヘアメイクの仕事だけじゃ厳しくて」

苦笑いしながら話すとヘバリンの顔が曇った。

「君の家庭状況はニイナ嬢から聞いたよ。オレも平民出身だから生きていくことの困難さは知っている。だけど、君が頑張り過ぎる必要はないさ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、なにかしないと現実は変わりませんので……」
「分かっている。オレの母もいつも大変な思いをしていたよ。オレを育てるために一生懸命働いていた。だからこそ、君みたいな人を見たらどうにかしたくなるんだ」

婚外子ではあるが、厳しい生活をしていたのは意外だとジルは思う。

「へバリン様も厳しい生活をしていたのですか?」
「そうだよ。父にあたる人はオレの存在を無視していたから。ただ、あまりにもあのポシェルがひどすぎるからオレの存在を思い出したに過ぎない」

何と答えていいか分からなくなってジルは黙った。

「暗い話をしたかったわけじゃないんだ。オレが言いたいのは……美しい君がなにもかも自分だけで背負わないで欲しいってことなんだ」
「わ、私が美しい?」

面と向かって“美しい”と言われることはあまりなくて照れてしまう。いつも働いている劇場には男性も女性もキレイな人がわんさかいる場所だ。特別、自分が“美しい”なんて言われることはなかった。

「オレは君に一目惚れしたみたいだ。普通ではない出会いだったが、逆に運命なんじゃないかって思えた。君はどうかな?」
「どうって……昨日の今日ですよ?正直、昨日の私は余裕がありませんでしたからそういったことは考えられませんでしたし」
「君はどこまでも正直だね。……これからオレのことをきちんと考えてくれないかな?今のオレは君と家族を養うことができるよ」
「え?」

へバリンは伯爵家を継ぐことを突っぱねたかわりに、たんまりとお金を得たのだと言った。本来、彼に支払われるべきお金だったらしい。

「オレは家族を大切にする人が好きだよ。君は家族をとても大切に思っているからこそ、恋人屋なんてしたんだろう?」
「恋人業はたまたまなんですけどね……」

へへ、と笑うとヘバリンはちょっと厳しい顔をする。

「これからはそんな依頼は受けないで。たとえ、男装したとしても女性に狙われることもあるのだから」

ポシェルに襲われたことを思い出してブルッとした。

「確かに……。もうやめておきます」
「もう、心配ない。オレが君たち家族も支えていくからね」

気の早いヘバリンはもう家族になったような言い方をしていた。

――それから半年が経った。

「ねえ、へバリンのお母様とうちの父、やたらと仲良くない?」

ヘバリンがすっかり回復したジルの父の店に来ていた。

「母はもともとヘアメイク担当していた人だから、君の父と気が合うんじゃないかな?」
「そうだとしても……それはそれで微妙というか。だって、私とあなたは恋人なのよ?」

ジルとヘバリンは恋人になっていた。

「う~ん、確かに親までもがそんな関係になるのは……まあ、でもそんなのもアリだろう」
「おおらかね。まあ父とあなたのお母様には幸せになってもらいたいけれど。ところで、幸せといえば……」
「なに?」
「もしかして……家族がもう一人増えるかもしれないわ」

意味を理解したへバリンはジルを抱きしめた。

「嬉しい!」

自分を愛おしそうに抱きしめるヘバリンの体温を感じながら、これも家族を大事にしたからこそ得た幸せなのかな、と思ったジルだった。
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