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遅い朝食
ずっと、暇という感覚がない。忙しいわけでもないのに、常になにかに追い立てられているような気がする。なにをしていても、安心しない。
二十四歳の木田真雪は、家の冷蔵庫を漁っていた。平日の午後一時。真雪は遅めの朝食を調達しに来ていた。
家族は皆、仕事や学校に行っていて、家にはいない。真雪一人だ。真雪が自由に家の中を歩き回れるのは、家族のいない平日の日中か、家族が寝静まった夜だけだった。
冷蔵庫でハムとスライスチーズを見つけた。真雪はそれを、食パンの上に乗せてトースターに入れた。焼き上がるまで二分ほど待つ。
冷蔵庫にはバターもあったけれど、残り一回分しかなさそうだったので、真雪は使うのをやめた。真雪は家の食べ物を食べるとき、残り少ないものには手をつけない。自分が使い切ってしまうのは、悪い気がするからだった。願わくば、消費した証拠を残したくない。真雪は家の中でひっそりと生きる道しかなかった。
トーストが焼き上がった。真雪は皿も出さずに、トースターから出して手で持ってかぶりつく。パンくずが落ちてもいいように、シンクの上で食べた。
玄関のほうから音が聞こえた。真雪は、びくっとして動きを止める。
そのまま真雪が固まっていたら、リビングに弟の夏尋が入ってきた。いまは大学に行っているはずなのに、なぜ、と真雪は思う。
リビングからダイニング、キッチンは見えるようになっている。真雪は音を立てないようじっとしていたつもりだったが、夏尋は真雪のほうを見てきた。
「真雪。起きてたんだ」
夏尋は真雪に声をかけてきた。
夏尋は、大学生らしく髪の毛を染め、服にも気を遣っている。対して真雪は、起きたばかりで寝巻きだった。
真雪は、心臓が嫌な感じにばくばくした。家族の誰にも会いたくなかった。
真雪は夏尋に返事をしなかった。話したくなかったからそうしたのだが、ものを食べている途中だから、特に変でもない。
こちらのことは気にしないでほしかったのに、夏尋は真雪に近づいてきた。
「昼飯?」
そう聞かれて、真雪は小さく横に首を振る。
夏尋は笑った。
「そっか。起きたばっかりか。……いいね、おいしそう」
夏尋は真雪のトーストを見て言った。真雪は、こちらを見ないでほしいとずっと思っていた。早くこの場から逃げ出したい。
真雪は、トーストをさっさと食べ終えた。手についたパンくずを払って、自室に向かう。
「あ……」
夏尋が後ろでなにかを言いかけたようだが、真雪は気にせず自室への階段を登った。
自室に入って扉を閉めて、真雪は胸に手を当てた。はあ、と息をつく。
真雪はこの暮らしを始めてから、家族と顔を合わせるのがほんとうに嫌だった。
さっきの夏尋の笑った顔。自分が笑われているようで、真雪はむしゃくしゃする。胸に、がーっと熱いものが込み上げてくる。兄である自分を、弟はきっと馬鹿にしている。それで笑ったのだ。昼過ぎに起き出して朝食を食べている、だらしない兄を。
実家なのに肩身の狭い暮らしをして、もう一年以上になる。真雪はいわゆるひきこもりだった。
きっかけは就活の失敗だ。大学四年生の頃に就活に追われたが、真雪は面接が苦手だった。競争も嫌いだし、選ばれる立場になるのも緊張する。真雪は同級生のように頑張れなかった。就活期間中は不採用通知の連続だった。
就職が決まらないまま、真雪は大学を卒業することになった。やることもなく、金もないので、家にいるしかない。友達から連絡が来ても、真雪は返せなかった。皆、ちゃんと就職して働いているからだ。真雪はそれを自分と比べてしまって、嫌になって、体が動かなくなる。友達からスマートフォンにメッセージが来た通知を見て、泣いたこともあった。自分はいったいなにをしてるんだろう。情けなくて、みじめで、悲しかった。
連絡が来ても返さないでいると、友達との縁もしだいに切れていく。家では極力誰とも顔を合わさないようにしている。真雪は孤独だった。
外とのつながりといえば、インターネットとSNSくらい。そのSNSも、親しい友人がいるわけでもなく、ただ、誰かの投稿をぼうっと眺めるだけだ。
一人だけ、真雪の投稿にいいねをくれる人物がいる。アカウント名は、「リノ」の二文字だけで、どういう人物なのか、真雪はまったく知らなかった。文章の投稿がないので、人格もわからないし、情報もない。ゲームのスクリーンショットの画像の投稿はある。フォローされたきっかけは、好きなゲームが一緒だったからだと真雪は把握していた。真雪は、戦国時代を舞台にした、戦極輝戦記というゲームが好きで、アカウントにそれを記載していた。リノのスクリーンショットは戦極輝戦記のものだ。
きっかけはゲームだろうが、日常の真雪のつぶやきにも、リノはいいねをしてくれていた。誰なんだろうと思うが、真雪は誰かと仲良く交流する元気も自信もない。
がたがたと物音が聞こえた。隣の部屋は弟の夏尋の部屋だ。夏尋が自室でなにかしているのだろう。
隣あっている真雪と夏尋の部屋の間に、小さい穴がひとつ開いていた。夏尋が小さい頃、開けたものだ。兄弟それぞれに部屋が与えられることになったものの、当時の夏尋は寂しがって、兄の部屋に通じる穴を開けた。夏尋が小さい頃は、壁際にベッドを置いて、兄弟で話しながら寝たことがある。
子どもの頃はよかったな、と真雪は思う。働かなくていいし、つらい世間に晒されることもない。
真雪は自分が、就職できず家にひきこもることになるなんて、露ほども思っていなかった。自分はちゃんとした人間なのだとずっと思っていた。ここで落ちぶれるなんて、予想していなかった。
この先の人生はどうなるのだろうと不安になる。なるべく考えないようにしているが、不安は心にいつでも燻っている。
時間は無限にあるはずなのに、好きだったはずのゲームにも、読みたかったはずの本にも、なかなか手がつかない。スマートフォンをぼうっと見て、時間が過ぎていく。
これではだめだ、と思うが、だからと言って体が動くわけではない。世間が怖い。ひとの目が怖い。ひきこもる時間が長引くにつれて、ひととの関わりがどんどん怖くなっていく。助けてくれ、という思いと、誰も自分を見ないでくれ、という思いの両方がある。つらいけど、誰かの手を借りるのもつらい。こういうことを頭に思い浮かべるたび、真雪は自分はなにもできない人間なのだなと理解する。自分には価値がない。大人になったのに金を稼げないなら、この世界で生きていてはいけない。
ただ、自分で人生を終わらせる勇気も真雪にはなかった。苦しい目には遭いたくない。一瞬で死にたい。一錠飲めば苦しまずに死ねるという薬があったら、真雪はそれを飲んだかもしれない。真雪は、自分の生きている意味を見出せなかった。
隣から、「あった」と声が聞こえてきた。夏尋だ。穴があるから、ひとりごとでも聞こえる。
おそらく、忘れ物でもして家に取りに帰ってきたのだろう。扉の開け閉めする音が聞こえて、そのあと階段を降りていく足音が聞こえた。部屋がしんとなる。夏尋はいなくなったようだ。
真雪は少し落ち着いてきた。急に誰かと会うと緊張してしまう。落ち着いてくると、どうして帰ってきたんだ、一人の時間を邪魔しやがって、と怒りが湧いてくる。夏尋が忘れ物をしなければ、会うこともなかったわけだ。
真雪はいらいらしながら、パソコンデスクの前に座った。スマートフォンでなんとなくSNSを開く。真雪は、「今日は最悪だ」と投稿した。
リノのいいねはすぐついた。良い出来事なわけではないけど、共感してくれてるんだろうと受け取っておく。真雪は、SNSの自分の投稿一覧を見た。ろくなことは投稿していない。こうして人生を空費していくのかと思うと、真雪は心の中が黒いもので満たされた気分になった。
二十四歳の木田真雪は、家の冷蔵庫を漁っていた。平日の午後一時。真雪は遅めの朝食を調達しに来ていた。
家族は皆、仕事や学校に行っていて、家にはいない。真雪一人だ。真雪が自由に家の中を歩き回れるのは、家族のいない平日の日中か、家族が寝静まった夜だけだった。
冷蔵庫でハムとスライスチーズを見つけた。真雪はそれを、食パンの上に乗せてトースターに入れた。焼き上がるまで二分ほど待つ。
冷蔵庫にはバターもあったけれど、残り一回分しかなさそうだったので、真雪は使うのをやめた。真雪は家の食べ物を食べるとき、残り少ないものには手をつけない。自分が使い切ってしまうのは、悪い気がするからだった。願わくば、消費した証拠を残したくない。真雪は家の中でひっそりと生きる道しかなかった。
トーストが焼き上がった。真雪は皿も出さずに、トースターから出して手で持ってかぶりつく。パンくずが落ちてもいいように、シンクの上で食べた。
玄関のほうから音が聞こえた。真雪は、びくっとして動きを止める。
そのまま真雪が固まっていたら、リビングに弟の夏尋が入ってきた。いまは大学に行っているはずなのに、なぜ、と真雪は思う。
リビングからダイニング、キッチンは見えるようになっている。真雪は音を立てないようじっとしていたつもりだったが、夏尋は真雪のほうを見てきた。
「真雪。起きてたんだ」
夏尋は真雪に声をかけてきた。
夏尋は、大学生らしく髪の毛を染め、服にも気を遣っている。対して真雪は、起きたばかりで寝巻きだった。
真雪は、心臓が嫌な感じにばくばくした。家族の誰にも会いたくなかった。
真雪は夏尋に返事をしなかった。話したくなかったからそうしたのだが、ものを食べている途中だから、特に変でもない。
こちらのことは気にしないでほしかったのに、夏尋は真雪に近づいてきた。
「昼飯?」
そう聞かれて、真雪は小さく横に首を振る。
夏尋は笑った。
「そっか。起きたばっかりか。……いいね、おいしそう」
夏尋は真雪のトーストを見て言った。真雪は、こちらを見ないでほしいとずっと思っていた。早くこの場から逃げ出したい。
真雪は、トーストをさっさと食べ終えた。手についたパンくずを払って、自室に向かう。
「あ……」
夏尋が後ろでなにかを言いかけたようだが、真雪は気にせず自室への階段を登った。
自室に入って扉を閉めて、真雪は胸に手を当てた。はあ、と息をつく。
真雪はこの暮らしを始めてから、家族と顔を合わせるのがほんとうに嫌だった。
さっきの夏尋の笑った顔。自分が笑われているようで、真雪はむしゃくしゃする。胸に、がーっと熱いものが込み上げてくる。兄である自分を、弟はきっと馬鹿にしている。それで笑ったのだ。昼過ぎに起き出して朝食を食べている、だらしない兄を。
実家なのに肩身の狭い暮らしをして、もう一年以上になる。真雪はいわゆるひきこもりだった。
きっかけは就活の失敗だ。大学四年生の頃に就活に追われたが、真雪は面接が苦手だった。競争も嫌いだし、選ばれる立場になるのも緊張する。真雪は同級生のように頑張れなかった。就活期間中は不採用通知の連続だった。
就職が決まらないまま、真雪は大学を卒業することになった。やることもなく、金もないので、家にいるしかない。友達から連絡が来ても、真雪は返せなかった。皆、ちゃんと就職して働いているからだ。真雪はそれを自分と比べてしまって、嫌になって、体が動かなくなる。友達からスマートフォンにメッセージが来た通知を見て、泣いたこともあった。自分はいったいなにをしてるんだろう。情けなくて、みじめで、悲しかった。
連絡が来ても返さないでいると、友達との縁もしだいに切れていく。家では極力誰とも顔を合わさないようにしている。真雪は孤独だった。
外とのつながりといえば、インターネットとSNSくらい。そのSNSも、親しい友人がいるわけでもなく、ただ、誰かの投稿をぼうっと眺めるだけだ。
一人だけ、真雪の投稿にいいねをくれる人物がいる。アカウント名は、「リノ」の二文字だけで、どういう人物なのか、真雪はまったく知らなかった。文章の投稿がないので、人格もわからないし、情報もない。ゲームのスクリーンショットの画像の投稿はある。フォローされたきっかけは、好きなゲームが一緒だったからだと真雪は把握していた。真雪は、戦国時代を舞台にした、戦極輝戦記というゲームが好きで、アカウントにそれを記載していた。リノのスクリーンショットは戦極輝戦記のものだ。
きっかけはゲームだろうが、日常の真雪のつぶやきにも、リノはいいねをしてくれていた。誰なんだろうと思うが、真雪は誰かと仲良く交流する元気も自信もない。
がたがたと物音が聞こえた。隣の部屋は弟の夏尋の部屋だ。夏尋が自室でなにかしているのだろう。
隣あっている真雪と夏尋の部屋の間に、小さい穴がひとつ開いていた。夏尋が小さい頃、開けたものだ。兄弟それぞれに部屋が与えられることになったものの、当時の夏尋は寂しがって、兄の部屋に通じる穴を開けた。夏尋が小さい頃は、壁際にベッドを置いて、兄弟で話しながら寝たことがある。
子どもの頃はよかったな、と真雪は思う。働かなくていいし、つらい世間に晒されることもない。
真雪は自分が、就職できず家にひきこもることになるなんて、露ほども思っていなかった。自分はちゃんとした人間なのだとずっと思っていた。ここで落ちぶれるなんて、予想していなかった。
この先の人生はどうなるのだろうと不安になる。なるべく考えないようにしているが、不安は心にいつでも燻っている。
時間は無限にあるはずなのに、好きだったはずのゲームにも、読みたかったはずの本にも、なかなか手がつかない。スマートフォンをぼうっと見て、時間が過ぎていく。
これではだめだ、と思うが、だからと言って体が動くわけではない。世間が怖い。ひとの目が怖い。ひきこもる時間が長引くにつれて、ひととの関わりがどんどん怖くなっていく。助けてくれ、という思いと、誰も自分を見ないでくれ、という思いの両方がある。つらいけど、誰かの手を借りるのもつらい。こういうことを頭に思い浮かべるたび、真雪は自分はなにもできない人間なのだなと理解する。自分には価値がない。大人になったのに金を稼げないなら、この世界で生きていてはいけない。
ただ、自分で人生を終わらせる勇気も真雪にはなかった。苦しい目には遭いたくない。一瞬で死にたい。一錠飲めば苦しまずに死ねるという薬があったら、真雪はそれを飲んだかもしれない。真雪は、自分の生きている意味を見出せなかった。
隣から、「あった」と声が聞こえてきた。夏尋だ。穴があるから、ひとりごとでも聞こえる。
おそらく、忘れ物でもして家に取りに帰ってきたのだろう。扉の開け閉めする音が聞こえて、そのあと階段を降りていく足音が聞こえた。部屋がしんとなる。夏尋はいなくなったようだ。
真雪は少し落ち着いてきた。急に誰かと会うと緊張してしまう。落ち着いてくると、どうして帰ってきたんだ、一人の時間を邪魔しやがって、と怒りが湧いてくる。夏尋が忘れ物をしなければ、会うこともなかったわけだ。
真雪はいらいらしながら、パソコンデスクの前に座った。スマートフォンでなんとなくSNSを開く。真雪は、「今日は最悪だ」と投稿した。
リノのいいねはすぐついた。良い出来事なわけではないけど、共感してくれてるんだろうと受け取っておく。真雪は、SNSの自分の投稿一覧を見た。ろくなことは投稿していない。こうして人生を空費していくのかと思うと、真雪は心の中が黒いもので満たされた気分になった。
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