黒猫と白い獅子と青い瞳の人形騎士と

頼守 シロロ

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黒猫は、にこやかに首を振る。

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侯爵家の令嬢、シャイマニーは、九歳の誕生日の前日に黒猫族の特徴である黒い尻尾と黒い猫の耳が顕現してしまう。

《王族の婚儀は、片は人、片は獣人が伴侶とすべし。》

代々、それこそいつから始まったか分からない因習によって受け継がれてきた条件と、家柄に歳までもピッタリと一致してしまったシャイマニー。
第二王子殿下の婚約候補者の筆頭だと持て囃され、世間ではほぼ確定の事実と思われていた。



潔く逃げるも隠れるも諦めたシャイマニーだったが、初めての顔合わせの席で、無難に終わらせたい彼女の思惑に反して、王子からまさかの問題発言が飛び出してしまって――?!!

**********************






 リビオという国では、人と獣人とが共に手を取り合って暮らしていた。

 元はと言えば、小国群の連邦が近隣の帝国や皇国への脅威を感じて対策を講じようと会議をした。
 当時、議会に参加した全員一致で合併した事によってなされたのがリビオ共和国である。


 侯爵家の令嬢として生まれたシャイマニーは、黒猫族の特徴を顕現したその日に、二歳年下の第二王子殿下の婚約候補者にリストアップされてしまった。
 嫌々とは言え生まれた家が家である。元々、貴族として生まれたのなら役目は果たすのが道理と諦めて登城したシャイマニーは、筆頭婚約候補者となってしまったが故に、一番始めにお目通りが叶ったと聞いたもののやはり気が乗らない。

 愚兄に「お前以外のお前の同年代の娘なら、今頃舞い上がっているだろうに。」と、呆れ顔をされたが、彼女は愚兄の頭の中身を心配した。
 貴方の妹がそんな純粋だと思いまして?と、言いたくなった。
 しかし、シャイマニーは可愛い妹を持てなかった兄を労って、賢明にもその言葉を口にはしなかった。流石に、ストレス性の若禿げの兄の姿は好かない思ったから。

 それにしたって気が乗らない。前日の夜、ベッドで散々愚兄を甚振る想像をすることで心を穏やかに保とうと努力していた彼女は、翌日になっても愚兄を脳内で玩具にしてしまっていた。



「お嬢様、旦那様がお待ちにございます。」

 そう今朝の事である。


 しかしそこは意地でも、例え、どんなに幼かろうがお子様だろうが、御家の方針によって王家並みに早く始められる淑女教育を施されている上位の中でも五指に入る貴族の娘である。

「獣なんて臭くて堪らん。早く城から去れ!穢れた血め!!」

 どんなに憂鬱でも、お茶会の間だけでも微笑みを絶やさないと決めたシャイマニーは、その日の内に決心した覚悟が揺れ動いていることを、今この瞬間、認めていた。




 このお茶会が始まってから約三分が経過した頃だっただろうか。
 始終黙りこくる二人は相手の出方を窺っていた。と、すっかりそうだと思い込んでいたシャイマニーの予想とは斜め左下からやってきた、王子の問題発言が飛び出した。


 互いの茶器を置いたのとほぼ同時に、我慢ならないといった様子で、暴言を吐いたのは王家の出の王子様である。
 いや、王子だから王家の出というのは当たり前で、そうだとすると、王家で行われている教育方針を疑いかねない発言だ。
 きっと、大層、容姿に恵まれていると評判の御顔尊を歪めていそうだなと、シャイマニーは驚いて言葉も出ないという令嬢の振りをしながら考えていた。
 あと、何がこの場での最善だろうと。


 とは言うのも、同年代の男児に睨まれて良いことなど何もないと言うよりかは、貴族令嬢としてはやや女々しくとも年相応の思いとしては、初対面の相手に睨まれているだなんて思いたくもなかったのだ。
 その為に、挨拶で目を合わせてからそれっきり目を伏せていたシャイマニーは彼の姿すらろくに覚えていない。
 どんなに美しくとも、顕現した黒猫族の特徴が心理面にまで影響しているのか、ここ最近は、興味の引かれる事以外には義務的なものでない限りは、滅多に記憶する気が起こらなくなっていた。


 別に、目を上げれば顔が確認できるのだが、彼女の心境としてはそれをすることすらも面倒になっていた。

 どうして、態々、悪態を吐いて此方との縁を積極的に切ろうとしてくれる人の顔を見なければいけないのか。
 このまま行けば、割りとお望みのもの――婚約候補者からの辞退――も手に入りそうだし、そうなれば特に顔を覚えなければならない性急な理由はなくなる訳である。
 必要とあらば、シャイマニーが社交デビューするであろう記念すべきその時に顔を覚えれば良いのだから。

 何よりも、……王族という時点で、関わっただけでも恐ろしく時間が取られそうな臭いがプンプンするから、顔どころかその人本人などに興味も何もない。

 シャイマニーの本音だった。




 話が変わって、例えばの話だ。

 王子殿下が、幾ら麗しいだの愛らしいだの優秀だのと、この国の全体数における七割からちやほやされていたとしよう。

 十割の内、七割に含まれない残った二割は、噂の王子に興味はあるものの、実際には雲の上の話しすぎて、どんなに身近くに王族信仰者が居ようとそれほど積極的にはならずに話し半分に聞き流す者。

 そして、最後の一割は、自分の興味のあるものにしか目を向けない。
 それどころか、その他大勢と自分の大切な人や知人と友人、という風に別けてしまえる人種である。この多くは、王族が何であれ、誰であれ、自分に関わりが無ければ、だから何?と本心から真顔で言ってくるタイプが大抵である。


 シャイマニー令嬢は、この中でも、三番目に当てはまる人物と言えた。
 愛国者の溢れるこの国で、シャイマニーのような娘が婚約者候補の筆頭である王子が可哀想なのか。
 それとも、こんな茶番染みた茶会に出なければいけない自分が可哀想なのか。

 どんなに早熟と言われようと、実際に、まだ幼い年齢のシャイマニーは少し混乱していた。




 そういう訳で、目の前で何の因果か共にお茶を飲んでいる誰かがいようと。
 この際、鼻筋が通っているか曲がっているかだとか目の色だとか髪の長さだとか、あまつさえ今の自分の対面に座る存在が、どんな意図があってこの席に座っているのだとか、殆ど気に留めていなかった。

 彼女の中では、侯爵令嬢として、最低限の臣下の礼儀礼節だけは守れば宜しい。という答えが、茶会が始まる前から出ていたのだから仕方ないとは言えよう。


 しかし、面と向かって暴言を吐かれた今この時点から、名前ですら靄が掛かってしまったように思えた。
 だが、彼女にとっては、取るに足らないことだと。そう思ったことさえも直ぐに忘れてしまった。
 詰まる所、シャイマニーの中だけの話ではあるが、「義務だから覚えてるかも?」ぐらいから、「何それ?何の話?」レベルの記憶倉庫に王子の情報は移されたのだ。

 もう何だか、デフォルト仕様の、何の感情も表さない顔に戻ってしまいそうな所を、必死に取り繕っているシャイマニーは、誰も褒めてくれないのだからと自ら自分を褒めていた。





 大体、始めから、王子がシャイマニーを見た途端に目を釣り上げた時点で雲行きが怪しかった。


 彼女は一人心の中でやっぱり、と思っていた。

 想定していた以上の雑な内容とは言え、王子の評価を図るには十分すぎる内容を初っぱなから頂けて、シャイマニーとしては上々だった。
 何故なら、最低限の侯爵令嬢としての義務として残っていた最後の一つ、情報収集が叶ったのである。
 彼女の中では、もうとっくの当に、帰っても良いということになっていた。

「はあ。今日は雨も降りそうですわね。」
「それが何だ。」

 背筋を正したシャイマニーに、批難でも返ってくるかと身構えていた王子は、いきなり突拍子もない招待客の令嬢の発言に肩透かしを喰らって気が抜けてしまった。
 これが、王子の暴言さえなくて普通の茶会の席であれば、特に違和感を感じることもなければ突拍子もないだなどと思われることもない、本当に他愛もない内容だったのだが。

 先ほどの発言に傷付いたような顔──シャイマニーは知らなかったが、伏せ目がちに口元を押さえていた姿は、元の肌の白いのが相俟ってか弱く憐れな令嬢にしか見えなかった。それも、泣いてしまいそうに見えた。──をしていたとは思えない、軽い口ぶりで天気の話をするものだから。
 王子は、何か企んでいるのかと、気が抜けてしまった自分を奮い立たせた。

「もうそろそろ帰ろうかと思っていたところですの。それではご機嫌よう。」

 しかし、更なる肩透かしを喰らう羽目になるとは思っていなかった。
 流れる所作で退席したシャイマニーを間抜け顔の王子が何も言わずに見送ったというのは、立ち会わせていた騎士の一人による確かな証言である。









 一方で、件の王子が思ったよりも選民教育を施された物事を知らない馬鹿、ごほん、幼児だったので、これ幸いにと乗っかって即座に退席したシャイマニーは婚約候補者からも退場したつもりだった。


 いやだって、ねえ?あのご様子では、他の方々にも愛想尽かれそうですもの。
 一人くらい誰よりも早く先駆けたって誰も構いやしないでしょう。
 それに私が早々に退場しなくとも誰かしらが遅からずそうしていた筈、と思っていたことさえすっかり忘れていたシャイマニーは驚いた。



 あの茶会の三日後に、シャイマニーのいる侯爵家の邸宅へと訪れた黄色いリボンをつけた可愛らしい殿下その人が、あんなことを宣ったその口で言うのだ。

「結婚してください。」
「お断り致します。が、事情をお聞きしても?」







 泣きべそを掻いた王子殿下と、冷静過ぎて優しく残酷な黒猫令嬢による、やがて国中の誰もが夢見ることとなる物語の本当の始まりはここからだった。


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