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9話
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それはきっと、一目惚れだったのだ。
王太子として相応しくあるために、幼い頃から勉強漬けだった。
帝王学をはじめとする勉学は、寝る時間を削って教えられ続けた。
毎日が寝不足で、けれど睡眠時間が足りないなんて弱音を口にすれば叱られた。
ぼんやりと回らない頭で座学も武道もこなした。剣術の稽古中に足元がふらつくことも多かった。
虐待のような勉強漬けの毎日を送っていた理由は、彼の存在を好ましく思わない王妃のせいであった。
オスクロは今は亡き側室が生んだ子供だったのだ。彼の母は踊り子だった。
国王が手籠めにして、そうして生まれた子供がオスクロだ。
半分は高貴な血を引かず、下民の血が流れている。それを理由に王妃はそれはもうオスクロを嫌った。
だが、その正妃である王妃は流産をした後、子を孕めなくなった。よって、この国の跡取りはオスクロしかいなかったが、王妃はそれが大層気に入らなかったのだ。
二十三歳の誕生日を目前に控えたある日、王妃が亡くなった。
病によって寝ている間に心臓が止まったのだという。朝、冷たくなった王妃が発見され、城は上から下への大騒ぎだった。
オスクロは、悲しくも寂しくもなかった。ただ、ほっとした。
これで少しはまともに息ができる環境になるかもしれないと思ったからだ。
国を挙げて王妃の国葬が行われた。その一週間後、彼は生まれて初めて城下町に足を延ばした。
今まで王妃からオスクロを庇ってくれていた宰相が「気分転換を兼ねて、民の暮らしをご覧になられては」と提案してくれたからだ。
街人に紛れるお忍びの格好をして、生まれて初めて城の外に出た。
そこで、ルーチェに出会った。
その時、オスクロは露店を眺めていた。店先に並ぶみずみずしい林檎を一つ手に取って、美味しそうだとかじりついた。
産まれた時から王族であった彼は、街での買い物では対価に金を払わなければならない、という常識が抜け落ちていたのだ。
金銭は宰相に渡されて持っていたが、先に渡すのを忘れていた。当然、店主は怒ってオスクロを糾弾した。
物陰から見守っていた騎士たちが駆け付けるより早く、店主とオスクロの間に割って入ったのがルーチェだったのだ。
『そんなに怒らないで。お代は私が払うから』
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべて、ルーチェがそう言って銅貨を三枚店主に渡しすと、店主はころりと機嫌をよくした。
そのときルーチェが渡した金額が、林檎を五つ買ってもおつりがくる金額だと、その時のオスクロは知らなかった。
そして同時に、彼女にとっては貴重なお金であるという実感もなかった。
『さあ、行きましょう』
店主の機嫌の変わりようにぽかんとしているオスクロの手を引いて、ルーチェが店先から離れた。
暫く歩いた先で、彼女はくるりと振り返って困ったように笑ったのだ。
『貴方、貴族の方でしょう? 好奇心旺盛なのはいいけれど、街には気が短い人もいるから、気を付けて』
助けた恩を着せる様子もなく、さらりと言われた言葉につい素直に頷いた。
オスクロの反応ににこりと彼女は笑って『じゃあ、お気をつけて』といって去って行ったのだ。
宰相以外に優しくされたのは初めてだった。
宰相は常に厳しい面立ちをしているので、裏表のない笑顔を向けられたのは、本当にいつぶりかわからない。
その瞬間、恋に落ちた。
後から駆け付けた騎士たちに彼女の跡をつけさせた。
一軒の家と、彼女の仕事先を割り出して、以来、オスクロはルーチェに会いたい一心で、城を抜け出しては食堂の常連となったのだ。
知らなかったことをたくさん知った。未知のことを知るのは楽しかった。
毒を盛られる心配のない、温かな料理。
毒見が食べた後の冷たい料理しか知らないオスクロにはそれだけで新鮮だった。
彼が街で食事を食べることに、側近たちは難色を示したけれど、宰相が諫めてくれた。
食堂で食べる大衆料理はどれも大雑把な味付けだったが、それがなにより口に合った。
オスクロは生まれて初めて食事を美味しいと感じられるようになったのだ。
太陽のような笑顔を見せるルーチェにはすぐに虜になった。
明るい笑顔で、誰でも分け隔てなく接する彼女に惹かれていった。
オスクロの身分を貴族だと勘違いしていながら、ルーチェの接客は他の客たちと変わらなかった。
初めて食べる民衆の料理に戸惑えば、彼女は明るく食べ方を説明してくれた。
時々、ルーチェはオーナーのリクエストで歌を披露した。そのたびに、その歌声に拍手した。
食堂で同じ時間を過ごせば過ごすほどに、ますます彼女に魅了されていった。
ルーチェとオスクロの間には、どうしようもない身分の差があったから、叶わない恋だと最初から知っていた。
無理に迎え入れることもできただろうが、側室だった母のことを思えばそんな気は起きなかった。
そのはず、だったのに。
(サンドル、あの男だけは駄目だ……!)
ぐしゃりとサンドルに関する調査報告書を執務室で握りつぶしたあの日、オスクロは心を決めたのだ。
ルーチェを守るためなら、例え彼女自身に嫌われてでも手段を選ばない、と。
無理やり攫って手籠めにした。
王太子の寵姫という身分を与えて城の奥に囲ったのは、独占欲と同じくらい彼女を守るためだった。
子を孕めば、ルーチェの身は守られる。その子が男児ならばなおいい。
庶民の血が混ざることを貴族は嫌うだろうが、オスクロが他に妻を迎えなければ、ルーチェの身分と子供の地位は守られる。
今まで散々、王妃の影響で女性を遠ざけられてきた。
婚約者はいたが、彼女自身の横柄な振る舞いに辟易としていたから、婚約破棄を告げた矢先だ。
今後、無理な縁談が組まれる心配はない。
なにより、気を失ってなお犯され続けるルーチェの噂が立てば、自身の娘を、などと言い出す酔狂な貴族も減るだろう。
子供のころからの付き合いの宰相には、再三窘められていたが、今更彼女を手放す選択などできるはずがない。
早く子を孕めばいいのだ。身重の身体ではますます逃げられなくなるから。
「……ルーチェ」
もう君を、手放すことは出来ない。
今日もまた気を失った細い身体を抱きしめて、オスクロはうっそりと笑う。
そんな彼らを、たった一人心配そうに見つめる男がいた。
王太子として相応しくあるために、幼い頃から勉強漬けだった。
帝王学をはじめとする勉学は、寝る時間を削って教えられ続けた。
毎日が寝不足で、けれど睡眠時間が足りないなんて弱音を口にすれば叱られた。
ぼんやりと回らない頭で座学も武道もこなした。剣術の稽古中に足元がふらつくことも多かった。
虐待のような勉強漬けの毎日を送っていた理由は、彼の存在を好ましく思わない王妃のせいであった。
オスクロは今は亡き側室が生んだ子供だったのだ。彼の母は踊り子だった。
国王が手籠めにして、そうして生まれた子供がオスクロだ。
半分は高貴な血を引かず、下民の血が流れている。それを理由に王妃はそれはもうオスクロを嫌った。
だが、その正妃である王妃は流産をした後、子を孕めなくなった。よって、この国の跡取りはオスクロしかいなかったが、王妃はそれが大層気に入らなかったのだ。
二十三歳の誕生日を目前に控えたある日、王妃が亡くなった。
病によって寝ている間に心臓が止まったのだという。朝、冷たくなった王妃が発見され、城は上から下への大騒ぎだった。
オスクロは、悲しくも寂しくもなかった。ただ、ほっとした。
これで少しはまともに息ができる環境になるかもしれないと思ったからだ。
国を挙げて王妃の国葬が行われた。その一週間後、彼は生まれて初めて城下町に足を延ばした。
今まで王妃からオスクロを庇ってくれていた宰相が「気分転換を兼ねて、民の暮らしをご覧になられては」と提案してくれたからだ。
街人に紛れるお忍びの格好をして、生まれて初めて城の外に出た。
そこで、ルーチェに出会った。
その時、オスクロは露店を眺めていた。店先に並ぶみずみずしい林檎を一つ手に取って、美味しそうだとかじりついた。
産まれた時から王族であった彼は、街での買い物では対価に金を払わなければならない、という常識が抜け落ちていたのだ。
金銭は宰相に渡されて持っていたが、先に渡すのを忘れていた。当然、店主は怒ってオスクロを糾弾した。
物陰から見守っていた騎士たちが駆け付けるより早く、店主とオスクロの間に割って入ったのがルーチェだったのだ。
『そんなに怒らないで。お代は私が払うから』
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべて、ルーチェがそう言って銅貨を三枚店主に渡しすと、店主はころりと機嫌をよくした。
そのときルーチェが渡した金額が、林檎を五つ買ってもおつりがくる金額だと、その時のオスクロは知らなかった。
そして同時に、彼女にとっては貴重なお金であるという実感もなかった。
『さあ、行きましょう』
店主の機嫌の変わりようにぽかんとしているオスクロの手を引いて、ルーチェが店先から離れた。
暫く歩いた先で、彼女はくるりと振り返って困ったように笑ったのだ。
『貴方、貴族の方でしょう? 好奇心旺盛なのはいいけれど、街には気が短い人もいるから、気を付けて』
助けた恩を着せる様子もなく、さらりと言われた言葉につい素直に頷いた。
オスクロの反応ににこりと彼女は笑って『じゃあ、お気をつけて』といって去って行ったのだ。
宰相以外に優しくされたのは初めてだった。
宰相は常に厳しい面立ちをしているので、裏表のない笑顔を向けられたのは、本当にいつぶりかわからない。
その瞬間、恋に落ちた。
後から駆け付けた騎士たちに彼女の跡をつけさせた。
一軒の家と、彼女の仕事先を割り出して、以来、オスクロはルーチェに会いたい一心で、城を抜け出しては食堂の常連となったのだ。
知らなかったことをたくさん知った。未知のことを知るのは楽しかった。
毒を盛られる心配のない、温かな料理。
毒見が食べた後の冷たい料理しか知らないオスクロにはそれだけで新鮮だった。
彼が街で食事を食べることに、側近たちは難色を示したけれど、宰相が諫めてくれた。
食堂で食べる大衆料理はどれも大雑把な味付けだったが、それがなにより口に合った。
オスクロは生まれて初めて食事を美味しいと感じられるようになったのだ。
太陽のような笑顔を見せるルーチェにはすぐに虜になった。
明るい笑顔で、誰でも分け隔てなく接する彼女に惹かれていった。
オスクロの身分を貴族だと勘違いしていながら、ルーチェの接客は他の客たちと変わらなかった。
初めて食べる民衆の料理に戸惑えば、彼女は明るく食べ方を説明してくれた。
時々、ルーチェはオーナーのリクエストで歌を披露した。そのたびに、その歌声に拍手した。
食堂で同じ時間を過ごせば過ごすほどに、ますます彼女に魅了されていった。
ルーチェとオスクロの間には、どうしようもない身分の差があったから、叶わない恋だと最初から知っていた。
無理に迎え入れることもできただろうが、側室だった母のことを思えばそんな気は起きなかった。
そのはず、だったのに。
(サンドル、あの男だけは駄目だ……!)
ぐしゃりとサンドルに関する調査報告書を執務室で握りつぶしたあの日、オスクロは心を決めたのだ。
ルーチェを守るためなら、例え彼女自身に嫌われてでも手段を選ばない、と。
無理やり攫って手籠めにした。
王太子の寵姫という身分を与えて城の奥に囲ったのは、独占欲と同じくらい彼女を守るためだった。
子を孕めば、ルーチェの身は守られる。その子が男児ならばなおいい。
庶民の血が混ざることを貴族は嫌うだろうが、オスクロが他に妻を迎えなければ、ルーチェの身分と子供の地位は守られる。
今まで散々、王妃の影響で女性を遠ざけられてきた。
婚約者はいたが、彼女自身の横柄な振る舞いに辟易としていたから、婚約破棄を告げた矢先だ。
今後、無理な縁談が組まれる心配はない。
なにより、気を失ってなお犯され続けるルーチェの噂が立てば、自身の娘を、などと言い出す酔狂な貴族も減るだろう。
子供のころからの付き合いの宰相には、再三窘められていたが、今更彼女を手放す選択などできるはずがない。
早く子を孕めばいいのだ。身重の身体ではますます逃げられなくなるから。
「……ルーチェ」
もう君を、手放すことは出来ない。
今日もまた気を失った細い身体を抱きしめて、オスクロはうっそりと笑う。
そんな彼らを、たった一人心配そうに見つめる男がいた。
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