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第一章
1.父からの手紙
しおりを挟む我が息子、ルーカスへ
王都で流行りだという事件にあった。
というか、目の前で見た。
嘆かわしい。
王子殿下みずからが自分の婚約者を貶め蔑むなど、前代未聞だ。相手が悪人だと言うなら一理あるかと頷けるが、相手は由緒正しい公爵令嬢。しかも彼らの問答を聞いていれば令嬢にはなんの非もない。そんな彼女を相手どり一方的に独善的な屁理屈を突きつけ婚約を破談に持ち込もうなどと、正気を疑う。
しかもそれを王宮の夜会でやらかしやがった。
本当に婚約解消を願うのなら、まずは両陛下に願い出るのが筋だろう。
だが両陛下は寝耳に水といった顔で聞いておった。こんなサプライズ、ありなのか?
良識も疑う。
これが流行りだとそこここで囁かれていたから目眩がした。
しかもしかもこの夜会、王子殿下の学園卒業記念を祝い、同時に彼の婚約者を社交界に正式お披露目する場なのだぞ? 一ヵ月後には結婚式の予定だったのだぞ? その前祝いなのだぞ?
結婚と同時に王太子に叙されるはずだったのだぞ?
それらを今更ご破算にしようというのだから、呆れ果てて溜息も出んよ。
ひさびさの慶事だからこそ、辺境伯たる私も出向かないわけにはいかなかったというのに。
人前で婚約破棄を告げるだと? こんな流行り、どこからきたのやら。我がクエレブレの領地ではついぞ聞かなかったが、このアクエルド国内すべてで流行りなのか? 他領でも流行りなのか? 私は久方ぶりの王都が魔物の巣窟に感じたぞ。
昨今の若者は阿呆ばかりなのか。大うつけの集まりなのか。こいつら大うつけの魔物なのか。
ルーカス、おまえはこんなおとなになってはいかんぞ?
王子殿下の周囲には彼の側近が数名取り囲んでいた。その構図は当然だが、その中心地に一人の女性が居るのがまた頭痛のモトだ。
こともあろうに王子殿下は女連れで側近に囲まれた中で婚約破棄を言い出したのだ!
阿呆だろう?
ああいや、その女性を庇って? 彼女のために? 彼女が受けた屈辱を晴らすために? 婚約破棄を言い出したとか、よく分からん屁理屈を捏ねていたが。
だれがどう見ても、ハニートラップに引っかかった阿呆王子とその取り巻きの図ではないか!
そのうえ、目覚めの乙女はおまえじゃない、ここにいるキルシェがボクを目覚めさせたなどと建国神話を持ち出しての難癖、聞いてて眩暈がさらに酷くなったわ!
あの王子は王族の結婚をなんだと思っているんだ!
政略結婚に神話を夢見るなんて、あやつはいくつのガキなのだ!
本当に学園の卒業資格があるのかも疑わしいわ! 寝言は寝てから言え!
婚約者に変な虫が付いたら払うのが、正しい婚約者の姿ではないか! 公爵令嬢のあの冷静な言は一分の隙もなく正しい。
淑女ならば表情をコロコロ変えないのは当たりまえだ。社交界で足元見られるような態度では貴族夫人はやっていけない。ましてや王子妃となれば。
それが気に入らないなどと王子は暴言を吐く。
王子の腕に絡みつく女を見ながらキルシェはこんなにも愛らしいなどと世迷い言をほざく。
女性が人前で男に撓垂れ掛かる姿は酌婦か娼婦のそれとなんら変わらんというのに、恥すら知らんのかあやつらは‼
育て方を間違えたに違いない。教育係はなにをしておったのだ。よくて減給、悪ければ首吊りぞ?
あぁ、酌婦や娼婦とは……ルーカスはまだ知らんでも良い。
それはともかく。
だれが見ても聞いても分かる理屈が分からん時点で、この王子は駄目だと私は判断した。
ルーカス。おまえもあれを目の当たりにしたら同意見だったはずだ。
私のそばでなりゆきを見守っていた国王陛下は頭を抱えていたぞ。
まさかあんなに愚かだったなんてと呟いたのを私は聞き逃していないぞ。
王妃陛下があれを王太子に叙するまえでよかったと呟いた声も聞き逃していないぞ。
まだ私の耳は耄碌していないからな! 身体強化で聴力を高めたわけでもないのだぞ?
……まぁ、おまえの『風の噂』にはだれも敵わないがな。
それはともかく。
こともあろうに、王子の取り巻きのひとりがやらかしやがった。
終始、毅然とした態度を貫いていた公爵令嬢を!
あれは力自慢の騎士見習いだ。騎士団長の息子の。奴が令嬢の細い手首を掴んで背後に引き倒したのだ。
あやつは莫迦なのか? 莫迦なうえに知能が低いのか? 凶暴な極悪人を取り押さえるのならいざ知らず、相手は公爵令嬢なのだぞ?
非力な令嬢なのだぞ?
日ごろ身体を鍛えている女性騎士なら対処もできようが、彼女は突然振るわれた暴力のまえに為す術なく倒れた。床に叩きつけられたと言った方が正しい。
盛大に床に叩きつけられた音が、周囲に鳴り響いた。床は大理石だ。
力自慢の屈強な青年がそんなことをしたらどうなるのか、こんな簡単なことを想定できないなんて、なんという愚か者だろう!
そもそも婦女子に手をあげる騎士なぞ私は騎士と認めん! 嘆かわしい!
まったくなんて事態だ! いま思い返しても腹立たしい!
場は騒然とした。
そこかしこで悲鳴が起こった。
か弱い令嬢に対する一方的な暴力を目の当たりにして青ざめ倒れる貴婦人。それを支える夫君。阿鼻叫喚とはあのことだ。
私の隣の王妃陛下も悲鳴をあげておられた。もっとも彼女は豪胆なので気を失うなどという事態にはならなかったが。
我慢ならなかった私はその場に乗り込んだ。
おまえの諌める声が聞こえた気もしたが、義を見てせざるは勇無きなり。無抵抗な令嬢が一方的に暴力を受けている現場で動けない私ではない。いや、遅すぎたくらいだ。
令嬢は頭から血を流して意識を失っていたのだ。なんとも痛ましい現場だった。
王宮の大広間で貴族子弟による傷害事件を目の当たりにするなぞ、以ての外だ。
私とほぼ同時に乗り込んだ騎士団長(自分の息子がなんたることだと男泣きしながら怒り狂っておった)とともにその場を収め、夜会はお開きとなった。
当然ながら、こんな阿呆なことをしでかした輩を含めた一党は一網打尽でお縄にした。王子殿下だろうと容赦はせん。
奴らはこんなはずじゃなかったなどと世迷い言をほざいておったがな!
陛下たちからも文句は出なかった。当然の処置だ。
……褒めてくれるだろう? おまえならこの父の気持ちを汲んでくれるだろう?
やさしいおまえならきっと気にするだろう令嬢の容態だが、意識を失ったのは一時的なものですぐ目を覚ました。覚ましたのは良かったのだか……その後にまた騒動が起こった。
これは、筆にせず直接おまえに語って聞かせることにする。
近日中に辺境へ帰る。
土産を楽しみにしてろ……サルヴァドール・フアン・デ・クエレブレより……
(って、すごい騒ぎだったみたいだけど……騒ぎに乗じて攻撃魔法が発動されなくてよかったねって言うべきなのかな)
手紙を読み終えたルーカスは小首を傾げる。父は魔力はあるが身体強化系以外の魔法は使えなかったはずだと思い出す。下手に巻き込まれて、怪我など負っていなければそれでいい。
ルーカスは傍らに立つ老執事を見上げた。
彼はなんとも形容しがたい表情でルーカスを見ていたが、若い主の視線に気が付くといつもの穏やかな表情に戻った。彼の自慢の真っ白な口ひげが揺れる。
「若さまは朗読がとてもお上手ですな。臨場感たっぷりでその場に居合わせたような心地になりました」
声に出して手紙を読んでいたルーカスは相好を崩す。手紙を丁寧に畳み封筒に戻しながら、老執事に話しかける。
「ちちうえは……またやっかいごとに首を突っ込んだ……ってことなのかな」
「閣下は正義感の塊ですので」
間髪を入れずに返ってきたことばに、違いないと頷くルーカスのほとんど白に近い淡い色の金髪が揺れる。年齢より幼く見える風貌の少年を、老執事は優しく見守る。
「みやげって、なんだろうね」
ルーカスは窓を開けると空を見上げた。辺境伯閣下の治める土地は肥沃で人々は長閑に生活している。皆、辺境伯閣下が王都から戻る日を首を長くして待っている。
ルーカスもそのうちのひとりだ。
眩しい陽射しに目を眇めながら、ルーカスの胸に新しい出会いの予感がした。
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