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第一章
4.父が遭遇した夜会の顛末①
しおりを挟む急遽、王宮での夜会はお開きとなった。
それは当然の措置だと言わざるを得ない。そもそも夜会の開催主旨(王子殿下とその婚約者が学園を卒業したお祝いと、彼らの一ヵ月後に迫った華燭の典へ向けた前祝い)が本人(王子殿下)の手によって覆された(婚約破棄宣言)のだから。
さらに王子の側近(伯爵家の令息)が、王子の婚約者(公爵家の令嬢)に暴行を加えるというあり得ない醜聞つき。
クエレブレ辺境伯サルヴァドール・フアンは、騒動を起こした無頼の輩をまとめて拘束し、貴族用の牢にぶち込んだ。彼らと一緒にいた男爵令嬢は女性なので別の棟の牢に。
うっかり『昔取った杵柄』で、堂々と逮捕し王宮警備兵へと突き出して収監されるまで付き添ってしまったが、ぎゃあぎゃあ喚く輩たちが目の前から消え冷静になるとやっちまったなぁと冷や汗をかく。
サルヴァドールに辺境伯という身分はあるが、今は無官なのだ。昔は王都守備隊や王立騎士団などに役職付きで在籍した過去がある。だが今は無官なのだ。
つまり、今の彼に逮捕権などない。
息子の『ちちうえはまた厄介ごとに首を突っ込んで!』という諫めのことばが耳の奥にこだまする。幻聴であるが、きっと幻聴ではなく正確な未来予想図だ。
黙っていても今日のコレはいずれ息子の耳にも届くであろう。
とはいえ。
サルヴァドールとしては、周囲の人間の反応が遅すぎるだけの話だ。緊急時に動ける人間が少ないせいで自分が割を食うのだと自己弁護する。自分の働きは篤志家の奉仕活動なのだ。
もし関係各所から苦情がきたり、逆に騎士団への復帰を要請されるような面倒なことになったら、そう言って納得してもらおうそうしようと結論づけた。
サルヴァドールは王都に係わる気はないのだから。
被害者である公爵令嬢への対応は涙目になっていた騎士団長に任せたが、その際彼があまりにも震えて――自身の息子に対する怒りで――いるので一発焼きをいれ……いや、正気に戻すために喝を入れた。
騎士の本分に立ち戻った騎士団長は、一旦息子への怒りを保留。被害者を迅速かつ丁寧に救急搬送した。
あのとき怒りで震えていた騎士団長に事件の加害者を拘束させたら、その場で自身の息子に拳で制裁を加えそうだと判断したからこそなのだが。
(うちのルーカスは聡明でよかった……とはいえ、お互い息子に心配事は尽きない、ということだな)
騎士団長カブレラ伯爵とは旧知である。騎士団に在籍していた頃の部下が、彼だ。(そのときの彼はただの伯爵子息という身分だった)
だからこそ、彼の気苦労を慮り溜息をついてしまう。
無官のサルヴァドールではあるが、今回不本意ながら傷害事件の現行犯逮捕に係わってしまった。
係わった以上は、当然ながら収監の顛末を責任者に報告せねばならない。ここでお役御免とばかりに姿をくらますことは可能だが、それをやると後からやいのやいの言われる可能性がある。それは一番避けたい。
なので報告に行く。
誠に遺憾ながら、今回の場合『責任者』は国王陛下となる。
まったくもって不本意ながら、顔見せの挨拶だけで交流を終わらせようとしていた相手にまたしても拝謁しなければならない事態に、内心では頭を抱えた。
王都では知り合いと係わらないようにするさと大見得切って郷里を出発した過去の記憶を消したいと切実に思った。
絶対あとで息子にお小言を喰らうと予測できるので気が重い。
そのせいで眉間に力を入れた表情のまま城の使用人に国王陛下の居場所を尋ねた。
……むだに彼らを怯えさせた。
そんなサルヴァドールに声をかけたのは宰相閣下だった。
「相変わらず、愛想笑いが苦手なご様子ですね、クエレブレ辺境伯閣下」
宰相閣下ことエべラルド・ラミレス公爵。
ちなみに、件の傷害事件の被害者である公爵令嬢は彼の息女である。
当たり障りのない挨拶を交わし、国王陛下へ報告をしたいと告げれば、陛下は彼の娘の見舞いのため医務室にいるので同行しようと提案された。
断る理由もないので了承し、ふたり並んで医務室を目指し歩いている途中。
目的地である医務室方面から、女性の絹を引き裂くような悲鳴が聞こえてきた。
それも、何度も。
なにごとかと宰相と顔を見合わせ歩を早めようとした矢先。
医務室のドアが突然開き、中から転がり出るような勢いで女性が飛び出してきた。
長く艶やかな赤い髪を振り乱し、なにかから逃げるように走る女性は不明瞭な悲鳴をあげ続けていた。
サルヴァドールたちのいる廊下に走ってきた彼女は、彼らの数歩手前で立ち止まった。
頭部に包帯を巻き、ひどく顔を歪め、大きな黒い瞳からぽろぽろと涙を溢すさまに驚いていると、彼女はサルヴァドールと隣にいるラミレス公爵を交互に見比べ目に見えて怯えた。
(ん? この顔、さきほどの公爵令嬢ではないか?)
すでに夜会用のドレスを着替えていたから分からなかったが、この赤い髪の女性は第一王子殿下の婚約者で、さきほどの傷害事件の被害令嬢だった。
王子たちから理不尽な言い掛かりをつけられている間も毅然とした態度を貫いていた彼女とは思えないほど、狼狽え怯え、泣き腫らした様子に愕然とした。
「……ひっ……あ、いやぁぁぁぁあぁぁぁーーーっ!」
淑女であったさきほどとはあまりにも違う様子と悲鳴。
いったいどうしたんだと思っているあいだに、被害令嬢は宰相から遠ざかるよう迂回しながらもサルヴァドールへ向けて走った。
え? と思う間に彼の背後に回りその長いマントの陰に隠れてしまった。
令嬢はサルヴァドールの背中にしがみつき震えている。
想定外の事態にサルヴァドールの思考は停止した。
「フォルトゥーナ……」
隣から宰相閣下の呆然とした呟きが聞こえた。
(……え? この子、なぜ私のうしろに隠れたんだ?)
さきほど、涙に濡れた瞳は確かにサルヴァドールとラミレス公爵を見比べていた。そして実の父親である公爵閣下と視線を合わせると悲鳴を上げた。
そして……サルヴァドールの背後に隠れた。
サルヴァドールは混乱したが、ラミレス公爵の混乱も酷かっただろう。
自分の娘が悲鳴をあげて医務室から飛び出してきた。
なにかがあって逃げてきたらしい娘は自分を見てさらに悲鳴をあげたうえに自分から逃げたのだから。
「フォルトゥーナ……なぜ……」
冷徹で英邁だと評判の宰相閣下は、いったいどうしてと呟き顔を歪めた。
サルヴァドールもその答えを知りたかった。
◇ ◆ ◇
「ちちうえのマントに隠れちゃったの?」
「あぁ。私のマントをぐるぐるに巻きつけて隠れようとしていた。その恰好は……あれだ、ルーカスが小さいころかくれんぼで窓際にかかったカーテンに包まって隠れたことがあっただろう? あんな感じだった」
「……上半身は隠れているけど、足元は見えている状態?」
「そう、それ。そうしていれば、少なくとも悲鳴をあげたりはしなかった。だがマントを取りあげようとすると悲鳴をあげて嫌がるし、私の上着の裾はがっちり握られているしで、もうどうしたらいいやら途方に暮れた」
「なんか……パニック状態のこどもみたいだね」
「あぁ。それに近い診断が下されたよ」
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