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第二章
7.はつこい
しおりを挟むその人は、いつもどこか遠いところを見ていて。
そこにちゃんといるのに、心はここに無くて。
ひがないちにち、窓辺でぼんやりしている。
とてもとてもきれいな女性で。
赤くて長い髪が柔らかそうで、毛先まできらきらしてて。
睫毛も長くて、それに縁どられた黒い瞳が、とってもミステリアスで。
こぶりの唇が薄紅色で、なんだかそれを見ているとドキドキそわそわして。
ぼくはいったいどうしたんだろう。
その視線の先にはなにがあるんだろう。
彼女の口角はきゅっと上がっているから、ぼくには彼女がほのかに笑っているみたいに見える。彼女本人はなにも感じていないはずなのに。
でも。
それでも。
笑っているように見えるけど、どこか虚ろで。どこか哀しそうに見えた。
彼女の憂いを取り払いたい。
彼女の目にちゃんとぼくが映りたい。
王都で辛い思いをしたんだって、父上から聞いた。
ここにいれば、彼女を惑わす物も怖がらせる人も近寄らない。
ここでぼくがお守りすれば、彼女には平穏が訪れる。
でも。
それでも。
彼女にはちゃんと、彼女の幸せを追って貰いたい。
彼女の意思で、彼女の感情で、自由に行き先を決めて貰いたい。
親の決めた相手と仕方なく結婚するんじゃなくて――。
今の彼女は、それらすべてを放棄して自分の殻に閉じこもってしまった。
ぼくは、なんだかそれが酷くもどかしかった。
■ ◇ ◆ ◇ ■
ルーカスの一日は、朝一番に城にある礼拝堂の一番高い鐘楼の、さらに上の尖塔の先端に立つことから始まる。
一番高く一番空に近い場所は、一番風に吹かれる場所でもある。
そこにいれば風の精霊たちが集まって、領内で起きたさまざまな出来事をルーカスに教えてくれる。ルーカスはそれを『風の噂』と名付け重宝している。なにせ領内の見回りなどせずとも、状況がつぶさに分かるのだから。
そして辺境全体に張り巡らせた『風の守護結界』を確認する。
綻びはないか。異変はないか。不審な侵入はないか。
死の山と呼ばれた連山は、いまや緑の木々が生い茂る豊かな山に変貌している。
(とはいえ、山一つ越えた向こう側の連峰は相変わらず草木も生えない不毛の山で、魔獣の宝庫である)
昔はすべて砂漠だった場所が、広大な果樹園と畑へ変貌し。
こぢんまりとしたオアシスしかなかった土地は実りの大地へと生まれ変わった。
それらすべてを隠すべく、全体に『風の守護結界』を張っている。
風の精霊と契約しているからこそ使える魔法の数々であるが、ルーカスほどの規模で風魔法を使いこなす魔法使いは見たことも聞いたこともないと老執事などからは言われている。
ルーカスは自分が異質であることをよく理解している。
普段はあまり人前に出ない。
辺境伯城の自分の部屋でおとなしく過ごす。
日に何度か『風の噂』を使い、不都合な出来事があった場所の問題解決のためにふらりと出掛ける。
たとえば、牛が溝にはまって身動き取れなくなっている現場とか。
彼の豊富な体内魔力を身体強化に変換したうえで『速足』を使えば目的地にはすぐ着くし、成牛程度の重さのものならば、ルーカスにはすぐ動かせる。魔法を使う必要もない。少年の身でひょいっと成牛を持ち上げる図は人々の度肝を抜くが。
だがルーカスが笑顔で手を振ってあっという間に去るので、村人たちなどから見た今のルーカスは『村人を助ける親切な妖精』扱いだ。
だれも『まったく人前に出ない辺境伯の養い子』だとは思っていない。
ルーカスで解決できない込み入った問題が発生したならば、父である辺境伯や老執事に相談して対応してもらう。
なにもなければ城の図書室で本を読むか、辺境伯の執務室で仕事の資料整理などをする。
たまに、辺境騎士団や警備隊へ顔を出す。顔見知りに剣の稽古をつけてもらう。父である辺境伯に頼む日もある。
鍛冶職人の工房へ顔を出し新しい剣や鎧の耐久性を試したりもする。ルーカスが振り回して壊れなければ、“出来”としては合格ラインらしい。
くたくたに疲れると、夜にはまた読書をしながら寝てしまう。
そんな毎日を過ごしていたルーカスだったが、辺境伯城に『お客さま』が来てから違うルーティンが加わった。
『お客さま』の顔色を遠くから窺うのだ。
そして『お客さま』をぼーっと見つめ続ける。本人には気付かれない、少し離れた場所から。
『お客さま』であるフォルトゥーナ嬢の身の回りの世話は、彼女のばあやさんであるクラシオン夫人が一手に担っている。
その夫人に足りないものはないか、不都合はないか、不備はないか、困っていることがあったらすぐに教えてくれと、何度も問う。
クラシオン夫人とは、すぐに仲良くなった。
夫人に令嬢の好き嫌いを聞いて、彼女が好む甘いお菓子を作ったりもする。もちろん、城の料理人の手を借りて。
料理人のトーニョとは昔馴染みでなんでも気軽に話せる。
ついつい彼にきいてしまう。
「ねぇトーニョ。見ているだけなのにしあわせだなぁって思うんだ。どうしてだろう」
「どうしてって、そりゃあ……」
「そりゃあ?」
「あぁ、ほら! きれいなものって、見てると心が和むじゃないか、花とか景色とか。……そんな感じなんじゃねーの?」
「あぁそうだね……うん、そうか。きれいだからか」
トーニョは複雑な気分になりながら作業の手を進めた。
ルーカスが言っている「見ているだけ」の対象は、まちがいなくこの城のお客さま『フォルトゥーナ嬢』のことだろうと推測できたから。
フォルトゥーナ嬢は城の一室に籠りきりで、一介の料理人であるトーニョがその姿を見たことはない。だが彼女がたいそうな美女であるらしいことは、ルーカスのことばや老執事から聞いている。ワケありであることも。
そんな相手を見ているだけで幸せになるってことは、つまり……。
若さま、春が来たんだね。
そう言いたかったけれど止めた。
どうやらルーカス本人が自分の気持ちに気がついていないようだったので。
わざわざ自覚させなくてもいいよな? と押し黙った。
だって『お客さま』は辺境伯閣下の後添えとして来たと聞いている。
後添えってことは、つまり辺境伯夫人になるってことで、それはつまりルーカスからみたら義理の母になるってことで。
そんな相手に不毛な想いを抱えたら。それを自覚したら。
ルーカスさまのことだから、苦しむのではないかと思えたのだ。
黙々と芋の皮むきをするトーニョの隣で、ルーカスは無心になりながら卵の卵白を泡立てていた。
「あ、それ砂糖入れた? ……ルーカス? ルーゥーカースー?」
「んー? なぁに?」
返事をしつつも心ここに在らず状態のルーカス。
「砂糖を少しずつ加えないと……ルーカス?」
「え? なに?」
やっとルーカスはトーニョの声に反応し、彼の顔を見上げた。
「砂糖加えないと、メレンゲクッキーにできないよ?」
「あ」
トーニョが指し示す先、ルーカスの手元には用意された時の状態で砂糖が残っていた。
ボウルの中の卵白はすでに真っ白でツノが立つほど立派なメレンゲになっている。
「ん、まぁそれはスフレオムレツにでも使えるけど。ルーカスはお客さま用にメレンゲクッキー作るつもりだったんだろ?」
どんな形になっても食材を無駄にする気はないと伝えると、ルーカスはやっと本来じぶんがなんのために作業をしていたのか思い出したらしい。
「あぁ……ごめんね。ぼんやりしちゃった。ほかの卵使ってもいい?」
「ん。いいよ。今度はぼーっとするなよ?」
「うん、わかった」
こっくりと頷いたあと貯蔵庫へあらたな卵を取りに行くルーカスの後ろ姿を見送りながら、トーニョはこっそり溜息をついた。
ルーカスの笑顔にいつものパワーがない。いつもの彼は弾けるような笑みをみせてくれるのに。
料理は相手が喜ぶ顔を思い浮かべながら作ると上手くいく、だなんて。彼に教えたのがまずかったかも。
あれはだいぶ重症かもしれないとトーニョは己の迂闊さを嘆く。
(言っちゃあ悪いが、俺らにはお客さまよりルーカスさまの方が大事なんだよなぁ)
トーニョをはじめとするルーカスをよく知る人間たちにとって、もはやルーカスはこのクエレブレの地で必要不可欠な存在にある。
彼が心穏やかに、そして平穏無事にこの地で生きていくことをだれもが切に願っている。
◇
あれからトーニョに付きっきりで面倒をみてもらい、メレンゲクッキーを焼き上げた。小さくて軽いクッキーは、はちみつ入りと紅茶の香りをつけたものの二種類。味見をしたら美味しかった。
砂糖抜きで作ってしまったメレンゲだったが、香辛料を効かせたクッキーにしたら父の口にも合うのではなかろうかとトーニョに提案したら作ってくれた。そちらは辺境伯用に保管してもらった。
「ルーカスは本当に領主さまが大好きだな。このファザコンがぁ」
などと言われ、額を軽く指で押されたりしたが、否定できる材料はない。
ルーカスは自他ともに認めるファザコンなのだ。
(だって、父上がいなかったらぼくなんてどこかで野垂れ死にしてただろうし)
ルーカスは赤ん坊のころにサルヴァドールに保護された拾い子だ。
そんなどこのだれとも知れない赤子を引き取って慈しんでくれたのが、クエレブレ辺境伯夫妻。残念ながら夫人はすでにこの世の人ではないが、その分も返しきれない恩義をサルヴァドールに返さなければならない。
早く大きくなって、役に立つ人間になって、サルヴァドールを助けるのだ。
そう、思っていたのに。
あるときから、ルーカスの成長がぴたりと止まってしまった。
ずっと、少年のままのルーカス。
人一倍、いや五倍くらい力が強い。他の人が使えない魔法も使える。
けれど。
少年のままでは人前には出られない。
今回のサルヴァドールの王都行きも、年齢を考えたらルーカスが赴くべきだったのに。
ルーカスは役立たずだ。
そんな自分自身が不甲斐なくて情けなくて歯痒く感じている。
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