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満月の夜2
しおりを挟むアスラーン様はわたくしに訊ねる。
「おまえは不可解だ。
恵まれた環境に生まれ、周囲から愛されて育てば我儘放題になりそうなもんだが、おまえにそれはない。
常に己を律し、押さえ込み、他者を優先する。
王女の理想形だ。
それでいて、支配欲も権勢欲もない。
おまえはなんだ?
本当におまえのような透明な女が実在するのか?」
なにを言っているのかしら。透明な女ってなに? わたくし、透けてないわよね?
「実在するわよ。目の前にいるじゃない」
彼の手がすっとわたくしに伸ばされた。
その指先が頬に触れる。
そっと……確かめるように。
恐々と離れて、またそっと触れて。
冷たい指先が目元に触れる。睫毛を掠めるから思わず目を瞑った。
「おまえは……」
目を開ければ、思っていたより近い距離に彼の顔があった。
彼はわたくしの前に跪いて、指は耳にまで伸ばされる。耳たぶに触れた指は、そのまま首筋を伝う。
「無防備が過ぎるっ!」
彼はいきなり怒鳴って立ち上がった。そしてよろめいたように一歩、下がる。
なにごと? え? なにを怒っているの?
「おまえはっ……おまえが、幸運の女神の愛し子だからなのか? だからそんなに……」
いきなりどうしたの? 立ち上がった彼を見上げる。
怒っている? 焦っている? 混乱している?
……全部?
「あぁ、それ?
誰が言い出したのか知らないけど、わたくしとしてはいい迷惑なのよね。
わたくし自身は女神さまに会ったことも見たこともないし。
愛し子と言われても、なにもできないもの。
困るわ。たまたま、そういうことになっただけよ」
んん?
月明りの中だけど、彼の顔が赤いのが分かるわ。興奮し過ぎじゃない? さっき怒鳴ったし。大丈夫なの?
……もしかして、震えているの?
なぜなの?
「アンネローゼ」
「なぁに?」
「今、俺が求婚したら。おまえは俺の手を取るのか?」
「言ったはずよ。“ティルク流はお断り”だって」
「駄目か」
「駄目よ。それに、貴方の国から正式な申し込みってしてくれてるの?
わたくしのところに情報が一切降りてこないから分からないの」
「え? 知らないのか? ティルクからの使者は、もう何度も来ている」
「あら。そうなの?
じゃあ、上層部次第なのね。
どんな条件を出されて渋ってるの?
たぶんうちの国から貴国に、すべての港の完全使用権とか要求されてるんじゃないの?」
「なんで、解る?」
「そりゃあ、わたくしが王女だから」
「……そうか」
「そうよ」
なんだか楽しそうな表情をするアスラーン様。わたくしもつられて笑ってるわ。
「俺の知っている“王女”は、ドレスと宝石と花と甘い菓子しか知らない、外見を飾るだけで頭空っぽな人形だった。おまえを見て“王女”に対する認識がだいぶ変わった」
わたくしの元に来た情報では、彼の国では王女が3名、王子が1名ってなっているんだけど。姉妹の誰かが、もしくは全員がそういう女性なのね。
「そういう女性は厄介ね。お気をつけあそばせ」
「?」
「中身が空っぽな分、いつ、誰に影響を受けてどう化けるか、予想もつかないわ。
夫や恋人の影響を受けるのなら、その相手の思想を知れば対処もある程度可能だけど……女性同士の友情ラインで影響を受ける場合もあるから、侮れないわね。
特に女は子どもができて“母”になると変わるわよ?」
彼の国は女性の王位継承権は認められないけど、王女の子に生まれた男子には継承権があったはず。
「はっ……」
溜息をついて、髪をかき上げて。
ハンサムさんはなにをしても絵になるわね。
「参った……降参だ……」
えぇと。
なにかの勝負に彼は負けたの?
もしかしてわたくしが勝ったのかしら。
なんの勝負をしていたのかすら、さっぱり分からないのだけど。
顔を上げたアスラーン様は、キッパリとわたくしに言ったわ。
「俺はおまえが欲しい。俺の物になってくれ」
「貴方は? 貴方はわたくしの物になるの?」
「え?」
「貴方は、いつ、わたくしの物になるの?」
この時、わたくしはなにげなく足を組んだ。
アスラーン・ミハイ・セルジュークは、わたくしの前に片膝立てて跪いた。
組んで、宙に浮いた方の足を手に取った彼は。
わたくしのブーツの爪先に唇を落とした。
月明りに照らされたステンドグラス。
そこから射し込む美しい色とりどりの光の中、そのさまは、いっそ神々しくて。
まるで宗教画の中から抜け出してきたようで。
ブーツの爪先に口づけ、なんて。
え?
えぇ?
屈辱じゃないのぉ???
えぇーーーーーーーーー?!?!?!
声に出せずひっそりとパニックに陥るわたくしに、唇を離したアスラーンはニッコリと笑って言ったわ。
「おまえが命じるなら。いつでも、すぐにでも」
◇
その後、わたくしはどんな受け答えを彼としたのかしら。
実はあまり覚えていないの。
あのキスの衝撃はなかなかの破壊力だったということね。
覚えているのは、別れ際に彼がわたくしを送ると言って聞かなかったこと。
下水道のマンホールの蓋を開けたところで必死になってそれを止めたわ。
だって、この地下水路を他国の人間に知られるのは軍事防衛的にも厄介だもの。
「あまりにも蜘蛛の巣めいた通路だから、貴方、帰り道で遭難するわよ」
と脅した。
一人でそんな所を通るなんて! と、なぜか彼まで過保護めいたセリフを口にするから笑っちゃったわ。
わたくしはそこを通って来たというのに。
彼が小さく口笛を吹いたのを合図に、どこからともなく現れたのは、オレンジ頭が特徴のカシム様だった。
「せめて、この子を連れて行ってくれ」
そう言って指し示したのは、カシム様が懐からだした一羽の梟。
アスラーン様が手首を曲げて差し出すと、梟は彼の腕に止まった。
「頼んだぞ」
そう言って、梟の羽を優しくひと撫で。
梟は羽を広げると、音も無くわたくしの肩に飛び移ったわ。凄いっ。本当に羽の音がしないのね!
「無事に城に戻ったら、こいつを空に飛ばしてくれ。こいつは夜目が効くし勝手に俺の所に戻るから」
「解ったわ」
そう言ってマンホールに降りようとしたわたくしの手を取って、唇を寄せるアスラーン様。
「本当に、気をつけて」
こんな心配そうな瞳をされると面映ゆいわね。
「ねぇ? 名前呼んでも良くて?」
そう訊いたら、心配そうな瞳が一瞬で歓喜の色を纏ったわ。
「わたくしのことも、名前で呼んでね」
「ロゼと呼んでも?」
「それはダメ」
「なぜ?」
「駄目なものはダメ!」
そう言ってわたくしはマンホールに隠れたわ。蓋の上に残ったアスラ―ン様とカシム様のぼそぼそと話す声を聞きながら、わたくしは城へと急ぎ戻った。
ちゃんと帰れたわよ。
行きよりも短い時間で帰れたし、城の見張りにも……実は見つかっちゃったのよね。
王女宮の庭で王女宮を守る兵に。
でも幸い(というべき?)見つかった場所が場所なので、堂々と散歩していたのと主張して、それを押し通したわ。
もちろん梟を飛ばした後で。
わたくしの髪を結んでいたリボン、梟の脚に結んだけど……ちゃんと持って帰ってご主人様に渡してくれたかしらね。
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