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本編

34.婚約【終】

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 学園は夏休みに入った。4週間ほどの短い期間だが、授業も無い、学生会の仕事も無い、有難い期間だ。
 その期間に、我がロイエンタール侯爵家にはお客さまが訪れた。
 クルーガー伯爵夫妻とその令嬢だ。俺、オリヴァー・フォン・ロイエンタールとクルーガー伯爵令嬢ブリュンヒルデ嬢との正式な婚約が成立し、我が家で簡素な婚約式が執り行われた。
 婚約の誓約書を書き、結婚に至るまでの細かな予定を決めた。婚約を解消した場合のペナルティなんて、考えたくもないが一応決めた。万が一、俺が早死にする場合も想定した。やれやれ。
 このまま、何事も無ければブリュンヒルデの学園卒業後に、俺はクルーガー伯爵家に婿入り。伯爵位を移譲されるのは子どもが出来てから、などなど。決め事は多岐に渡った。

 で、だ。

 夏休みなんだよ。
 ブリュンヒルデが我が家に滞在してくれているんだよ。一週間ほどだけど!
 正式に婚約者になったんだよ。
 もう、二人の世界に入ってもいいと思わないか?(って誰に訊いているのかな俺は)
 ところが世の中はそう甘くはいかないんですよ、奥さん(だから誰に)

 ブリュンヒルデが我が家に滞在中、ずーーーーーーーーーーーーっと、イザベラが一緒だった。
 うん、仕方ないよな。ふたりは親友だし。イザベラはブリュンヒルデが大のお気に入りで大好きだし。
 ただでさえ、クルーガー伯爵夫妻という保護者さまが一緒にいるから、ふたりきりになれないというのに、わずかな時間は妹が独占していてね、婚約者という俺の立場は?

 しかも、我がロイエンタール侯爵家の人間はね、みんなブリュンヒルデが大のお気に入りなんだよ。イザベラを救った勇者さまなんだよ。その話は我が家に仕えている人間ほぼ全部が承知しているんだよ。古くから我が家で家令をつとめているセバスなんて

『坊ちゃま、令嬢に失礼があってはなりませんぞ』

 なんて俺を“坊ちゃま”扱いして釘を刺す始末。
 乳母のハンナも

『最近はまじめになっていると伺っておりますが、本当にオリヴァー坊ちゃまで大丈夫なのでしょうか』

 とか言い出すんだよ? 直接ブリュンヒルデに言ったりするんだよ? 俺、悲しくなるよ? 泣いちゃうよ?
 その度にイザベラが

『兄さまなら大丈夫よ』

 と、とりなしてはくれるのだが、

『万が一、ブリューが泣くような目にあったら、この国に居られなくなるのはオリヴァーだから』

 という注釈をするのは如何なものか。
 うん、そうなんだよね。ブリュンヒルデを泣かせたら敵に回りそうな人って、みんなこの国のトップに近しい人なんだよね。俺の妹とか、ヒルデガルドさまとか! 肝に銘じておりますとも!



「本当に、大々的な婚約式はしないのか?」

「しないよ。今回、内輪で食事会をした。それが全部だ」

「いや、派手好きなお前はそれで納得なのか?」

 クラウス兄上が俺に疑問を投げかけるのももっともだ。
 ロイエンタール侯爵家の次男の婚約だ。おおっぴらに人を招いて祝うのが普通かもしれない。
 でも、できるだけ人目に付かない方がいいという、クルーガー伯爵からの提案があり、この時期に婚約式を執り行い、極々内輪のお祝いとした。

 クルーガー伯爵家は魔石の採掘で潤う国でも有数の富豪だ。そこの家の総領娘に婚約者が出来るというニュースはなかなかのものだろう。そしていないだろうが、万が一、その幸運な婚約者を婿入り前に儚くさせてやろうという不心得者がでるかもしれない。
 伯爵としては、大々的な正式発表は『婚約』ではなく、『結婚』をしました、という事後承諾的なものが望ましいらしいのだ。
 夏は主だった貴族たちが避暑で王都を離れる。旅に出ていたり領地に籠ったり。その隙に婚約式をささっと済ませて、耳目を集める前に通常の生活に戻る。伯爵がそういう想定を描くなら、俺は従うだけ。文句などない。
 家の思惑とか、貴族たちの事情とか。
 そんなこと、俺には関係ないのだ。
 俺はブリュンヒルデが欲しいだけ。彼女と、彼女と一緒にいられる未来を守るだけだ。

「お前、ほんとうに変わったんだなぁ……っていうか、確固たる信念が出来た?」

 クラウス兄上はしみじみという。

 逆にね、兄上の思うところの俺って、どんなんだったの? 腹立つなぁ。





 そんなこんなで、クルーガー伯爵一家が滞在する最後の夜。
 晩餐を終え、父と伯爵と兄が喫煙室に籠った。
 母と伯爵夫人とイザベラは談話室でお茶を。
 俺はブリュンヒルデと我が家の夜の庭を散歩している。

 なんという奇跡の時間。ふたりきりの時間。嬉しい。
 俺が辛抱したからこそ、イザベラなり伯爵夫人なりが、俺に与えてくれたお目溢しの時間だろう。鞭と飴の後者をいま頂いている! 甘露! なんて有難いことか。

「ブリュン。ブリュンヒルデ。俺を選んでくれてありがとう」

 ふたりきり。嬉しくて堪らない。

「そのお言葉は、もう、何度も伺っております」

 制服姿ではない、淡い紫色のワンピース姿のブリュンヒルデは見慣れないけれど、とても可愛らしいと思う。婚約式の食事会の時に着ていた碧色のドレス姿も良かったね!
 今、その胸元を飾るコサージュは俺が以前贈ったものだ(直接渡したのは俺じゃないというツッコミはいらないからね)。思っていたとおり、とてもよく似合っている。

「何度でも言わせてくれ。本当に嬉しいんだ。ありがとう。君を守る権利を貰えた俺は本当に幸せ者だ。だから俺は君を全力で幸せにしなければならないと思っている」

「はい……こちらこそ、その、ありがとうございます」

 照れているブリュンも可愛いなぁ。でも目を合わせて欲しいな。俺を見て欲しい。

「あぁ、これも、ありがとうね」

 そういって、首からさげているペンダントを取り出して見せた。金の象嵌細工を施されたロケットペンダント。
 普段は服の下にして陽の光には当てていない、ブリュンヒルデから貰った俺の大切な宝物だ。

 俺がこれを見せたから、君の瞳も俺に向けられた。嬉しい。

「大切にしてるよ。君に付けて貰った首輪だからね」

「くび、わ?」

「そうでしょ? ネックレスなんて“君に首ったけ”っていう意味か、“これで君は僕のモノ”っていう意味でしょ?」

「え⁈、や、そこまで深い意図は……!」

「嬉しい。本当に嬉しいんだ。君の手で作られた君の絵を、俺が貰えるなんて! こんなに嬉しいことは生まれて初めてだよ!」

「そ、こまで、ですか……」

 真っ赤に頬を染めて俺を見るブリュンヒルデ。本当の本当に俺は君が好きなんだって、解ってくれた?

「ただ……なんか、不思議なんだけどね、俺の顔も君の顔も、こんなんだったか?」

 見たモノ、ありのままを写し取って絵にしてしまうブリュンヒルデが描いた物なのだから、これが正しいのだろう。だが、なにか違和感があるのだ。

 ペンダントトップを開いて俺の肖像画を見る。
 それをスライドすると現れるブリュンヒルデの肖像画。

「あぁ……それはたぶん、鏡のせいかもしれません」

「鏡?」

「はい。当然ですが、人間は自分の顔を見るなら鏡に写さないと見られません。自分の顔は鏡に写され反転されたものでしか、知らないのです」

 そうか!
 人の顔は完璧な左右対称ではない。微妙に違う。俺が知っている俺の顔は、鏡で見て反転され左右の違う世界の俺の顔なのか。だからこそ、なんとなくの違和感があるんだ。

「じゃあ、ブリュンがブリュンの絵を描くなら、当然、鏡に写った自分を描いたってこと?」

「はい。そうでなければ描けません」

 つまり、この絵のブリュンは、ブリュンヒルデが普段こうだと思っている自分自身の絵。ブリュンが鏡の中に見出す、ブリュンしか知らないはずの姿。誰も知らないブリュン。世界にひとつしかない、ブリュン。
 それが、俺の手の中にあるのか。
 これを見ていいのは俺だけだ。俺だけのブリュン、だ。
 今は美しい淑女の笑みが出来るブリュン。だが、俺の手の中にいるブリュンは昔の固い顔のまま。今となっては貴重な“鉄仮面”だ。
 どうしよう。いま俺は、途轍もなく貴重なモノを手にしている。

「大切に、するから」

 この絵も。
 君も。
 君の人生も。まるごと全部。
 そっと彼女の肩を抱き寄せた。絵以上に大切な存在。思わずそのつむじに唇を落としていた。なんて尊い存在なのだろう。

 俺は腕の中の温かい宝物の存在に、内心は小躍りして喜びに打ち震えながら、一生懸命、紳士たれと、婚約者とはいえ、接触はここまでと己に言い聞かせていたのだった。





 夏休みが明けてから、俺の卒業までは飛ぶように日が過ぎていった。
 本当にあっという間だった。
 
 剣術大会は、専科二年のエミール・フォン・ファルケが優勝した。専科からの優勝者が出た! と学園中で大騒ぎになった。

 アーデルハイド王女殿下はデビュタントパーティでそのエミールをパートナーに選んだと聞いた。エミールの奴、いつの間に。

 王宮で行われた年末の年越しパーティでは、念願のブリュンヒルデのパートナーとして参加できた。一年越しの願いが叶い、嬉しくて泣いた。その時にブリュンヒルデから懐中時計のプレゼントを貰った。オリーブの葉をデザインした蓋の裏には、ブリュンの肖像画が付けられていた。辛うじて叫び出さなかったが、嬉しさの余りへたり込んだ。ジークに邪魔だと蹴られた。

 そして春になり、俺は王立学園高等部を卒業した。これから半年はロイエンタール侯爵ちちうえに付いて、領地経営の基礎を実施体験して学ぶ。残り半年はクルーガー伯爵に付いて、王都とクルーガー領を行き来しつつ学ぶ予定だ。

 暫くは愛しいブリュンヒルデに会う機会がないが、俺には貰ったペンダントと懐中時計がある。これを心の支えとして、彼女が卒業するまでを乗り切ろうと思ったのだった。




 クルーガー伯爵は自身の娘と領地、そして未来の婿の為に行動した。
 クルーガー伯爵令嬢の婚約は密やかに執り行われ、表立って発表されなかった。まさかその弊害で、高等部三年生になったブリュンヒルデが醜聞に巻き込まれるなんて思ってもいなかった。

 それはまた、別の話である。


【本編・終】



※オリヴァー視点本編終了。
※上記『別の話』は拙作『お姉さまは酷いずるいと言い続け、王子様に引き取られた自称・妹なんて知らない』です。

あとは殿下の小話(といいつつ、それなりの長さはあります)2本とブリュンヒルデ視点からの番外を予定してます。

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