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十に。悪役の登場のように
しおりを挟む植物園の喫茶スペースで、すっかり意気投合したマダムとひと時のティータイムを楽しんだのは一昨日のこと。
いま。青い顔をしたポールがわたくしの前で頭を下げ、報告しています。旦那さまが帰宅なさったのですって。
わたくしが王都邸宅に戻ってきた次の日から、ずっと王宮にあるカレイジャス公爵家控室に寝泊りしていたらしいジュリアン・カレイジャス公爵閣下が。
その旦那さまが帰宅早々、いますぐ話があるので執務室に来いと命じているのですって。
ちなみに、もうそろそろ休みましょうかと寝仕度をメイドたちへ指示した矢先のこと。
今日はどこにも外出しなかったから平服のままだし、アクセサリー類は外してしまったけれど、それでもいいのかしら……。
――なんて、一瞬考えてしまいましたわ!
あぁ、習慣って恐ろしいことね!
いつも旦那さまのお帰りのお知らせを聞くと、衣服を整えてお出迎えしていた過去のわたくしが、つい、うっかり、顔を出してしまったようです。
いけない、いけない。いけません。
あの過去のわたくしは、もうゴミ箱にポイしたはずです。
わたくしは好き放題やると決めたはずでした。もう旦那さまの顔色を窺うことなどしません、と。
こちらにお越しくださいとお伝えしようかとも思いましたが、彼がわたくしを呼んだ理由に心当たりがあります。おそらく、ですけど。マダムフルールの件ですわね。
マダムったら。お仕事が早いわ。ステキ。
ようございます。わたくしの方から出向きましょう!
さながら……そうね、悪役の登場のように。靴音を高く響かせて参りましょうか! そう思うとちょっと楽しくなってきましたね。
◇
ジュリアン・カレイジャス公爵閣下の執務室のドアを、ノックもなく入室許可も取らず、わたくし自らの手で開け放ってやりました!
これが歌劇ならババーンって効果音が付きそうな勢いで。
傍若無人に振る舞うってわりとスッキリするのだけど、なかなかたいへんなことなのね。じつはこの扉、わたくしが伯爵家の娘だったころなら開けられなかったわ。それほど重いし、そもそも扉の開閉は従者の仕事ですものね。
でも今なら苦もなく開けられるわ。二十八歳の健康体であるし、なによりも双子の子どもたちを両腕に同時に抱き上げてきましたからね! 身体も鍛えられるというものですわ!
本来ならすべてを乳母に任せるものだという苦言も聞きました。
けれど、極力わたくし自身の手で子育てをしたかったから、乳母の介入は最小限に。その点だけは譲りませんでした。
エリカをはじめ、息子たちにもわたくしのお乳を与えましたもの。
もっとも、乳母の職を奪ってはいけません。交代で任せたりしましたわ。でも日々重くなる赤子を毎日抱き上げるのは、体力と筋力の増強ポイントになったと思います。
……とりあえず、わたくしが逞しくなった話は横へ置いておいて。
執務室の中では、旦那さまが目を剝いてわたくしを見つめていました。
いきなり扉を開けた不埒者がいたので、誰何しようとしたら妻だった……という驚きのお顔かしら。
ふふん。
ざまあご覧あそばせ。
回帰してから、もう何度旦那さまからの視線を受けているかしら。
子どもを生んでからすっかり視線を合わせてくれなくなった旦那さまの驚きの表情を見るたびに、なんだかこちらの胸がすくような思いがしましてよ。
回帰するまえ、幾度となく心のなかで願いましたのよ?
旦那さま。わたくしを見てって。
どんなにうつくしく装っても、誉めことばの欠片も貰えず。
朝のお見送りのとき、変顔しても気がついて貰えず。旦那さまの背後に控えていた秘書官とは目が合いましたけどね。とても気まずそうな顔をした彼は全力で目を背けていましたね。
机の上に広げられた書類に視線を落としながら会話することはあっても、その視線をわたくしに投げかけることはせず。
必要な連絡事項は家令をとおして聞かされたり。
誕生日も結婚記念日もスルー。お花もカードもくれなくなって。
あげくの果てに、怪我をしたからと大袈裟に杖をついてみれば、気遣うどころか怒鳴られて。
あらやだ。いま思い返してもわたくしってわりと可哀想ではないのかしら。
でもそうやって無視してきた妻が、淑女らしからぬ行動をとれば見てくださるのね。向けられるのは驚愕の瞳だけど。
わたくしも、淑女の顔などとっとと捨てるべきでしたわ。
そしてはっきりとことばにして伝えるべきでしたわ。
ひっそりと変顔なんてしている間に、旦那さまの袖口を引っ張っているべきでした。……不躾な行為なので『淑女』のわたくしにはとてもできませんでしたけど。
今のわたくしはひとあじ違いましてよ?
「お呼びと伺い参上いたしましたわ。ご用件をお聞かせくださいませ」
まずは第一声。カーテシーも取らず、腰に手を当てて佇む不遜な態度で。
うーん。もっと仰々しい挨拶のことばを延々と述べた方が嫌みったらしくてよかったかしら。公爵閣下への謁見ですものね。特別なお呼びだしですものね。
でもまあ。
執務机の椅子に座っている旦那さまを見下ろしているわたくしは、今までにないくらい傲岸不遜ですわね。いつもは浮かべている淑女の微笑みは封印中。真顔で睥睨していますわ。
ふふ。めったにやらないのだから、とくとご覧あれ?
旦那さまに対しての『特別待遇』でしてよ?
……って思ってしばらく旦那さまの出方を見守っていたのだけど。
あいも変わらずわたくしから視線を逸らせた旦那さまは、口をもにょもにょと開閉してはことばを呑み込むを繰り返していらっしゃる。
イライラするわね。
イライラついでに首を傾けたら、ぐきっと骨が鳴ってしまったわ。その音にビクッと小さく跳ねた旦那さまの肩。わたくしの視界に入りましてよ?
怯えられてるみたいでちょっと面白いわ。肩凝りのせいか、鳴っちゃうのよね。もちろんこれも不躾な態度です。マナーの先生がこの場にいらっしゃったら減点されちゃうわね。
ゆっくりと腕組みをし、大きくため息をついたわたくし。不遜な態度は継続中ですわ。
部屋の隅に控えているポールの気配(怯えているわね……)までも感じられる静寂のなか、旦那様はゆっくりと机の上に一通の封筒を差し出しました。
「これを書いたのは、本当に、クリスティアナ……きみなのか?」
おそるおそるといった体で話しかけた旦那さま。
彼が指し示したそこにある封筒はカレイジャス公爵家の家紋が入った封筒。
えぇ。まちがいなく先日、わたくしがマダムフルールへ向けて送ったお手紙ですわね。
マダムにはお願いしていたの。あのお手紙、わたくしに戻すのではなく旦那さまへ送ってねって。
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