Trains-winter 冬のむこう側

白鳥みすず

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第一章 ユキ

それは小さな変化

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・・・僕は久しぶりに授業を受けることにした。
もう5月になっていた。桜はとっくに散って人もまばらな席に座る。
席は窓際の一番後ろ。・・・きっと彼女も今の時間は授業を受けている。
同じ学校に通うことは一生できないが、例えば、隣で一緒に授業を受けていたらどうなるんだろう。
彼女はきっと真面目だから授業を真剣に聞いていると思う。

ここの学校は古風だ。最新式ではない。
昔ながらの黒板に黒板消し。掲示板。
・・・ただの学校ごっこだからだ。
電子黒板も電子のチョークも必要ない。
先生だってロボットじゃなくて生身の人間だ。
いったい何年前の学校を再現しているのだろう。ここしか知らない僕は本当の学校を知らない。
「貴之?珍しいね」
堂々と授業中に入ってきて、浅野は前の席に座ってきた。
浅野春だ。髪の毛は編み込みもしていてグレーに染められている。見た目は派手だが、容姿はかなり整っている。
色白の肌に長い睫毛。鼻筋は通っていてハーフのようだ。
来たのはいいが、勉強する気はないようだ。堂々と片手で雑誌を広げている。
ここが本当の学校だったら生徒指導室につれていかれているだろう。
「浅野こそ」
と言うと浅野はその整った顔をくしゃっとさせた。
「暇だったから?貴之が教室入っていくの見えたし」
・・・僕は少し浅野が苦手だった。飄々としていて害はないが、何を考えているのか全く見当がつかない。
しかし、この時間は数学だったか・・・何がなんだか分からない。
とりあえず適当に公式に当てはめて・・・とペンを動かす。
「あ、ここ間違ってる。それはこっちの公式」
浅野は僕のペンをひょいと取ると教科書の公式をとんとんした。
「え」
「で、こうしてこうね」
彼はそのままスラスラ解くと答えらしきものを書いた。
折り畳みの携帯が鳴る。
「おー、呼ばれたっぽい。あとは頑張れ」
手をひらひらさせて浅野は教室を出て行ってしまった。
・・・これ、合ってるんだろうか。
先生が答えを書き始めた。
・・・合ってる。
浅野が解いた問題は正解だった。
・・・授業出てる姿なんて全く見たことがないけど。
・・・。
なんとなく悔しい。
・・・放課後に掲示板を見に行くと前回の順位が張られたままだった。
学年1位には浅野春、と書かれていた。
・・・。・・・幻か?
だって遊びまくってるって噂だし。真面目に勉強するタイプには見えない。
まずい、彼女に勉強を教えると言ってしまったけど。
一週間、生まれて初めて真面目に授業を受けて気づいた。
思っていた以上に深刻だった。中の下ぐらい・・・いや下から数えた方が早い順位かもしれない。
数学なんてまったく分からないし、歴史ぐらいしか教えられなさそうだ。
来週か・・・どうしよう。
浅野が中庭のベンチで寝ているのが目に入った。
・・・。・・・僕は授業を抜けて中庭まで行った。
気配を察したのか浅野は目を開けた。
「最近まじめちゃんな貴之くんじゃない」
茶化すように言ってくる。
何で知ってる?と問いかけると
「幸恵ちゃんが言ってたよー真面目にノートとってるってさ」
数学の女教師のことか。
浅野は社交性はあるのかもしれない。誰とでも分け隔てなく話しているようだ。
女遊びは激しいみたいだが、他の悪い噂は聞いたことがない。
「・・・それで、恥を忍んで頼みたいことがあるんだけど。
・・・僕に勉強教えてくれない?」
僕は一気に息を吸い込むと頭を下げ真剣に頼んだ。
ダメ元だ。
不良もどきの彼がそんなに仲が良くもない僕の頼み事を聞いてくれるとは思わなかった。
沈黙が痛い。駄目なら駄目で早く言ってくれ。


「・・・ココア。1日に3缶。奢ってくれるならいいよ?」


顔を上げると目を細めて笑う彼がいた。
「ほ、本当に?」
「うん、暇だしね。なんか面白そうだしいいよ」
じゃあ、ココアの約束は忘れずにねー。
時間と頻度は明日教えてと告げると浅野は起き上がるとのびをした。
どういう風の吹き回しかは分からないが、勉強を教えてくれるらしい。

勉強は昼休憩の時間と授業後に教えてもらえることになった。
浅野といて分かったことがある。
教え方は分かりやすくて丁寧。基本的に穏やかで怒ることがない。
甘党。
勉強中にココアとチョコレートを食べていた。
見ているだけで胸焼けしそうな量を食べていた。意外と律儀。決めた勉強時間にだけふらりと現れる。普段の授業にはいつもいない。女遊びが激しいと思っていたけれど、彼は来るもの拒まず去るものは追わないだけらしい。

ココアを飲みながら菓子パンを頬張る彼を横目で見る。
糖分過剰摂取しすぎじゃないのかな・・・よく太らないな・・・。
参考書片手にお弁当食べる僕を見て何を勘違いしたのか浅野は
「この菓子パン1個しかないんだよね。あ、ポッキーならあるよ?食べる?」
と笑顔で箱を取り出し、ポッキーを差し出してきた。
「いや・・・ポッキーはいらない」
「トッポ派?ごめん、今日は持ってきてない」
鞄を漁り、ないことを確認すると浅野は自分の菓子パンに戻った。
「・・・甘党なの?」
ぽつりと尋ねると
「甘いもの食べてると落ち着くんだよね」
と僕の小さい声も聞き逃さず彼は答えてきた。




「じゃあ、問1からね。まずはこの公式使って一度自分で解いてみて。
分からなかったら聞いて」
誰もいない教室で一見不良と見た目は真面目な生徒が二人。
ただ教えてもらう立場なのは僕。
この異質な組み合わせに先生が声をかけてくることも増えた。
「二人とも今日も居残り?」
「幸恵ちゃんが優しく教えてくれたらもっとやる気出るんだけどー?」
浅野がその甘いフェイスで笑いかける。
「もー、春くんは私が居なくても解けるでしょ」
吉田幸恵先生はその軽口を笑って流した。
「それに先生は教えるなら澤木貴之くんの方が好みかなあ?」
吉田先生は僕にウィンクを飛ばした。
僕は綺麗にペンを落とした。
「えー幸恵ちゃんの浮気者―」
浅野が口元を膨らませる。
「貴之、冗談だって」
浅野が僕の肩をたたいた。
「冗談?・・・その手の冗談よく分からなくて・・・」
動揺したままペンを拾い上げた。
「真面目だなあ、貴之くんは」
浅野がくすくすと笑う。
「でも二人が勉強かあ。何かあったの?」
吉田先生は一瞬間をあけてから僕らに問いかけた。
それと同時に浅野も僕の方へ視線を向けたのを感じた。
今まで浅野は黙って付き合ってくれていたけれど、僕は勉強をしたいと言った理由を彼に言ってなかった。授業にあまり出ていなかった僕が突然生真面目に授業に毎回出てくるようになったら先生じゃなくても誰だって不思議に思うだろう。
彼は僕に合わせて貴重な時間を僕に割いてくれている。
浅野だって時間がないはずなのに。
ここで適当に答えるのは彼に失礼な気がした。
「・・・一緒に過ごしたい人がいて」
僕は短く答えた。
「・・・勉強もその人の役に立ちたくて」
何かを察したのか、先生はそっか、と微笑んだだけだった。
先生は資料のまとめがあるから、とその後すぐに教室を出て行った。
静寂の中、ペンを動かす音だけが響く。
浅野の視線はまだ僕から逸れていなかった。
「で、どんな子なの?」
頬杖をついて僕を見ている浅野と目が合う。
「貴之くんが入れ込むなんて気になるな」
へらりと笑っているが、その目は真剣だった。
「・・・別に入れ込んでない。ただ一緒にいると落ち着くというか・・・」
うまく言葉が出なくて舌がもつれる。
「もう少し一緒にいたいって思っただけだよ」
・・・話していて日が浅いし、彼女のことを何もかも知っているわけではない。
・・・日だまりのような温かさと居心地の良さ、彼女のことを知りたいという気持ち。
それだけは確かだ。
「特別、ってことだね」
浅野が柔らかい声音で言った。
「俺たちにとって一緒に過ごしたい相手ってそういうことでしょ。授業も、廊下からのぞいたらさ、凄く必死にノートとったりしてて、羨ましくなったんだよね。俺なんて適当で何かに本気になったことなんてないし。貴之くんってさ、非現実的な雰囲気纏ってたからさ。」
「どういうこと?」
「現実を生きていない感じ。だから仲間だと思ってた。でも、今は・・・生きてるよね」
その目は陰りを帯びていた。
「息を吹き返した貴之くん。おめでとう」
現実を生きていない、その言葉は間違っていなかった。
どうせ死ぬなら頑張ったって仕方ない、勉強だってやるだけ無駄。
身体も弱くて好き勝手もできない。
そのくせ、希望を捨てきれなくて僕は何にだってなれるんだって、本の世界に閉じこもって出てこない。
僕にとって本は現実逃避の道具。そして、麻薬のようなもの。本がないと生きていけない。
読み終わるとがっかりする。ああ、またこの虚しくて残酷な世界に戻ってきてしまったと嘆き、また次の世界へと旅経つ。その繰り返しだ。
戻りたくない、戻りたくない。現実なんて辛いだけ。
暗い底なし沼にいつも溺れていた。手を伸ばしても誰も助けてくれなくて。
きっと一筋の光を探してた。
・・・僕にとって心は特別なのか。
「いや・・・さようなら、なのかな」
彼の言葉に僕は引き戻された。
「え?」
「・・・ん?何でもないよ」
浅野はいつもの表情に戻っていた。
日が沈み、教室は陰を落としていた。彼の顔がその刹那暗く見えたのはそのせいかもしれない。
浅野と話していて気づいたことがいくつもある。
どうやら僕は彼女が特別らしい。
・・・誰かの為に何かしたいなんて思ったのは生まれて初めてかもしれない。
自発的に動いたこととか、これまでなかった気がする。
癖で図書館まで足を運んでしまったけど、閉館の時間だった。
足を止める。
・・・会いたいな。心の顔が見たい。
・・・こんな時、よくあるできた話なら彼女が都合良く現れるんだ。
だけど、現実はそうドラマチックにはできていないらしい。
周りをなんとなく見渡してしばらく待ってみる。
当然、彼女は現れない。
・・・まあ、いいか。と思った。
前にゆっくりと踏み出す。
現実は物語みたいに都合良くできてはいないのだから。
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