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そしてあなたのいない日々 その7
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砦の中にいた人々も、移動できる体力のあるものは冬籠を前に他の砦や別の伯爵家家臣の領へ移動して行った。
ここの屋敷に残っているのは出産を控えているものや体力のない子供達などだった。
マリアンヌの腹も目立つようになってきていた。
「ねぇねぇ、ねえ様。お腹の子はおとこのこかなぁ、おんなのこかなぁ?」
執務室で書取りの勉強を見てもらいながら下の妹アミは異母姉から生まれるまだ見ぬ甥っ子もしくは姪っ子に興味津々である。
「そうねぇ、元気で生まれて来てくれたらどちらでもいいかな」
「アミはね、こんどはね、おとこのこが見てみたい!」
先日生まれた双子の妹たちのお世話も進んで行う、”お姉さん”になりたてのアミは俄然張り切っている。
「女の子もとってもかわいいけど、男の子の赤ちゃんもおせわしたいの」
ここ最近領内でたくさん生まれた赤子の世話を、マイもアミも自分の妹たちと同様に進んで行っていた。
元々、この領内では子が生まれると皆で世話を焼きながら生活していた。
故に、小さくとも子供の世話においては十分な戦力なのだ。
「アミもマイ姉様と同じように赤ちゃんのお世話とっても上手だものね、頼りになるわ」
大きな姉にそう言われて、むふーっ、と小さな妹は得意満面で鼻息を荒くしている。
そんな妹の可愛らしい様子を見ていると自分1人でこの子を育てるわけではなく、生まれて来てからもたくさんの人にお世話になって成長していくであろう我が子のことを考えて胸があたたかくなる。
妹の小さな頭を撫でながら書取りの様子を見ていると、扉から小さいノックの音が聞こえた。
「どうぞ、お入りになって」
扉の向こうに声をかけると、捕虜とされていた少女のうち比較的年上であったサリが恐る恐ると言った様子で扉を開けて部屋へと入ってきた。
「オショクジヨウイ、デキマシタ、ヨビキマシタ」
緊張した様子で入り口に立つサリはここに連れて来られた時より幾分か肉付きも良くなりここの言葉も覚え出したところだ。
「サリ、ありがとう。ここの言葉が上手になってきったわね」
そう言って褒めると、目を大きく開き頭を横に大きく振った。
「本当にそう思っているのよ、上手ね。サリのお仕事が終わったらまた一緒にお勉強しましょうね」
ゆっくり話してそう伝えると、サリは大きな瞳をさらに大きくしてぶんぶんと頭を大きく振って頷いた。
「さぁ、アミ。お食事なので片付けて食堂へ向かいましょう」
はーい、と大きい声で返事をするとアミはテキパキと机の上の文具を片付け簡単な掃除をすると2人で執務室を後にした。
食事を終え、午後の仕事を片付けていると砦の呼び鐘が鳴った。
この鐘の数は父たちが戻ることを知らせるものだ。
マリアンヌは急いで窓の外を覗く。騎獣した兵士の姿が砦内壁の入り口に見えた。
姿を確認するやいなやマリアンヌは窓を大きく開くと下に見える一軍に向かって大きく手を振った。
「父様! おかえりなさい」
窓枠から体を乗り出し手を振る娘の姿にぎょっとした父カルドは息子ユリスに騎獣を手渡しながら娘には制止の声をかけた。
「マリー、危ないからやめなさい!部屋に戻りなさいっ!」
身重の娘が窓から転落しそうになる程身を乗り出し上階から手を振り続ける様に、ようやく人心地がついて帰宅したというのに気が気でない。
父の慌てふためく様に笑顔で応じて、よいしょっと窓枠から床に足をつけると急いで屋敷の玄関へと走った。
通りすがる使用人たちがみな危ない気をつけて、と声をかけてくるが足腰の安定感には自信のあるマリアンヌは平気よと応えながら廊下と階段を走り抜けた。
玄関を抜けた先には継母アザミが妹たちと共に迎えに出ていくところだった。
「マリー、父様は逃げたりしないからゆっくり歩いていけばよいのよ」
半ば呆れ顔だが、久しぶりに会える父に歓喜する義娘を温かい目で見つめる継母に興奮を抑えられないマリアンヌは、
「だってだって、父様にようやく会えるのですもの!!」
小さい頃から長子としてしっかり自覚を持つように育てられたマリアンヌは母が亡くなった時も、王都へ自分で出向くと決めた時も弟や周りを心配させないように振る舞った。
しかし、父にだけは子供として甘えることができたマリアンヌ。
しばらく会わないうちに再度父は戦場へとむかい、すれ違うように妊婦の自分が帰郷した。
本当は不安な気持ちを、いろいろなことを、父に聞いてほしいことはたくさんあったのだ。
走って継母や異母妹たちの所までやってきたが、さすがに小さい妹たちの前でスカートを翻し大股走行は控えるべきだと思ったマリアンヌである。
「マイ、アミ、とう様のところまでねえ様と手を繋ぎましょう」
走り出したくなる衝動を妹たちでなんとか抑えようと2人の手を取った。妹たちも嬉しそうに姉の両手にぶら下がり父親の元へ急足で向かう。
こちらに気づきながらも、周りに一つづつ指示を出していく父を人垣のこちらからアザミや妹たち、屋敷のみなと今か今かと待ち侘びていた。
「またせたね。ただいま、みんな」
緊張感が顔から薄れにこりと笑顔で微笑む父の姿は、控えめに言ってボロボロである。
飛びつきそうになる娘たちを静止したのは横に立つ父の腹心ウルドだった。
「姫さんたち、カルド様汚いんで近づかないでください」
にょきりといった風に父の前に大きな腕を伸ばし飛び付かんばかりの女子3名を立ち止まらせる。
「気にしないわよ、早くとうさまにハグしたいのよ!」
むぅ、っと口をとがらし一番子供のような振る舞いをする長女に父も困りながらも笑顔だ。
「マリー、本当に汚いんだよ。最後の3日間は仮眠以外は駆け続けたからね。妊婦のお前に変な病気がうつるといけない」
南方とこちらでは罹る風土病も異なるため、と考え旅装を解くときは外の水浴び場で綺麗にしてから中でさらに湯浴みをするほど衛生管理は徹底している父である。
常日頃から土まみれで農作業も平気なマリアンヌは汚れ自体には気にも留めないが父の気遣いは昔から家族を想うためのものであることは理解している。
「もう、わかりました。父様はやくお着替えくださいね」
「わかったわかった、そう急かすな。アザミ、留守の間大変だったろうによくやってくれたな。ありがとう」
娘たちの奥でこちらの様子を微笑みながら見ていた妻に声をかけるが妻は軽く手を振るだけだった。
しかし彼女の瞳には薄く光る膜が覆われていた。
身綺麗にしたカルドが皆の待つ居間の扉を開けると小さい娘たちと大きい身重の娘が飛びついてくる。
「「「おかえりなさい、とうさま」」」
一番小さい娘を腕に抱き上げ、その上の娘と手を繋ぎ居間の中央に進むと一番上の娘がむくれながらついてくる。
「もう、私ももっと父様にハグしたいわ」
可愛い妹たちに近場を占領され大きな娘がぶつぶつ言っている。
「ねえさまはもう大人だからだっこできないんだよ」
小さな妹に諭されている長女はしゅんとしている。
可愛い娘たちに囲まれつい先程まで張り詰めていた心がゆるゆるとほぐされていくのが心地よい。
「みんな元気ですごしていたようだな、何よりだ」
子供たちに纏わりつかれながら妻の元へ向かう。
「カルド様、新しい家族の顔を見てやってください」
少し大きめのゆりかごに2人並んでスヤスヤと眠る娘たちの顔を覗く。
「双子だけあって全く同じ顔をしているなぁ」
じっくり見つめるがどちらがどちらか判別できるかわからないほど同じ姿の娘たち。
「あのね、おめめのしたに小さなおほしさまがあるのがリナだよ、こっちがミナ」
腕の中の娘が手を伸ばしてゆりかごのなかの妹の目元を指さすとそこにはたしかに小さなほくろがある。
「なるほどな、これで間違えなくてすみそうだ。ありがとうアミ」
そういってやると得意げに微笑み首の周りにだきついてくる。
「ミナはリナよりたくさんお乳を飲むので母さまの代わりに私がミルクをあげることもあります」
マイもアミに続き双子の妹たちの面倒もよく見ているようだ。
「アザミ、良い子たちを産んでくれた。ありがとう」
カルドがアザミに頭を下げるととんでもないことですとこちらも頭を下げる。
夫婦になってかなり時間も経っているがどうしても元々の主従の関係は今も簡単には取り払えないのだ。
「父様、落ち着いて時間の都合がよければお話しがあるのですが」
無意識であろう、腹に手を当てながら父に伺いを立てる長女は少し緊張の面持ちである。
先程までの様子とはことなり少し強張りを感じさせる。
「では夕食後に、執務室で」
マリアンヌの顔をしっかり見て微笑んでやれば、少し緊張が緩んだように見えた。
「父様、マリアンヌです」
執務室の扉をノックし応えをまつ。少しして父の言葉に扉を開ける。
「さぁそこに腰掛けて、温かい茶を淹れようか?」
父は貴族であり男性であっても、自ら茶を淹れる。
先進的な考えの王都の研究所でもなかなかそういう男性はいなかった。
そんな父の姿をみながらソファに腰掛けると、かつて自分のためにいそいそと茶を淹れてくれた人のことを思い出す。
「腹の子が動くのか?」
マリアンヌが腹を撫でている姿を見て父が声をかけてきた。
「いえ、でも先日ようやく動いて皆で大騒ぎをしました」
先日お腹の中でぽこりと動く動きに感動をし周りに伝えると、その動きを感じたい人の列がマリアンヌの前にできた。
すでに母親となっている使用人や継母たちはあの腹の大きさではまだ外から動きはわからないだろうなどとおもいつつも楽しそうな雰囲気に水をさすことを言わず見守っていた。
「そうか、順調に育っているようで何よりだ」
茶器の乗ったトレーを手にしマリアンヌの向かいに父が腰掛ける。
「・・・父様、大変な時に心配事を作ってしまってごめんなさい」
目の前の父の眉間に僅かに皺がよっているのを見てマリアンヌは先ずは父に詫び、そして続けた。
「でも父様、私はこの子を産みこの土地で一緒に暮らしていきたいと思います。ですから、養子に出せとはおっしゃらないでください」
腹の子を守るように両手をそえて、頭を下げ強く訴える娘の姿を見てカルドは大きくため息を吐いた。
「養子の件は、わかった。アザミからもお前の様子を聞いていてその線はないとは思っていた。それでお前はどうしたいんだ」
貴族家の娘として未婚で子を授かるのは、おおらかなファルマ家でも近年全く例のない事件であることはマリアンヌもわかっている。
「これは、わたしとユリスの考えなのだけど。私が後継になることはできないでしょうか?」
「はっ、ごほっ、ごほっ、何っ!?」
飲み込もうとしていた茶に咽せて苦しそうにする父の隣に移動しその背をなでた。
「父様、大丈夫?」
娘に差し出されたハンカチを貰い、口の周りを抑える。
「お前、いまなんと言った?」
「私が後継になります、と」
開いた口も目も塞がらない状態でマリアンヌを見るが、至って真面目でふざけている様子はない。常識はずれではあるが、法的に今の世では問題のない解決策である。しかし、やはり常識的ではない。
「それをユリスも同意しているというのか?」
「はい、元はユリスからの提案です」
閉じていた口が再度開く、数秒して気を取り戻し再度マリアンヌに問うた。
「もろもろ覚悟の上か?」
低位の貴族家とはいえ、王国の防衛上の拠点に領地を持つファルマ家である。
オリウス家の当主が領地内に戻ったとはいえ家令であるファルマ男爵家の仕事の責任は広く重い。
娘の優秀さを十分知ってはいるが、これから子育てをしていく中での当主の仕事は難儀であること想像に難くない。
「はい。とはいいましてもまだ私も若くこれから学ばなくてはいけないことも多いです。しばらくは父様に頑張っていただくことになりますが」
一番大切なことを伝え、少し緊張がほぐれたのかイタズラな表情でこちらを見つめる娘が隣から手を握ってきた。
大きくなったとはいえまだまだ幼ささえ感じられる姿形と小さな手を見ているとどうしたものかと考えるのが親心だ。
「お前は優秀だ、能力的にどうのこうの言うものはいないだろう。しかし、その腹の子の出自を明らかにしなければさらに先の後継のことなどでうるさく言ってくるものはいるだろう、どうする気だ」
腹の子の情報は分かっているつもりだが、あえてそこを本人がどう考えているかを明らかにしなければいけないのだ。
「それはしばらく公にはしません。後継にこの子をするかどうかも今はきめることはしません。この子の将来のことを今私がきめたくはありません。血筋としては問題のない子であることは時期が来たらアザレア伯母様におねがいして証明してもらいます」
”血の証明”とよばれる古来からの血統証明方法があるが、リオネルの伯母にあたるアザレアであれば腹の子が正式に貴族の血を引くことの証明は容易である。
「やはり、腹の子は彼の方の子か?」
「父親はリオネル・デ・オリウス様です」
この地の伯爵家前当主であり、ここ数年間マリアンヌとの婚姻の請願を送り続けてきた青年の顔を思い出しカルドは先ほどよりさらに深いため息をついた。
ここの屋敷に残っているのは出産を控えているものや体力のない子供達などだった。
マリアンヌの腹も目立つようになってきていた。
「ねぇねぇ、ねえ様。お腹の子はおとこのこかなぁ、おんなのこかなぁ?」
執務室で書取りの勉強を見てもらいながら下の妹アミは異母姉から生まれるまだ見ぬ甥っ子もしくは姪っ子に興味津々である。
「そうねぇ、元気で生まれて来てくれたらどちらでもいいかな」
「アミはね、こんどはね、おとこのこが見てみたい!」
先日生まれた双子の妹たちのお世話も進んで行う、”お姉さん”になりたてのアミは俄然張り切っている。
「女の子もとってもかわいいけど、男の子の赤ちゃんもおせわしたいの」
ここ最近領内でたくさん生まれた赤子の世話を、マイもアミも自分の妹たちと同様に進んで行っていた。
元々、この領内では子が生まれると皆で世話を焼きながら生活していた。
故に、小さくとも子供の世話においては十分な戦力なのだ。
「アミもマイ姉様と同じように赤ちゃんのお世話とっても上手だものね、頼りになるわ」
大きな姉にそう言われて、むふーっ、と小さな妹は得意満面で鼻息を荒くしている。
そんな妹の可愛らしい様子を見ていると自分1人でこの子を育てるわけではなく、生まれて来てからもたくさんの人にお世話になって成長していくであろう我が子のことを考えて胸があたたかくなる。
妹の小さな頭を撫でながら書取りの様子を見ていると、扉から小さいノックの音が聞こえた。
「どうぞ、お入りになって」
扉の向こうに声をかけると、捕虜とされていた少女のうち比較的年上であったサリが恐る恐ると言った様子で扉を開けて部屋へと入ってきた。
「オショクジヨウイ、デキマシタ、ヨビキマシタ」
緊張した様子で入り口に立つサリはここに連れて来られた時より幾分か肉付きも良くなりここの言葉も覚え出したところだ。
「サリ、ありがとう。ここの言葉が上手になってきったわね」
そう言って褒めると、目を大きく開き頭を横に大きく振った。
「本当にそう思っているのよ、上手ね。サリのお仕事が終わったらまた一緒にお勉強しましょうね」
ゆっくり話してそう伝えると、サリは大きな瞳をさらに大きくしてぶんぶんと頭を大きく振って頷いた。
「さぁ、アミ。お食事なので片付けて食堂へ向かいましょう」
はーい、と大きい声で返事をするとアミはテキパキと机の上の文具を片付け簡単な掃除をすると2人で執務室を後にした。
食事を終え、午後の仕事を片付けていると砦の呼び鐘が鳴った。
この鐘の数は父たちが戻ることを知らせるものだ。
マリアンヌは急いで窓の外を覗く。騎獣した兵士の姿が砦内壁の入り口に見えた。
姿を確認するやいなやマリアンヌは窓を大きく開くと下に見える一軍に向かって大きく手を振った。
「父様! おかえりなさい」
窓枠から体を乗り出し手を振る娘の姿にぎょっとした父カルドは息子ユリスに騎獣を手渡しながら娘には制止の声をかけた。
「マリー、危ないからやめなさい!部屋に戻りなさいっ!」
身重の娘が窓から転落しそうになる程身を乗り出し上階から手を振り続ける様に、ようやく人心地がついて帰宅したというのに気が気でない。
父の慌てふためく様に笑顔で応じて、よいしょっと窓枠から床に足をつけると急いで屋敷の玄関へと走った。
通りすがる使用人たちがみな危ない気をつけて、と声をかけてくるが足腰の安定感には自信のあるマリアンヌは平気よと応えながら廊下と階段を走り抜けた。
玄関を抜けた先には継母アザミが妹たちと共に迎えに出ていくところだった。
「マリー、父様は逃げたりしないからゆっくり歩いていけばよいのよ」
半ば呆れ顔だが、久しぶりに会える父に歓喜する義娘を温かい目で見つめる継母に興奮を抑えられないマリアンヌは、
「だってだって、父様にようやく会えるのですもの!!」
小さい頃から長子としてしっかり自覚を持つように育てられたマリアンヌは母が亡くなった時も、王都へ自分で出向くと決めた時も弟や周りを心配させないように振る舞った。
しかし、父にだけは子供として甘えることができたマリアンヌ。
しばらく会わないうちに再度父は戦場へとむかい、すれ違うように妊婦の自分が帰郷した。
本当は不安な気持ちを、いろいろなことを、父に聞いてほしいことはたくさんあったのだ。
走って継母や異母妹たちの所までやってきたが、さすがに小さい妹たちの前でスカートを翻し大股走行は控えるべきだと思ったマリアンヌである。
「マイ、アミ、とう様のところまでねえ様と手を繋ぎましょう」
走り出したくなる衝動を妹たちでなんとか抑えようと2人の手を取った。妹たちも嬉しそうに姉の両手にぶら下がり父親の元へ急足で向かう。
こちらに気づきながらも、周りに一つづつ指示を出していく父を人垣のこちらからアザミや妹たち、屋敷のみなと今か今かと待ち侘びていた。
「またせたね。ただいま、みんな」
緊張感が顔から薄れにこりと笑顔で微笑む父の姿は、控えめに言ってボロボロである。
飛びつきそうになる娘たちを静止したのは横に立つ父の腹心ウルドだった。
「姫さんたち、カルド様汚いんで近づかないでください」
にょきりといった風に父の前に大きな腕を伸ばし飛び付かんばかりの女子3名を立ち止まらせる。
「気にしないわよ、早くとうさまにハグしたいのよ!」
むぅ、っと口をとがらし一番子供のような振る舞いをする長女に父も困りながらも笑顔だ。
「マリー、本当に汚いんだよ。最後の3日間は仮眠以外は駆け続けたからね。妊婦のお前に変な病気がうつるといけない」
南方とこちらでは罹る風土病も異なるため、と考え旅装を解くときは外の水浴び場で綺麗にしてから中でさらに湯浴みをするほど衛生管理は徹底している父である。
常日頃から土まみれで農作業も平気なマリアンヌは汚れ自体には気にも留めないが父の気遣いは昔から家族を想うためのものであることは理解している。
「もう、わかりました。父様はやくお着替えくださいね」
「わかったわかった、そう急かすな。アザミ、留守の間大変だったろうによくやってくれたな。ありがとう」
娘たちの奥でこちらの様子を微笑みながら見ていた妻に声をかけるが妻は軽く手を振るだけだった。
しかし彼女の瞳には薄く光る膜が覆われていた。
身綺麗にしたカルドが皆の待つ居間の扉を開けると小さい娘たちと大きい身重の娘が飛びついてくる。
「「「おかえりなさい、とうさま」」」
一番小さい娘を腕に抱き上げ、その上の娘と手を繋ぎ居間の中央に進むと一番上の娘がむくれながらついてくる。
「もう、私ももっと父様にハグしたいわ」
可愛い妹たちに近場を占領され大きな娘がぶつぶつ言っている。
「ねえさまはもう大人だからだっこできないんだよ」
小さな妹に諭されている長女はしゅんとしている。
可愛い娘たちに囲まれつい先程まで張り詰めていた心がゆるゆるとほぐされていくのが心地よい。
「みんな元気ですごしていたようだな、何よりだ」
子供たちに纏わりつかれながら妻の元へ向かう。
「カルド様、新しい家族の顔を見てやってください」
少し大きめのゆりかごに2人並んでスヤスヤと眠る娘たちの顔を覗く。
「双子だけあって全く同じ顔をしているなぁ」
じっくり見つめるがどちらがどちらか判別できるかわからないほど同じ姿の娘たち。
「あのね、おめめのしたに小さなおほしさまがあるのがリナだよ、こっちがミナ」
腕の中の娘が手を伸ばしてゆりかごのなかの妹の目元を指さすとそこにはたしかに小さなほくろがある。
「なるほどな、これで間違えなくてすみそうだ。ありがとうアミ」
そういってやると得意げに微笑み首の周りにだきついてくる。
「ミナはリナよりたくさんお乳を飲むので母さまの代わりに私がミルクをあげることもあります」
マイもアミに続き双子の妹たちの面倒もよく見ているようだ。
「アザミ、良い子たちを産んでくれた。ありがとう」
カルドがアザミに頭を下げるととんでもないことですとこちらも頭を下げる。
夫婦になってかなり時間も経っているがどうしても元々の主従の関係は今も簡単には取り払えないのだ。
「父様、落ち着いて時間の都合がよければお話しがあるのですが」
無意識であろう、腹に手を当てながら父に伺いを立てる長女は少し緊張の面持ちである。
先程までの様子とはことなり少し強張りを感じさせる。
「では夕食後に、執務室で」
マリアンヌの顔をしっかり見て微笑んでやれば、少し緊張が緩んだように見えた。
「父様、マリアンヌです」
執務室の扉をノックし応えをまつ。少しして父の言葉に扉を開ける。
「さぁそこに腰掛けて、温かい茶を淹れようか?」
父は貴族であり男性であっても、自ら茶を淹れる。
先進的な考えの王都の研究所でもなかなかそういう男性はいなかった。
そんな父の姿をみながらソファに腰掛けると、かつて自分のためにいそいそと茶を淹れてくれた人のことを思い出す。
「腹の子が動くのか?」
マリアンヌが腹を撫でている姿を見て父が声をかけてきた。
「いえ、でも先日ようやく動いて皆で大騒ぎをしました」
先日お腹の中でぽこりと動く動きに感動をし周りに伝えると、その動きを感じたい人の列がマリアンヌの前にできた。
すでに母親となっている使用人や継母たちはあの腹の大きさではまだ外から動きはわからないだろうなどとおもいつつも楽しそうな雰囲気に水をさすことを言わず見守っていた。
「そうか、順調に育っているようで何よりだ」
茶器の乗ったトレーを手にしマリアンヌの向かいに父が腰掛ける。
「・・・父様、大変な時に心配事を作ってしまってごめんなさい」
目の前の父の眉間に僅かに皺がよっているのを見てマリアンヌは先ずは父に詫び、そして続けた。
「でも父様、私はこの子を産みこの土地で一緒に暮らしていきたいと思います。ですから、養子に出せとはおっしゃらないでください」
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「養子の件は、わかった。アザミからもお前の様子を聞いていてその線はないとは思っていた。それでお前はどうしたいんだ」
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「これは、わたしとユリスの考えなのだけど。私が後継になることはできないでしょうか?」
「はっ、ごほっ、ごほっ、何っ!?」
飲み込もうとしていた茶に咽せて苦しそうにする父の隣に移動しその背をなでた。
「父様、大丈夫?」
娘に差し出されたハンカチを貰い、口の周りを抑える。
「お前、いまなんと言った?」
「私が後継になります、と」
開いた口も目も塞がらない状態でマリアンヌを見るが、至って真面目でふざけている様子はない。常識はずれではあるが、法的に今の世では問題のない解決策である。しかし、やはり常識的ではない。
「それをユリスも同意しているというのか?」
「はい、元はユリスからの提案です」
閉じていた口が再度開く、数秒して気を取り戻し再度マリアンヌに問うた。
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「はい。とはいいましてもまだ私も若くこれから学ばなくてはいけないことも多いです。しばらくは父様に頑張っていただくことになりますが」
一番大切なことを伝え、少し緊張がほぐれたのかイタズラな表情でこちらを見つめる娘が隣から手を握ってきた。
大きくなったとはいえまだまだ幼ささえ感じられる姿形と小さな手を見ているとどうしたものかと考えるのが親心だ。
「お前は優秀だ、能力的にどうのこうの言うものはいないだろう。しかし、その腹の子の出自を明らかにしなければさらに先の後継のことなどでうるさく言ってくるものはいるだろう、どうする気だ」
腹の子の情報は分かっているつもりだが、あえてそこを本人がどう考えているかを明らかにしなければいけないのだ。
「それはしばらく公にはしません。後継にこの子をするかどうかも今はきめることはしません。この子の将来のことを今私がきめたくはありません。血筋としては問題のない子であることは時期が来たらアザレア伯母様におねがいして証明してもらいます」
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「やはり、腹の子は彼の方の子か?」
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優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
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登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
次期騎士団長の秘密を知ってしまったら、迫られ捕まってしまいました
Karamimi
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