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魔術師団研究員リズベス嬢の本心
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夜の帳が下りて、解放庭園は薄明かりに照らされた幻想的な佇まいを見せている。吹き付ける風は冷たいが、高揚した気分を鎮めるには丁度いい。
寝る間も惜しんで勤しんだ身体強化魔術の調整は、同僚のデリックの協力でほぼ完成を見たと言って良いだろう。もう何度かデータ計測をする必要はあるが、そこで実用に耐えうると証明されれば、リズベスがずっと取り組んできた課題が一つ終わることになる。
実に3年の長きにわたって、リズベスが主な研究分野としていたのがこの魔術だ。魔術を扱う側から、研究する側へと転身するきっかけと言ってもいい。
これを選んでしまったのも、結局は――。
リズベスは、はあ、と白い息を吐いた。夜の闇に、白い息がほどけて消える。見送った先に、冷たい空気に凛とした月の光と星の瞬きが見える。
(結局何にも諦められていないのよ)
魔術の素養が認められた13の時も、研究に携わるようになった16の時も、そして今も。
両親の反対を押し切ってまで進んだ道だ。その先に、誰の姿を思い描いていたかなんて明らかすぎて涙が出る。
それでも、研究に没頭している間は、それを忘れていられた。自分の気持ちに蓋をするのなんて、とても簡単なことだと思っていた。事実、彼が密かに想う相手がいるのなら協力しようとまで思ったではないか。
(だけど、それも茶番だわ)
結局のところ、そんなことでさえ繋がりが欲しかっただけなのだ。
ふう、とこぼれる息が、白く儚く消えていく。こんな風に、この気持ちも消えてしまえば楽なのに。
それもこれも、全てヒューバートが悪いのだ。
こんな時期になって、急に再会してしまった兄の親友――幼馴染で、初恋の、今でも好きな人。
些細な悪戯心が、今になってこんなに苦しいとは思わなかった。あの眼で、誰かほかの人を見つめるのだと思うと、心が引き裂かれそうなほどつらい。
自分に触れたように、誰かを抱きしめたり、肌に触れたりするのだと思うだけで、本当はものすごく嫌な気持ちになる。
けれど、言い出したのは自分だと思うと、やめることもできない。――いや、素直になろう。
それでも、ヒューバートに触れられることは、リズベスにとって喜びだった。
抱きしめられた腕も、囁き声も、髪に触れた指先も、耳朶を撫でる手も、全て自分のものだと錯覚できた時間は、リズベスにとって何にも代えがたいものだった。
ヒューバートにとって、リズベスがどんな存在であるか。それをリズベスはよく知っている。
親友の妹で、いつも厄介事を抱えてくる小さな女の子。
リズベスがどんな無茶を言っても、ヒューバートは笑ってそれに付き合ってくれた。
今もそうだ。恋愛小説で女心を理解する、なんて馬鹿な考えを、否定もせずに付き合ってくれている。
昔からそうだった。リズベスが納得するまで、きちんと付き合ってくれたのはヒューバートだけだった。
一番年の近い三番目の兄でさえ、リズベスの言うことを一刀のもとに切り捨てても、ヒューバートだけはいつも笑って「いいよ」と言ってくれたのだ。
そうやって、ヒューバートはリズベスの尊敬と、信頼――そして、心までもを持っていってしまった。
「聖騎士団副団長ヒューバート・ラトクリフには、密かに想う相手がいるらしい」
それは、王宮内では実は有名な噂話だった。おそらく、本人でさえ知っているのではないかと思うほど。
本人が否定しないことが、この噂話に信憑性を与えている、というのが今では通説になっているほどだ。だから、リズベスは王宮図書館でヒューバートと再会した時「やっぱり」と思った。あの噂は本当で、いよいよ彼は本腰を入れてその幸せな女性に近づくつもりなのだ、と。
だから、その日までは。どうかもう少しだけ、幸せな夢に浸らせてほしい。
はあ、とため息がこぼれる。ずっと没頭してきた研究が、いよいよ集大成を迎えるにあたって、どうも気が緩んでしまったようだ。情けなさと切なさに涙がにじむ。
どうか最後まで、誰も私の強がりに気付きませんように。リズベスは、祈るように星空を見つめて、しばらくの間そこから動かなかった。
♢
「休暇、ですか?」
朝早くに部屋を訪れたロブに、急に3日間の休暇を言い渡されてリズベスは訝った。確かに研究の方はひと段落ついたと言って良い。聖騎士団も、週末は基本的に休みだ。自主的に鍛錬をするものは多いが、居場所さえ明らかならば行動に制限はない。呼び出されれば任務に就くし、そうでなければ休みを満喫できるというわけだ。休暇となれば、さらに自由度は上がり、遠方へ出かけることも不可能ではない。平和なご時世だからこそ許される制度ではある。
次のデータ計測は週明け早々からの再開になるだろうとは予測していた。それでも突然休暇を取らせるような理由に、リズベスは心当たりがなかった。
「ほら、例の任務あるじゃない?どうも近日中に動きがありそうだってことで――必要になるから、ドレスとか」
「ああ、なるほど……」
アデリンの言葉に、リズベスは素直に納得した。
なるほど、仮面舞踏会だというからには、ダンスが必須、ドレスも必須というわけで、あるものを最大限活用しようというのがリズベスを任務に就かせる最大の理由だったのだ。研究分野からもわかることだが、リズベスが得意とするのは補助系魔術である。なるほど、あるものを活用する。いい姿勢である。
「了解しました」
自室のクローゼットの中身を思い出しながら、リズベスはそう短く返事をするとアデリンに向き直った。
「アデリンは、用意は?」
自分が休暇だというなら、アデリンだって同じく休暇だろう。だというのに、今日も彼女は制服を身につけている。
「あー、その、私の分は……ロブ隊長が用立ててくださる、と」
「ん、まあ、幸い妹のがあるしな」
どことなく歯切れの悪い二人にリズベスは首を捻った。しかしまあ、帰宅するならそれなりの用意がある。まずは、屋敷へ使いを出して馬車を寄越してもらわなければ。
ちょうど一区切りついて、気が抜けていたところでもあるし、三日も休暇が貰えるというのならゆっくり休んでくるのも悪くない。
それに、今はヒューバートに会いたくなかった。少し自分の気持ちを整理しないと、とてもではないが今の状態では顔を合わせられない。
用事がなければ顔を見ることもないような距離ではあるが、それでも同じ敷地内にいると思えば意識してしまう。
ロブとアデリンに挨拶をすると、リズベスは用意のため侍女を呼び出した。屋敷へ使いを出してもらい、軽く手荷物をまとめる。
ドレスの着付けを手伝ってもらい、髪を整えて貰ったところで、部屋の扉を叩く音がした。
「リズ、まだいるかい?」
「アーヴィン兄さま?」
扉を開けて入ってきたのは、紛れもなくアーヴィンだった。騎士団の制服ではなく、珍しく私服を着ている。待機任務中だと聞いていたが、良いのだろうか。
その疑問が顔に出ていたのか、アーヴィンは笑ってリズベスの疑問を解消してくれた。
「ぼくも休暇なんだ、ちょうど良いから一緒に帰ろうかと思ってね」
「珍しいこともあるものですね」
示し合わせたわけでもなく、休暇が被ることは本当に珍しい。リズベスはそれでも、ただの偶然くらいにしか思っていなかった。
急に告げられたリズベスの休暇を、兄が知っていたことを、その時のリズベスは特に不審にも思わなかったのだ。
寝る間も惜しんで勤しんだ身体強化魔術の調整は、同僚のデリックの協力でほぼ完成を見たと言って良いだろう。もう何度かデータ計測をする必要はあるが、そこで実用に耐えうると証明されれば、リズベスがずっと取り組んできた課題が一つ終わることになる。
実に3年の長きにわたって、リズベスが主な研究分野としていたのがこの魔術だ。魔術を扱う側から、研究する側へと転身するきっかけと言ってもいい。
これを選んでしまったのも、結局は――。
リズベスは、はあ、と白い息を吐いた。夜の闇に、白い息がほどけて消える。見送った先に、冷たい空気に凛とした月の光と星の瞬きが見える。
(結局何にも諦められていないのよ)
魔術の素養が認められた13の時も、研究に携わるようになった16の時も、そして今も。
両親の反対を押し切ってまで進んだ道だ。その先に、誰の姿を思い描いていたかなんて明らかすぎて涙が出る。
それでも、研究に没頭している間は、それを忘れていられた。自分の気持ちに蓋をするのなんて、とても簡単なことだと思っていた。事実、彼が密かに想う相手がいるのなら協力しようとまで思ったではないか。
(だけど、それも茶番だわ)
結局のところ、そんなことでさえ繋がりが欲しかっただけなのだ。
ふう、とこぼれる息が、白く儚く消えていく。こんな風に、この気持ちも消えてしまえば楽なのに。
それもこれも、全てヒューバートが悪いのだ。
こんな時期になって、急に再会してしまった兄の親友――幼馴染で、初恋の、今でも好きな人。
些細な悪戯心が、今になってこんなに苦しいとは思わなかった。あの眼で、誰かほかの人を見つめるのだと思うと、心が引き裂かれそうなほどつらい。
自分に触れたように、誰かを抱きしめたり、肌に触れたりするのだと思うだけで、本当はものすごく嫌な気持ちになる。
けれど、言い出したのは自分だと思うと、やめることもできない。――いや、素直になろう。
それでも、ヒューバートに触れられることは、リズベスにとって喜びだった。
抱きしめられた腕も、囁き声も、髪に触れた指先も、耳朶を撫でる手も、全て自分のものだと錯覚できた時間は、リズベスにとって何にも代えがたいものだった。
ヒューバートにとって、リズベスがどんな存在であるか。それをリズベスはよく知っている。
親友の妹で、いつも厄介事を抱えてくる小さな女の子。
リズベスがどんな無茶を言っても、ヒューバートは笑ってそれに付き合ってくれた。
今もそうだ。恋愛小説で女心を理解する、なんて馬鹿な考えを、否定もせずに付き合ってくれている。
昔からそうだった。リズベスが納得するまで、きちんと付き合ってくれたのはヒューバートだけだった。
一番年の近い三番目の兄でさえ、リズベスの言うことを一刀のもとに切り捨てても、ヒューバートだけはいつも笑って「いいよ」と言ってくれたのだ。
そうやって、ヒューバートはリズベスの尊敬と、信頼――そして、心までもを持っていってしまった。
「聖騎士団副団長ヒューバート・ラトクリフには、密かに想う相手がいるらしい」
それは、王宮内では実は有名な噂話だった。おそらく、本人でさえ知っているのではないかと思うほど。
本人が否定しないことが、この噂話に信憑性を与えている、というのが今では通説になっているほどだ。だから、リズベスは王宮図書館でヒューバートと再会した時「やっぱり」と思った。あの噂は本当で、いよいよ彼は本腰を入れてその幸せな女性に近づくつもりなのだ、と。
だから、その日までは。どうかもう少しだけ、幸せな夢に浸らせてほしい。
はあ、とため息がこぼれる。ずっと没頭してきた研究が、いよいよ集大成を迎えるにあたって、どうも気が緩んでしまったようだ。情けなさと切なさに涙がにじむ。
どうか最後まで、誰も私の強がりに気付きませんように。リズベスは、祈るように星空を見つめて、しばらくの間そこから動かなかった。
♢
「休暇、ですか?」
朝早くに部屋を訪れたロブに、急に3日間の休暇を言い渡されてリズベスは訝った。確かに研究の方はひと段落ついたと言って良い。聖騎士団も、週末は基本的に休みだ。自主的に鍛錬をするものは多いが、居場所さえ明らかならば行動に制限はない。呼び出されれば任務に就くし、そうでなければ休みを満喫できるというわけだ。休暇となれば、さらに自由度は上がり、遠方へ出かけることも不可能ではない。平和なご時世だからこそ許される制度ではある。
次のデータ計測は週明け早々からの再開になるだろうとは予測していた。それでも突然休暇を取らせるような理由に、リズベスは心当たりがなかった。
「ほら、例の任務あるじゃない?どうも近日中に動きがありそうだってことで――必要になるから、ドレスとか」
「ああ、なるほど……」
アデリンの言葉に、リズベスは素直に納得した。
なるほど、仮面舞踏会だというからには、ダンスが必須、ドレスも必須というわけで、あるものを最大限活用しようというのがリズベスを任務に就かせる最大の理由だったのだ。研究分野からもわかることだが、リズベスが得意とするのは補助系魔術である。なるほど、あるものを活用する。いい姿勢である。
「了解しました」
自室のクローゼットの中身を思い出しながら、リズベスはそう短く返事をするとアデリンに向き直った。
「アデリンは、用意は?」
自分が休暇だというなら、アデリンだって同じく休暇だろう。だというのに、今日も彼女は制服を身につけている。
「あー、その、私の分は……ロブ隊長が用立ててくださる、と」
「ん、まあ、幸い妹のがあるしな」
どことなく歯切れの悪い二人にリズベスは首を捻った。しかしまあ、帰宅するならそれなりの用意がある。まずは、屋敷へ使いを出して馬車を寄越してもらわなければ。
ちょうど一区切りついて、気が抜けていたところでもあるし、三日も休暇が貰えるというのならゆっくり休んでくるのも悪くない。
それに、今はヒューバートに会いたくなかった。少し自分の気持ちを整理しないと、とてもではないが今の状態では顔を合わせられない。
用事がなければ顔を見ることもないような距離ではあるが、それでも同じ敷地内にいると思えば意識してしまう。
ロブとアデリンに挨拶をすると、リズベスは用意のため侍女を呼び出した。屋敷へ使いを出してもらい、軽く手荷物をまとめる。
ドレスの着付けを手伝ってもらい、髪を整えて貰ったところで、部屋の扉を叩く音がした。
「リズ、まだいるかい?」
「アーヴィン兄さま?」
扉を開けて入ってきたのは、紛れもなくアーヴィンだった。騎士団の制服ではなく、珍しく私服を着ている。待機任務中だと聞いていたが、良いのだろうか。
その疑問が顔に出ていたのか、アーヴィンは笑ってリズベスの疑問を解消してくれた。
「ぼくも休暇なんだ、ちょうど良いから一緒に帰ろうかと思ってね」
「珍しいこともあるものですね」
示し合わせたわけでもなく、休暇が被ることは本当に珍しい。リズベスはそれでも、ただの偶然くらいにしか思っていなかった。
急に告げられたリズベスの休暇を、兄が知っていたことを、その時のリズベスは特に不審にも思わなかったのだ。
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