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魔術師団研究員リズベス嬢の失敗
しおりを挟むヒューバートに渡した小さなイヤリングは、実を言えばリズベスのお手製である。
できるだけ純度の高い石に極限まで小さくした陣を組み込んで、少し離れた相手の声が聞こえるようにしたものだ。
これを作った最初の動機はさておき、ヒューバートの役に立てた様子なのはリズベスの胸を高揚させた。
ここまで、彼の足を引っ張ってばかりなのだ。少しでも挽回したい、というのが正直なところである。
「どうです……?」
逸る気持ちをなんとか抑え、小声でヒューバートに問いかける。すると、小さな頷きが返ってきた。
「ありがとう。……間違いないな」
「では、やはり……?」
「ああ……悪いがこれ、もう少し貸しておいてもらえるか?」
「それはかまいませんが……」
ひそひそと耳元に囁かれる言葉は色気の欠片もないものだが、リズベスの身体はぞくりと震えてしまう。まるであの日のような、先程までのような……とふと考えて、リズベスは首をひねった。
先程、とはなんだろう。確かにこれまでも小声で会話をしていたが、これほどまで耳元に近づいたことはなかったはずだ。
(でも……私、確かに……?)
リズベスの戸惑いをよそに、ヒューバートはもう一度奥の会話を聞くことに集中し始めたようだ。真剣な表情に一瞬見とれて、小さく首を振る。
余計なことなど考えている場合ではないのだ。
例えば――この状況が、まるであの本に出てきた二人のようだ、など。
意識してしまうと、どうにもむずがゆい。
できるだけ思い出さないようにしていたけれど、耳元にヒューバートのあの日の言葉が蘇ってしまう。どくん、と心臓が跳ねて、リズベスは小さく息を吸い込んだ。
顔が熱くなるのが自分でもわかる。きっと真っ赤に染まっているだろう頬に手を当てて、なんとか気を静めようとした。が、わずかに身体を動かしたヒューバートから嗅いだことのある匂いがして、リズベスは更に動悸が激しくなる。
思わずぱっとヒューバートから距離を取ろうとして――
「あっ」
リズベスは、自らのドレスの裾を踏んづける、という貴族の令嬢にあるまじき失態をやらかしたのであった。
がたん、と大きな音がホールに響く。ヒューバートがとっさに腕を掴んでくれたおかげで倒れこそしなかったが、そばに置いてあった椅子を掴み損ねて倒してしまったのだ。
当然のことながら、周囲を警戒するように立っていた男がそれに気付かぬはずもない。訝しむような表情でこちらへと向かってくるのが、リズベスの目に映る。
最初から大声で騒ぎ立てたりされなかったのは幸運である。恐らくは、ホールの中にまだいくらか人影があるからであろう。薄暗くなっていたために気付くのが遅れたが、何組かの男女が外の騒ぎさえ気にも留めず肩を寄せ合っている。
「くそ……悪い、リズ」
正直なところうらやましい、などと瞬間的に現実逃避したリズベスの身体が、その言葉とともにぐいと引き寄せられた。もう一方の腕が腰にまわされてしっかりと抱きしめられる。
反射的にしがみついてから、相手がヒューバートだということを思い出して、リズベスは大声を上げそうになった。が、厚い胸板にしっかりと顔を押し付けられていたせいでくぐもった小声が漏れただけで済む。
ヒューバートの顔が、リズベスの頭に擦り付けられる。折角まとめた髪が緩んだところに手を差し入れられて、少し強引に解かれた。
「……失礼」
恐らくは、先程の厳つい男のものだろう声がかけられて、一瞬びくりとする。想定していたよりもずっと遠慮がちに聞こえるのは、ヒューバートがしきりにリズベスの髪をもてあそんで、一切そちらに興味のない態度を取っているからだろう。
とっさのことだというのに、大したものだ。触られる髪の感触と、そこに顔を半ばうずめたヒューバートの息がかかる感触に、リズベスの頭は半ば混乱状態にあると言うのに。
(こういうの……読んだことある!)
そんな場合でもないというのに、リズベスの頭の中を過ったのは、追手から逃れるために恋人同士のふりをする、という本のワンシーンだった。
「――何かな?」
やけに落ち着き払ったヒューバートの声がして、はっと我に返る。その響きに、相手は一瞬怯んだようだった。が、それだけで引き下がることもできないのだろう。ひとつ咳ばらいをして、男は続けた。
「なにやら大きな物音がしましたもので……何か不都合でもございましたかな?」
「いいや?ただちょっと――」
そこで言葉を切ったヒューバートが、何かに気付いた様に顔を上げる。
「……ああもう、これだから……っ!」
今まで抱きしめられていた身体が、急に解放されてリズベスには何が起きたのかよくわからない。が、何かが起きたのだ、ということだけは理解できた。
「……お前っ!?」
驚く男にヒューバートが素早く迫る。繰り出したこぶしが鳩尾に決まって、ぐっと短い呻き声があがった。しかし、昏倒するまでには至らなかったようだ。
態勢を立て直そうとする男に、ヒューバートが容赦なく次の一撃を叩きこむ。
周囲の椅子を巻き込んで倒れた男に、さすがにホールに残っていた男女も何事かとざわめきだした。しかし、それを気にする余裕もなく、リズベスはヒューバートに手を引かれて小走りに進む。
「おい、バート!遊んでないでお前も手伝え!」
「遊んでいるとは失敬な」
ひょいと顔を出した金髪に、ヒューバートがしかめっ面を作った。対してランバートは、妙ににやにやとした笑みを浮かべている。
「余計な騒ぎを起こすなと言っていただろう!」
「余計な騒ぎは起こしてないよ。必要な騒ぎなら起こしておいたけど」
「それが余計だって言ってるんだよ!ああ、もう……!今日は様子見だと言っただろ!?」
「うーん、そこはほら……臨機応変、ってことで」
そう言っている間にも、二人の足は止まらない。半ば引きずられるような形で、リズベスもその後に続く。どうやら、ランバートが何かしでかしたらしいことだけはリズベスにも理解できた。
二人の言い争いもあったが――バタバタと足音が自分達を追いかけてきているせいで。
「ラ……あ、バートさま、これは……」
「あーごめんね、大丈夫?ついてこられそう?なんならヒュー、お前抱き上げて連れてってあげる?一人くらい余裕でしょ……あ、こらやめろ、さすがに今は」
「余計な話はいい!ここまでやっておいて手ぶらではもどれないだろう、おい、どっちだ?」
ぶん、とこぶしが空を切る。首をすくめてその一撃を躱したランバートが、左の、さらに奥へと続く廊下を指さした。
「こっち」
「判った。リズ――悪いがもう少し頑張ってくれ」
「え、あ、はい」
正直なところ、リズベスには何が起きているのかさっぱりわからない。だが、この場はヒューバートの指示に従うのが最善だろう。
それにしても。
(私、全くお役に立てていない……)
それどころか、今のリズベスは完全なお荷物だ。アデリンはしっかりやっているというのに――と友人の姿を思い出す。
情けない気分になりながら、リズベスはせめてこれ以上足手まといになるまいと、二人の後を追う足に力を込めた。
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