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自然現象の微調整
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小屋の中は埃っぽく、壁の隅には蜘蛛の巣が幾重にも張られていた。
だが、雨露を凌げる屋根があり、地面よりはマシな床があるだけで、今の貴一にとっては天国に等しかった。
朽ちかけた木製の椅子に腰を下ろし、深くため息をつく。
先程までの激闘が嘘のように、室内は静寂に包まれている。
外からは梟の低い鳴き声と、木々の葉が擦れる音だけが微かに聞こえてくる。
(助かった……)
そう安堵した途端、疲労がどっと押し寄せた。
手にはまだ、ゴブリンを殴りつけた時の生々しい感触が残っている。
革手袋越しとはいえ、それはあまりに新鮮で、人間としての倫理観を揺さぶるものだった。
(これからどうする……?)
この小屋がいつ、誰によって建てられたものなのか。そもそも自分はなぜこんな場所に飛ばされてきたのか。
疑問は尽きないが、最も差し迫った問題は
「明日への準備」
だった。
「水が欲しいな……」
喉がカラカラに乾いている。
コンビニ弁当が入っていたビニール袋はどこかに行ってしまった。
あたりを見回すと、部屋の片隅に使い古された陶器のコップが一つ置いてあった。
しかし中は当然、空っぽだ。
「せめて飲み水さえあれば……」
ぼんやりとコップを見つめながら、そう呟いた。
その瞬間だった。
コップの底から、ふいに透明な液体が湧き上がった。
まるで泉が湧き出すように、静かに、しかし着実に水面が上がってゆく。
瞬く間にコップは一杯になり、なおも水は増え続けた。溢れて零れる寸前のところで、ぴたりと止まった。
「なっ……!?」
言葉を失った。
ゴクリと唾を飲むと、慌てて立ち上がり、コップを手に取る。
見た目も、香りも、触れた指先に伝わる温度も、間違いなくただの水だった。
毒物検査なんて出来るわけがないが、理性よりも本能が
「これは飲める」
と訴えかけていた。
恐る恐る口をつける。ひんやりとした清涼感が喉を潤していく。
数時間ぶりの水分は、疲れ切った体に染み渡るように甘美だった。
(おいおい……マジかよ……)
現実離れした出来事が、再び目の前で起きた。
ゴブリンを倒した時に感じた、あの
「身体が勝手に動く」
感覚とも違う。
もっとシンプルで、純粋な力。願望の具現化。
ふと、部屋の中央にある暖炉に視線を移す。
煤で真っ黒になった炉床には、まだ使えそうな薪がいくつか残されていた。
火が欲しい。暖を取りたい。暗いのも怖い。
そんな漠然とした欲求が、頭の中に浮かんだ。
すると、信じられないことが起きた。
暖炉の中の薪に、ふっと青白い炎が灯ったのだ。
薪自身が燃え始めているわけではない。薪の周りだけに、蛍のように淡い光の粒が集まり、それが緩やかに渦を巻き、熱を放ち始めた。
「うわっ!」
思わず身を引く。
炎は大きくなりすぎることもなく、小さく縮こまるでもなく、一定の大きさで安定している。まるで、貴一の心の奥にある
「ちょうど良い暖かさ」
を感知しているかのようだった。
その青白い光が室内を優しく照らしたことで、貴一はようやく一つの事実に気づいた。
部屋の天井付近に、いつの間にか丸い光の玉が浮かんでいる。
それは太陽の光のように眩しくもなく、ランタンのように不安定でもない。ただ静かに、それでいて確実に部屋全体を満遍なく照らしていた。
暖炉の柔らかな温もりと、天井の心強い照明。そして掌の中の一杯の清水。
全ては、貴一が数秒前まで望んでいたものそのものだった。
「これが……俺の魔法なのか……?」
呟きが虚空に吸い込まれる。
自分で言っておきながら、あまりに荒唐無稽すぎて笑いさえ込み上げてきそうだ。
しかし、この非現実的な光景こそが、何よりも雄弁に答えを物語っていた。
あの神託の言葉。
『汝に……それなりのチートスキルを授けた』
その言葉の意味が、ようやく具体的な形となって目の前に現れた。
だが、喜びや興奮よりも先に、貴一の胸に去来したのは言い知れぬ
「不安」
だった。
これほど都合良く願いが叶う力。それは便利であると同時に、あまりにも危うすぎる。
もし自分が感情の起伏に任せて力を暴走させてしまったら?
あるいは、この力を使うことでこの世界の何らかの
「バランス」
を崩してしまうとしたら?
(俺は……どうやってこれを制御すればいいんだ……?)
暖炉の炎を見つめながら、貴一は必死に思考を巡らせた。
コップの水を再現できるか?
暖炉の火を大きくしたり小さくしたり、止めたりすることはできるか?
この部屋全体を明るくしたり暗くしたりできるのか?
様々な問いかけを繰り返すうち、いくつかの法則がぼんやりと浮かび上がってきた。
まず、明確なイメージが必要なこと。ふわっとした願望だけでは何も起きない。
次に、ある程度の集中と意志力が必要であること。ただぼーっとしていても反応しない。
そして、何より重要なのは、
「対象」
が物理的に存在しなければならないということだ。
例えば、
「空からパンが降ってこい!」
と念じても、空にはパンがないので不可能なのだ。せいぜい、すでにそこにある食べ物が出現するくらいだろう。
あるいは、見えないけれどそこに
「在る」
と認識できるもの。例えば、水道の蛇口や電気スイッチのような
「エネルギーの供給源」
がイメージできれば可能なのかもしれない。
そう考えると、このスキルは決して無限大に何でもできる万能の力ではない。
与えられた条件の中で、最適な形に現象を
「調整」
し、
「創造」
する力。言うなれば、
「自然現象の微調整者」
とでも呼ぶべきか。
「それなりのチートスキル」
とは、まさにこういうことなのかもしれない。
強大な破壊力を持つ攻撃魔法でも、時間を自在に操る神の力でもない。
ただ、
「あるものを、少し良い形に変える」
ことしかできない。
その
「少し」
がどれほどの幅を持つのかはまだ未知数だが、少なくとも今の貴一にとって、それは大きな希望であり、同時に限りない謎でもあった。
暖炉の火で服を乾かしながら、貴一は今日一日を振り返る。
会社の昼休みから一転、見知らぬ草原に放り出され、ゴブリンと死闘を演じ、今こうして暖かい部屋で休息している。あまりにも濃密すぎる一日だった。
(あの女神か何か知らないけど……とんでもないプレゼントをくれたもんだ)
感謝すべきか呆れるべきか分からない。いや、きっとその両方だろう。
とにかく、生き延びることはできた。それだけで十分だ。
「さてと……明日はもう少し、この森を探ってみるか」
独り言のように呟きながら、貴一はゆっくりと瞼を閉じた。
意識が深い闇に沈んでいく中で、最後に思ったのは。
(でも……本当に
『それなり』
なのか、これ?)
という素朴な疑問だった。
それはまるで、底なし沼に一歩足を踏み入れた子供が、
「ここって、本当に浅い沼なの?」
と不安げに呟くような、そんな微かな予兆だったのかもしれない。
だが、雨露を凌げる屋根があり、地面よりはマシな床があるだけで、今の貴一にとっては天国に等しかった。
朽ちかけた木製の椅子に腰を下ろし、深くため息をつく。
先程までの激闘が嘘のように、室内は静寂に包まれている。
外からは梟の低い鳴き声と、木々の葉が擦れる音だけが微かに聞こえてくる。
(助かった……)
そう安堵した途端、疲労がどっと押し寄せた。
手にはまだ、ゴブリンを殴りつけた時の生々しい感触が残っている。
革手袋越しとはいえ、それはあまりに新鮮で、人間としての倫理観を揺さぶるものだった。
(これからどうする……?)
この小屋がいつ、誰によって建てられたものなのか。そもそも自分はなぜこんな場所に飛ばされてきたのか。
疑問は尽きないが、最も差し迫った問題は
「明日への準備」
だった。
「水が欲しいな……」
喉がカラカラに乾いている。
コンビニ弁当が入っていたビニール袋はどこかに行ってしまった。
あたりを見回すと、部屋の片隅に使い古された陶器のコップが一つ置いてあった。
しかし中は当然、空っぽだ。
「せめて飲み水さえあれば……」
ぼんやりとコップを見つめながら、そう呟いた。
その瞬間だった。
コップの底から、ふいに透明な液体が湧き上がった。
まるで泉が湧き出すように、静かに、しかし着実に水面が上がってゆく。
瞬く間にコップは一杯になり、なおも水は増え続けた。溢れて零れる寸前のところで、ぴたりと止まった。
「なっ……!?」
言葉を失った。
ゴクリと唾を飲むと、慌てて立ち上がり、コップを手に取る。
見た目も、香りも、触れた指先に伝わる温度も、間違いなくただの水だった。
毒物検査なんて出来るわけがないが、理性よりも本能が
「これは飲める」
と訴えかけていた。
恐る恐る口をつける。ひんやりとした清涼感が喉を潤していく。
数時間ぶりの水分は、疲れ切った体に染み渡るように甘美だった。
(おいおい……マジかよ……)
現実離れした出来事が、再び目の前で起きた。
ゴブリンを倒した時に感じた、あの
「身体が勝手に動く」
感覚とも違う。
もっとシンプルで、純粋な力。願望の具現化。
ふと、部屋の中央にある暖炉に視線を移す。
煤で真っ黒になった炉床には、まだ使えそうな薪がいくつか残されていた。
火が欲しい。暖を取りたい。暗いのも怖い。
そんな漠然とした欲求が、頭の中に浮かんだ。
すると、信じられないことが起きた。
暖炉の中の薪に、ふっと青白い炎が灯ったのだ。
薪自身が燃え始めているわけではない。薪の周りだけに、蛍のように淡い光の粒が集まり、それが緩やかに渦を巻き、熱を放ち始めた。
「うわっ!」
思わず身を引く。
炎は大きくなりすぎることもなく、小さく縮こまるでもなく、一定の大きさで安定している。まるで、貴一の心の奥にある
「ちょうど良い暖かさ」
を感知しているかのようだった。
その青白い光が室内を優しく照らしたことで、貴一はようやく一つの事実に気づいた。
部屋の天井付近に、いつの間にか丸い光の玉が浮かんでいる。
それは太陽の光のように眩しくもなく、ランタンのように不安定でもない。ただ静かに、それでいて確実に部屋全体を満遍なく照らしていた。
暖炉の柔らかな温もりと、天井の心強い照明。そして掌の中の一杯の清水。
全ては、貴一が数秒前まで望んでいたものそのものだった。
「これが……俺の魔法なのか……?」
呟きが虚空に吸い込まれる。
自分で言っておきながら、あまりに荒唐無稽すぎて笑いさえ込み上げてきそうだ。
しかし、この非現実的な光景こそが、何よりも雄弁に答えを物語っていた。
あの神託の言葉。
『汝に……それなりのチートスキルを授けた』
その言葉の意味が、ようやく具体的な形となって目の前に現れた。
だが、喜びや興奮よりも先に、貴一の胸に去来したのは言い知れぬ
「不安」
だった。
これほど都合良く願いが叶う力。それは便利であると同時に、あまりにも危うすぎる。
もし自分が感情の起伏に任せて力を暴走させてしまったら?
あるいは、この力を使うことでこの世界の何らかの
「バランス」
を崩してしまうとしたら?
(俺は……どうやってこれを制御すればいいんだ……?)
暖炉の炎を見つめながら、貴一は必死に思考を巡らせた。
コップの水を再現できるか?
暖炉の火を大きくしたり小さくしたり、止めたりすることはできるか?
この部屋全体を明るくしたり暗くしたりできるのか?
様々な問いかけを繰り返すうち、いくつかの法則がぼんやりと浮かび上がってきた。
まず、明確なイメージが必要なこと。ふわっとした願望だけでは何も起きない。
次に、ある程度の集中と意志力が必要であること。ただぼーっとしていても反応しない。
そして、何より重要なのは、
「対象」
が物理的に存在しなければならないということだ。
例えば、
「空からパンが降ってこい!」
と念じても、空にはパンがないので不可能なのだ。せいぜい、すでにそこにある食べ物が出現するくらいだろう。
あるいは、見えないけれどそこに
「在る」
と認識できるもの。例えば、水道の蛇口や電気スイッチのような
「エネルギーの供給源」
がイメージできれば可能なのかもしれない。
そう考えると、このスキルは決して無限大に何でもできる万能の力ではない。
与えられた条件の中で、最適な形に現象を
「調整」
し、
「創造」
する力。言うなれば、
「自然現象の微調整者」
とでも呼ぶべきか。
「それなりのチートスキル」
とは、まさにこういうことなのかもしれない。
強大な破壊力を持つ攻撃魔法でも、時間を自在に操る神の力でもない。
ただ、
「あるものを、少し良い形に変える」
ことしかできない。
その
「少し」
がどれほどの幅を持つのかはまだ未知数だが、少なくとも今の貴一にとって、それは大きな希望であり、同時に限りない謎でもあった。
暖炉の火で服を乾かしながら、貴一は今日一日を振り返る。
会社の昼休みから一転、見知らぬ草原に放り出され、ゴブリンと死闘を演じ、今こうして暖かい部屋で休息している。あまりにも濃密すぎる一日だった。
(あの女神か何か知らないけど……とんでもないプレゼントをくれたもんだ)
感謝すべきか呆れるべきか分からない。いや、きっとその両方だろう。
とにかく、生き延びることはできた。それだけで十分だ。
「さてと……明日はもう少し、この森を探ってみるか」
独り言のように呟きながら、貴一はゆっくりと瞼を閉じた。
意識が深い闇に沈んでいく中で、最後に思ったのは。
(でも……本当に
『それなり』
なのか、これ?)
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