暗殺 志士たちの群像

西村重紀

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第二章 大老暗殺

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 薩摩藩の賛同を得られず、関鉄之介は失意のうちに帰郷した。
 年が明けた安政七年(一八六〇)、幕府転覆を企てる過激な水戸藩士たちは、遂に脱藩を決意した。国許を離れ、江戸へと旅立った。
 この頃、水戸藩では先の弾圧で永蟄居となった前藩主の斉昭とその息子で現藩主慶篤との協議の結果、密勅返納論が主流となっていた。それを危惧した反返納論者は、藩境の水戸街道を封鎖してまで抵抗する。長岡屯集という。
 このような事態の中、大老井伊直弼を中心とした幕閣は、江戸城に登城した慶篤に一月二十五日という期限を定め、密勅返納を迫った。もし、これを違えたら水戸藩を改易すると脅したのだ。
 斉昭はこの事態を危惧し、密勅を水戸城内の祖廟の元へ納め、更に歴代藩主の墓が建つ瑞龍山の廟へ移した。
 返納論者と反返納論者の対立はここに極まり、両者は遂に武力衝突する事態に至った。
 水戸藩士斎藤留次郎が水戸城大広間で割腹自殺したあと、長岡屯集は藩重役らの懐柔を受け、解散する。その後、一部の志士たちは、地下に潜り本格的に大老井伊直弼暗殺計画へ移行することになった。
 水戸藩を脱藩した志士たちは、藩の追手と幕吏の目を逃れるため、有村兄弟の協力を得て匿われていた。潜伏先は三田の薩摩藩邸だった。
 水戸藩の尊攘激派の過激分子である高橋多一郎や金子孫二郎や関鉄之介らを、薩摩藩の尊王攘夷派の有村兄弟に結び付けた人物は、安政の大獄によって獄中死した日下部伊三治である。伊三治ははじめ、水戸藩の斉昭に仕え、その後、薩摩藩の斉彬に仕えた。戊午の密勅は下賜された折、木曽路を通ってそれを水戸藩に届けた人物でもある。
「我らは薩摩抜きでも事を起こすつもりでござる」
 鉄之介は信念を口にした。
「おいが薩摩へ戻り、兄さぁに掛け合うて来っ」
 俊斎の直ぐ下の弟雄助が鉄之介に言った。
 すると、末弟の次左衛門が血相を変え、口を挟んだ。
「待ちたもんせ。兄さぁはこん江戸におりたもんせ。おいが薩摩に戻り、俊斎ん兄さぁに掛け合うて来っで」
「次左衛門はこけ残り、水戸ん皆様ん面倒を看れ。薩摩へはこんおいが行っ」
「じゃっどん兄さぁ」
 次左衛門は不安げな眼差しを次兄雄助に向けた。
 雄助はにんまりと笑ってから、その視線を鉄之介に移した。
「そうゆこっでござっ関殿。こん雄助が俊斎ん兄さぁを説得して来っ」
「否、それには及びません。我らだけで決起致しましょう」
 鉄之介は有村兄弟の提案を断り、現在江戸周辺に潜伏する同志だけで事を起こすことを告げた。
「否、待ちたもんせ関さぁ。やっぱいおいが薩摩へ行き、俊斎ん兄さぁを説得してみせっ」
 雄助は刀を手に取って立ち上がると腰に差した。
「兄さぁ」
「次左衛門、水戸ん皆様を頼ん」
「有村殿……」
「心配なか。俊斎ん兄さぁたちを連れて戻って来っ。我が薩摩ん者は強かで、必ずや皆様んお役に立つっち思う」
 雄助は唇を僅かに弛め、鉄之介に微笑み掛けた。
 だが、鉄之介は雄助が薩摩兵を連れて返って来るとは信じていなかった。薩摩で俊斎と別れた折、彼が流した涙が全てを物語っていた。
「お待ち下され有村殿……」
 鉄之介は雄助を引き留めた。
「留め立ては無用でござっ」
「やはり、まずは江戸にいる我らだけで協議致しましょうぞ」
「関さぁは、おいを信じちょらんのか」
「そう言う訳ではござらぬが……」
 雄助はカッと目を見開くと、鉄之介を睨め付けた。
「ではないが気に入らんでござっ」
「ただ……」
 鉄之介は徐に渋面を作り、口を真一文字に閉じた。
 雄助の説得により、数人の薩摩藩士が江戸へ向かうかも知れないが、数千人単位で藩兵を動かすことは不可能に近い。薩摩兵を動かすには少なくとも、藩主茂久とその父久光の許しを得なくていけないからだ。
 前藩主斉彬が存命であれば、あの西郷吉之助が存命であれば、また話は違ったが、もう斉彬も西郷もいない。
 否、西郷吉之助は菊池源吾と名を変え、大島で生きているが、それを他藩の者が知る由もなかった。つまりこの時点で、関鉄之介ら水戸藩の尊王攘夷派の活動家たちにとって、最早西郷は故人と同じだった。
 そして、有村雄助、次左衛門の兄弟も西郷吉之助が生きているということを知らなかった。もしも知っていたならば、少なくともこの場で有村兄弟は西郷吉之助の名を口にしていただろう。
 否、雄助はそれでもこの場で西郷の名を口にしたのである。
「西郷さぁが生きちょられれば」
「……あの人は亡き斉彬公の御側近くに仕え、我ら一橋派を引っ張って下さった。越前の橋本左内殿も長州の吉田寅次郎(松陰)殿もおられぬ。全てはあの憎き姦賊井伊掃部とその腰巾着である長野主膳の所為でござる」
 鉄之介は、安政の大獄によって処刑された志士たちの名を出し涙ぐんだ。
「関さぁ、死んだ方々んためにも生きちょっ我らが気張らんにゃなりもはん」
「然様でござるな有村殿。泣いている場合ではござらぬな」
 涙で赤く染まった目を輝かせ、関鉄之介は改めて覚悟を決めた。
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