暗殺 志士たちの群像

西村重紀

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第二章 大老暗殺

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 四国土佐高知で武市半平太に内々に面会して、共に起つことへの約束を取り付けた関鉄之介は、その足で九州へ渡った。
 九州には薩摩藩の他、筑前福岡藩黒田家や肥後熊本藩細川家などに、水戸藩に近い考え方を持つ藩士が多く存在した。 
 鉄之介はそれらの西国雄藩を渡り歩き、遊説に赴いた。最後に向かった先が九州の最南端に位置する薩摩藩だった。
 薩摩藩は、江戸時代を通じ関所を設け国境を固め、余所者の侵入を拒んでいた。公儀隠密が潜入することを極端に警戒していたのだ。
そのため、鉄之介は簡単には関所を越えることが叶わなかった。それでも何とか伝手を頼りに漸く薩摩藩領内に入ることが出来た。
 薩摩藩の実権を握っていた斉興は、この年安政六年(一八五九)九月十二日に世を去った。
 鉄之介が薩摩藩を訪れた時、藩政を牛耳っていたのは、現藩主茂久の実父久光だった。薩摩藩士からは国父と呼ばれる人物だ。有り体に言えば、亡兄の斉彬を敬愛する一方、世間のことを全く知らない田舎者だった。
 鉄之介が頼った伝手というのは、西郷吉之助に近い有村俊斎だった。
 俊斎は嘗て、江戸で水戸藩の藤田東湖、戸田蓬軒に師事し、尊王論を学んだことがあった。東湖に西郷を紹介した人物でもある。
 安政の大獄によって西郷と月照が追われることになると、俊斎は二人を保護して共に薩摩に帰国した。
 俊斎の二人の弟、有村雄助と次左衛門も、尊王論にかぶれており、この前年尊王攘夷活動を行うため薩摩藩を脱藩した。二人は水戸藩士の高橋多一郎と共に行動する。
 尊王攘夷という言葉がある。尊王と攘夷を合わせた四字熟語だ。
 尊王とは、皇室を神聖なものとして尊敬することであり、攘夷とは夷人を夷狄視し攘おうことである。
 つまり、天皇を尊び、外敵を斥けようとする思想のことだ。水戸学や国学の影響を受け、幕末期に於ける政治思想のスローガンとなった。
 幕末に流布した尊王攘夷というこの四字熟語の用例は、斉昭の弘道館記によるものが最初だった。弘道館は水戸藩の藩校で、起草者はあの藤田東湖である。

「正助に会わすっことは出来んくなりもした」
 有村俊斎は面目なさげに鉄之介へ頭を下げ、詫びを入れた。
「何故でござるか、有村殿。江戸で我らにご賛同して頂けた筈ではなかったのかっ!?」
「あん時と状況が変わりもした」
「では我らとの盟約もっ」
 鉄之介はカッと眼を見開くと俊斎を凝視した。
「おいは行けんっ」
 俊斎は唇を噛み、頑なにかぶりを振った。
「何故でござる有村殿っ!?」
 鉄之介は俊斎に迫った。
「国府様んお許しがなかで行けん」
 俊斎は申し訳なさそうに告げると、嘆息を吐いた。
「其処許の弟御お二人は、我らに賛同して頂き、高橋殿と共に動いておられるというのに、何故でござるか、訳をお聞かせ頂きたい」
「本当はおいも藩を抜け、あた方ん盟約に加わろごたっとだが、今となってはそいが出来んでござっ」
「……何故に」
 なおも鉄之介は俊斎に迫り、盟約に加われない訳を訊ねた。
「おいは大久保正助らと共に突出(脱藩)しっせぇ、関白と京都所司代ん酒井若狭守を討とうち思うちょった。ところが我が御主君茂久様より親書を頂き思い留まっことになり申した。じゃっどん、おいん弟二人はそいに従わず、勝手に藩を抜けた」
 俊斎は、嘗て西郷と月照を匿って薩摩に帰国した後、大久保正助たち精忠組の面々と薩摩藩を脱藩し、関白九条尚忠、京都所司代酒居若狭守忠義らを襲撃する計画を立てた。しかし、藩主島津茂久とその父久光の知ることとなり、藩主の親書を以ってこれを断念し、これ以降藩政に従い行動するようになった。
「ならば今改めて、我らとともに憎き井伊掃部を討とうではござらぬかっ」
 鉄之介は再度俊斎に盟約に加わるように迫った。
「申し訳ござらん。おいには出来もはん」
俊斎は悔し涙を流し、鉄之介に詫びを入れた。
「……有村殿」
 鉄之介もこれ以上俊斎を誘っても無理だと悟り、辞去することを伝え薩摩を離れ水戸に帰郷した。

 関鉄之介が薩摩藩を離れると、俊斎の許に精忠組の面々が集まった。
「どうじゃった」
 直心影流の達人にして崎門学を究めた文武両道の俊傑有馬新七が、顎をしゃくりながら問うた。
「おいは悔しゅうて仕方がなか。いっそ殿んお許しを待たずしっせぇ、おいたちじゃけで水戸ん方々ん盟約に加わっど」
 俊斎はその顔に無念の思いを滲ませていた。
「こん場に吉之三さぁがおったやどげんこっゆたろかぃ」
「止め、正助。吉之助は大島じゃ。こけおらん者んこっをゆてん仕方がなか」
 新七は正助を見やり、諫めるような口調で言った。
「そうじゃな、吉之助やったらどげんしたじゃろうか」
「俊斎までないをゆ」
 新七は呆れたようにかぶりを振った。
「ご先代ん斉彬公に可愛がられちょった吉之助やったら、もしかすっと藩兵を率いて上洛すっちゆたかも知れん」
 大山格之助は唇の端に意味ありげな笑みを浮かべた。
「そうじゃな、吉之助さぁやったらそげんかも知れん」
 正助はうんうんと何度も頷きながら言った。
「吉之助か、早よ戻って来んかな」
 新七は瞼を閉じると腕を組み、しみじみとした口調でこの場に居ない西郷を懐かしむ。
「あんらっきょう(久光のあだ名)が許さん限り大島から戻っては来れん」
 俊斎は憮然とかぶりを振った。
「おいは、国府様に近付っため、今吉祥院の乗願殿から碁を習うちょります」
 正助が言った。
「祥院の乗願? あん税所喜三左衛門ん兄か」
 新七が問う。
 正助はゆっくりと頷き、
「おいは、国府様にお目通りが適う身分まで出世してみせ、吉之助さぁん帰参を願い出っつもりでござっ」
 と力強く言った。
「正助、おはんはそげんこっを考えちょったんか」
 呆れたように言い、新七は正助の肩をぽんぽんと叩いた。
「おいは、あんらっきょうは好かん。何れは藩を抜け、水戸ん方々とともに事を起こしてやっ」
 新七は真顔で言った。
「有馬さぁ……」
 正助は悲しげな眼差しを新七に向けた。
 新七は口許に微笑を浮かべた。
「正助、おはんはおはんのやり方で気張れ、だがおいはあんらっきょうは好かん。それじゃな」
 新七は踵を返すと、正助や俊斎たち精忠組の面々に背中を向けた。
「有馬さぁっ」
 正助は立ち去る新七を引き留めようとした。
「待て、正助。行かせてやれ」
 格之助がかぶりを振りながら言った。
 正助は虚しく首肯した。
 斯くして時代は激動の幕末へと向かって加速して行く。
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